座右の銘


 午後からフリー雀荘に行ったが、空きができるまでしばらく待たされた。そこで、スポーツ新聞を何紙か読んだが、どのスポーツ紙も小久保の無償トレードはナゾという見解であった。

 スポーツ紙にはあまり書いていなかったが、だいぶ前からダイエーと読売との間に密約があったような気がする。ダイエー優勝から1週間ちょっとしか経っていないし、オリンピック予選を間近に控えたこの時期に発表することに疑問と怒りを禁じえない。

 ところで、麻雀は配牌が悪い上に5巡目にメンホンに振り込むなど、絶不調もいいところであった。いきなり3連続ラスの後、3連続トップで盛り返したと思いきや、また3連続ラス。

 しかし、三四
五五五六(ドラ・三)のヨンメンチャンをツモれんか〜。    

 それも、5巡目に張ってだぜぇ。ツモればトップ、出てもニチャだったのによぉ。それが、延々ツモれんわ、出んわで、結局、流局。そして、ラス確定。

 そこで、席を立った。まだ資金が底をついたわけではなかったが、それが正解であったろう。これ以上やっても勝てる気がしなかったし。

 しばらくは「へこんだ時には、流れと精神状態がフラットになるのを待つんだ」ということにしよう。またぞろフリー雀荘に行って負けたら、もう金がもたん。だいいちキムラになれんのじゃ話にならん。

 しかし、
「へこんだ時には、流れと精神状態がフラットになるのを待つんだ」って、実に明言ではあるまいか? 麻雀に限らず嵌っている時は、もがけばもがくほどより深みに嵌って行く。

 この言葉を実践できないと、破滅に追い込まれることもあろう。というわけで、今後ともこの言葉を座右の銘としたい。

※ちなみに、この明言は樫原という雀ゴロが吐いたものである。しかし、樫原と言っても誰もピンとこないだろうなぁ。

 かぁぁ〜、やっぱ国会図書館にしときゃ良かったわ。



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