骨肉の争い
今日、叔父の49日であった。小さい頃からよく知っている人であり、かわいがってもらったので、その49日には万難を排していくのが当然である。しかし…。
その叔父が亡くなったのが2月末であるが、我々兄弟がそれを知らされたのは3月に入ってからである。それを知らせてきた末の叔父は、「俺らごく身内だけで通夜と葬式をやったけど、49日には来てくれ。その時、墓の権利書を持ってきてほしい」と言ってきた。
「なんだ、そりゃ? なぜ、俺ら兄弟を叔父さんの葬式に呼ばないんだ?」と激情しかけたが、とりあえ49日には行くと返事をした。
しかし、ひどい話だ。葬式に呼ばないということは、親戚扱いしていないも同然であろう。にもかかわらず、49日に来いというのは、その叔父さんが入ろうとしている墓の権利書をわしが持っているからに他なるまい。
亡くなった叔父には連れ合いしかなく、子供がいない。すると、遺産相続は妻が4分の3を持っていき、残りを兄弟で割ることになる。
そのことを連絡してきた叔父に言ったら、「お前んとこのおやじは死んでいるから、お前らに権利はない」と言いくさった。確かにうちのおやじは亡くなっているが、そしたらわしら兄弟に権利が発生するはずだ。そのことは知っていたが、その時は何も言わなかった。
で、後日、その叔父さんのところに弟と乗り込んで、「大学の後輩の司法書士からも聞いてきたが、俺らにも一応いくばくかの権利がある」と言ったら、「そうなんだ。でも、いくらも財産が残っていなかったみたいだ」と返してきた。
そこで、「じゃ、遺言書はあったのか?」と問うたら、「なかったみたいだ」と言う返事がきた。それだけ聞いて帰ってきたが、その日、叔父の未亡人に遺言書のことを尋ねたらあると言う。
それ聞いて唖然とした。でも、これ以上つついても不毛な争いになるだけなので、49日まで黙っていることにした。
そして、今日が49日であった。わしが墓の権利書を持っていなかったら、今日も呼ばなかったに決まっている。
だから、今日は終始胸クソが悪かった。当然のことながら、兄弟して親戚の奴らとは全く口を聞かなかった。
もしこちらのあずかり知らぬところで財産分与をやっていたら、出るところに出るつもりである。
わしら兄弟は遺産がほしくて怒っているのではない。親戚どもの不誠実な態度に怒っているのだ。
平将門は、京の都に行っている間に叔父達によって亡くなった父親の土地の図面を自分達の都合のいいように書き換えられていた。坂東に帰った将門はそれに激怒し、次々と叔父達を討っていった。叔父との財産争いは、かくの如く遺恨を生む。
※将門は、上洛中、吉永小百合にカルピスをかけていた。←NHK大河ドラマ・「風と雲と虹と」による。
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