銚子商の監督
今日の第4試合は、かなり銚子商に肩入れして見ていた。というのも、昨日のゲンダイの斎藤監督へのインタビューを読んで、あまりに同監督を気の毒に思ったからである。
高校野球ファンにとって、銚子商の監督といえば、74年に土屋・篠塚で優勝した斎藤一之監督である。
現監督はそのJr.である。斎藤親子は、76年の夏の甲子園で、原親子とともに親子鷹として注目を浴びたが、まさか息子が監督を引き継いでいるとは思わなかった。
銚子は漁民の町である。それで気の荒い奴が多く、娯楽も少ないことから銚子商への思い入れは半端でないらしい。73年の選抜の初戦で、報徳に0−16で負けた時に暴動が起き、ファンの強訴により当時のエースが2番手に降格されたのは、つとに知られるところである。
そういう土地柄だけに、予選で負けたりした時の斎藤一之監督への怒りのぶつけ方は半端でなく、酔っ払ったファンが自宅に電話してきて、延々2時間もがなり続られたことや、自宅の玄関が壊されたことなど、想像を絶する嫌がらせが数限りなくあったらしい。
85年の甲子園に出た時に、PL、高知商とともに3強といわれながら、初戦敗退した際の市民の怒りは、それこそ凄まじかっただろう。そんなこんなで心労が重なった斎藤一之監督は、それから間もなく他界してしまった。
その後、何人かが銚子商の監督に就任したが、ちょっとでも勝てないとすぐ解任されるので引き受け手がいなくなり、OB会からJr.氏に白羽の矢が立ったという。
今回なんとか甲子園に来れたが、勝てない時はやはりJr.氏も様々な嫌がらせを受け、ついにリンパ癌になってしまったとか。しかし、そんなんで監督を続けていて大丈夫なんだろうか?
今回はブロックに恵まれたことからベスト8に進出することが有力視されているが、もし初戦負けとかしていたら、またぞろ家の前にクソをされるなどの嫌がらせを受けたことだろう。まったくもって、凄まじい話である。
※ある方に聞いた話であるが、篠塚は、中学時代、ドシャワシャワだったとか。それでも、なんとしても篠塚を入学させたかった銚子商は…。←…から先は書けん。それだけ篠塚は野球は天才だったわけで、事実、入学してすぐにレギュラーに抜擢され、5月の関東大会で、3年生の誰もが全く打てなかった江川の剛速球をセンター前へジャストミートした逸話がある。
※漁師の応援といえば、新湊の大応援団を思い出す。80年の夏に初出場した時のアルプス席の大歓声には度肝を抜かれた。「地引網引いてんじゃねぇぞ」と思ったもんである。
今日、銚子商が勝てて良かった。もし負けていたら、ノーアウト3塁でスクイズを仕掛けて失敗した監督の采配ミスが取り沙汰されていただろう。
話はまったく変わるけど、昨日のゲンダイの「失礼します」に載っていた女性は素晴らしかった(以下、参照)。「失礼します」史上でも、1、2の美女ではないか? しかし、この人、本当に素人なのだろうか?
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