寒さと風で日和る
プー太郎生活1203日目。
まさに恥の上塗りである。
誤:「あじわらせろ」→正:「あじわわせろ」
やはり表記そのものがミスっていたか…。わしは日本語がシャワシャワなのか?
というわけで、今日はティップネスを出前とした。寒さと風で日和ったのである。
寒さだけならまだしも、体感温度を著しく下げる強風はシャレにならない。風呂上りの帰宅途上で強風を受けたら風邪を引く可能性が高くなる。
今、風邪に罹るわけにはいかん。明後日、クソ麻雀を控えているのでな。
いくらわしでも、風邪では13時間の勝負を全うできない。よって、今日の出前は諸葛孔明なみの賢明な判断だったと思われる。
今日、ティップネスに行かなかったことで、サッカー好きの兄ちゃんと、3週間前の再会以来、年内は会わずに終わった。
3週間前の再会は何だったのか? 兄ちゃんが幻だったということはあるまい。
今度、ベテランの女性インストラクターに兄ちゃんのことを聞いてみようと思う。個人情報の壁に阻まれるかもしれんが。
あに? 今日、競馬が開催されただと?
JRAもえげつないじゃねぇか。年末に競馬がヘタクソな奴のような競馬弱者から金を巻き上げようとはよ。
あに? 「今日も儲かった」だと?
ほぉー。このところ調子いいじゃねぇか。
その反動が30日に出るな。そう書くのも卓外戦術の一環よ。
それはそうと、おめぇ、仕事中に競馬中継を見てなかったろうな。職務規定に抵触するようなことをするなよ。
ただし、高校野球に関しては不問である。高校野球は競馬と違って神聖だからな。
早実が全国高校ラグビー選手権で名護高校をクラッシュした。
名護高校…。わしが初めて沖縄代表の名前を知ったのは豊見城である。
当時のエースは‘沖縄の星’・赤嶺、監督は栽監督であった。
赤嶺のカーブは素晴らしく、75年の選抜1回戦では、夏に猛打で優勝を果たすことになる習志野打線を2安打完封している。
また、準々決勝においては、原、津末の東海大相模を9回ツーアウトまで0点に抑えた。
が、ツーアウトランナーなしから4番の津末にツーベースを打たれたのをきっかけに2点を取られ、逆転サヨナラ負けを喫した。
その津末のツーベースの前に3番の原は空振りの三振に倒れた。原は高校時代から勝負弱かったのである。
さらに、赤嶺は、75年秋の九州大会で豪打の柳川商打線を久保のソロホームランのみの1点に封じて2−1で勝ち、柳川商の選抜出場の道を絶った。
当時の柳川商は超大型チームで、夏の甲子園に出場するまで85勝2敗という戦歴であった。その2敗のうちの1つを赤嶺の豊見城に喫していたわけである。
※もう1つの敗戦は、剛腕・酒井の海星に対しての1−2であった。ただし、これは招待試合でのものである。
赤嶺は読売に入団したが、プロでは結果を出せなかった。プロの世界の厳しさは今も昔も同じである。
栽監督は、太平洋戦争の沖縄戦で壮絶な戦争体験をしたことで知られていた。
ただ、その人と成りはぁ。故人を悪く書くのは何だが、栽監督が金にとことん汚かったのも有名である。
沖縄代表といえば、「柔道讃歌」の残波岬高校(ざんばみさきこうこう)もインパクトがあった。
残波岬高校・柔道部の主将・緋文字金城(ひもんじ・きんじょう)は、巴の予感通り、ただ者ではなかった。
それにしても、梶原一騎の敵キャラ作りは素晴らしい。敵キャラのネーミングもセンス抜群だ。
まじで今日はクソ寒かった。午後3時過ぎに小太郎と散歩に行った際に寒さを実感したわ。
外に出たら、わしの自転車が倒れていた。が、そのままにしておいた。
風が吹きすさんでいる以上、立ててもまた同じことになるだろうからな。これも諸葛孔明ばりの好判断だったと言える。
クソ麻雀が明後日に迫った。明日は必殺の卓外戦術を繰り出す。
どういう卓外戦術か? それは秘中の秘である…。