綾瀬まで大遠征

 
 プー太郎生活1951日目。

 日刊スポーツのサイトで水島新司が引退することを知った。

 81歳なら漫画を描くのはきついわな。それに野球漫画の金太郎アメだったから、ネタも思いつかないのであろう。

 今、81歳ということは、ドカベンの連載時は30代だったわけか。漫画家として脂が一番乗っている時だったんだな。

 水島新司の最高傑作がドカベンであることは衆目の一致するところである。

 ドカベンでは、何と言っても岩鬼が出色のキャラであった。岩鬼が関西弁だったのもナイスだった。

 敵キャラも濃かった。不知火、雲竜、坂田、犬飼兄弟、緒方、土門、賀間、影丸、フォアマン、犬神、義経、武蔵坊…。

 中でも、わしの一番のお気に入りの敵キャラは不知火である。山田高2の神奈川予選の
「不知火の1点」の明訓-白新学院がベストバウトであろう。

 不知火の、
「次の俺の相手は明訓か。山田か」には痺れたものである。

 また、
「不知火はしばし動かなかった。スコアボードの1点を見つめたまま。何を思い、そして何を思ったか。不知火守、ここに散る」は諳んじている。

 敵キャラというには余りにも間抜けだった気楽なバカ・南海権左も好きなキャラである。

 不戦勝の連続など、よく考えついたものだ。30代の全盛期なればこそだな。

 というわけで、綾瀬まで行ってきた。高田馬場から地下鉄東西線を利用する乗り継ぎもあったが、山手線を使った。

 東西線だと遠回りになり、より時間が掛かるからである。チンタラ各駅に停まる地下鉄なんかに乗ってられるかい。

 西日暮里駅で地下鉄千代田線に乗り換える時、多くの開成の生徒とすれ違った。開成は西日暮里駅のすぐ傍に学校があるのである。

 
「こいつら、将来の東大生か」と思わずにはいられなかった。と言っても、東大合格率は灘高の方が上だが。

 地下鉄千代田線で荒川鉄橋を渡った。ガキの頃は、
「大きな鉄橋だな」と思っていたが、近鉄線の木曽川鉄橋の迫力には遠く及ばない。

 綾瀬駅に着いたのは3時過ぎであった。病院で義妹らと落ち合う予定時間は3時半だったので、ちょうどいい時間だった。

 パンクチュアルであることは、わしの数少ない長所なのである。いや、冷静・沈着、是々非々、先憂後楽も忘れてもらっては困る。

 駅から病院に向かう途中にティップネスがあったのに驚いた。綾瀬にティップネスがあるとは、
「計算外だよ、玄大佐」

 病院に着いて来院の目的を告げたら検温された。コロナ禍だから来院する奴を限っているくせぇ。

 手術待合室には、既に義妹と義妹の父親が来ていた。義妹の母親の手術は2時40分から始まっていて、2時間ほどで終わるという。

 手術待合室にはテレビがあったので、皆でテレビを見ていた。それで知りたくもない新語・流行語大賞を知ってしまった。

 
「3密」が大賞だと? そんなもん、「コロナ」が大賞に決まっているじゃないか。

 義妹から3か月ほど前に、毎年、わしが大腸検査を受けている医院で大腸検査を受けたという話を聞いた。

 このコロナ禍でも大腸検査を行っているのか。なら、わしもそろそろ予約を入れないとな。

 その医院は予約が立て込むから、2月上旬に予約を取るには今頃が適当なのである。

 しかし、2月上旬がコロナ禍で日本中がガッツ星人の最期のような混乱状態になっていたら、検査は先送りとなろう。

 ちなみに、義妹は大腸ポリープが3つあったそうである。野菜が大好きな義妹がそうだったということは、野菜を食べても意味がないということだ。

 5時過ぎに看護婦に呼ばれ、手術をした医師から説明を受けた。手術は成功して、1か月半後くらいには歩けるようになると聞かされた。

 手術をしたのは院長自らだそうだが、30代にしか見えなかった。随分と若いな。それでいて、しっかりしていた。

 義妹によると、看護婦の質もいいそうである。看護婦どもがクソだったのは、わしが入院していた三鷹の整形外科くらいなものよ。

 帰りは義妹と一緒となると思いきや、義妹は実家に寄ってから帰るという。病院から義妹の実家へはバスが通じているのか。

 義妹と一緒に帰れば、周りから夫婦に見られると思っていたのに、1人で帰ることになったとはハガい


 帰宅したのは7時過ぎになるのは確実であった。それから飯を炊くのも面倒なので、コンビニでパンを買って帰った。

 むろん、マヨネーズが掛かっているパンは避けた。そんなのを口にしたらテッポウ魚になってしまうわ。

 コンビニのパンの夕食が0点なのはわかっとる。明日の牛肉のステーキで今日のリベンジをしたい。

 久々にアレキサンダー大遠征をして疲れた。今日はいつもより早く就寝して、10時間睡眠を確保したい。了
 

次の日へ 前の日へ
日記トップへ HPトップへ