年少の頃の、目の前で父親がアメリカ兵による集団リンチで殺されるという原体験から、棟居(むねすえ)刑事は自分しか信じられない人間になってしまった。
 
 その棟居が本庁に抜擢されてすぐ、黒人の青年・ジョニー=ヘイワードが殺されるという事件が起こる。棟居らの必至の捜査も虚しく、ようとして容疑者が浮かばなかった。そこで、ジョニーの住んでいたアメリカ南部へ捜査の手を伸ばした棟居は、ジョニーが日本へ来たのは、日本人の母親に会うためだったと知る。

 黒人差別が凄まじいディープサウスで極貧生活を送っていたジョニーにとっての唯一の心の支えは、いつの日にか、幼い頃に優しくしてくれた、生き別れになった母に会うことだった。そして、その思いは、日が経つにつれ、生活が苦しくなっていくにつれ、押さえがたいものになった。

 そんなある日、ジョニーは雑誌で、日本でデザイナーとして大成功している母の写真を偶然見た。そこで、ジョニーの父は、息子の願いを叶えようと、自らの命を投げ出して、日本への旅費を作る。父の遺志も汲んで日本へ来たジョニーであったが、ジョニーを待っていたのは、母の非情過ぎる拒絶であった。ジョニーの母・八杉恭子にとって、黒い隠し子は、忌まわしい過去の亡霊であったのだ。

 恭子はジョニーへの殺意を固め、ジョニーをひとけのない公園へ呼び出した。夢にまで見た母との再会を喜ぶジョニーの胸にナイフを突き立てる恭子。いかに邪魔な存在とはいえ、そこは我が子。震える手で刺したナイフは、ほんの少ししか入らなかったのだった。

 しかし、それで母の気持ちを知ったジョニーは、「ママにとって、僕は邪魔な存在なんだね」と、自らの手でナイフを胸の奥深くに刺した。続けざま、「僕はママが安全なところに逃げるまで絶対に死なない。早く逃げるんだ、ママ!」と絶叫する。ジョニーは瀕死の状態にありながら
15分も歩き続け、ホテルニュー大倉の前でついに力尽きる。意識が消える寸前のジョニーの目に映ったのは、麦わら帽子(英語でストーハ)に見えたホテルのネオン。ストーハ…。それがジョニーの最後の言葉であった。

 ほどなく棟居は、「ストーハ」が、ジョニーが日本に持ってきた詩集に載っていた言葉だと知る。さらに、詩集に読まれていた高原に、
20年ほど前にジョニーら親子3人が来ていたこともわかった。つまり、「ストーハ」は、親子3人の最初で最後の高原旅行の際に、恭子がジョニーに読んで聞かせた、母を想う詩に出て来る言葉だったのだ。

 恭子をジョニー殺しの犯人だと確認した棟居は、恭子に人間としての情が残っていることに賭け、自供させることを決意したのであった…。