高校野球クイズB


1.88年の選抜で優勝した宇和島東打線は、当地にちなんで何打線と呼ばれたでしょう?

2.西日本短大付の森尾投手が唯一失点したのは、何高校戦だったでしょう?

3.帝京高校が甲子園に初出場したのは、何年の選抜大会だったでしょう?

4.現在の甲子園のベンチ入りメンバーは18人ですが、76年当時は何人だったでしょう?

5.76年以降、選抜で初戦敗退した高校がその年の夏の大会に優勝した例は何例あるでしょう?

6.91年の夏の大会に優勝した大阪桐蔭の2人のエースは、和田投手と誰だったでしょう?

7.桑田が選抜で唯一打たれたホームランは、誰に喫したものでしょう?

8.「ファニキア人のそれのごと」で終わるのは、どこの高校の校歌でしょう?

9.甲子園のスコアボードが電光掲示板になったのは、何年の選抜からでしょう?

10.横浜高校と報徳学園は甲子園で4回対戦していますが、その対戦成績は?

 
解答は下にあります



1.88年の選抜で優勝した宇和島東打線は、当地にちなんで何打線と呼ばれたでしょう?

 
解答:牛鬼打線 明神、薬師神などが強打を振るいました。他に四国では、池田のやまびこ打線、鳴門高校の渦潮打線、今治西のしまなみ打線などが有名ですね。

2.西日本短大付の森尾投手が唯一失点したのは、何高校戦だったでしょう?

 
解答:北陸高校 準々決勝の相手でした。失点したのは9回だったので、実にもったいなかったです。

3.帝京高校が甲子園に初出場したのは、何年の選抜大会だったでしょう?

 
解答:78年 初戦で大石投手の小倉高校に0−3で敗れました。帝京のユニフォームが縞模様なのは、甲子園をホームとする阪神のユニフォームにあやかってのものだそうです。

4.現在の甲子園のベンチ入りメンバーは18人ですが、76年当時は何人だったでしょう?

 
解答:14人 78年に15人になり、94年に16人、03年に18人になったと記憶しています。

5.76年以降、選抜で初戦敗退した高校がその年の夏の大会に優勝した例は何例あるでしょう?

 
解答:4例 81年の報徳学園、89年と95年の帝京、96年の松山商の4例です。

6.91年の夏の大会に優勝した大阪桐蔭の2人のエースは、和田投手と誰だったでしょう?

 
解答:背尾伊洋投手 89年夏の準決勝の星稜戦では、当時2年生の松井を4−0に封じています。

7.桑田が選抜で唯一打たれたホームランは、誰に喫したものでしょう?

 
解答:田処新二捕手(宇部商) 85年の選抜2回戦で、桑田は宇部商打線を7安打2点に抑えてていますが、7回に田処選手にバックスクリーン横に放り込まれました。ちなみに、桑田の甲子園大会での被本塁打は通算7本です。

8.「ファニキア人のそれのごと」で終わるのは、どこの高校の校歌でしょう?

 
解答:高知商 高知商業の校歌 1.鵬程万里果てもなき 太平洋の岸の辺に 建依別のますらおは 海の愛児と生まれたり 2.天にそびゆる喬木を レバノン山の杜に伐り 舟を造りて乗り出でし フェニキア人のそれのごと

9.甲子園のスコアボードが電光掲示板になったのは、何年の選抜からでしょう?

 
解答:84年 かつてのペンキ文字が懐かしいですね。電光掲示板になってから、ヒットの本数も掲示されるようになりました。

10.横浜高校と報徳学園は甲子園で4回対戦していますが、その対戦成績は?

 
解答:2勝2敗 81年夏は報徳学園4−1(勝利投手・金村)、85年選抜は報徳学園10−2(勝利投手・松田)、98年選抜は横浜6−2(勝利投手・松坂)、04年夏は横浜8−2(勝利投手・涌井)。



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