ばあさんの忠告
今日は仕事が早く終わり、その帰りにばあさんの見舞いに行って来た。今日も前行った時よりも良くなっている感じであったので、一安心というところであった。
それにしても、同部屋のお年寄り達は重病人ばかりで気の毒になる。しかし、いずれ自分もそういった感じで入院するのかと思うと、いやがおうにも人生のはかなさを感じてしまう。
まあ、今からジタバタしてもしょうがないのであるが。それに、この食生活や性格からして、年寄りになる前に死にそうだし。
そうこうしていたら、ばあさんの点滴袋を換えるというので、いったん廊下に出た。すると、廊下の壁に張ってある1か月の献立表が目に入った。
しかし、何だ、こりゃ? 精進料理みないなもんばっかじゃないか。これじゃ、まるで食べ応えがない。
それに、一食として完食できんぞ。特に今日の夕食は話にならん。
アジのマヨネーズあえとレタスサラダだと? おい〜、これじゃ、めしと味噌汁しか食えるもんがないぞ。
折りも折り。ちょうど夕食が運ばれてきた。ばあさんは今はまだ点滴だけでまだ食事はできないが、隣のベッドのおばあさんは、息子とおぼしき人の献身的な手助けでゆっくりゆっくり食べていた。そして、しばらくして、その息子の、「よく全部食べたね」という声が聞こえてきた。
ということは、わしは病気のおばあさんより劣るということか? これじゃ、やっぱ年寄りになるまでに死ぬわな。
1時間ほどいて、ばあさんに、「じゃ、帰るからね」と言ったら、「おくさんによろしくね」だと。
ばあさんよ、わしゃ、チョンガーなんだよ。いっしょに暮らしているじゃないか。
それとも、弟とわしを間違えたのか? でも、周りの人の耳を意識して、「うん、わかったよ」としか言えなかったわい。
で、最後に、「子供は2人は作らんとあかん。こういう時、どうもならんよ」というありがたい忠告を受けた。
「わかっとるわい、そんなことは」とぶつぶつ言いながら、バス停に向かったが、今日も今日とて、すんでのところで乗り損ねてしまった。
で、次のバスが来るまで街燈の電気で「負けない麻雀」(小島武夫・著)を読んでいたら、中年のおばさんが、「お兄さん、そんな灯りで本が読めるの?」と声をかけてきた。
「お兄さん」という言葉に気分を良くして、「読めますよ」と上機嫌で答えた。そしたらおばさんは、「若いって、いいわね」と返したので、さらに機嫌が良くなった。
そうか、わしは若いのか。ばあさんからナゾのアドバイスを受けてハガい気分になっていたが、このおばさんの言葉に元気づけられた。
よし、明日からまた気分一新で、「脱・チョンガー・ザ・グレート」を目指そうぞ。
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