ドキドキせんかった
今日は、高校野球、日本代表の試合を堪能した。ま、高校野球は全試合ってわけじゃなかったけど。
それにしても、第1試合が終わった後の準々決勝の抽選、全くドキドキせんかったなぁ。高校野球ファンには、あの抽選のドキドキ感がたまらないのであるが…。広陵が残っていれば、けっこう緊張したであろうが。
強豪が軒を連ねていた1970年代後半から80年代においては、抽選の時に本当に手汗をかいたもんである。特に荒木の時代は心臓が飛び出しそうなくらい緊張したもんであった。
※1982年、荒木大輔、最後の夏。大会11日目、第1試合で早実が東海大甲府をくだした後、準々決勝の抽選が始まった。固唾を飲んで抽選を見守っていたところ、「放送席、放送席、ただいま勝ちました早稲田実業の和田監督のインタビューです」と、画面が切り代わりやがった。「和田のインタビューなどどうでもええ。早く抽選見せろ」と完全に切れたわしであった。そして、インタビューが終わった後、
第
三
池
田
対
早
稲
田
実
が画面に飛び込んで来た。まじで悶絶。よりにもよって池田とは…。結果はご存知の通り、荒木は池田やまびこ打線に木っ端微塵にされたのであった。
岩国と福井商はつまらん試合だった。福井商のピッチャーがデッドボール7個だと。それも4回途中までで。そして、4回の表に一気に10失点たぁ。
解説のブルドッグ氏も苦言だらけであった。「これだけデッドボ−ルが多いことに、指導者も考えねばなりません」、(10失点後に投手交代がなされ)「大幅に投手後退が遅れましたね」と、相変わらずの辛辣な解説をされていたが、ブルドック氏、もしかしたら福井商の北野監督が嫌いなのかもしれん。
帝京の前田ほどではないだろうけど、北野監督もクセがありそうだし。
しかし、広陵−PLだったらなぁ。はるかにしまった試合をしたことだったであろう。
それとは対照的に、第3試合はいい試合だった。久しぶりにあれだけの投手戦を見たって感じである。
立派だったのは、平安の主将・西野の態度。自分も打てずに2年生エース・服部を見殺してにしてしまった悔いで号泣しながらも、報道陣への第一声は「ありがとうございました」だったという。そして、気丈に受け答えしていたそうだ。
※名門校のキャプテンは、こういうふうに一角の人物が務めることが大半だろう。帝京でもそうであろうと思われるが、1995年のチームにおいて、前田と衝突して、キャプテン以下3年生数人が夏の予選を前に退部したという話にはびっくりした。原因はだいたい想像がつくが…。
※昔、横浜高校で愛甲がキャプテンになったと聞いて、びっくりしたことがある。愛甲は素行が悪いことで有名だったので、渡辺監督が「キャプテンにしたら悪さをしなくなるだろう」ということで、敢えて愛甲をキャプテンにしたらしい。
キャプテンになっても愛甲は、先攻後攻を決めるジャンケンで親指と人指し指でチョキを作ったり、優勝旗を受け取る時に大会委員長に礼をしなかったりと、いろいろと問題行動が多かった。
その愛甲が横浜高校が松坂で春夏連覇した時、「渡辺監督が喜ぶ姿を見るのがうれしかった」というコメントを出したが、これにはいたく感動したもんであった。
第4試合は、覚悟していたこととはいえ、静岡の敗退に吐いた。やっぱ木内のおっさんと心中するのが正解であった。まず間違いなく常総学院の優勝だろう。
これで残るは聖望学園と桐生一だけか…。こうしてみると、虎の穴の総帥や赤覆面の大幹部達の気持ちがよくわかる。
送り出した殺し屋レスラーが1人1人タイガーマスクに返り討ちに遭っていったのだから。特に切り札として繰り出した「赤き死の仮面」レッド・デス・マスクがやられた時は、広陵がやられた時のわしのような気分であったろう。
※レッド・デス・マスクは、2000種類の反則を使いこなすという触れ込みであったが、どこぞの暇人がプロレスの反則技を数えたら、どんなに多く数えても500しかなかったという。しかし、そいつ、ホントに暇だぞ。
※上の例でもわかるように、凄さをありえない値で強調すると却って滑稽なことになる。その最たる例がゼットン光線の1兆℃という値である。だいたい1兆℃なんて温度、ありえるのか?
サッカーは結果的にはジーコの首がつながったので良かったが、ナイジェリアにあまり覇気が感じられなかった。あごあし付きでおなか一杯だったのかもしれん。
夏休みもあと2日。決勝戦が常総学院−東北になったら、土曜は午後から消えるかな。閉会式も見たいし。しかし、こんなデタラメなこって、いいのだろうか?
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