出戻りはいらん

  ナゾの用事があって、帰りが遅くなってしまった。ナゾの用事といっても、源氏名になっていたわけでない。

 
だいたい、源氏名を名乗りたくても、デマゴーク野郎の浄化運動によって、歌舞伎町や池袋のキムラ店の多くが根絶やしにされたから、どうにもならん。

※数日前、野郎が先頭を切って歌舞伎町を練り歩いている写真を見て、吐き気がしたわ。野郎、ええ加減にせぇよ。

 今日、帰りが遅くなるのは予定の行動であった。それもあって、明日、出前を注文したしだいである。

 明日から神宮大会が始まるので、観に行こうと思いきや、第1位試合は朝の8時半に試合開始だと? さすがにそれはつらい。

 第2試合から観戦しに行くと、第1試合の結果がわかってしまうしなぁ。7時半に起きれたら、そのまま神宮球場に直行しようと思う。

  野球で思い出したけど、ペタジーニが巨人を退団したくせぇ。清原がゴネ込んだのが早くも功を奏したか? 

 よもや、あの野郎、ヤクルトに出戻るってことはないだろうな? 
今更、裏切り者などいらん。出戻り外人はマニエルで懲りとる。

※ヤクルトの出戻り外人といえば、83年のマニエルを思い出す。
 79年の初優勝に大きく貢献したマニエルであったが、当時の広岡監督にザル守備を嫌われ、近鉄へトレードされてしまった。近鉄で指名打者として猛威を振るったマニエルは、満を持して83年にヤクルトへ復帰した。ヤクルト球団は、
「マニエルにホームランが出るのは、開幕何試合目でしょう?」とクイズを企画したほど、マニエルの打棒に期待したのであったが…。
 ところが、マニエルは開幕からスランプに陥り、待てども暮らせどもホームランが出ない。そして、開幕から十何試合試合目だったか、ホームランが出ないまま、故障を理由に、マニエルはついにファーム落ちしてしまった。
 というわけで、クイズの正解者は0。クイズを企画した人間は、さぞや吐き倒れたであろう。
 
 当時ラジオで解説していた広岡氏が、
「マニエルは、近鉄では指名打者で守備に入っていませんでしたからね。毎イニング、ベンチからライトまで往復することで、足腰が弱って、打てなくなってしまったんでしょう」と、勝ち誇ったように言っていた。それを聞いて、「プロ野球選手でそんなに足腰が弱い奴がいるのかよ」と思ったもんだが、実際、そうだったくせぇ。
 
 83年のヤクルトは、マニエルのほか、近鉄から右のエースだった井本、ロッテからは抑えの切り札・倉持を補強し、優勝候補と目された。それが開幕から黒星の金太郎アメ。まさに、吐いて吐いて吐きまくったシーズンだった。

 さて、日記も書いたし(日記というより、ほとんど回顧録じゃねぇか)、寝るとするか。

 明日は、今日さぼった分までサイトのリストラ作業をやらんと…。うざってぇ。


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