もう行かん

 
 わしが通っている床屋は流行っている。だから、待たされることがよくある。今日もどうかと思った。

 今日の帰り、床屋の待合室を外から覗いたら誰もいなかった。席を見ると、じじぃ2人がやっていて、若手が1人余っていた。‘これは、すぐにわしの出番になるな’と思い、床屋に入った。

 ところが、例の恐怖政治を敷いているおばさんが手持無沙汰にしていた若いのに、‘××さんが喫茶店で待っているから呼んで来て’と言ったんで吐いた。そう、順番を抜かされたのである。

 仕方がない。じじぃ2人のうち、どちらかが早く終わるのを待つか。が、1人はやり始めで、もう1人は髪を染めていたので、えらい時間がかかった。

 結局、1時間15分も待たされた。床屋の待ち時間ほど不毛なものはない。しかも、今日は騙し討ちに遭ったようなものだから、よけい気分が悪かった。

 1時間以上ロスしたことで、高校生クイズが始まる時間に間に合わなかった。まあいい。録画したのを見るからよ。

 髪を染めていたじじぃであるが、頭を真っ白に染めくさった。ふつう、白髪を黒髪にするだろ。

 ゴマ塩頭から真っ白にするって、意味がわからん。
まさかアカギの白髪を意識したんじゃないだろうな。

 わしが席に座るやいなや、床屋を仕切っているおばさんが、‘今日は夕方から急に混んできて…’と話し掛けてきた。言い訳は聞きたくねぇ。
それより、暇なじじぃどもは昼間に床屋に行け。

 その床屋では、カットは若手にやらせない。だから、今日もわしのカットはおばさんが担当になった。

 それはいいけどよ、何が悲しゅうて、おばさんの愚痴を聞かにゃあかんの。若手が次々にやめちゃうって、自業自得だろ。あれだけ客の前でなじられたら、誰だって嫌になるよ。

 愚痴が終わった後、‘これから食事ですか? 何か食前酒は飲むんですか?’と尋ねられた。わしは酒が飲めないんだよ。
何度も同じことを言わせるな。

 カットが終わった後、若手に交代した。若手には、シェービングとオプションでやっている頭のマッサージおよび耳クリーンをやってもらった。

 男にとって、床屋でのシェービングは至福の時である。しかし、今日もシェービング中ずっと、おばさんがもう1人の若手にガミガミ言っていた。

 もういい加減にしろ。毎回そうじゃないか。

 今日は、わしが最後の客であった。わしが帰った後で収支合わせをやるのだろう。

 ドヤイヤーで仕上げという時に、今度は会計のことで若手に噛みつき出した。だから、そういうのは店を閉めてからやってくれよ。

 技術が終わってレジに行ったら、おばさんが、‘もう今日の分を計算しておきましたら’と、6825円を請求してきた。

 ん? 6300円じゃないのか? レシートを見たら、カット代4200円、頭のマッサージ1050円、耳クリーン1050円、泥エステ525円とあった。

 泥エステなんて、やってねぇぞ。当然、頭のマッサージおよび耳クリーンを担当した若手がおばさんに、‘泥エステはやってませんよ’と言って、計算をやり直そうとした。

 すると、おばさんがその若手を、‘もういいですから’と叱りつけた。聞き耳を持たないとはこのこと。これじゃ、辞める奴が続出するのも当然だわな。

 わしがアヤをつけると若手がさらに気の毒なことになると思い、黙って6825円を払って店を辞した。その時、もう行かんと決意したのは書くまでもない。

 確かに、そのおばさんの技術は高い。しかし、2回に1回は30分以上待たされる。そして、毎回のようにおばさんの怒声を聞かされる。それでは、交通費を払ってまで行く意味がない。

 今は1000円カットでも、そんなにヘタクソじゃないっていうしな。
だいたい、髪の形を気にする柄じゃねぇ。

 今日はあまりに頭にきたので、家に帰って、わしと同じくその床屋の常連である弟に電話した。床屋を変えると言ったら、弟は驚いていた。なにせ20年以上も通い、その間、1度も浮気しなかったからな。

 ‘お前が行かないんだったら、俺も行くのをやめるよ’か。それもいいだろう。

 ここで聞き捨てならないのは、わしを‘お前’と呼ぶことだ。
香川が本田を呼び捨てにする以上の蛮行じゃねぇか。

 江戸時代なら、わしは兄上だぞ。そのことを忘れるな。

 床屋でストレスを発散するつもりが逆にストレスが溜まった。この恨みは今日の睡眠で晴らす。

 今日、変な夢を見させたら許さん。って、いい夢を見る気がしねぇ…。



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