イングランド大会

 
 米長永世棋聖が亡くなったか。喫茶店でサインをもらったことがあるだけに思うところがある。

 ただ、晩年の米長永世棋聖はいただけなかった。石原の片棒を担いだり、将棋対局の解説で司会の姉ちゃん達をおちょくりまくったりと、感心できないことが多かった。

 しかし、本当に人間の命って、あっけないな。去年の今頃、明日が生涯最も悲しい日になるなんて、夢想だにしていなかった。

 明日のことを考えてしまって、今日は食欲がなかった。昼飯はコンビニのカルボナーラ、夕飯もコンビニのホットドッグ。そういうこっちゃいかんのだが…。

 今日は休みで、かつてのサッカーの名勝負のダビングに勤しんだ。最初にダビングしたのは、66年イングランド大会の記録ビデオである。

 イングランド大会までは、選手交代は怪我でも認められず、イエローカードもなかった。だから、相手のエースを怪我させるプレーが目立った。

 その犠牲になったのがペレである。ブルガリアもポルトガルも、ボール関係なしにペレの足を蹴りまくっていた。それでペレは怪我を負い、ブラジルの3連覇は夢と散った。

 そういうこともあって、次回のメキシコ大会からイエローカードが導入された。また、選手交代も2人まで認められるようになった。メキシコの高地で選手交代がなかったら、高山病で死ぬ選手も出たであろう。

 イングランド大会では、ポルトガル代表のエウゼビオが9点で得点王になった。エスゼビオの異名は‘モザンビークの黒豹’。モザンビークは1975年にポルトガルから独立したので、エウゼビオは当時、ポルトガル代表だったのである。

 イングランド大会では、北朝鮮旋風が吹き荒れた。一次リーグでイタリアを1−0で破ったのは伝説となっている。

 対照的に、帰国したイタリアイレブンを待っていたのは腐ったトマトであった。イタリアともあろうものが、かわい子ちゃんの北朝鮮に負けてはイタリア国民も吐き倒れるわな。

 イングランド大会で優勝したのは、地元のイングランドであった。決勝の西ドイツ戦で疑惑のゴールで勝ったのは、サッカーファンの間ではよく知られている。

 閉会式でウェンブリースタジアムを埋め尽くしたイングランドファンがゴッド・セーブ・ザ・クイーンを大合唱するシーンには、何度見ても身震いする。

 表彰式でエリザベス女王が選手1人1人と握手するが、そういう時も手袋をはずさねぇたぁ。王室が特別な存在なのはわかるがよ、それはないんじゃねぇのか。

 イングランド大会をダビングし終わった後は、74年西ドイツ大会のオランダ戦を3試合ダビングした。

 いやぁ、ホント、クライフはかっこいい。男が見ても惚れ惚れするわ。

 最後尾で味方に指示を出したと思ったら、いつの間にか最前線に上がってシュートを打っているんだからな。そして、ボールを持てば、超高速ドリブルやクライフターンで敵をかわし、ピンポイントパスでゴールをアシストする。もちろん、シュート力も抜群だった。

 20世紀の偉大なサッカー選手ランキングで、ペレ、マラドーナに次ぐ3位になったのも当然である。ちなみに、4位はベッケンバウアー、5位はプラティニだ。

 そのペレやクライフが、その国の有名人に選出されていないのは未だに納得いかん。クライフはともかく、ペレは誰でも知ってるじゃねぇか。あらためて、その選者にはクソを食らわしたい。

 明日のことを考えると気が重い。とりあえず、出勤して気を紛らわす。明日になってほしくねぇ…。



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