風邪を引いたくせぇ
プー太郎生活、17日目。ワールドカップなら、決勝トーナメントが始まる頃である。
どうやら風邪を引いたくせぇ。昨日、疲れたと感じていたのは、風邪の予兆だったのか? この冬、鼻風邪にさえ罹らなかったのにハガい。
風邪といっても、まったく大したことはない。多少のだるさと軽い喉の痛みがあるだけだからな。
風邪の原因は、今週前半の気温の低さにもかかわらず、ティップネスに皆勤したからか? ティップネスでは最後に風呂に入るので、湯冷めをしたに違いあるまい。
この程度の風邪でティップネスの連続登場記録を自らストップさせるわしではない。明日は、ジャグジープールとサウナ、それと風呂を利用する。
ネットで調べたら、「風邪の引き始めにはサウナに入るのが効果的」とあった。ただし、サウナで風邪が悪化する例もあるそうだ。
明日、自らを実験台にして、サウナが風邪の引き始めに効果があるかどうかを確かめたる。
愛川欽也が亡くなったか。愛川欽也といえばアド街の司会で知られるが、わしは、ハクション大魔王の後期のエピソードで、「それから、どうした?」という相の手を入れていた愛川欽也の声が忘れられない。
アド街は、スタッフの丁寧な取材による好番組である。ただし、薬丸が出ているので、スタジオでのゲスト陣のおしゃべりになったらチャンネルを変える。わしは、食べ物だけでなく、人の好き嫌いも激しいのだ。
今日で、バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発から30年だと? あれから30年って、まじかよ。
その試合では、バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発があまりに有名だが、9回表に阪神ファンは肝を冷やした。クローザーの山本和行がツーアウトからクソマティと原に連続ホーマーされて1点差に迫られたからである。
次打者のおっちょこちょい中畑が、「俺もホームランを打てば、3連発のお返しだ」と力み返って凡フライを打ってくれたから助かったのも記憶に新しい。って、新しくねぇ。
1985年は阪神の優勝で、大阪は大フィーバーになった。だが、その道のりは平坦ではなかった。
8月には、後楽園球場で読売に3連敗を食らって、5.5ゲーム差が2.5差に縮まった。そして、そのまま下降線をたどり、広島を含めた3チームが団子状態となった。
その3チームから最初に読売が脱落し、最後は阪神が広島を突き放してペナントを制した。だから、阪神ファンは、相当気疲れしたはずである。
現に、熱狂的な阪神ファンだった神岡龍太郎は、その1年で黒かった髪の毛が真っ白になった。それを見て、そこまで阪神に入れ込んでいたのかと、呆気に取られたものである。
しかし、それはわかる。荒木の3年間で、わしが寿命を縮めたのは確かだろう。
今日の阪神−読売には吐いた。ああいう1点は追いつけないものよ。
83年夏のPL−高知商でも、高知商が0−8から1点差まで詰めたが、あと1点が遠かった。9回裏に先頭打者の4番・津野が三振した時、「あかん」と思った。って、懐古趣味もいい加減にせぇよ。
明日、ティップネスに行くためにも、今日は早く寝る。まさに、ドツカレチェンコ、メムリアノフだ。
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