元直属の上司
プー太郎生活316日目。
元直属の上司の変わり果てように衝撃を受けた。パーキンソン病の進行で、要介護度4〜5レベルだったからである。
なので、会話するのも一苦労であった。わしが元直属の上司に挨拶に行ったら、ほとんど呂律が回らないなか、「し、しん、ぱ、ぱ、い、し、し、て、い、た、たん、で、で、す、よ」と、必死にわしに話し掛けた。
元直属の上司には、手紙で母親が亡くなったことを伝えていたのである。元直属の上司にそう言ってもらって、思わず涙が出そうになったわ。
とっつぁんも、恩讐を超えて会いに来れば良かったのによ。ったく、しょうがねぇなぁ。
元上司はじめ、皆が元直属の上司をいたわって、代わる代わる声を掛けていた。それを見て、わしは嬉しかった。
元直属の上司の3人の子供は、上2人の息子が高校の物理の先生と大企業の社員になり、末娘が今年の春から大手航空会社のキャビンアテンダントになるという。
3人とも、「お父さんのために」と思って頑張ったんだろうな。3人とも実に偉い。
大手航空会社のキャビンアテンダントってことは、容姿端麗だと思われる。わしと何とかならんか?
OB会では、じじぃと席が隣になった。じじぃは、もう年金をもらっているそうである。
それはいいとして、わしのゴリラマン年賀状を弟夫妻に見られるたぁ。じじぃの弟夫妻がじじぃのマンションに年始の挨拶に来た際、わしからの年賀状を見たそうである。
じじぃの弟は、京大出身の高級官僚。わしのゴリラマン年賀状を見て、何を思ったであろうか?
じじぃも、じじぃの弟もゴリラマン年賀状の意味がわからなかったというので、「申年だから、その応用でゴリラをモチーフにした年賀状を作った」と説明してやった。わかったら、弟に取りなしておけ。
元上司は、出身大学の大学院で学生をしている。今年に出す予定だった修士論文は、来年に持ち越すそうである。
それって、落第したのか? ったく、競馬がヘタクソな奴じゃねぇぞ。
って、大恩ある元上司に失礼だ。競馬がヘタクソな奴は、麻雀のやり過ぎで小学6年生になったのだから、比較の対象にならん。
大納言は、晴耕雨読の日々を送っているくせぇ。いや、「晴耕」はねぇ。読書三昧で、毎日、無言の業をしていると思われる。
お開きの前に、元直属の上司が帰る段になった。1人ではとても歩けないので、わし、大酒飲みのおっさん、‘しゃれこうべ’の3人で支えて、おくさんと息子が待つ車まで連れて行った。
号泣組翁は、その後をくっついてきた。翁は、とっつぁんとは別の面で仕事がシャワシャワだったので、元直属の上司は、わしに翁のシャワシャワぶりを何度もこぼしていた。
元直属の上司が上司でなければ、翁は余裕で飛ばされていたであろう。翁も、元直属の上司の方に足を向けては寝られない。
送って行ったわしらに、おくさんは盛んに恐縮していた。が、わしが元直属の上司に受けた恩からすれば、そんなもん、何万分の1にもならん。
元直属の上司は、皆と再会できたことで感極まっていた。最後に、「もう死んでもいい」と言い残して、車の中に入った。
元直属の上司の姿を見て、この世に神はいないと思った。善人を絵に書いたような元直属の上司が寝たきりの生活になって、巨悪の中曽根や唾棄すべき読売の渡辺がピンピンしているのだからな。
しかし、何だって、若くしてパーキンソン病になってしまったのか。元直属の上司は30代に発病し、40代で退職を余儀なくされた。
元気だった頃から元直属の上司は、「引きが弱いんですわ」と、わしらに自分の引きの弱さを嘆いていたが、30代でパーキンソン病に罹るなんて、1巡目に国士を打ち込むようなもの。本当に気の毒すぎる。
今回のOB会は、大酒飲みのおっさんが音頭を取った。来年も是非やりたいものである。
車で送り迎えする家族は大変だが、元直属の上司とも再会したい。元直属の上司の家は、家族に悪くて訪ねられん。
元直属の上司と会って、健康であることが一番だと心底思った。元直属の上司の苦しみからすれば、プー太郎であることなど、クソみたいなものである。
ともかく、元直属の上司と会えて良かった。生涯、会うことはないと思っていたからな。
今日の最後に、元直属の上司と確執関係にあった、とっつぁんに大喝を入れたい!
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