「輪島」、閉店
プー太郎生活318日目。
今日も将棋をライブで見ることができた。何事もライブが一番よ。
今日の解説は谷川九段だった。行方八段が反撃に出た際、「これは詰みがありますね」と言ったのに、行方八段は詰めず、詰めの見込みがなくなった時点で投了になった。
「高速の寄せ」と呼ばれ、詰みにかけては人後に落なかった谷川九段もシャワシャワになったくせぇ。まあ、50を過ぎたら、将棋頭も衰えるわな。
今日のアタック25は夫婦大会であった。今日がバレンタインデーという不毛な日だから、夫婦大会にしたのだろう。
当然のことながら、今日も芸能問題は1つとして正解できなかった。
マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」 って、有名なのか? マドンナの曲など1つも知らんぞ。
星野源? 誰だ、そいつは?
新潟に誕生したAKB48の姉妹グループなんて、知らねぇよ。AKB48自体、顔がわかるメンバーが誰1人おらんのによ。
黒子のバスケ? 今、連載中の漫画で興味があるのは、アカギとゴルゴ13だけだ。
「ある人物」は、豊臣秀吉の肖像画と最後の尼の姿で「ねね」と即答できた。が、赤の夫婦は「茶々」と誤答した。それは仕方あるまい。
夕方にパソコンメールを開いたら、‘せいうち’から、「輪島」が閉店する記事が土曜の朝日の夕刊に載っていることを知らせるメールが来ていた。
わしは、朝日ネットは会員登録しているので、ネットで全文を読むことができた。以下が、その記事である。
「都の西北、早稲田大学そばにある洋食店が20日で看板をおろす。
創業から34年。500円前後の9つのメニューと皿からあふれそうな大盛り料理が、多くの学生や卒業生らに愛されてきた。
店内の18席は閉店を惜しむ客で連日満席が続いている。
大学の北門から都電の早稲田停留場の方へ歩いてすぐ。雑居ビルの1階に洋食店の看板がある。
「キッチン エルム」
L字形の黒光りするカウンターに10席と、奥に4人掛けのテーブルが2つ。
ポークカレー、カルボナーラ……。9種類のメニューは400〜650円で、それぞれ大盛りは100円増し。この店では《大盛り=2倍》だ。
「安くて、うまくて、ボリュームがあって。学生さんの店だから」と店主の山口勝見さん(71)。
仙台市の米農家に生まれ、中学卒業後、コックを目指して上京した。最初に築地の洋食店で働いた後、「山手線のほぼすべての駅の洋食店を渡り歩いた」。
エルムを開いたのは38歳の時。店の名は、大きく育つ楡(にれ)の木(エルム)からつけた。
男手ひとつで長男を育て、暮らしは決して楽ではなかった。だが、消費税率が5%、8%と上がっても、開店から値上げしたことは一度もない。
「学生さんが9割。お金がなくても、おなかを満たせる店にしたかった」。
定休の日曜に趣味の競輪や競馬に通い、勝てば家計の足しにした。
調理から会計まで1人でこなす。混雑時に9つのメニューを作り分けるのは無理だ。
グループ客が違うメニューを注文したり、食べる手を止めて話し続けたりすると、つい愚痴がこぼれる。「これじゃ、さばけないよ……」。
厨房で仏頂面の山口さんがブツブツ言うのを見て、店名と人気ホラー映画のタイトルを掛けてこう言う客たちもいた。エルム街の悪夢――。
20年ほど前、常連客の間で暗黙のルールができた。《混雑時はグループで同じメニューを注文する》。
「エルムの掟」と名付けられたルールは後に明文化され、今は店内のあちこちに店主名で貼られている。
注文の8割は看板メニューの「カルボナーラ」だ。常連客はカルボと呼ぶ。「カルボ、一本やりだよ」と山口さん。
誰もが思い浮かべるカルボナーラと違い、クリームソースのない塩やきそば風のオリジナル料理。もともとは、まかない飯だった。調理時間は5分だ。
今月初め、早大大学院1年の安田明弘さん(24)は1時間半並んで入店した。他の客の注文を確認した上で、この日もカルボを注文した。
6年前から300回以上通い詰めた。厨房の山口さんの鬼気迫る姿に、「学生のために自らの限界に挑戦してくれた。最終日には花束を渡します」。
山口さんが閉店を決めたのは1月末。体力の衰えが理由だ。
仕入れた材料がなくなりそうな今月20日を最終日と決めたが、貼り紙はしなかった。「ひっそりと終わろうと思って」
ところが口コミやネットでうわさは広まり、客が続々と集まってきた。関西や九州からも卒業生が上京。〈準備中〉の札をかけた後も常連客が入ってくる。
「感傷に浸る暇もなくて参っちゃうよ」。閉店を決めた後、同じことを思い続けている。
「安さ、うまさ、ボリューム。これを守り続けたら、学生さんたちが助けてくれた。店は小さいままだったけど、大きく育ちすぎちゃった」
14日を除いて営業する。20日までの分と見込んだ材料はとっくになくなり、新たに大量に仕入れた。」
我々の間でエルムを「輪島」と呼んでいたのは、主人が元横綱の輪島に瓜二つだったからである。
それで、エルムが高田馬場にあった頃、モモタンを連れて行ったら、わしに、「あの人ですか、輪島って」と聞いてきた。そんなもん、見りゃ、わかるだろ。
あまりに横綱・輪島に似ているので、「輪島」を見た瞬間に吹き出す奴もいた。それほど、そっくりだったわけである。
その「輪島」も71歳か。ネットに載っている写真を見たら、昔の面影はほとんどなく、月日が経ったことを再認識した。
「輪島」は源氏名だったので、「輪島」の本名を初めて知った。山口さんと言うのか。
記事の中に、「6年前から300回以上通い詰めた」とあるが、甘い。わしは、30年以上前から「輪島」で食べている。
メールで「輪島」の閉店を教えてくれた‘せいうち’とは、何度も「輪島」に行った。とっつぁんとも、数え切れないくらい、「輪島」でメシを共にした。
客の8割がカルボを頼むのか。わしは、ピラフとスパゲティミートソースがセットになったピラフミート一本槍よ。
高田馬場に店があった頃は、カルボにキャベツは付いていなかった。が、今はタルタルソースがたっぷり掛かったキャベツが横に添えられている。
キャベツは食えるが、タルタルソースは話にならず。だから、「輪島」が移転してから、カルボを注文したことは一度もない。
わしらが学生だった頃は、「輪島」の全盛期。気難しさも絶頂だった。
なのに、モノホン君はキャベツを残した。「輪島」が残したキャベツを残飯入れに思っくそ叩き込んでいたのを、昨日の出来事のように覚えている。
閉店前に、是非ともピラフミートを食べたい。しかし、2月初めの時点で1時間半待ちでは、何時間待つか、わかったもんじゃない。
さすがに、そんなに並ぶのは無理だな。暇な時間はクソほどあるのだが…。
こうして、また奇妙奇天烈な料理人が1人消える。信玄亭のオヤジと同じくらい、わしは「輪島」が好きだった。だから、今回の閉店は残念でならない。
「輪島」は天寿を全うした。が、信玄オヤジは、店が潰れるという憂き目に遭った。
信玄オヤジは、今、どこで、何をしているのだろうか? 生きていてくれよ、信玄オヤジ。
明日は、前の職場に行く。奇妙奇天烈な号泣組翁に会うのが楽しみである。
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