さらば、「輪島」
プー太郎生活323日目。
午後3時ちょっと前に床屋に着いた。予約を3時に入れていたわしは、何というパンクチュアルだろう。
ところが、床屋の入口が閉まっていて吐いた。わしが曜日あるいは時間を間違えたのか?
ちょっと待っていたら、床屋のおばさんが現れた。
あに? 昼メシを食っていただと?
それならそれで、店の扉に張り紙をしておいてくれよ。まじで吐いたじゃないか。
床屋のおばさんの愚痴を聞き流した後、今日の本命行事である「輪島」詣でに向かった。
早稲田駅に東西線が入線したら、ホームに人が溢れていたので、また吐いた。
そうか。今日は早稲田の入試の日か。ちょうど試験が終わった時間だったくせぇ。
人の流れとは逆に進み、午後5時前に「輪島」に到着した。そしたら、15人ほど並んでくさった。
その15人のうちに女の子が3人いたが、全員、男連れであった。「そんなもん、1人で来い」と思っていたら、わしのすぐ後ろに女の子が1人で並んだ。
偉い。「輪島」には、そういう精神で臨まないといけねぇ。
しかし、ゲンダイを買っておいて良かったぜ。でなければ、1時間半、間が持たなかったわ。
それと、今日が暖かくて助かった。今日が寒かったら、諦めて帰っていただろう。
1時間半後、ようやくわしの出番となった。続いて、わしの後ろに居た女の子も店に入れた。
そこで、「輪島」がまだ並んでいる20人ほどの奴らに、「もう今日は材料が切れちゃったよ」と言って、打ち止めにした。
やぶねぇ。もし1本遅い電車だったら、「輪島」に暇乞いができないところであった。
やはり、「輪島」とは縁があったようである。というか、30年以上昔から「輪島」を知っているわしが帰らされて堪るか!
ピラフミートを注文したら、「ミートソースがもうないよ」と言われ、有無を言わさず、カルボナーラにされた。
それはハガい。カルボには、タルタルソースが掛かったキャベツが付いてくるからである。
ただ、本当にタルタルソースかどうかは不明である。‘せいうち’によると、タルタルソースではないそうだ。
どのみち、わしには大鬼門。なので、意を決して、「輪島」に、「私のには、キャベツに何も掛けないで下さい」と申し出た。そしたら、「はいよ」と珍しく返事をした。
が、カルボを作っているうちに、「輪島」は、その申し出を忘れ、全員のキャベツにナゾの物体を掛けてしまった。
明日は、仕事で前の職場に行く。そして、その後、野暮用がある。
だから、このカルボが「輪島」での最後の食事となる。それで、残すわけには断じていかない。
意を決して、キャベツとカルボを混ぜて食べた。ムチャクチャ早食いだったこともあり、ナゾの物体の味を感じないまま完食した。
やればできるじゃねぇか。が、これは、カルボの助けを借りたからこそ。それだけカルボの味が濃かったわけである。
カルボの味の濃さも、「輪島」が料理を作りながらブツブツ言うのも、相変わらずであった。
今日は、「昼メシを食ってないよ」、「もう水もないよ」、「明日は大変なことになりそうだなぁ」、「新聞に載ったら、こうだもんな」などと呟いていた。
わしがカルボと格闘していたら、若い奴が、「おじさん、学生の時から通っていました。お疲れ様でした」と言いに、店に入ってきた。
「輪島」は、「ああ」とだけ漏らした。それが、「輪島」の真骨頂である。
その若者に触発されて、会計の時、「高田馬場の頃から知っています」と「輪島」に挨拶したら、「輪島」は、「ああ、そう」とニコっと笑った。
「輪島」の笑顔を初めて見た。それだけで、長い時間並んだ甲斐があったってもんよ。
こうして、「輪島」は多くの客に惜しまれて店を畳む。「輪島」は、幸せを感じていることだろう。
ここで思い出さずにいられないのは、信玄亭のオヤジである。最後にオヤジを看取ったのは、わしと山ちゃんだけであった。
志中ばで店を閉じることになった信玄オヤジの無念は如何ばかりだったか。信玄オヤジと会うことは、もう生涯ないだろうな。
今日で、「輪島」との歴史に完全に終止符が打たれた。「輪島」の思い出に浸りながら、今日は意識を失うとするか…。
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