岩清水弘と西田アナ

 プー太郎生活333日目。

 いかん。ティップネスに行けなかった。今日は暖かったし、何としても参上するつもりだったのだが…。

 実は、女性インストラクターが最後の出勤の日、そのショックでネックウォーマーをロッカー室に忘れてきたのであった。今日は、それを取りに行く予定だった。

 依然として気分が上向かない。まだ女性インストラクターが辞めた事実が受け止められん。

 言っとくが、恋煩いじゃないぜ。火曜と水曜の大きな楽しみがなくなったことに吐いているんじゃい。

 言ってみれば、子供が玩具を取り上げられたようなもの。新しい玩具がそう簡単に見つかるはずがねぇ。

 いちおう、3月もティップネスは続ける。女性インストラクターに殉じてティップネスを退会したら、
「愛と誠」の岩清水弘になってしまう。

  

 「早乙女愛よ、岩清水弘は、きみのためなら死ねる!」か。

 岩清水は、早乙女愛のストーカーそのもの。でも、わしは、岩清水弘というキャラは好きであった。

 
「僕のモットーは、冷静、沈着。答えが1つしかない数学が好きだ」と言っていた岩清水も、早乙女愛のこととなれば、我を忘れた。

 岩清水は、秀才中の秀才という設定であった。が、早乙女愛にストーカーしていたことで、学力が相当落ちたと思われる。

 当時、小学6年生であったわしは、
「モットー」なんて言葉は知らなかった。梶原一騎先生には、語彙の面で本当にお世話になったわ。

 話は変わって、元NHKアナの西田善男氏が亡くなったことを、今日、知った。ご冥福を祈りたい。

 西田アナの実況は、土門アナ、島村アナ、高山アナらの実況とともに、高校野球の風物詩であった。今は、そういうアナはいない。

 西田アナの実況で印象に残っているのは、1年生エースの桑田を、
「日本で一番若い高校生、桑田」と言ったことである。桑田は1968年4月1日生まれだから、1983年の夏はそうなる。

 また、レークプラシッド冬季オリンピックのソ連−チェコ戦だったか、
「名前はトメノフですが、真っ先に乱闘の輪に加わりました」と実況したことも、なぜか覚えている。

 西田アナは勉強家であった。83年の選抜で池田の捕手の井上が指を怪我した時、
「4年前も池田高校は、キャッチャーの岡田が指を怪我して、ファーストの岡本とポジションをチェンジしたことあります」と紹介したのには驚いた。

 今のアナに爪の垢を煎じて飲ましたいわ。アナたるもの、こうじゃなくちゃいけねぇ。

 これから女子サッカーのオーストラリア戦を見るか。惰性での観戦になろう…。

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