優勝候補筆頭の結果
プー太郎生活983日目。
午前10時すぎに散歩に出掛けた。あまりの寒さに死ぬかと思ったわ。
帰宅して市の気温をネットで調べた。5℃は切っているだろうと思ったが…。
あに? 1℃だと? しかも、散歩から帰ってきてから、霙が降り出しくさった。
さすがにティップネスを出前とした。日曜から4日連続出勤だから、湯冷めとかで風邪を引くわけにはいかないのである。
「だったら、ティップネスで風呂に入らなければいいじゃないか」だと?
ティップネスに行くからには全施設を利用しないとな。それが、わしのポリシーなのだ。
ティップネスをサボったので時間ができた。そこで、選抜大会における優勝候補筆頭の結果を表にしてみた。
だから、わしは暇人なんじゃい。それにアヤは付けさせん。
年 | 優勝候補筆頭の高校 | 結果 |
1976年 | 崇徳 | 優勝 |
1977年 | 天理 | ベスト8 |
1978年 | PL学園 | ベスト8 |
1979年 | 箕島 | 優勝 |
1980年 | 高知商 | 優勝 |
1981年 | 早稲田実 | 初戦敗退 |
1982年 | 箕島 | ベスト8 |
1983年 | 池田 | 優勝 |
1984年 | PL学園 | 準優勝 |
1985年 | PL学園 | ベスト4 |
1986年 | 天理 | 2回戦敗退 |
1987年 | 京都西 | 2回戦敗退 |
1988年 | 高知商 | ベスト8 |
1989年 | 帝京 | 初戦敗退 |
1990年 | 享栄 | 2回戦敗退 |
1991年 | 天理 | 2回戦敗退 |
1992年 | 広陵 | 2回戦敗退 |
1993年 | 常総学院 | 2回戦敗退 |
1994年 | PL学園 | ベスト4 |
1995年 | PL学園 | 初戦敗退 |
1996年 | 帝京 | 初戦敗退 |
1997年 | 上宮 | ベスト4 |
1998年 | 横浜 | 優勝 |
1999年 | 日南学園 | ベスト8 |
2000年 | 柳川 | ベスト8 |
2001年 | 東福岡 | ベスト8 |
2002年 | 報徳学園 | 優勝 |
2003年 | 浦和学院 | 2回戦敗退 |
2004年 | 東北 | ベスト8 |
2005年 | 柳ヶ浦 | 初戦敗退 |
2006年 | 横浜 | 優勝 |
2007年 | 大阪桐蔭 | ベスト8 |
2008年 | 常葉菊川 | 3回戦敗退 |
2009年 | 慶応 | 初戦敗退 |
2010年 | 東海大相模 | 初戦敗退 |
2011年 | 日大三 | ベスト4 |
2012年 | 愛工大名電 | ベスト8 |
2013年 | 仙台育英 | ベスト8 |
2014年 | 龍谷大平安 | 優勝 |
2015年 | 仙台育英 | 2回戦敗退 |
2016年 | 大阪桐蔭 | 2回戦敗退 |
2017年 | 履正社 | 準優勝 |
表を作成中、1980年の結果に吐いた。
1980年の優勝候補筆頭は、荒木大輔の早実。わしも、早実の優勝に期待していた。
それが初戦敗退。しかも、初日。さらには、相手はかわい子ちゃんと目された東山。8回裏の悪夢が蘇った。
表で目を引くのが帝京である。優勝候補筆頭に推された年が2度あって、2度とも初戦敗退たぁ。
1989年のチームはエースで4番の吉岡を中心にした大型チームで、あの元木が、「初戦で帝京に当たるかと思ってドキドキしました」と恐れた程のチーム力を誇っていた…。
初戦の報徳学園戦での敗因の1つは、先頭打者ホームランを放っていた蒲生のスクイズ失敗である。
その三白眼の男のシャワシャワ采配に激怒したのは記憶に新しい(その試合を見ていた書記長は、蒲生のスクイズ失敗に、食べていたラーメンを吐き出したそうである)。
帝京は嫌いなチームなのに、なぜ激怒したかは、ここでは申し上げない。
1996年のチームも大型チームであった。前年の夏の大会に優勝したチームから、エースの白木、4番の桝井、さらには、大山、坂本、土井、中村らが残り、どの専門誌も帝京を優勝候補筆頭に挙げたのだが…。
表を作っていて意外だと思ったのは、PLが優勝候補筆頭だった時に1度も優勝していないことである。81年、82年、87年にPLは選抜大会を制しているものの、いずれの大会もPLは優勝候補筆頭ではなかった。
表を見ると、2回戦が鬼門であることがわかる。「子供達が」と暑苦しく迫った茨城のおっさんが、「甲子園では2戦目が最も難しい」と言ったのが証明された格好である(2008年の常葉菊川も2戦目で敗退)。
表中の42校で優勝したのは8校か。2割を切る確率に、あらためて高校野球の難しさを実感した。
果たして、来たる選抜で絶対の優勝候補・大阪桐蔭は優勝できるだろうか? 雨だと休むおっさんとの対マン勝負を少しだけ考えている…。