1984年

夏の大会

 激闘、PLv取手二


 
 打倒PL。これが84年夏における全国の高校の合い言葉であった。

 確かに選抜では岩倉に不覚を取った。しかし、PLからすれば、それはアクシデントのようなもの。2年生にして全国一の投手桑田、清原を中心にした鬼のような打線に加えて、鉄壁の守備陣。PLの戦力が図抜けているのは衆目の一致するところであった。

 ただ、そのPLも岩倉に負けた後遺症か、春季大阪大会で近大付に0−1と、またしても完封されてしまった。

※この試合では桑田は登板せず、代打のみの登場だったという。その1打席において快打を放ったのは、さすが天才高校野球少年である。

 こうしてやや打線が湿っていたPLであったが、6月の練習試合で取手二を13−0と完膚無きまで叩きのめしたと聞いて、「やっぱり今年のPLは違うな」と認識を新たにしたのであった。

 この試合、桑田は石田に8回に許した1安打のみの準完全試合だったそうだ。そして、柏葉、石田らを滅多打ちにした打線で光ったのは清原であった。清原の、「変則派の柏葉さんを打ったことがうれしい」との談話にその成長ぶりがうかがわれた。

 試合後に中村監督は、「木製バットでなかったら完全試合を達成していたでしょうね」とのコメントを残したが、取手二ですら全く歯が立たないPLをどこが止めるというのか? 

 岩倉の山口にもう一度選抜でのピッチングをやれと言っても無理な話だろう。都城も再度PLに善戦するには田口が絶好調でなければならない。ということは、選抜組でなく、春から夏にかけて急成長してきたチームに期待するしかないということか?

 予選最大の注目地区は大阪であった。当然の如く打倒PLの包囲網が敷かれ、どの高校の監督もPL打倒のために研究に余念がなかったというが、その上を行ったのが84年のPL。

 中でも真骨頂だったのが準々決勝の近大付であった。近大付の先発は秋季大会で桑田抜きのPL打線を3安打に封じた左腕の木下と思われたが、近大付の野村監督はPLがノーマークの1年生を登板させた。

 PLにとってはそういうゲリラ戦法が怖いところであったが、その1年生投手も途中からマウンドに上がった木下も打って、8回表を終わって4−1とPLがリード。

 しかし、この試合、カーブが今ひとつ決まらない桑田は8回裏1点を返され、なおもツーアウト満塁のピンチを迎えた。ここでピッチャー返しを食らった。誰しもが同点と思ったところ、セカンドの松本がこの打球を押さえ、そのままセカンドでフォースアウト。守備力がこのチームの最大の持ち味と言われた由縁の松本の超ファインプレーであった。結局、試合はPLが5−3で制したが、その結果を聞いて、こういう試合がリアルタイムで観られる大阪在住の高校野球ファンがつくづく羨ましいと思ったものである。

 一度修羅場をくぐったPLを止めるチームはもうなかった。決勝戦も4年前にPLを解任されたことから打倒PLに燃える鶴岡監督の大阪産大付の挑戦を清水孝悦と清原のツーラン2本で跳ね返したのであった(4−0)。

 以下に、日刊スポーツによる83年と84年のPL先発メンバーの採点表を提示したい。

打順 83年 84年








池部・80点
神野・90点
加藤・95点
清原・80点
朝山・90点
山中・80点
小島・90点
桑田・90点
住田・85点
黒木・90点
松本・90点
鈴木・90点
清原・100点
桑田・95点
北口・90点
岩田・85点
清水孝・80点
旗手・80点


 この表は打撃だけからの評価だが、これを見ても前チームから打力がアップしているのがわかる。そして、前年より球が一段と速くなった桑田、さらにはそれを支える鉄壁の内野陣を総合して考えると、如何に今年のPLが化け物チームかということがわかろう。

 ここで他の地区を見てみよう。

 東北:攻守にまとまった金足農が準決勝の苦戦を乗り越えて、選抜に続いて甲子園にやってきた。また、選抜で雪国旋風を起こした大船渡も、旋風の再現を期して予選を突破した。しかし、両校ともPLに勝つには線が細いと思われた。

 関東:PLに練習試合で大敗したとはいえ、関東で実力bPが取手二なのは明らか。それだけに、さしてレベルの高くなかった茨城大会を勝ち上がったのは当然であったが、決勝戦を見る限りではかなりの不満が残った。というのは、確かに打つことは打つのだが、攻守に雑であったからである。また石田も春先に肩を痛めたことから登板イニングが少なく、投手力にも不安を残した。これではとてもではないがPLに対抗できないと思った。

 岩倉は、選抜でPLに勝ったこととその後も春季関東大会で準優勝したことから、打倒PLの一番手との評もあった。トップの宮間が予選で3試合連続先頭打者ホームランを打つなど打線は好調であった。しかし、エースの山口がピリッとせず、4回戦で二松学舎に不覚を取ってしまった。なお、この試合で8回裏に決勝ツーランを放ったのは、ロッテで活躍した初芝である。こうしてみると、山口のPL戦での好投は一生に一度のピッチングだったといえよう。

 関東大会優勝の東海大甲府にも注目が集まった。このチームの売りは、4番・ピッチャーの四条(元巨人、後に打者に転向)を中心とする打撃。それを評価して、日刊スポーツは東海大甲府をAランクにしていた。しかし、打力を前面に押し出すチームがPLに勝てるとは思えなかった。

 中部・北陸:残念ながらPLに善戦できそうなチームは見当たらなかった。

 近畿:ここはなんといっても箕島が注目された。高速カーブが持ち味の嶋田(あの嶋田宗彦の弟)と、剛速球を投げる杉本のコンビは、予選でともに1失点ずつ。さらに打線も、打撃でもセンス抜群の3番・嶋田、去年の強打線でも3番を打っていた4番の勘佐、予選では4番を任された強打の5番・坂本の強力クリーンアップ、さらに予選決勝で場外ホーマーを打った6番でキャッチャーの豆塚、登板しない時は打力を生かしてレフトに入る杉本と、PLに迫るメンバーであった。予選での圧倒的な勝ちっぷりに地元もその底力に驚いたという戦力、甲子園での実績からして、箕島が打倒PLの一番手であることは間違いないとされた。実際、自分も箕島に最も期待を寄せたのであった。

 中国:岡山南と広島商の評価が高かった。岡山南は左腕荒木を中心に小粒ながら投打にまとまったチームであった。広島商は昨年のチームを彷彿とさせる力のチームで、昨年4番を打っていた西川がエースを張り、興南の仲田幸司から決勝の長打を放った立川が3番となっていた。

 四国:選抜では打倒PLの最右翼と目された明徳義塾だったが、山本賢の故障により評価を落とした。打倒PLには山本賢の奇跡の復活が待たれた。

 九州:自分が最も期待を寄せたのは、熊本代表の鎮西である。鎮西は下手投げのエース松崎と上位に左打者が並ぶ好チームであり、下手投げの好投手・松崎が清原と桑田の打撃を封じることが期待された。

 都城は打線は選抜から成長したようだが、力投型の田口のスタミナが気になった。だもんで田口が元気なうちにPLと当たってほしいと願った。

 また、鹿児島商工の右腕・増元にも期待を持った。それは、週刊朝日の「甲子園」にスライダーの切れが抜群とあったからである。

 ここで朝日新聞の記者座談会に話を移そう。当然のことながらPLが優勝候補の筆頭、それもダントツの候補とされた。PLは投打とも鬼のような戦力であったが、朝日が最も評価したのはその守備力だったのだから、いかに穴のないチームか、それだけでもわかるというもの。実際、これほどの抜群の優勝候補は、自分の知る限り後にも先にもない。

※それに近いのは76年の崇徳か? 昨年の池田は守備に難があるとされたので、投攻守のバランスという点でやや見劣りした。

 そのPLに迫るチームとして箕島が挙げられた。朝日新聞は、昨年の打倒池田の一番手とされたチームよりすべての点で上回るとの評価を下した。ただ、去年のチームは実力の半分も出せなかったから単純に比較するのはどうか…。

 箕島の評価が高かったのはもっともとして、記者座談会で拓大紅陵が箕島に比肩するとされたのは承服できなかった。今までの記者座談会で首をかしげることはなかったのだが…。

 なぜそう思ったかというと、拓大紅陵が選抜でPLに完敗してこと、予選の決勝戦の戦いぶりがまったく凡庸であったことからである。結果論ではなく、今もってこの拓大紅陵の高評価は、朝日新聞の記者座談会史上で最も納得がいかない。

 箕島、拓大紅陵とともに都城の評価も高かった。それは、今大会の投手で唯一PL打線を力で抑えられる可能性がある左腕・田口の存在であった。田口が選抜でPLを封じた実績もあり、打線もまずまず強力であったことからして、都城が打倒PLの有力候補に挙げられたのは衆目の一致するところであった。

 続いて取手二と金足農が話題に上った。取手二が優勝候補の3番手グループと選抜時より評価を落としたのは、石田の肩痛によるところが大きかった。ただ石田が復活すれば、木内監督期待の6人衆(石田、中島、桑原、佐々木、吉田、下田)の打力からして、打倒PLの芽はあると思った。

 金足農は好チームではあったが、打倒PLという点からすると心許ないと思ったのは確かであった。

※この年は記者座談会が記名式で書かれ、誰が何を発言したか、わかる感じになった。だから、拓大紅陵を推した井上記者(69年夏の優勝投手[松山商])は節穴と思ったものである。数年して記名式の座談会は取りやめになったが、いろいろとマイナス面が出たのであろう。

※ちなみに、東スポが載せたプロのスカウトによる評価には、PLが横綱、箕島が大関、関脇が広島商と都城とあった。

 さて、注目の組み合わせである。自分としては、選抜でも願ったように、PLが強豪との連戦になることを祈った。しかし、あろうことか初戦で箕島と取手二がつぶし合うことになったのである。アンチPLの諸氏は、打倒PLの可能性を最も秘めた箕島と東日本随一の実力校取手二の対決に落胆を覚えたことだろう。かくいう自分も、抽選結果を知って地団駄を踏んだものだった。そのほか、好チーム同士の対決は金足農と広島商であった。ただ、こちらはそれほど残念には思わなかった。箕島、取手二とスケールが違うからである。

 肝心のPLの初戦の相手は、愛知の享栄に決まった。この年の享栄は評価が低かったが、野球どころの愛知の代表だけに期待を抱いたのは事実であった。

 大会は桐蔭学園と福井商から始まったが、初戦から金属バットの威力をまざまざと見せつけられた。というのも、桐蔭学園の先制点が非力な9番バッターのホームランだったからである。これは2年前に蔦監督が喧伝した筋力トレーニングを各校が取り入れた効果であったといえよう。

 大会2日目の第1試合に登場したのはダークホースの鎮西。試合はアンダーハンドの松崎の好投で高崎商を3−1で降したが、鎮西ナインは試合中の態度が悪いとのことで主審および大会本部から大目玉を食らった。とくにグランドに唾を吐いたことが問題となり、主審の西大立目氏から唾を吐いた選手が大激怒されたという。

※西大立目氏は大学で軟式野球の授業を担当されていたが、グランドに唾を吐いた学生にその場で単位なしを申し渡す厳しい方であった。

 同じの第4試合、金足農と広島商の対決を迎えた。名前からすれば文句なく広島商だが、今年の両チームの実力は互角。試合は8回を終わって3−2と金足農がリード。試合の行方はまったくわからなかったが、9回表に出た金足農のトップバッター・工藤の一発が勝負を決めた。

※この工藤、選抜では3番だったが、夏はトップに座り、打ちまくった。桑田からも2安打した工藤は全日本メンバーに選ばれた。

 金足農がこの試合で好チームであることを再認識したが、打倒PLの可能性には疑問符がついた。というのも、エースの水沢が5番の左打者の山村に4打数4安打を食らったように、今一つピリっとしなかったからである。「もしPLと対戦したら水沢はかなり打たれるな」と思ったように、84年はどの高校の試合を見ても、「PLと戦ったら…」と、対PL戦をシュミレーションしていたのである。

 大会は3日目に入った。この日の主役は、境高校の安倍投手であったといえよう。といっても、悲劇のヒーローとして彼の名は球史に残ることになった。

 境と法政一高の試合は、境・安倍、法政一・岡野の投手戦で淡々と進んでいった。そして気がついたら終盤まで来て法政一打線は、まだノーヒットであった。しかも、唯一出したフォアボールのランナーは併殺され、残塁すらないという有様。ところが、境打線が岡野の超スローボールを待ち切れず、凡フライの連続。自軍の安倍のノーヒットノーランを知ってかえって力んだのだろう。

 試合は安倍がノーヒットノーランのまま0−0で延長戦に入った。迎えた運命の10回裏の法政一の攻撃。ツーアウトランナーなしから3番の末野が安倍の120球目を強振すると、そのままレフトラッキーゾーンへサヨナラホームランとなった。つまり、延長に入っての初ヒットがサヨナラホームランとなったのである。

 こういう劇的なサヨナラホームランもあまり例がない。というか、境の安倍投手が気の毒でならなかった。サヨナラホームランを食らった時は茫然自失という感じだったが、応援団に挨拶に行く時は涙にくれていた。彼に対して1番すまないと思っていたのは、1点を取れなかったナインであろう。

 そして第4試合にいよいよPLが登場してきた。相手は愛知代表の享栄。レベルの高い愛知を勝ち抜いてきた享栄は、PLの投打の調子を見るのに絶好の試金石となると思われたのだが…。

 試合はPLの先攻で始まった。享栄の先発の村田はうるさい黒木、松本の1、2番を抑えたが、左のスラッガー・鈴木にツーベースを打たれた。ここで登場したのは、大会一の長打の持ち主の清原。相手ピッチャーが桑田であることを考えたら1点でも痛いので、初回からの敬遠策も決しておかしくはない。しかし、続くバッターは、清原より勝負強い桑田。それもあって享栄バッテリーは勝負に出たが、清原はカーブをうまくライト前へタイムリー。しかし、まだ1点。もし桑田が不調なら追いつける可能性があると思った。

 ところが、この日の桑田の速球は凄かった。これぞ快速球という球をアウトコース低めにビシビシと決め、享栄のバッターは手も足も出ない。おそらく145kmは出ていただろう。そして、それ以上に切れが凄かった。これまでの桑田はどちらかといえばカーブが決め球だったが、この日は直球しか投げないという感じで、初回はすべて直球で軽々と三者凡退に切って取った。

 続く2回表にPLは、清水孝、黒木のタイムリーで2点を追加した。これで勝負あった。その後、清原が3本のホームランを打つという驚異的な活躍を見せたが、正直、おまけみたいな感じであった。それほど桑田の出来は素晴らしかった。

 これはノーヒットノーランもあるかと思ったが、8回裏に清原の雑なプレーから1塁線を抜かれ、それはならなかった。そしてその3塁打を足場にポテンヒットで完封も逃したが、桑田は、「あれは清原のエラーやで」と、試合後悔しがることしきりだったという。結局、試合は14−1。この試合を見て高校野球ファンのほぼ全員がPLの優勝を確信したのではないだろうか? 

 翌5日目は日曜の試合であった。この日の注目は都城の戦いぶりであったが、ウルトラクイズの予選に出ていた関係で、ラジオでしか聴けなかったのは残念である。ラジオで聴く限り、都城は投打に足利工を圧倒し、選抜からの成長をうかがわせた。

 この試合で大きな話題になったのは、選抜のPL戦でサヨナラエラーを犯した隈崎がホームランを打ったことである。宮崎に帰ってからあらぬ噂を流されたそうだが、それにもめげずレギュラーの座を失わなかったのは立派としか言い様がない。あまつさえ甲子園でホームランを打ったのだから。これで隈崎もサヨナラエラーの呪縛から解かれたことであろう。

 大会は6日目に入った。朝日が優勝候補に挙げた拓大紅陵がダークホースの鹿児島商工と対戦することと、箕島と取手二の有力校同士の戦いがそれぞれ第3試合と第4試合にあることから、本来なら朝からテンションが高いはずであった。

 しかし、この日は違った。というのも、ロサンゼルスオリンピックで最も金メダルを取ってほしいと思っていた瀬古が日本時間の午前中に行われたマラソンでよもやの大惨敗を喫していたからである。羽佐間アナの、「あ、瀬古、遅れました」という衝撃の実況は、今もって忘れることができない。

 とはいえ、第3試合になると多少は立ち直り、拓大紅陵と鹿児島商工の試合に入って行けた。

 朝日が優勝候補に挙げた拓大紅陵であったが、エースの古瀬は打たれ、打線は相手投手・増永のスライダーに切り切り舞い。試合は5−0と鹿児島商工の完勝に終わった。この試合結果には納得した記憶がある。というのは、拓大紅陵を全く評価していなかった自分の目の方が正しかったことが証明されたからである。

 第4試合の箕島−取手二は、箕島を応援した。箕島ファンというのもあったが、それ以上に打倒PLの可能性は取手二よりも箕島の方があると思ったからである。

 この試合で注目されたのは両校の先発投手であった。というのも、両校ともいいピッチャーが2人いたからである。箕島は背番号1の嶋田、取手二は背番号9の変則左腕・柏葉だった。取手二の木内監督が柏葉を起用したのは、茨城予選突破の原動力が柏葉だったこと、力のある打線には本格派の石田よりも変則左腕方が通用すると思ったからであろう。

 試合は取手二の先攻で始まった。両投手の立ち上がりは対照的だった。嶋田が高速カーブで吉田を三球三振に取ったのを始め、取手二の攻撃を三者凡退に退けたのに対し、柏葉を独り相撲でやらずもがなの1点を与えてしまった。ツーベースで塁に出した2番の田中をセカンド牽制悪投と暴投でホームへ返してしまったのである。さらにフォアボールでランナーをためたところで、木内監督はライトを守っていた石田を早くもリリーフに送った。石田は6番の豆塚を退け、なんとか最少失点で切り抜けた。

 しかし、石田は2回につかまった。レフトに入っていた7番の杉本のヒットを足掛かりにワンアウト満塁のピンチ。ここでバッターは2番の田中。箕島得意のスクイズを仕掛けてくると思いきや、尾藤監督は強攻策に出た。これが当たった。田中はスライダーをうまくバットに乗せてレフト前へタイムリー。2−0となって、さらにワンアウト満塁。そしてバッターはバッティングもセンスにあふれる右投げ左打ちの3番嶋田。これは一方的に試合になるなと思っていたところ、嶋田はファーストへのゴロ。ファーストがベースを踏んでからバックフォームし、3塁ランナーをホームで刺して併殺となった。この併殺打は嶋田が打ち損じた感じであったが、カウントが1−3になっても石田は切れずによく踏ん張ったといえよう。

 箕島の攻勢はこの後も続いた。3回は勘佐、4回は杉本がそれぞれ先頭打者として、ツーベースを放った。ところが、試合巧者の箕島としては考えられないバントミスが連続して、ともに無得点。結果的にこの序盤の再三の拙攻が痛かった。本来の箕島ならば、5、6点は取っていただろう。この辺りで解説の光沢毅氏が、「個々の力は、5年前に春夏連覇したチームより今のチームの方があると思います。ですが、バントなど細かい野球は、優勝したチーム方がうまいですね」と、今年のチームのアキレス腱を指摘していた。

 箕島の拙攻が続く間、嶋田はランナーを出しながらも、取手二を無得点に抑え、試合は箕島が2−0とリードしたまま7回裏に入った。この回、箕島はツーアウト1、2塁で、4番の勘佐が打席に入った。ここで勘佐はスライダーを左中間にタイムリツーベース。箕島にとって待望久しかった追加点がついに入った。その後のピンチは石田が5番の坂本をスライダーで空振りの三振に取ったが、ここで坂本に1本出ていたら試合は決まっていただろう。

 しかし、この3点目で勝負あったかに見えた。下田が、「あの1点で茨城の海が目に浮かびましたよ」と言ったように、取手二ナインに半ばあきらめムードが漂った。

 迎えた8回表。先頭打者は、予選での不調から7番に下がっていた左の強打者桑原。桑原の当たりは平凡なセカンドゴロ。しかし、この回あたりからの雨でグランドがぬかるんでいたことからか、セカンドの田中がファーストに低投。取手二はノーアウト2塁のチャンスを迎えた。ここから打順が8、9番に下がるので、とりあえず1点を狙ってバントで送る作戦も考えられたが、そこは強気の木内監督。8番の塙に強攻を命じた。塙は高めのストレートを左中間に流し、これがタイムリースリーベースとなった。

 これで重しが取れたようになり、流れは一気に取手二に傾いた。嶋田としては、1人1人アウトを取っていけば良かったのに、9番の小菅にフォアボールを出してしまった。後から見るとこのフォアボールが実に痛かった。

 終盤にきての2点差のノーアウト1、3塁であるから、箕島内野陣は、当然の如く併殺狙いのシフトを敷いた。嶋田の高速カーブに全くタイミングが合っていないトップの吉田は、おあつらえむきのショートゴ。ところが、俊足の吉田をファーストに刺そうと焦ったセカンドの田中がショートからの送球をファーストに悪投。セカンドへのフォースプレーでワンアウトは取ったものの、取手二に2点目が入り、打者走者の吉田がセカンドへ進んで一打同点の場面になった。

 ここでバッターは2番の佐々木。並の2番バッターだったら嶋田からヒットを打つことはそうは期待できないが、佐々木は木内監督期待の6人衆の1人。嶋田が内角に投げ込んだストレートを力強く引っ張り、三遊間突破。レフトは本来の投手の杉本で強肩であったが、セカンドから俊足を飛ばして、吉田が生還して同点。さらに、送球の間に佐々木はセカンドへ。

 この一打逆転のピンチで、尾藤監督はレフトへ入っていたもう1人のエース杉本をリリーフに送った。しかし、取手二の勢いを止めることはできなかった。杉本は渾身の力で140km超のストレートを投げ込んだが、3番の下田はジャストミートで右中間に三塁打。さらに中島が犠牲フライで続いて、あっとう間に取手二に5点が記録された。

 結果的には杉本のリリーフは失敗した形になったが、これは仕方がないだろう。レフトに入っていた関係で、投球練習は規定の8球だけだったうえ、ちょうど登板してきた時に雨が激しくなったのだから。

 気分屋の要素が強い石田はこの逆転劇に気を良くして、8回裏の箕島の攻撃を3者凡退に退け、さらに9回裏も、9番、1番とかたずけ、勝利まであと1人とこぎつけた。ここで2番の田中の当たりは平凡なサードゴロ。試合は終わったかに思えたが、サードの小菅がエラー。解説の光沢毅氏が、「これでまたわからなくなりましたよ」と言ったように、箕島の神話を知るファンは次の嶋田の同点ツーランを想起した。そして嶋田はライトへ大飛球。打球の角度から同点ホームランと観衆も視聴者も息を飲んだ瞬間、打球は逆風に押し戻され、ライトの平岡のグローブにすっぽり収まったのだった。

 ここに打倒PLの旗頭と目された箕島の敗退が確定した。そして、この試合が尾藤監督にとって最後の夏の試合となった。

※この試合後、通路で大騒ぎした取手二ナインが大会本部から大目玉を食らったのは有名な話である。それだけこの試合は苦しかったということだろう。それにしても、通路でのバカ騒ぎで注意されたなど聞いたことがない。が、この奔放さがPL戦でも物怖じしなかった要因であったろう。

 第7日の第二試合の京都西と新潟南は、秋の近畿大会に準優勝した京都西が有利かと思われた。しかし、三原監督が動き過ぎて、取れるべきところで京都西が得点できず(策士、策に溺れるであった)、3−3のまま10回裏に投入した。ここで新潟南にサヨナラヒットが出たのだが、NHKの放送席のゲストに呼ばれていた新潟南の学校関係者がむせび泣いていたのが感動的であった。確か、この年から初戦において、両校の関係者がゲストに招かれるようになったが、試合後に泣いていたのはこの人だけであった。

※初戦において、両校ゲストを放送席に呼んでいろんなことを聞くという企画は、自分は好きではなかった。鹿児島商のじじいOBがナインのミスに激怒したりとか(86年)、松山商のOBがよもやの敗戦で不機嫌攻撃をしまくるとか(95年)、不愉快なゲストが少なくなかったからである。それより、アナが何かとつまらない質問をゲストにするなど、落ち着いて試合が観れなかったことが嫌だった。

※どの試合だったが忘れたが、初回に5点取られた高校のゲストに、「こういうことって予選でありましたか?」の質問には呆れたもんだった。あるわけないだろ。あったら予選で負けてるって。このように、往々にして間抜けな質問をするアナが少なからずいた。その点、土門アナや西田アナは、ゲストからうまい情報を引き出していた。


※49校目に帯広西が登場して全出場校が姿を見せたが、今大会で一つとことん頭にきたことがある。それは、49校の応援団のほとんどが巨人の応援曲を演奏していたことである。中でも中畑のテーマが多かった。当時はバリバリのアンチ巨人だったので、巨人の応援曲が聞こえてくると血圧が上がったものでだった。それでほとんど巨人の曲しか演奏しなかった鹿児島商工の攻撃の時は、音を消して観ていた記憶がある。実際、この年に出場した高校で巨人の応援曲を全く用いなかったのは、法政一、星稜、京都西、PLくらいではなかったろうか? 


 残り2回戦の組み合わせだが、今回は強豪がばらけた感じになった。自分としては、まだ田口が元気なうちにPLと対戦させたかったが、それはならなかった。

 PLの2回戦の相手は、兵庫代表の明石高校となった。今年の兵庫は、新チーム結成以来、驚異的な勝率を誇っていた東洋大姫路が注目されていたのだが、予選で不覚を取り、伝統校の明石が代表となっていた。

 この試合、桑田は7回を2安打の無失点に抑えたが、享栄戦のような出来ではなかったように思う。それだけに、ここで都城、明徳義塾、金足農、鎮西といったクセのあるチームとやらせたかった。なお、試合はまたしてもPL打線が炸裂して9−1で圧勝した。

 当時は、9日の第1試合が終わると、2回戦がまだ5試合残っているにもかかわらず、3回戦の組み合わせ抽選が行われた。だから、2回戦がまだ残っている学校は、ここで勝てば次にどこと戦うのか知りながら試合することになる。したがって、試合中に3回戦の相手を意識するなというのが無理な話である。

 それにモロに嵌ったのが都城である。というのも、2回戦の長浜戦に勝てば、次に因縁のPLとやることが決まっていたからだ。長浜は、初戦で相手の超拙攻から選抜ベスト4の大船渡を4−3で降していたが、都城との実力差は歴然。だから、ここはサクっと田口が完封して、次のPL戦へ勢いをつけてほしいと願った。しかし、そうは問屋が卸さなかった。相手の待球作戦に遭い、さらに味方内野陣の乱れもあって、雨の中、田口はえらい球数を投げさせられたのである。試合は7−4で都城が長浜を振り切ったが、イライラさせられた試合であった。

※2回戦が終わった時点で、朝日新聞が打倒PLの可能性をさぐったコラムを掲載した。そのコラムには、3回戦で対戦する都城が打倒PLの一番手とあった。そのほかでは、いずれも左腕投手を持つ松山商、桐蔭学園、岡山南、さらには、アンダーハンドを擁する鎮西、福岡大大濠などが言及されていたが、取手二はどこにも書かれていなかった。それは、朝日の記者がPL打線を封じるには左腕か下手投げと思ったからだろう。それはともかく、現在、このような優勝争いを占うコラムが掲載されなくなってしまったのは残念である。

 大会はいよいよ10日目に入った。3回戦最初の試合は、取手二と福岡大大濠であった。この試合は、総合力で取手二と思っていたが、取手二打線は、地を這うようなところから手が出て来る相手サブマリンの八野にタイミングが合わない。そうこうしているうちに、5回裏に石田がノーマークのバッターにタイムリーを喫して1点を先攻された。

 これはますます八野のペースになるかと思われたが、6回表、取手二はワンアウトからトップの吉田が相手エラーに恵まれて1塁に生きた。吉田は取手二一の走塁のうまさを誇り、相手投手はフォームの大きいアンダーハンド。当然の如く盗塁を決め、取手二のチャンスはツーアウト3塁となった。ここで3番の下田がストレートを三遊間に引っ張り、同点。取手二と都城に打倒PLを最も期待していただけに、思わず「よし」という声が出た。そして、八野対策として4番に入っていた左の大型打者の桑原がスリーベースで続いて、一気に逆転。この辺の打線の組み替えは木内監督の真骨頂であった。

 これで楽になった取手二打線は、その後、下田と吉田がホームランを打つなど八野を滅多打ちにし、8−1で快勝した。なお、9回にだめ押しのだめ押しのホームランを放った吉田は、「こんなところでホームランを打っても全然面白くない」という談話を残した。

 そして迎えたPL−都城の大一番。選抜でサヨナラ負けを喫している都城は、その二の舞はご免だとばかり、今回は後攻を取った。しかし、それは虚しい抵抗に終わった。

 初回、ワンアウト後、この試合で一番嫌に感じていた2番の松本がストレートをジャストミートで左中間のツーベース。続く3番の左の鈴木は計算通り三振に仕留めた田口だったが、清原と勝負に出たのが裏目になった。カーブをうまくセンター前に持っていかれ、先制点を奪われたのである。この1点だけに止めておけばなんとかなると思ったが、続く桑田のファーストフライと北口のショートゴロを内野が連続で処理にミスり、やらずもがなの2点目が入ってしまった。この連続エラーは、エラーで負けた選抜を意識し過ぎたことによるものだろう。

 桑田相手にこの2点目は効いた。都城打線も決して打てない打線ではないが、相手が桑田となれば別。ちょこちょこヒットを打つものの、点を取れる臭いがまったくしなかった。

 2日前の雨中の多投から疲れの見える田口をPL打線が見逃すはずもなく、つるべ打ちの14安打9点。途中から試合に出てきた清水哲が低めの難しいカーブを拾ってタイムリー2点ツーベースを放った時などは、もう声が出なかった。試合後、田口が「PLの連続試合ホームランを止めた」と胸を張ったというが、それはまったくの強がりであったろう。

 しかし、都城も最後に意地を見せた。3番の山本が9回裏、桑田からセンターバックスクリーンにホームランを放ったのである。その時のベース1周で渾身のガッツポーズを見せた山本だったが、選抜に続いて桑田から1点も取れない屈辱はご免だったのだろう。これほどの意地の一発もそうは記憶にない。

 それにしてもPL打線の破壊力は凄かった。左腕bPと言われた田口すら簡単に攻略したPL打線を誰が封じられるというのか? ベスト8に残ったのは、以上の2校の他に、鹿児島商工、新潟南、金足農、岡山南、鎮西、松山商であったが、この試合で大旗の行方が見えた感がしたのは事実であった。

 そして、11日目の第1試合後に行われた抽選で、準々決勝でPLに挑むのは、古豪松山商ということになった。

 松山商は大会前の評判はそれほど高くなかったものの、甲子園では猛打が炸裂し、3回戦では春の関東大会優勝の東海大甲府を圧倒した。それでも桑田は打てないだろうと思われた。

 準々決勝の第1試合は、鎮西と岡山南。岡山南がやや有利かと思われたが、松崎の好投で鎮西が5−2で勝った。この後、準決勝の組み合わせ抽選が行われたが、その結果にはがっくりきた。というのも、PL−松山商の勝者(誰もがPLが勝つものと思っていた)が金足農−新潟南の勝者とやることになっていたからである。金足農は初戦で広島商に快勝したが、その後は、別府商、唐津商に苦戦をし、評価を落としていた。また、京都西、明徳義塾を倒して旋風を巻き起こしていた新潟南がPLの敵でないことは明らかであった。

 準々決勝第2試合は、取手二打線と2試合連続完封の鹿児島商工・増永の対決が注目された。1回裏、当たっていない吉田が四球で出塁した。ここで簡単にバントをしないのが木内野球。87年に常総学院の監督として、沖縄水産の上原と尽誠学園の伊良部、さらに01年に東福岡の下野と、初回に大型投手を数々攻略してきた木内監督だが、その秘訣は、盗塁、ヒットエンドラン、強攻策でチャンスを広げることであるといえよう。

 この試合も四球で出た吉田に2盗を命じた。さらに吉田は自らの判断で0−3から3盗を決めた。これで鹿児島商工の増永は大いに動揺した。結局、この回、ノーアウト満塁までピンチを広げ、4番・桑原の犠牲フライ、6番・石田のタイムリーで2点を失った。

 その後も取手二は攻撃の手を緩めず、中島がバットを放り出すように増永得意の外角スライダーをタイムリーするなど7点を奪い、見事に増永を攻略した。増永としては、拓大紅陵、桐蔭学園戦のような切れを欠いていたのが痛かったが、取手二打線が増永を上回ったことは事実だったろう。

 ただ、この試合は取手二の石田も打たれた。吉田のエラーなど味方守備陣にも足を引っ張られたが、13安打で5点も取られるとは予想外であった。これではPLには通用しないとがっかりしてしまった。

 続く第3試合のPL−松山商戦も、PL打線の爆発が予見された。実際、6月の練習試合において、清原と桑田がホームランを打って、松山商の2年生左腕の酒井を打ち込んでいた。

 ところが、この試合、酒井はカーブを低めに決め、ナックルを要所で用いて、PL打線を抑え込んだ。PL打線が酒井を打ちあぐんだのは、初回に松山商に1点を先攻されたこともあったろう。初回に松山商は単打3本を集めて1点を取ったが、3番・乗松のセンター前へのライナーのヒットに観衆が「おー」とどよめいていたように、桑田からクリーンヒットを打つことすら難しいと思われていた中での1失点には、PLナインも多少の動揺があったと思われる。

 しかし、PLが手をこまねいているわけがない。4回裏、6番・北口のヒットから、PLはノーアウト1、2塁のチャンスを迎える。ここは当然バントのケースであり、実際、8番の清水孝はバントしてきた。これは酒井自らが3塁に封殺し、PLのチャンスは逃しかけたかに思えた。ここで9番の旗手はまたバント。なぜかノーアウトと勘違いしていたという酒井は慌てて3塁に放り、これが悪投となった。自らのミスで酒井は一気に崩れるかと思われたが、ここは踏ん張って、黒木の代打・清水哲、2番の松本を抑えた。

 とはいえ、この同点で流れはPLに行った。というのも、桑田が松山商の攻撃を完全に封じていたからである。そして、7回裏、PLは、ツーベースで出た桑田を7番の岩田がセンター前へタイムリーして1点を勝ち越した。

 これでもうPLのものと思われたが、松山商は9回表に、ワンアウトから3番の乗松がレフトへスリーベース。打順がいいので同点が期待されたが、4番の村上、5番の田中がともに初球の速球をセカンドフライ。最後のセカンドフライは難しい打球であったが、松本がうまくさばいた。最後の打球を処理した松本の喜びようからして、いかにこの試合でPLが苦戦したかがわかる。実際、これほどPL打線が酒井にてこずるとは思わなかった。それにしてもPLはこうした接戦に強い。

 第4試合は金足農が新潟南を7−0と一蹴した。京都西、明徳義塾と格上の2チームに勝ってきた新潟南であったが、もう余力はなかった。

※甲子園において、2試合連続でジャイアントキリングをした場合、3戦目で力尽きることが多い。91年に春日部共栄、天理を連破した佐賀学園、01年に尽誠学園、明徳義塾を倒した習志野、05年に愛工大名電、済美を破った清峰などがその例であろう。

 こうして、準決勝は取手二−鎮西、PL−金足農となった。鎮西の上位には左バッターが並んでいるから、もしかしたら先発は昨日打たれた石田ではなく、変則左腕の柏葉ではないかと思っていたところ、予想通り柏葉であった。

 しかし、柏葉は左バッター2人に長短打され1点を失い、早くも石田にマウンドを譲った。1点を先攻された取手二であったが、この辺りはもう完全に勢いに乗っていて、アンダーハンド特有のタイミングをずらすボールもことごとくヒットし、松崎を序盤でKOした。

 その中で特筆すべきプレーが出た。それは吉田のホームスチールである。ツーアウトだったこともあり、振りかぶって投げた松崎の隙をついて、さらにバッターの下田がうまく吉田を隠すように動いて決めたのであった。

 結局、試合は、9回表に大差がついた油断と吉田のエラーなどで石田が乱れたが、18−6で取手二が圧勝した。

 第2試合も、PLの圧勝と思われた。しかし、金足農の雑草野球と水沢の好投の前に、PLはまたしても苦戦を強いられた。

 この試合、1点を先攻したのは金足農であった。初回、内野安打で出た2番の大山を3番の水沢が確実に送る。ここで4番で主将の長谷川が叩きつけるバッティングでショートへ。これがイレギュラーして、ショートの旗手が後ろにそらし、大山がホームイン。これで試合が面白くなった。

 前日の試合で酒井にバッティングを狂わされたこともあってか、水沢の低めに決める直球とカーブにPL打線は凡打の山。5回まで北口のシングルヒット1本という有様であった。

 1−0と金足農がリードのまま、試合は6回裏に入る。この回の先頭は、左の強打者・3番の鈴木。しかし、この鈴木は、田口、酒井と連続で左腕に当たったことからバッティングフォームを崩し、この日は右腕の水沢にも2の0。そこで中村監督は、代打の切り札の清水哲を起用した。これが当たり、清水哲はヒットで出塁。当然の如く次の清原は強攻策に出たが、あっさり外野への凡フライに倒れた。清原は初戦で3ホーマーしたが、その後、相手投手の徹底マークに遭い、ヒットは出るものの、ホームランは出なくなった。

 ワンアウト1塁で、バッターは桑田。相手ピッチャーの誰もが一番怖がっていたのが桑田である。桑田はサード真正面へ強烈なゴロ。これをサードの大山がはじいて(記録はエラー)、ワンアウト1、2塁となった。続いて打席には、この日当たっている6番の北口。北口は外角の球をうまくおっつけて、ライト線へタイムリーツーベース。「一番嫌なところに一番嫌な選手がいる」と水沢が言っていた北口。この北口の存在は、PLにとって攻守に大きい存在であった。その後のピンチは水沢が踏ん張って0点に切り抜けたが、この同点劇で金足農もここまでと思われた。

 しかし、その直後の7回表。ツーアウト2塁から、7番の原田がこの試合金足農打線が徹底して見せた叩きつけるバッティングでピッチャー返し。これを珍しく桑田がはじいて、無人の三遊間に転がり、金足農が1点をまたしても勝ち越し。

 さらに8回表も金足農はトップの工藤のヒットなどからツーアウト1、3塁のチャンスを迎えた。ここで金足農ベンチはダブルスチールを敢行。しかし、これはPLバッテリーに見抜かれて、不成功に終わった。おそらくこの作戦の指示は、金足農のベンチ横にいた金足農の帽子をかぶっていたコーチがベンチに出したものだろう。78年決勝の高知商戦でも、ツーアウト1、3塁からのダブルスチールを失敗させたように、こういう作戦はPLにはそうは通じない。

 1−2とリードされて迎えたPLの8回裏の攻撃は、代打で出てそのまま3番に入っていた清水哲から。この回の前に中村監督に、「先輩はここからやってきたんだ」と喝を入れられたというが、清水哲はショートゴロ。しかし、続く清原には警戒し過ぎてフォアボールを与えてしまった。このフォアボールは実に嫌な感じがした。なにせ次がPLで最も勝負強い桑田だったからである。

 「この桑田さえ抑えればなんとかなる。頼むからここを凌いでくれ」と祈ったが、凌げねぇ。カーブを狙っていた桑田に、おあつらえ向きのカーブが外角にやや甘く入った。それを例によって大きなスイングで巻き込んだ桑田は、レフトポール際に叩き込んだ。ここで打つのが桑田の桑田たる由縁。朝日放送の黒田アナが「またやりました、桑田」と叫んだが、もうこの辺りは不感症という感じであった。でも、なぜかこの時時計を見た記憶がある。時計は3時40分を指していた。

 この桑田のホームラン、今でもファールではなかったかという声がある。確かに際どい当たりであった。そして、白い服を着た人が多かったことから打球は見えにくかった。でも、ここはあそこまで持っていた桑田の勝ちであろう。

 中村監督が「うちの守備が乱れるような攻撃をされたのは初めて」と、金足農の雑草野球に追いつめられたPLであったが、こういう試合をものにしたことは大きいと思った。それは、76年選抜の崇徳、78年夏のPL、79年夏の箕島、83年選抜の池田と、死地から蘇った強豪が優勝した例を何回も見てきたからである。

 迎えた決勝戦。朝日新聞によると、打力では取手二、投手力を含めた守備力ではPLとあったが、自分はPLの方が投攻守とも上と思っていた。現に6月の練習試合では、PLが桑田の1安打ピッチングで13−0で圧勝している。

 取手二が勝つには、ある程度の失点を覚悟して桑田を打ち込むしかない。でも、当たっている取手二打線でも、桑田からは3点取れればいい方だろうと思った。そして、石田がPL打線を3点以内に抑えるのは不可能に見えた。そういうわけで試合前の予想スコアは、PLの5−2であった。

※木内監督は、2001年選抜での仙台育英との決勝戦を前にこういう談話を残している。「これで監督として4度目の決勝戦ですか。今までの3回は、『これはとても勝てそうにねぇなぁ』と思って臨みましたが、今回は初めて勝てそうな相手なので勝つための野球をします」 その3回の相手とは、84年夏と87年夏のPL、94年選抜の智弁和歌山である。ということは、木内監督はこの試合を前にして全く勝てる気がしなかったのだろう。

 試合当日、甲子園は朝から雨模様であった。それが試合開始の12時半になると一層激しくなって、試合開始が遅れることになった。試合開始の目途が立たないとこともあって、あろうことかNHKは連続テレビ小説の再放送を45分から流しくさりやがった。さらに1時からはニュースが始まった。ラジオもニュースだったのでどうしようもない。

 いらいらしながらニュースが終わるのを待っていたら、1時5分に画面が甲子園球場に切り替わった。そしたら試合が始まっていた。そして、西田アナが「取手二の攻撃は、吉田、佐々木が倒れてツーアウトです」と言ったのに切れた。NHKの不手際に思わずテレビをけたくってしまったのであった。

 ここ2試合、初回に先制点を許している桑田だったので、初回に先制したかった取手二としては頼りになる1、2番コンビが凡退したのは痛かった。しかし、下田が粘って桑田の速球をジャストミート。打球はセンターを越え、ツーベースとなった。このツーベースは取手二ナインを勇気づけたことだろう。なにせ練習試合では8回に石田が放ったシングルヒット1本に桑田に抑え込まれただけに。

 次のバッターは当たっている左の桑原。ここは是非1本ほしいところである。桑原は1−2から甘く入った桑田の速球をセンター前にはじき返した。打球が速かっただけに下田がホームに生還できるか微妙と思われたが、バックフォームを焦ったセンターの鈴木がトンネル。雨でぬかるんだグランドの影響もあっただろうが、このエラーはPLには痛恨であった。なにせ打った桑原までホームに戻ったのだから。

 取手二が勝つには、どうしてもほしかった先取点。それが2点も入ったのだから、これは大きかった。ただ、キャプテンの吉田が「これが勝ったと思いました」と言っていたのには呆れたが…。

 PLの中村監督は、この試合はメンバーをいじってきた。というのも、トップの黒木、7番の岩田など当たっていない打者がいたからである。それでトップバッターを代打で当たっていた清水哲にし、黒木を7番に下げてきた。率直なところ当てっていなくても左のうるさい黒木がトップのままの方が嫌であったが…。

 1回裏、石田は簡単に1、2番を凡打させた。しかし、自らのエラーの取り返すべく、3番の鈴木に右中間突破のツーベースを打たれた。ここで清原は初球打ち。打球はライトへの大きな当たりとなった。朝日放送の植草アナが「去年の決勝も打った清原ぁぁ」と絶叫したが、ファールとなった。

※この試合の植草アナは、完全にイってしまっていた。というのも、植草アナは息子をPL野球部に入れたほどのPLファンだったからである。

 結局、清原はフォアボール。そして、この辺からまた雨が激しくなってきた。まだ取手二のピンチは続いていたが、「頼むから中止にならないでくれ」と祈った。というのも、再試合になったらあんなにうまく2点も取手二が先取点を取れないと思ったからである。

 続く桑田は三遊間への深いゴロ。ゴロを取った吉田は、雨ということもあって無理にファーストに放らなかった。この判断は適切だったといえよう。ツーアウト満塁で打席に入ったのは、これまた勝負強い北口。しかし、北口は石田のスライダーにタイミングをはずされ、左中間への凡フライ。植草アナの実況は、「レフトがいいのか、センターがいいのか、ここからだとわからない」だったのだから、植草アナがいかにこの試合で気が狂っていたのかよくわかる。

 2回はお互い簡単に攻撃が終わったが、3回表に取手二はチャンスを迎える。ノーアウトから桑田が9番の小菅にフォアボールを出したのだ。これは制球のいい桑田には珍しいことである。しかし、小菅は盗塁失敗。サインが不徹底だったのだろうか? しかし、そこで怒らないのが、「野球を思い切り楽しめ」の木内監督。それが選手とってどれだけリラックス効果を呼んだことだろう。 

 3回裏、PLはツーアウトからまた鈴木が右中間にツーベース。「ランナーをためるのはまずい、清原と勝負だ」と叫んだものの、清原とは勝負を避けた感じでフォアボール。「一番嫌なバッターに回ってきたな」と思った桑田であったが、ここは石田が踏ん張って、センターフライに退けた。

 4回表も取手二はチャンスをつかむ。ノーアウトから5番の中島がツーベースで出て、ワンアウト3塁のチャンスを迎える。バッターは7番の平岡。正直言って、桑田相手では犠牲フライも厳しいと思ったので、ここはスクイズと思ったが、木内監督は強攻。しかし、案の定、セカンドフライ。続く塙は三振。ここは痛い逸機となった。

 ピンチのあとにチャンスありというが、この日の石田は好調であった。肩を痛めていたとは思えないような速球の走りとカーブの切れ。そうでなければ、いくら当たりが止まっていたとはいえ、PL打線を5回まで3安打の無得点に抑えられなかっただろう。

 試合は、2−0と取手二がリードを保ったまま、6回裏に突入した。この回の先頭打者は桑田。一発長打が怖かったが、桑田はレフトへの凡フライ。「よし、ワンアウト」と思ったが、レフトの下田のスタートが遅れ、打球は、レフト、センター、ショートを結ぶ三角線のちょうど真ん中に落ち、桑田は一気にセカンドへ。ワンアウトランナーなしのはずがノーアウト2塁のピンチ。

 ノーアウトから初のランナーが出たPLは、ここを先途ばかり猛攻を仕掛けてきた。まず、次の6番の北口が最低でもランナーを進めようと右方向へ狙い打ってきた。これが強烈な打球となり、ファーストの桑原がトンネル(記録はエラー)。打球はライト線に転がり、桑田が生還。さらに打った北口はセカンドまで進んだ。

 ここでバッターは、この日トップから7番に下がっていた左の黒木。「嫌なバッターに回ってきたなぁ。ここは強攻だろう」と思っていたところ、予想通り黒木は打って出た。この辺は相手が一番嫌がることをやる中村監督ならでは采配といえよう。

 ランナーを進めるためにも引っ張るのがセオリーだが、黒木はうまくレレフト前へ運んだ。が、何を思ったのか黒木がセカンドを欲張り、タッチアウト。走塁のうまさが報知高校野球の選抜ガイド号で絶賛されていた黒木であったが、これは暴走だろう。植草アナも「これは走り過ぎ」と、あきらかにトーンが下がった実況をした。

 これでPLの上げ潮ムードがなくなったのは間違いない。とはいえ、石田はまだワンアウト3塁のピンチ。バッターはPL打線の中では非力な清水孝だったので、スクイズもあるかと思ったが、中村監督は打たせた。打球はサード真正面へ。これではサードランナーの北口は自重するしかない。しかし、サードの小菅が思い切り後ろにそらしてしまった。それを見た北口が猛然とホームへ突っ込んできた。「またエラーで同点かよ」と思った瞬間、ショートの吉田が回り込んでそのボールをつかんで、矢のようなバックフォーム。ショートが追いついたとは思わなかった北口は呆然の表情でアウトになった。

 7回表、取手二は7、8番が簡単に倒れたが、9番の小菅がセカンドへ内野安打で出塁。簡単に三者凡退になって、次の回をトップの吉田から迎えた方が思ったのだが…。

 前の回の好プレーで気を良くしていた吉田は、桑田の肩口から入っている甘いカーブを強振。打った瞬間に「ホームランだ」と絶叫したほどの物凄い打球が一直線にレフトラッキーゾーンへ吸い込まれた。1点取られた後のこのツーランは大きかった。ガッツポーズをこれでもかとしてベースを回った吉田は、ベンチの奥で何人のもメンバーと抱き合うという喜びようだった。

 この2点の追加点に、さしものPL打線も焦った。7回裏はトップの清水哲からの好打順だったのに、全員が簡単に打って出て三者凡退。よって8回裏は4番の清原からと、取手二からすれば理想的な打順巡りとなった。

 8回裏、清原を迎えた石田は3点差あることから変に余裕を見せ、超スローボールを投げて観衆の度肝を抜いた。1球目のスローボールは見送った清原であったが、2−1からの超スローボールは、読んでいたのか十分に引きつけて、レフトへ糸を引くようなヒット。その瞬間の植草アナの「それはないですよ、石田さん」の実況が振るっていた。

 ここでバッターは桑田。長打が怖かったが、天才野球少年も高校生。力み返ってキャッチャーへのファールフライに倒れた。3点差あって打順が下位に回ること、この試合は石田が好調であったことから、桑田の凡退で先が見えたかに思った。それは石田も同じだったかしれない。

 石田は続く北口に気のないストレートを投げてしまった。それを見逃さず北口は快打。打球は左中間のフェンスに当たり、打球は転々と転がった。清原が大股でホームイン。北口はサードに立った。サードに止まっていた北口であったが、中継に入った吉田が投げなくてもいいホームに大悪投。打たれたショックか、石田がバックアップに入っておらず、やらずもがなの1点がPLに入って、スコアは3−4と1点差になった。これで試合はわからなくなった。

 動揺した石田は、次の代打・岩田にデッドボール。ここで中村監督を同点を狙って清水孝にスリーバントを命じた。打球は1塁線に際どく転がり、ファール。これがもしフェアであったらと思うと、今でも冷や汗が出る。このスリーバント失敗で落ち着きを取り戻した石田は、9番の旗手をピッチャーゴロに斬って取り、試合は1点差で9回の攻防へと入った。

 取手二としては9回表に追加点がほしかったが、四球で出たランナーを置いての吉田の大飛球は惜しくもセンターに取られ、1点差のまま9回裏のPLの攻撃を迎えることになった。

 この回の先頭バッターは、この日トップに抜擢された清水哲。「とにかく先頭バッターだけは出すな」と思っていたところ、清水哲は2球目のストレートを強振。植草アナの「レフトへ飛んだ。レフトへ飛んだぁ。レフトへ飛んだぁぁ」の絶叫とともにレフトスタンドへ打球は消え、同点となった。

 センター打者だけは出すなと思っていたところが、まさかの同点のホームラン。さらに続く松本の初球にデッドボール。前の回にもそういう場面があったが、今回は状況が全く違う。同点になって続くのは、この試合ツーベース2本の鈴木、そして清原、桑田なのだから。

 もう完全に我を失ってふて腐れていた石田であった。吉田が「同点ホームランの場面では大丈夫と思っていましたが、松本へのデッドボールで、『これはやばいパターンだなぁ』と思いました」と言っていたように、ナイン全員が動揺していた。

 しかし、ただ1人冷静だったのが、ベンチの木内監督である。スクッと立ち上がり、左の鈴木にワンポイントで左の変則派の柏葉を起用したのだ。

 
 
    ピッチャー交替を告げる木内監督

 
 これには誰もが意表をつかれた。PLの中村監督もそうだったと思われる。中村監督は石田のままだったら、鈴木に強攻させていたに違いあるまい。そして、さらにチャンスを広げられていただろう。

 後ろに清原、桑田が続くので、PLとしてはしっかりバントで送りたいところ。鈴木は2球目をバント。バントはキャッチャー前に転がる。ここは確実にファーストでワンアウトを取るかと思われたが、キャッチャーの中島は思い切ってセカンドへ投げた。そして、これがアウトとなった。このプレーは、とてつもなく大きかったといえよう。ランナーがファーストかセカンドでは、ただでさえ大きな違い。しかも続くバッターが清原、桑田なのだから。

 ワンアウトになって、また木内監督は動いた。ライトへ回した石田を再びマウンドに送ったのだ。

 
ライトに入っていた石田をマウンドに呼び寄せる木内監督

 
 これを意気に感じた石田は、清原を内角のボール球で三振に取った。さらに力み返る桑田をサードへの凡ゴロに仕留めた。

 それにしても、この投手リレーは見事の一言であった。当時はワンポイント起用は確立されていなかったが、それを誰もが我を失うような場面でしたのだから。吉田も、「ワンアウトになって、このまま柏葉かなと思ったら、また石田で。(その時の)石田は全然顔が違ったですからね。デッドボールを出した時はふて腐れちゃって。もう投げられないと思ったんじゃないですか」と振り返っている。まさに球史に残る投手リレーであった。

 これで流れは変わった。そして取手二にとって幸運だったのは、10回表の攻撃が2番の佐々木からだったことである。佐々木はストレートをセンター前に運ぶ。続く下田が送り、続く桑原はフォアボールで歩いて、ワンアウト1、2塁のチャンスを迎えた。

 ここでバッターは、前回好プレーを見せた中島。中島は1−2から顔面付近に来たボールを大根切り。どう考えても理にかなっていないバッティングだったが、棒球だったこともあり、打球はレフトスタンドに飛び込んだ。これで勝負あった。ガッツポーズ連発の中島に対し、マウンドの桑田は仁王立ち。見事なコントラストであった。

 中島に打たれた球が棒球だったのは、桑田が右手中指に作った血豆が破れ、その痛みが限界だったからだそうだ。そういえば、この試合ではほとんどカーブがなかった。それでも140km前後の速球を投げ、ある程度取手二の打線を抑えたのだから、桑田はやはり凄い。

※この試合の終盤、桑田が打席で力みに力んでいたのは、自分の指の状態を知っていたからであろう。

 その後、石田、塙に長短打された桑田はついにライトに下がった。それを植草アナは、「去年はレフトで優勝の瞬間を見ていましたが、1年経った今は打たれてライトへ。2年の夏、桑田」と実況したが、桑田もこんな形でマウンドを降りるとは思わなかったであろう。

 桑田に代わってマウンドに登ったのは、9回に同点ホーマーを放った今大会のラッキーボーイ・清水哲。4点をリードされても、ツキ男に託して裏の攻撃につなげようとする中村監督の意気や天晴れである。清水哲は公式戦初登板とは思えない落ち着いたマウンドさばきで、小菅をファーストゴロに打ち取った。

※清水哲は、卒業後、同志社に進学した。しかし、入学間もない試合で、セカンド盗塁の際、頚椎を損傷してしまった。以来、車椅子生活を余儀なくされたが、その清水哲を清原、桑田らナインが勇気づけたのは有名な話である。ちなみに、彼の著書に、「桑田よ、清原よ、生きる勇気をありがとう」(ごま書房)がある。それにしても、許せないのは同志社の仕打ちである。試合中の事故にあるにもかかわらず、一切保障しなかったというのだから…。

 10回裏、奇跡に賭けるPLの攻撃は6番の北口から。しかし、北口は三振。北口が空振りしたスライダーは、この試合最高の切れ味であった。続く岩田は意地のヒットを放ったが、代打の中島は内野フライに倒れ、PLは追い詰められた。そして最後のバッター旗手の切れのあるスライダーの前に三振。

 ここに取手二は悲願の初優勝を遂げ、PLは春夏連続で準優勝に泣いたのであった。

 木内監督はその直後常総学院の監督になったが、思い残すことはなかったであろう。「神が私に与えてくれた一生に一度のチーム」が史上最強ともうたわれたPLを倒したのだから。そして木内監督が激賞した6人衆は、全員が全日本メンバーに選ばれたのであった。

 翌日の朝日に、「実力ではPLが上だったと思う」と書かれていたが、確かにそうだろう。しかし、国体においても本気できたPLを取手二が6安打ながら4−3で返り討ちにしたことを付記しておきたい。

 また朝日新聞に、「伸び伸び戦った取手二ナインに対し、受身になったPLという心理的差も大きかった」とあった。それは大いに言えていると思う。事実、その年の冬、「どうしてあんなに伸び伸びと野球ができるのか」を桑田が吉田と石田のところにわざわざ尋ねに行っている。

※この時のことかどうかはわからないが、桑田は切符の買い方を知らなかったという。それは野球人形としての悲哀であろう。

 こうして夏もまた一敗地にまみれた桑田と清原であったが、翌選抜に捲土重来を期して来た。しかし、そこにはさらなる試練が待っていたのだった。


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