1984年

選抜

 
PL神話、崩壊

 
 荒木大輔の3年間は早実を、昨年は池田を熱烈に応援してきた。このように好きなチームを応援するというのが高校野球ファンとしてのあるべき姿であろう。しかし、1984年と85年は、「ここにだけには優勝させたくない」というネガティブな姿勢で高校野球を見続けたものであった。

 「ここにだけには優勝させたくない」チームとはいうまでもなく、桑田・清原のPL学園である。しかし、そのあまりの強さに勝てる気がまったくしなかった。それどころか恐怖すら感じていた。後にも先にも恐く感じたチームは、84年と85年のPLだけである。

 自分も含めて85年のPLを史上最強チームとするファンが多いが、自分としては、84年のPLも85年のチームに決して引けはとらないと思っている。桑田は2年生の方が安定感があったことと、内野の守備力は84年のチームが史上bPであったことから、パワーでは85年のチームに一歩譲るとしても、チームとしての安定感は84年のチームの方があったように思う。実際、朝日新聞は、84年のチームを85年のチームより上に評価している。

 ここで84年のPLの戦力について振り返ってみたい。まず投手力であるが、桑田はまさに磐石のエース。140kmを超えるストレートと池田打線を手玉に取った大きなカーブは、いずれも抜群の切れと制球力があった。また桑田は打者との駆け引きにも長け、度胸および勝負強さも満点。そして、常にランニング練習をしていたことで培った無尽蔵のスタミナ。さらに抜群のフィールディングに巧みな牽制球。非の打ち所がない投手というのは、高校時代の桑田をいうのだろう。4年前にPLの監督を解任され、打倒PLに執念を燃やした鶴岡氏も、「牛島も凄かったが、まだなんとか打てる気がした。でも、桑田は全く打てる気がしなかった」と述懐している。

 そして、その桑田を援護した打線も脅威の一語。うるさい黒木、松本の1、2番コンビがチャンスを作り、それを鈴木、清原、桑田の脅威のクリーンアップが返すというのが基本パターンだが、下位にも清水哲、岩田、旗手(はたて)ら一発長打の打者が並ぶという凄さ。なにせ、試合数よりもチーム本塁打数の方が多いのだから…。これは秋の時点では考えられない記録である。

 単にホームランバッターが並んでいるだけならともかく、当時のPL打線はうまさと勝負強さも兼ね備えていた。とくに桑田の勝負強さといったらなかった。朝日新聞も、「今年のPL打線の得点力は、昨年の池田打線以上」と評していたが、「もうどうにもならない」というのが当時のPL打線であった。

 この投打に加えて、守備力が高校野球史上最高というのだから…。事実、セカンドの松本、ショートの旗手がエラーしたのを見たことがない。

 このように投攻守の3つがそれぞれ奇跡的に優れた、高校野球版「ミラクル3チーム」というのが当時のPLで、池田の豪打、箕島の力と技、広島商の試合運びと守備力を合わせ持ったチームと評された。

 これだけのチーム力があれば監督など必要なさそうだが、中村監督は抜群の采配を見せ、その存在はさらにチーム力をアップさせていた(81年の選抜の登場以来、中村監督は甲子園16連勝中)。

 中村監督の采配もあって、接戦にも無類の強さを誇り、万が一終盤までリードされていたとしてもわけのわからない奇跡があるのだから、いったいどんな展開に持ち込めばPLに勝てるというのか?

 選手個々を見ても、新2年生にして全国bP球児とされた桑田(84年4月1日でようやく16歳)、全国一の長打力の持ち主・清原のほか、驚異的な出塁率を誇るトップの黒木、何でもできる巧打の2番・松本、左のスラッガー・鈴木、鉄砲肩と強打を併せ持つ岩田、抜群の守備力のショート・旗手と、超高校級の選手のオンパレード。ダントツの優勝候補という評価は当然であった。

 このPLにまともに立ち向かっても勝ち目がないのは自明。少なくともPL打線に大量点を与えない投手を持っていることが最強PLに対抗できるチームの条件とされた。

 そこで、まがりなでも打倒PLの可能性があるチームとして、東日本随一の実力校・取手二、好左腕山本を持つ法政二、神宮大会を制した岩倉、四国王者の明徳(この年の4月から明徳義塾に校名を変更)、大型左腕・田口を擁する都城が挙げられた。

 取手二は、PLさえいなければ優勝候補の筆頭に推されて然るべき戦力を誇っていた。出場校のエース中でbPの防御率を誇ったエースの石田は、ストレートとスライダーの切れで勝負する好投手。前年春の練習試合であの池田打線を2点に押さえた実績に加え、昨年の選抜も経験済み。打線も、トップの吉田以下、6番までセンスのいい打者を揃えていた。木内監督をして、「このチームは、神が私に与えてくれた一生に一度のチーム。石田、吉田、下田、桑原、中島、佐々木を見た時は震えたもんです」と言わしめた取手二を打倒PLの旗頭に考えたファンは少なくなかった。

 法政二は関東大会で拓大紅陵に不覚をとったものの、その実力は、関東では取手二に次ぐとされていた。その根拠となったのが左腕エース・山本の存在である。速球派の山本は2年時からエースに座り、昨夏の予選では三浦投手の横浜商を散々てこずらした。その他の選手も粒揃いで山本監督も、「打倒PLの自信はある」と公言していた。

 岩倉はデゴイチ打線と言われた打線が評価されていた。トップ打者ながら長打力抜群の宮間、うるさい2番の菅沢、「右の藤王」と異名を取った大会屈指の強打者・森、投打の中心・山口、2年生ながら強烈な打球を誇った左の内田と、打線の破壊力は相当のものであった。またエースの山口も好投手の1人と評価されていた。

 明徳の生命線は、なんといってもエースの山本賢(さとし)の右腕であった。誰もが鮮烈に覚えている昨年選抜での池田戦の好投。そのピッチングを再現すればPL打線にも十分通じるとされた。しかしながら打線が昨年のチームよりも非力なのは否めなかった。それでも山本賢の実績と試合巧者ぶりから、明徳も打倒PLの可能性を秘めたチームと期待された。

 都城は大型左腕・田口を中心に九州では抜群の実力を誇っていた。ただ、大型ゆえのモロさが懸念された。またPLに投手力だけで臨んでも通じないことは明らか。そうしたことから取手二や明徳よりも打倒PLの可能性は低いとの評価だった。

 さて注目の抽選であるが、打倒PLしか眼中になかった自分は、PLが次々と強豪に当たる組み合わせを願った。しかし、その希望は叶わなかった。

 PLの初戦の相手は、函館有斗の代替出場となった砂川北。2回戦の相手と目されたのは、近畿大会の決勝でPLが圧勝している京都西。そして、準々決勝で法政二と当たることが予想されたが、法政二の山本監督からして、「相手が一番勢いに乗っている準々決勝での対戦とは…」と腰が引けていたのだから…。準決勝の相手と思われたのは都城であったことから、PLが敗れるとすれば、決勝に出て来るであろう取手二か明徳というのが抽選直後の感想だった。

 が、好事魔多し。取手二の石田が寒風の中での投球練習で肩を痛めて選抜に間に合わないという。これを聞いた瞬間、本当にがっかりしてしまった。自分としては、取手二が打倒PLの可能性が一番あると思っていただけに…。石田の故障から毎日新聞は準々決勝で岩倉が取手二を降すだろうと予想した。

 もしPLの決勝戦の相手が明徳だとしたら、明徳が山本賢が2回戦から決勝戦まで4連投のなるブロックに入っていることから、微妙なコントロールで勝負する山本賢が決勝戦でPL打線の餌食になることが十分考えられた。 こうしてみると、かえすがえすも痛いのは石田の故障である。木内監督ともあろうものが、なぜ寒風の中で投球練習をさせたのか、理解に苦しんだものであった。

 今選抜は開会式がいきなり雨で2日も順延となる波瀾含みのスタートとなった。当時は学生だったから雨で流れても楽しみが先送りになるだけであったが、社会人である今、開会式が雨で2日も流れたら、甲子園の日程に合わせて休みを入れているのでシャレにならない。

 開会式直後の試合は、開会式直後の緊張からか、法政一の岡野のスローボールが全然コースに決まらず、市神港に2−7で完敗を喫した。これにはOBの田淵幸一もがっくりで、「期待していたのに残念無念」というコメントを出した。

 大会2日目に前代未聞の事件が起きた。なんとセカンド塁審がエンタトルツーベースをホームランと判定してしまったのである。佐賀商が9−2と7点リードの6回、ツーアウト満塁から5番の佐賀がレフトへ強烈な当たり。打球はレフトの頭上を越え、ワンバウンドでラッキーゾーンへ入った。ところが、審判の手がグルグル回っている。ビデオで見ても明らかにワンバウンドしており、高島高校側は抗議したが、審判の判定が神の判定である高校野球で判定が覆るはずもない。大勢に影響はなかったとはいえ、後味の悪い判定であった。

 こういう場合はビデオで確かめるというシステムを導入できないものだろうか? 明らかな誤審によって敗退を余儀なくされたら球児が気の毒過ぎる。

 大会3日目。第1試合に大注目のPLが登場してきた。この試合はストーブをつけながら観ていたことがなぜか記憶に残っている。それはさておき、PLの相手は北海道の砂川北。北海道地区から選抜されたのは、秋の道大会で優勝した函館有斗であった。しかし、校内から逮捕者が出たかどで出場停止を食らい、急遽、補欠校の砂川北におはちが回ってきたのであった。

※選抜への出場が決まっていたにもかかわらず、辞退させるというのは如何なものか。当時の高野連の融通のきかなさは言語を絶する。


 この試合の注目はどちらが勝つかではなく、PL打線の炸裂ぶりと桑田がどんな記録を残すかであった。しかし、先発は桑田ではなく、同じ2年生の田口であった。相手の戦力、今後の連戦を考えれば桑田の温存は当然といえば当然か。

※田口は同学年の清原に引けを取らない大型選手で、入学当時は将来のエースと目されていた。しかし、制球難などから大成せず、夏の予選前には、桑田の後塵を拝するようになってしまった。ただし、田口は最後の夏は背番号7でベンチ入りしている。


 試合は、1回裏、先頭の黒木、2番の松本が簡単に凡退して拍子抜けしたのも束の間、3番の鈴木がバックスクリーン横への豪快なホームランでPLが1点を先取。続く清原もレフトスタンド中段へ連続ホーマー。「やっぱPLは違うな」と思わせた連続アーチであった。

※3番の鈴木は、選抜では背番号13を背負っていた。なぜ二桁の背番号だったかはわからないが、左打席での一本足打法は強烈なインパクトを残した。

 さらにPLは3回にも2本のホームランで加点する。まず、トップの黒木がセンターオーバーの一発。黒木といえば、新チーム結成以来1つの三振もない巧打者として知られていたが、こんなに長打力もあったとは…。続いて、5番レフトで先発していた桑田がツーラン。桑田は昨年の夏は8番に入っていたが、読みとセンスに長けたバッティングも超高校級であり、当然の5番抜擢であった。

 3回までにつごう6点を取ったPLだが、それが全部ホームランによる得点とは…。そして、4回以降はヒットのつるべ打ちで着々と加点。どうにも手の施しようがないその攻撃力は昨夏の池田以上だろう。

 結局、試合は大会新の6ホーマーを放ったPLが18−7で圧勝した。しかし、大量点にもめげず、反撃を試みた砂川北には大きな拍手が送られたのであった。

 続いて登場したのは、関東大会の覇者・取手二。エース石田の肩痛が癒えたとの情報もあったが、先発が岡田と聞いて落胆した。それより何より石田でないと強打の松山商打線を封じられないと思った。

 試合は予想通り打撃戦となった。まず取手二が主導権を握って、4回表まで4−0とリード。しかし、その裏、それまで何とか松山商の強打をかわしてきた岡田が集中打を浴び、4−4の同点になってしまった。これで試合の行く末がわからなくなったが、ここで木内マジックが炸裂する。ほとんど公式戦の登板経験がない柏葉を5回からマウンドに送ったのである。

 柏葉は左腕の変則派で、データも少ないこともあって、松山商も面食らったのだろう。松山商は最後まで柏葉からヒットを1本も打つことができなかった。対照的に、取手二打線は同点に追いつかれた直後の5回表に3点を勝ち越し。さらにその後1点を加え、結局、8−4で四国の古豪を葬った。松山商の左腕酒井も粘っこい投球をしたが、吉田、中島、桑原(くわはら)らの打撃がそれを上回ったといえよう。取手二打線の充実から、「エースの石田が復活すれば…」との思いが一層強くなった。

 続く4日目の第4試合に、打倒PLの1番手と目された明徳が登場してきた。注目はなんといっても、昨年の選抜で池田打線を沈黙された山本賢の成長ぶりである。しかし、この試合、山本賢がピリっとしない。得点こそ許さなかったが、毎回のようにヒットを打たれてピンチの連続。一方の明徳打線は、福岡大大濠のアンダーハンドの八野にタイミングが合わず、いたずらに凡打を繰り返した。こうしていつのまにか延長戦に突入した。

 明徳打線の低調振りから福岡大大濠の金星の予感もしたが、10回表、ナイターの中、トップの横田がセンターバックスクリーンへ打ち込み、ついに明徳が1点を先取。その裏、山本賢がきっちり締めて明徳が勝利したが、この打線で桑田から点が取れるか大いに心配になった。

 かように、84年の大会は、打倒PLの可能性があるチームの試合は、常にPL戦をシュミレーションして観ていたのであった。

※横田は前年の池田戦で逆転負けのきっかけとなったエラーを犯した選手であった。以来、ずっと胸につかえていたものがあったそうだが、「これでやっと少し気が楽になった」と言っていた。

 1回戦では番狂わせはほとんどなかったが、2回戦では法政二が拓大紅陵に敗れるという波乱が起こった。この両チームは昨秋の関東大会でも顔を合わせていて、この時は拓大紅陵が勝ったが、今回はチーム力が上回る法政二がリベンジするものと思われていた。

 ところが、エラー絡みで初回に2点を先攻されたのに法政二打線が焦り、低めを丹念につく古橋を一向に打てない。さらに頼みの左腕エース山本も立ち直る気配すら見えず、ずるずると失点を重ねていった。こうしてまたも拓大紅陵が勝利したが、拓大紅陵ではPLに勝ち目がないのは誰の目にも明らか。というのも、拓大紅陵は悪いチームではないものの、いわゆる一発が期待できないからであった。その点、法政二は山本の超好投があれば、少しばかりの勝ち目はあると思ったのだが…。

 PLは近畿大会決勝の再現となった2回戦の京都西戦でもその力を存分に発揮する。初回に速攻で6点を挙げ、その後も加点し、近畿大会に次いで京都西に10−1で圧勝した。この10点の中でも、清原の2ホーマーがとくに光ったといえよう。試合後、京都西の名将・三原監督も、「昨秋は清原が1番甘かったのに、それがあれだけ打つんだから…」と、PL打線の脅威を口にしていた。なお、この試合が初登板となった桑田の出来は昨夏ほどではなかったが、しぶとい京都西打線を1点に封じたのはさすがだった。

 法政二は敗れたものの、他の打倒PLの可能性を秘めたチームは順当に2回戦を突破した。

 都城は、大型左腕の田口が肩痛に悩まされながらも、神港学園に1点しか与えず、ベスト8へ最初に勝ち名乗りをあげた。ただ、田口の肩が準決勝で当たるだろうPLまで持つかが懸念された。

※当時は投手が肩痛であっても、その起用は監督の裁量に任されていた。肩痛がある投手の登板は認められていない今のルールだったら、田口は投げることができなかっただろう。

 取手二はエース黒上が好調な徳島商が相手だけに苦戦が予想された。しかし、この試合に初登板したエースの石田が黒子以上の好投を見せた。

 序盤は黒上の重い速球に手を焼いた取手二だったが、6回裏に下田のタイムリーで1点を先取。しかし、徳島商は7回表にすぐに追いつく。すると、7回裏、取手二は先頭の5番・桑原が痛烈なツーベースで出塁。ここで6番石田が強攻に出て、ライト前に勝ち越しのタイムリー。7番以降は打線が弱いことから木内監督は石田に打たせたと思われるが、この辺の采配は見事の一言であった。さらに取手二は8回裏に下田のツーランで2点を加点。石田は9回に1点を失ったが、結果的には、取手二が4−2で徳島商に快勝した。とはいえ、前半に黒上を打ちあぐんだことと石田のスタミナ不足が打倒PLに不安を感じさせた。

 岩倉は打力で金足農を降したものの、4失策を犯した守備の粗さとエース・山口の不安定なピッチングはいただけなかった。だから、もし岩倉がPLの決勝戦の相手なら大差がつくと思った。

 明徳はさして強豪とはいえない佐世保実が相手だけに楽勝が予想されたが、打線がまたしても不調。8回裏にようやく2点を取り、山本賢の好投に応えたが、その貧打は目を覆わんばかりであった。

 確かに佐世保工の吉田のシュートは良かったが、「昨年のチームにいた小谷、矢野、北野だったら、もっと早くに吉田を打っただろう」と、思わず無い物ねだりをしてしまった。とにかく、この打線の弱さで桑田を打てるはずがない。1、2回戦を見る限り、明徳がPLに勝てる可能性は極めて低いと思われた。

 迎えた準々決勝。第1試合では都城が名古屋電気を4−2で降して、PLへの挑戦権を手に入れた。この試合でも都城の大型左腕・田口の重い速球が冴えた。それにしても疑問なのは、名古屋電気の中村監督が下手投げのエース・千葉を先発させなかったことである。もしかしたら準決勝のPL戦のことを考えたのだろうか?

 第2試合では、予想通りPLが拓大紅陵に完勝した。この試合で桑田が本領を発揮。懸河のカーブが冴え、拓大紅陵打線をまったく寄せ付けなかった。PL打線は6点を取ったが、初回の桑田のタイムリーと2回の黒木の適時打による2点で、すでに勝負あった感じであった。

 ただ、この試合で清原がノーヒットに終わったのは、PLにとって不安だったろう。とくに第3打席の完全に詰まったピッチャーゴロにそのモロさが窺えただけに…。

 第3試合は取手二−岩倉の関東対決になった。この試合は石田が復活した取手二が有利かと思われた。しかし、岩倉のエース・山口が1、2回戦とはうって変わったピッチングを見せたのであった。3回裏に集中打されて3点を失ったが、それ以外は低めをつく直球と変化球で取手二打線を完全に封じたのである。一方、打線は2−3とリードされた8回表に内田、岩佐の連打で、2回戦に続いて本領を発揮。そのまま4−3で岩倉が勝利をものにした。

 この試合における取手二の敗退はショックだった。石田の復活で、投打のバランスの良さはPLの次になったと評価していただけに…。翌日の日刊スポーツの見出しに、「岩倉特急、取手を通過」とあったが、「岩倉ではとても終点まで行けないな」と思った。

※8回表、1点をリードされた岩倉は、ツーアウト2塁のチャンスを迎えた。ここでバッターは、当たっている5番・左の内田。木内監督は試合後、「次がない夏ならあの場面は敬遠ですが、選抜だから勝負させました」との談話を残した。しかし、その談話が木内監督の真骨頂だったことを夏のPL戦で知ることになる。

 第4試合は、明徳が大船渡に勝つものと思われた。いくら大船渡の左腕・金野(こんの)が今大会好調でも、山本賢に投げ勝つとはとても思えなかったからである。

 しかし、またまた明徳打線は点を取れない。山本賢はこの試合も我慢を強いられたが、ついに4回裏に失点した。甘いカーブを5番の今野に3塁打されて1点を失ったのだが、いくらなんでも3試合連続で完封をしろといのうは無理な注文。結局、この1点が致命傷になり、打倒PLの一番手と言われた明徳は、打線の不振が原因で準々決勝で姿を消したのであった。

 それにしても山本賢は気の毒だった。3試合で1点しか許さなかったのに、その1点で敗退を余儀なくされたのだから。

 こうして準決勝は、都城−PL、岩倉−大船渡という顔合わせになった。

 第1試合の戦前の評価は、どの新聞を見てもPLが総合力で上というものであった。確かに都城も大型左腕の田口を中心にした好チームであったが、今大会のPLは特別。なにせ3試合の得点が8ホーマーなどで33点。かつ桑田の防御率は0.50。どうみても都城に勝ち目はないものと思われた。そして自分は4−0というスコアを予想した。

 しかし、この試合、思わぬ出来事が起こった。なんとPLの先発が桑田ではなく、1回戦の砂川北戦で打ち込まれた田口だったのだ。なんでも桑田は右手の人差し指を傷めたらしい。それほど深刻な状態ではないものの、大事を取って先発を回避したとのことだったが、これは都城にとっては千載一遇のチャンス。桑田が出てくるまで4、5点取れば逃げ切れるかもと思われた。

 PLの2番手田口が投げている間に先取点がほしかったのだが、都城打線に決定打が出ない。そうこうするうちに桑田が4回から登板してきた。以降、田口と桑田の完全な投手戦となった。

 指を痛めているとはいえ、そこは桑田。ストレート、カーブともいつもほどの切れはなかったが、コントロールとコンビネーションで都城打線に的を絞らせない。ちょこちょこヒットは打たれるものの、決定的なチャンスは作らせず、点が取れる雰囲気はまったくなかった。

 一方の田口も長身から低めにストレートとカーブを投げ込み、PL打線を沈黙させた。序盤の5回までのPLのヒットは、2番の松本が2本と6番の清水哲の3本のみで、いずれもシングルであった。

※2番の松本は、PL史上でも屈指のセカンドだろう。何よりその守備力が素晴らしかった。その堅実さは早実の小沢に比肩しよう。そして、しぶといバッティングも出色。バントはきちんと決めるし、長打力もそこそこあった。自分としては、84年のチームで桑田の次に嫌な打者が松本であった。

※PLがこの試合で苦戦した一つの要因は、桑田が指の怪我で、本来のバッティングができなかったことだろう。ある意味、このチームの打の中心も桑田であったのだから。こうしてみると、TBSが桑田のことを「天才野球少年」と喧伝していたのも当然である。


 試合は5回を終わって0−0。今大会常に早い回に先取点を取り、「やはりPLは凄い」と思わせてきたPLだったが、準決勝にして初めて接戦に持ち込まれた。しかし、接戦にも無類の強さを発揮するのがPL。それでもPLに勝つための最低条件である先取点がなんとしてもほしかったのだが…。

 しかし、最初に大きなチャンスを得たのはやはりPL。6回裏、先頭の黒木がしぶとくセンター前にヒット。田口の出来と左対左の関係から黒木は打ち取れるという計算だったのだが…。

 2番の松本がバントを失敗するはずもなく、ワンアウト2塁のチャンスを作られた。さらに牽制悪投でPLのチャンスは一気にワンアウト3塁となった。

 ここでバッターは、3番に抜擢された旗手。本来の3番は左のスラッガー鈴木であるが、左対左ということで鈴木をベンチに下げ、当たっている旗手を3番に起用した中村監督であった。旗手は本来は9番打者であったが、初戦の砂川北戦で強烈なホームランを打っており、前日の拓大紅陵戦でも二塁打を3本打つなど、今大会当たりまくっていた。

 試合が膠着状態であったことからスクイズも考えられたが、中村監督は好調の旗手に賭け、強攻させた。ここで旗手はライトの定位置へのフライ。黒木の足を考えたら先制点は決定的と思われた。しかし、あろうことか、黒木はこのフライで飛び出してしまい、タッチアップできず。

 この瞬間、中村監督が映し出されたが、今まで見たことない苦渋の表情だった。この試合まで甲子園19連勝の中村監督が初めて見せた苦渋の表情が、この試合がいかにPLにとって予想外の苦戦であったかを象徴していたといえよう。続く清原も平凡なライトへの飛球。こうしてPLはビッグチャンスを逃したのである。

 7回表、ピンチの後にチャンスあり。この回の先頭バッター6番の黒島がセンター前ヒット。ここで都城ベンチは送りバントの策を取ったが、テレビの前で、「桑田から8番、9番がタイムリーを打てるはずがないだろうが」と、思わず毒ついてしまった。自分が監督なら、一か八か盗塁かエンドランをかけていただろう。案の定、8、9番が桑田に軽く抑えられてしまった。

 8回表、またしてもツーアウト2塁のチャンスを作った都城であったが、太めの4番・矢野が桑田の速球に食い込まれ、ファーストゴロ。またも先取点のチャンスを逃してしまった。

 一方のPLは、7、8回とそれぞれ四球のランナーを1人出したが、田口の力投の前のノーヒット。こうし試合が0−0のまま、ついに9回へともつれ込んだ。

 9回表、ツーアウトから7番の林田、8番の隈崎がこの試合桑田から初めて連打。しかし、桑田から3連打しろというのは無理な相談。9番の鶴は大きなカーブにタイミングが合わず、空振りの三振。この瞬間、9回裏のサヨナラを予感したのであった。

 9回裏、PLの攻撃は清原から。前日から当たりが止まっているとはいえ、清原は清原。サヨナラホームランまで覚悟した。しかし、ここで清原はチームバッティングに徹し、センター前にヒット。続く打者は桑田。強攻してくるのは目に見えていたから、いよいよサヨナラ負けの恐怖が膨らんだ。

 しかし、桑田はあっさりライトフライに倒れた。指の怪我で精彩を欠いている感じであった。ワンアウト1塁で中村監督がどういう策を取るかと思ったが、6番の岩田に送りバントの指示。これが決まって、一打サヨナラの場面となった。

 とにかくスコアリングポジションにランナーが進められるのが一番嫌だったら、このバントを見て、「嫌なことをしてくるな」と思ったものだった。このように、中村監督は、相手が一番嫌がることをする監督でもあった。しかし、清水哲はセンターフライに倒れ、お互い無得点のまま延長戦に突入した。

 にしても、手に汗握る試合とはこの試合をいうのだろう。PLの攻撃が終わるたびにションベンに行ったのだから。また、それだけPLの攻撃に恐怖を感じていたのだろう。

 延長戦に入っても膠着状態は続き、10回の表裏、11回の表と、お互いにランナーすら出なかった。

 そして迎えた運命の11回裏。PLの攻撃は2番の松本から。この試合、松本は2安打、送りバント、四球と、一度も凡退していない。実に嫌なバッターが先頭バッターと思ったのは田口もいっしょだったのだろう。最もやってはいけない四球を与えてしまった。こうなれば3番の旗手に送らせて、清原、桑田の一打に賭けるのが当然の策。しかし、旗手は投手正面へのバント。松本はセカンドで封殺され、ワンアウト1塁と場面が変わった。

 とはいえ、続くバッターは清原。一発長打が出れば、あっという間に試合が終わってしまう。果たして、清原は左中間に猛ライナーを放った。思わず、「うわぁ」という声が出たが、次の瞬間、レフトが差し出したグローブの先にボールが引っかかっていた。この超ファインプレーでこの回は凌げると思った。というのは、指の怪我で桑田のバッティングに迫力がなかったからである。

 思った通り桑田のスイングはにぶく、ライトへ高々とフライを上げた。「よし、これでチェンジだ」と思ったところ、ライトの動きがバタバタしているのが映った。「あ、これはやばい」と思った瞬間、ライトが落球。ランナーは1塁だったから、ランナーは3塁止まりと思いきや、フライが上がった瞬間に全力疾走を切っていた旗手が3塁を回っているのが映し出された。しかも、ライトはボールがまだボールに手がつかない。やっと捕手の矢野に返球された時は、すでに旗手がホームを駆け抜けていた。ここにPLの決勝進出が決まったのである。

 都城に不運だったのは、桑田の打球が高く上がり、滞空時間が長かったことである。それと旗手の全力疾走が目に入ったライトの隈崎が焦って落球したボールをうまく処理できなかったことも痛かった。

 それにしても、痛恨のエラーとはこのこと。ただ、田口の「悔いはないです」というのは救いだった。また、逆転タイムリーエラーでなかったことも不幸中の幸いであったかもしれない。

※試合後、解説の池西さんが、「隈崎君、ヒットも打って、一生懸命頑張っていたんですけどねぇ。気の毒としか言い様がありません」と言って、懸命に隈崎選手をフォローしていたのが印象的であった。

 形の上では大金星を逃した都城であったが、結局1点も取れなかったわけで、どうみても勝てる展開ではなかったのが事実である。それで田口もあきらめがついたのかもしれない。
 
 どんな無敵の強豪であっても、常に落とし穴が待っているのが高校野球。こうした試合をものにしないと優勝がないのは歴史が物語っている。76年の鉾田一戦の崇徳しかり、前年の明徳戦の池田しかりである。だからこそ、この試合を乗り切ったPLが大きく優勝に前進したと思ったのは自分だけではあるまい。

 続く準決勝の第2試合も劇的な試合となった。今大会、優勝候補の明徳を倒すなど大旋風を起こしている大船渡がこの試合も3回表に先取点を挙げる。それを左腕の金野が守るという展開になった。

 金野は右打者のふところに速球を投げ込んで、岩倉のしぶとい打線を押さえ込んでいった。このまま大船渡が押し切るかと思ったが、6回裏、ツーアウトから四球で出た宮間を一塁に置いて、2番の菅沢が目の覚めるような打球を左中間に放ち、同点に追いついた。

 1−1になってからも両投手の好投が続き、9回表を終わって大船渡が打ったヒットは2本のみ。一方の岩倉も3安打。このまま延長戦に入るかと思われたが、9回裏、岩倉で唯一タイミングの合っている菅沢がレフトへサヨナラホーマー。ここに大船渡の快進撃は終わり、岩倉がPLへの最後の挑戦者に決まった。

 迎えた決勝戦の前評判は、圧倒的にPL有利。朝日新聞も、「投、攻、守、どれを取っても、PLが一枚上」と、PLの圧倒的優勢との予想記事を載せた。また、「ズームイン朝」において、阪神の元捕手のヒゲ辻こと辻佳紀氏も、「PLが万が一負けたら坊主になりますよ」と宣言していた。

 実際、どういう展開になったら岩倉がPLに勝てるというのか? まともにいったら2年前のPL−二松学舎のようなボロ試合になるだろう。しかも、この年のPL打線は、当時のPL打線よりも破壊力でははるかに上。岩倉のエース山口がナインから、「20安打10点なら許す」と言われていたそうだが、それが冗談でないような風評であった。

 ただ一つ岩倉にとって救いなのは、桑田が右手薬指の怪我で投打とも本来の姿ではないことであった。

 試合はPLの先攻で始まった。PLは準決勝までの4試合はすべて後攻めだったので、今大会初の先攻であった。なんでもキャプテンの清水孝悦が5試合目にして初めてジャンケンで負けて先攻になったという。

 奇跡の逆転があるPLだけに、PLに勝つには後攻めを取るのが勝利への必要条件の一つだろうが、それは接戦に持ち込んでこその話し。この試合でPLが先攻めと聞いても、「1イニング無駄になるだけ」と思ったもんだった。

 とにかく岩倉が勝つには、絶対に先取点を与えないこと。そして序盤を0点で凌ぐことである。したがって、山口の立ち上がりが注目された。

 まず迎えたのは、うるさい左の黒木。黒木は2−3から待ってましたとばかり外角球を振るが、パームボールにタイミングが合わず、セカンドゴロ。試合前、山口は、「ここというところではパームボールを使います」と宣言していたが、この試合、パームボールのコントロールが抜群で、以降もPL打線を翻弄することになるとは、この時点では誰も予想しなかったであろう。

 続く嫌らしいバッターの松本にはストレートを痛打されたが、ファースト武島のファインプレーでことなきを得た。試合後山口は、「怖くてストレートなんか投げられなかったですよ」と言っていたが、ところどころで投げるストレートは、変化球が多くを占めていただけに効果的であった。

 続く打者は、3番に復帰した左の強打の鈴木。2球目を叩いた鈴木の一打は強烈なゴロとなって、セカンドのグラブをはじくヒット。ツーアウト1塁とはいえ、清原、桑田と続くことから山口は早くも正念場を迎えた。

 しかし、山口は外角へのカーブとパームで、まだ粗さの残る清原を翻弄。最後はボールになるカーブを振らせて初回を無得点に切り抜けた。

 続いて1回裏の岩倉の攻撃。岩倉の1、2番の宮間、菅沢の1、2番も好打者だけに、本来の出来でない桑田を攻略する突破口となることを期待したのだが…。

 この日の桑田は昨日より格段に良かった。とくにストレートが速く、宮間、菅沢を簡単に連続三振。続く不振にあえぐ森もサードゴロにかたづけた。この桑田のピッチングを見て、「これは1点取るのもしんどいな」と、絶望的な気持ちになった。

 2回表も山口はフォアボールのランナーを盗塁で2塁まで進められたが、清水孝をパームで仕留め、得点を許さない。そして2回裏、岩倉が千載一遇のチャンスをつかむ。ワンアウトから岩倉で最も頼りになる5番の左打者内田がセンター前へ快打。さらに続く岩佐もライト前へヒット。エンドランがかかっていて内田は3塁まで進む。

 ここでバッターは当たっている7番の武島。「PL相手にスクイズは決まるわけがないから、ここは打たせろよ」と思っていたが、岩倉ベンチは2−2からスリーバントスクイズを命令。3塁ランナーのスタートが目に入った桑田は、とっさにカーブを外角のボール球にする。当然、バッターは空振り。3塁ランナーも三本間で挟殺され、一瞬にして岩倉のチャンスはついえた。「だからスクイズなんかするなよ」と地団駄を踏んだが、ここは一瞬にしてカーブをボール球にした桑田が一枚上であった。

 その後、両投手の好投で試合は0−0のまま推移した。山口は低めの変化球でPLの猛打陣を手玉に取る一方、桑田は切れのいいストレートとカーブで三振の山を築く。見た目には互角の投手戦だったが、山口の場合は変化球が1球でも甘いコースに入ったら長打を浴びるだけに、岩倉を応援している方から見れば、常に氷の上を歩いているような感じであった。

 しかし、そんな心配をよそに山口は飄々と投げ、ヒットすら許さないというピッチングを展開した。とくに圧巻だったのは、4回の清原への投球であった。初球、果敢にインコースをストレートでついてストライクワン。続いて外角いっぱいにストレートを投げ込み、バッター・インザ・ホールに追い込む。そして3球目は外角にストライクからボールになるカーブ。これに清原は引っ掛かって平凡なセカンドゴロ。

 その山口がピンチを迎えたのが6回表であった。この回の先頭バッターは、初回にヒットを打ち、最も山口に合っていた3番の鈴木。その迫力に臆した山口は、鈴木を歩かせてしまった。このノーアウト1塁の場面、どうしても先取点がほしい中村監督は清原に送りバントを命じた。

 清原は意外に器用な面もあって、昨夏も数度送りバントを成功させている。ここでも清原はきっちりバントを決め、PLベンチは、続く桑田、清水哲の一打に期待した。しかし、桑田、清水哲は山口のパームにバットの芯をはずされ、ともにセンターへの平凡なフライに倒れた。

 この辺からPLナインに、「こんなはずではない」といった硬さが見られるようになった。一方の岩倉は、「負けてもともと」の気楽さからか、リラックスしてプレーしているように思えた。

 試合は0−0のまま8回裏へ入った。この回の先頭は、前の打席でツーベースを打つなど昨日から好調の7番武島。ここで武島は桑田のストレートを強振。出会い頭といえなくもなかったが、この日2本目のツーベースを放ち、ノーアウト2塁のビッグチャンスを迎えた。

 次は8番打者だから送ってチャンスを広げるのがセオリーだが、岩倉の望月監督は何を考えたのか、強攻に出た。しかし、これが裏目り、8、9番が簡単に凡打し、ランナーを進めることすらできない。

 トップのキャプテン宮間の長打に期待するしかなかったが、宮間はフォアボール。ここで打席に入ったのは、今大会ラッキーボーイの2番菅沢。いかなラッキーボーイとはいえ、それまで14三振を奪っている好調な桑田を打てるとは思えなかった。

 ところが、1−1からカーブが甘く入った。これを菅沢が右にうまくおっつけてライト前へヒット。ライトは鉄砲肩の岩田であるが、打球がセンター寄りに落ちたことが岩倉には幸運で、セカンドから武島がホームイン。喉から手が出るほどほしかった先取点が岩倉に入った。続く森は切った桑田であったが、桑田としては考えられない失投には悔いが残ったことだろう。

 この1点で甲子園は異様な雰囲気になった。誰に聞いても優勝間違いなしとされたPLが初出場の岩倉に追い詰められたのだから。

 しかし、PLには奇跡の神話がある。ましてや9回表はトップの黒木から始まる。

 9回表、例のPLのチャンステーマがかかる。その中、じっくりボールを見た黒木は2−2からパームを拾って、ショートオーバーへ小飛球を上げた。「これはポテンヒットだ」と覚悟したら、ショートの宮間がこの打球に猛然と飛び込みスーパーキャッチ。

 このプレーは間違いなく今大会最高のプレー。もしこの打球がヒットになっていたら、滞空時間の長さと黒木の走塁のうまさからしてツーベースになっていただろう。それだけに両チームにとって宮間のダイビングキャッチはとてつもなく大きなプレーであった。

 黒木はなんとか打ち取ったものの、次打者はこれもうざい松本。まさに一難去ってまた一難。山口はありとあらゆるボールを使って松本を打ち取りにかかる。松本もよく球を見て、2−3まで持ち込んだ。ここでどんな球を山口が投げるか注目されたが、外角へパームボールを投げた。2−3からパームが来るとは思っていなかった松本はタイミングを狂わされ、当てるのが精一杯のピッチャーゴロ。これでPLはツーアウトランナーなしにまで追い詰められた。しかし、まだ勝てる気はしなかった。

 ここで打席に入ったのは、この日唯一のヒットを放っている鈴木。岩倉ファンは鈴木の一発を恐れ、PLファンは鈴木の一打に賭けた。

 そして、0−1からバットを一閃した鈴木の当たりは、右中間に矢のように飛んで行った。鈴木が打った瞬間、島村アナの「大きい!」という声が聞こえたが、島村アナは同点ホーマーと思ったのだろう。自分も「やられた」と呼吸が止まった。

 しかし、懸命にバックしたセンターが向き直った。そして、そのグローブにすっぽりと球が入った。その瞬間、バッテリーがマウンド付近で抱き合い、そこへナインが殺到し、団子状態となった。それを見てようやく岩倉が勝ったことを認識したが、鈴木が打ってからセンターが取るまでの時間のなんと長かったことか。

 それにしても、奇跡の勝利とはこのことをいうのだろう。最強PLに、そして甲子園で無敗の20連勝中のPLに、初出場の岩倉が勝ったのだから。

 山口は自らのピッチングを「200点満点」と評したが、一生に一度のピッチングを甲子園の決勝戦、それもPL相手にしたとは、その巡り合わせの妙は例えようがない。

 今にして思えば、両者の心持ちも勝敗を分けたような気がする。「負けたって命まで取られるわけじゃないですから」と言っていた山口は、試合前に宿舎でナインとジャレ合っていて、プレッシャーとは無縁であった。また、他のメンバーもカメラに映る度にVサインをするというリラックスぶりであった。

 一方のPLは、勝つことが義務付けられた重みで硬くなっていたように思う。試合後や閉会式でのPLナインの放心状態の様はその証左であろう。

 中村監督もこの現実は受け入れ難かったらしく、「なぜ打てなかったのか」、ベンチで見ていて納得できなかったという。後でビデオを見て、山口のパームボールにことごとくタイミングをずらされていたことを知って合点がいったとのことであったが。

 敗れたりとはいえ、PLが全国一の実力校であることは誰の目にも明らか。事実、PLは夏の甲子園に春よりスケールアップして登場してきた。そして、夏の大会も、「打倒PL」が全国の高校球児の合言葉となった。


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