夏の大会
池田、3連覇なるか
池田が史上初の3連覇を狙ったこの夏の大会は、高校野球のファンにとって伝説と化しているといえよう。これほど盛り上がった大会は後にも先にもなかったのではないだろうか? 以下に、池田の動向を中心にその熱かった夏を振り返ってみたい。
連覇の中でも最も難しいとされる夏春連覇を成し遂げた池田。いやがおうにも史上初の3連覇の期待が高まった。
山間(やまあい)の片田舎にある公立校が見せる圧倒的な力強さ、蔦監督の無骨なキャラクター、そしてその原点が「さわやかイレブン」であることがあいまって、多くの高校野球ファンの支持を受けていた池田。
しかし、それはひいきの引き倒しといえたであろう。なにせ、連日の取材攻勢、ファンの来校などで、四国のへその位置にある池田町は全国で最も賑やかな町と化し、選手は練習どころではなかったというのだから。
さて選抜後の池田であるが、春季四国大会も高知商を1−0で降すなどして優勝を遂げた。これで公式戦の連勝は、前年の春季四国大会決勝で明徳に2−4で敗れて以来、27にまで伸びた(国体は除く)。
しかし、春季四国大会優勝後、新チーム結成以来負けたことのなかった尽誠学園に練習試合において3−4でサヨナラ負けを喫したのをきっかけに、チーム全体が下降線をたどった。そして、5月末から6月上旬にかけては打線がスランプに陥り、興南に0−5、取手二に2−8、明大中野に0−3で敗れるという短期間に3敗という有様であった。その実力からして、これは考えられような低調ぶりといえよう。
※興南戦…シングルヒットばかりの7安打と、打線が左腕の仲田幸司に力負け。水野も勝負球をことごとく打たれた完敗。試合後、蔦監督が「このままの打線では夏に通用しないかも」と不安がったのは有名な話である。なお、この試合は、新チーム結成以来、初めての完封負けであった。
※取手二戦…翌年の夏、清原・桑田のPLを倒す原動力となった石田、吉田らは当時2年生であったが、伸び盛りのチームの勢いは凄まじく、真っ向勝負で池田を粉砕。石田が水野を4打数ノーヒットに抑えるなど池田打線を抑える一方、打線も水野を打ち込み、取手二が快勝した。なお、この試合の結果は、「取手二、池田を倒す」という見出しで日刊スポーツの一面で伝えられた。
※明大中野戦…明大中野のエースは、ダイエーなどで活躍した武田であった。武田は江上を三振に取るなど、サイドからの投球で池田打線を翻弄。この試合で水野が登板したかは知らないが、無名の明大中野に完封で敗れたというのは、池田ファンにとっては信じ難いものであった。
こうした打線のスランプから、蔦監督は1979年のように打線を組み替えるかもしれないと思ったが、6番に山田を抜擢しただけで、今回は打線をいじることはせずに徳島予選に臨むことにしたのであった。
※それまで6番を打っていた上原は長打力に加え、確実性もある打者であったが、素行にやや問題があったことなどからレギュラーをはずされたという。山田が予選で当たりまくったからいいようなものの、上原の打撃は捨て難いと思ったのは自分だけでなかったろう。
※1979年の池田打線も強力であったが、選抜後のチャレンジマッチで日和佐のアンバーハンド・粟田に2安打1点に封じられるなど、打線が不振に陥ってしまった。そこで蔦監督は、4番の山本を1番に、トップの川原を3番にするなどして打線を改造し、夏の準優勝に導いたのであった。
一時的にスランプになったものの、池田の実力が全国一であり、3連覇の可能性が十分であることは誰の目に明らかであった。そうしたことから打倒・池田が全国の強豪の合言葉となった。
全国の先陣を切って、甲子園に乗り込んできたのは沖縄の興南であった。興南の強みはなんといっても仲田幸司の左腕。その落差の大きなカーブと力強い速球は甲子園でもお馴染みであったが、練習試合で池田を完封したことから、さらに評価を高めていた。俊足揃いの打線もシャープで、決勝戦で敗れた沖縄水産の栽監督をして、「前代未聞の強さだ」と言わしめるほど興南のチーム力は充実していた。
実際、毎日新聞では、「投攻守走と揃った興南の戦力はトップ」と、興南の実力を高く評価していた。また、朝日新聞も、「興南の投攻守にバランスの取れた戦力は全国の上位に入る」と、興南を優勝候補に挙げた。
それから数日後、全国の高校野球ファンの期待通り、池田が徳島大会を突破した。しかし、その道のりは平坦ではなかった。準決勝の鳴門戦は相手のバント攻撃に守備陣がミスを重ね、終盤まで3−2の接戦であった。吉田のスリーランで6−2と振り切ったが、決勝戦の徳島商戦はもっと苦しんだ。
相手左腕の林は、池田打線が不得手とする大きなカーブが武器。そのカーブを池田打線は前半からっきし打てず、3回まで1人のランナーも出せなかった。しかも、1回裏に1点を先行されるという嫌な試合展開。ようやく4回表に相手エラーから同点に追いついたが、6回を終わって1−1。まったく予断を許さない状態だった。
7回表、池田はツーアウトながら、江上と吉田のヒットで1、3塁のチャンス。ここでバッターは7番・一発長打の高橋。しかし、高橋は左腕特有の大きなカーブに2球連続空振り。「もう一球同じ球がきたら三振じゃ」と思った蔦監督はダブルスチールを指示。この意表をついた作戦は見事に成功し、1点を勝ち越し。さらに8回表にツーアウト満塁から水野が2点タイムリー。4−1で勝利したものの、徳島予選では選抜で見せたような力強さは投打にわたって見られなかった。
しかし、それでも水野の奪三振率は参加49校のエースでbPであったし、打線もここという時はタイムリーが出るという勝負強さと抜群の潜在能力を持っていた。そして、池田の何よりの強みは甲子園での経験であった。こうしたことから池田は今大会も優勝候補の筆頭に推されたのであった。
※光沢毅氏によると、池田の各打者はバッティング練習で水野からスカンスカン打っていたとのこと。ただし、水野が本気になると誰1人打てなかったというのだから、やはり水野は凄い。
池田が甲子園出場を決めた同じ日に、隣の高知県から高知商が甲子園に勝ち名乗りをあげた。高知大会では、選抜で池田をあと一歩まで追い詰めた明徳と、春季四国大会において池田と接戦を繰り広げた高知商が二強とされた。その両校は準決勝で顔を合わせたが、試合は高知商打線が山本賢を打ち込んでの高知商の快勝に終わった。この勝利で高知商の評価は一気に高まったといえよう。
今大会の高知商の特徴は投打のバランスの良さであった。右腕の本格派・津野は快速球と大きなカーブのコンビネーションが良い好投手。打線も力と技を併せ持ち、谷脇監督も、「今年のチームは甲子園で上位が狙える」と自信を漲らせていた。
池田が甲子園への切符を手にした翌日、蔦監督自身がその動向を最も気にしていた箕島と中京が池田への挑戦権を手に入れた。
箕島のエースは吉井。吉井は前年のチームでは上野山の陰に隠れていたが、2度にわたってPL戦に好投するなど予選前から注目されていた。打線も猛打を誇った前年のメンバーが全員抜けたが、尾藤監督も「パワーならこれまでのチームで随一」と言うように、勘佐、山下、硯のクリーンアップを中心に、打線のパワーは前年を上回っていた。
箕島は予選において強豪揃いのブロックに入ったが、最大のライバルとされた新宮を9−1でコールドに葬るなど順当に勝ち上がってきた。予選ではお家芸のバント攻撃も冴え、相手の嫌がることをする尾藤監督の采配もあり、当然の如く箕島は打倒・池田の有力候補とされた。
中京は、前年の選抜、選手権で大活躍した野中が健在。蔦監督は野中を「全国制覇できる投手」と前々から高く評価していたが、重い速球の威力は相変わらずで、愛知大会の決勝戦でも藤王擁する強打の享栄打線を3安打の1点に封じた。
前年の中京は打線がやや力強さに欠け、それが甲子園で決勝戦進出を逃す原因となったが、今年は3番・鈴木、4番・野中、5番・紀藤と大型クリーンアップを形成してきた。さらに前年のレギュラーであるトップの今井も、羽佐間アナが「今大会屈指のリードオフマン」と北陸戦で紹介したほどうるさく、打線は前年より明らかに上。この戦力から中京も押しも押されぬ優勝候補と目された。
そして選抜準優勝の横浜商も、箕島、中京が予選を突破した翌日に甲子園への進出を決めた。横浜商のエースは、言わずと知れた長身右腕の三浦。その落差の大きなカーブは全国一の切れ味と言われ、高校生ではまず打てないとされた。選抜では池田に3点取られたが、まともに取られた点はなく、「今度対決したら…」の自負を持っての甲子園再登場であった。
横浜商打線は線が細いと言われたが、夏は大きく成長。西村、信賀の大会随一の1、2番コンビを中心にソツのない攻撃は、選抜時よりも数段得点力を増していた。そして横浜商の強みは、セカンド・信賀とショート・西村を中心とした守備力といえよう。こうした総合力の高さから、朝日新聞は横浜商を、「49校中で最も戦力が安定している」と評した。
興南、池田、高知商、箕島、中京、横浜商とこれだけ優勝候補が揃っただけでも興奮していたところ、広島商も勝ち名乗りを挙げてきた。広島商は選抜では打倒池田の一番手と目されたが、エース・沖元の故障もあって、初戦敗退したことから評価を下げていた。
しかし、沖元が復活した予選では持ち前の試合巧者ぶりを存分に発揮。決勝戦も圧勝であった。今年の広島商は従来の柔に剛が加わり、朝日新聞も、「広島商は投攻守走のバランスが実にいい」、「中国代表に目を移すと広島商が充実。心配された投手力が沖元の成長で不安がなくなり、試合巧者ぶりに磨きがかかる」と、広島商に高評価を与えたのであった。
広島商が甲子園に進出を決めた日、大阪ではPL学園が優勝を決めていた。夏は5年ぶりの登場であり、前年選抜で優勝したメンバーが全員抜け、1年生がエースと4番ということから、打線は長打力を誇るものの、それほど高く評価されていなかった。ただ、「PL=甲子園で無類の強さを発揮する」というのが自分の中に刷り込まれているだけに、その存在は不気味であった。しかし、今大会は池田を始め、これだけにメンバーが揃っているのだから、1年生が投打の中心のPLが突け込む隙はないだろうと思っていた。とはいうものの、何か嫌な予感がしていたことだけは確かであった。
このほか、好投手・杉本康徳で選抜ベスト4の東海大一、選抜で中盤まで池田と互角に渡り合った岐阜一、左打線に威力がある市尼崎などのチーム力も、ある程度評価を得ていた。また、剛球左腕・荻原(仙台商)、江夏二世と言われた小野(創価)、速球のスピードなら随一の秋村(宇部商)、140km右腕の山田(久留米商)、予選決勝でノーヒットノーランを達成した香田(佐世保工)などの好投手も期待された。
こうしてみると、いかに豪華なメンバーが揃ったかがわかろう。実際、今大会ほど強豪の数が多く、そのレベルが高かったことは記憶にない。まさに多士済済という言葉がぴったりの顔触れであった。
ただ残念だったのは、全国一の剛腕・渡辺(元西武)を擁する前橋工が予選決勝で不運な敗退をしたことと、好投手の誉れ高かった加藤(南海などで活躍)がチーム(倉吉北)の出場停止で見られなかったことである。
※渡辺の敗北は気の毒としか言いようがなかった。群馬大会の決勝戦は、相手左腕・青柳も絶好調で1−1で延長戦にもつれ込んだ。そして、迎えた延長11回裏、渡辺はツーアウト満塁のピンチを迎えたが、バッターを2−2と追い込んでいた。ここで目の覚めるような速球が外角のストライクゾーンに決まった。しかし、無情にもボールのコール。そして、意地になった渡辺はまたも同じコースへ速球を投げ込んだ。が、やはりボールと判定され、無念のサヨナラ負け。その瞬間、渡辺は眉一つ動かさず、マウンドに仁王立ち。渡辺は今も、「2球とも絶対にストライクだった」と言っているそうである。
これだけ揃った優勝候補であるから、その順序づけが難しいところであるが、朝日新聞によると、優勝候補筆頭はやはり池田。そして、池田とともに箕島、横浜商が大会3強を形成し、紙一重で中京、高知商、興南が続き、それを追う広島商と、7校がビッグセブンとして優勝候補とされた。
また、朝日新聞が出場校の監督に優勝候補アンケートを取ったところ、池田が一番票を集め、続いて中京、箕島、横浜商、興南の順であったという。しかし、いずれにせよ、池田、箕島、中京、横浜商、興南、高知商、広島商が有力候補であることは間違いのないところであった。
※ビッグセブンの評価(自作)
高 校 | 投 | 攻 | 守 |
池 田 | 100 | 100 | 80 |
箕 島 | 95 | 95 | 85 |
横浜商 | 95 | 90 | 95 |
中 京 | 95 | 90 | 95 |
高知商 | 90 | 90 | 90 |
興 南 | 95 | 90 | 90 |
広島商 | 85 | 95 | 95 |
※大会前に、「池田を倒すとすればどの高校か?」というファンへのアンケートにおいても、中京、箕島が多くの支持を得た。続いて興南が票を集めたが、横浜商、高知商、広島商としたファンは少なかった。なお、PLと創価を挙げた人も数人いたが、PLとした人はその甲子園での実績を買ったのであろう。創価と答えた人は、池田が苦手とする左腕の小野の評価が高かったことによると思われる。
それにしても、よくこれだけ強豪が揃ったものである。津久見の監督を勇退したばかりの小島氏も、「今年はどこが優勝するか全くわからない」と、その豪華絢爛ぶりを評していた。また、選抜ベスト4の東海大一の斎藤監督も、「今年は強豪・古豪が多くやりがいがある」とやる気を漲らせた。
市尼崎の主力打者として甲子園に出場していた池山(元ヤクルト)も、スターとしての地位を得た後のインタビューで、「その大会では優勝を狙っていたのか」という質問に、「いや、全然。池田以下強豪がズラリと揃っていたからね」と答えている。
そこでふと思ったのが、「これだけの強豪が揃っても、結局は1校を除いてみんな負けるんだな」ということであった。当たり前のことに大会直前に気がついたほど、自分はこの大会に入れ込んでいたのである。
開会式を見つめる蔦監督。まさに時の人だった。
これだけ強豪が多いと、抽選が優勝争いに大きく左右することは自明である。だから1回戦の抽選の時もおおいに緊張した。ビッグセブンのうち、横浜商と中京が東ブロックであるから、いきなり横浜商−箕島、中京−池田といった組み合せになったらどうしようかとドキドキものであった。
横浜商が初日に決まっていたのになかなかその相手が決まらず、興南がクジを引いた際に、「第1日目…」と読み上げられた時は、思わず声が出てしまった。この辺は高校野球ファンには理解していただけるであろう。
結局、7強が1回戦から顔を合わせることはなかったが、2回戦からの登場が高知商だけであったうえ、PL、東海大一、岐阜一も1回戦を戦うことになったので、「これは2回戦の残りの組み合せが大問題だな」と、早くも残り2回戦の抽選に思いは馳せた。
7強の先陣を切って甲子園に姿を現したのは、開幕戦に登場した横浜商であった。横浜商は選抜に引き続いて開幕戦に登場ということになったが、こういうのも珍しい。
横浜商は昨年の選抜に出場した時も、開幕戦ではなかったが初日に登場している。横浜商はよほど初日に縁があったのだろう。7、8年前、岡山東商がやたらと初日に試合をしていたが、こういうことは続く時は続くものなのかもしれない。
横浜商のエース・三浦。カーブの切れ味は抜群だった。
その横浜商の初戦の相手は、春季九州大会を制した鹿児島実業。スケールこそ小さいものの、投打にまとまった鹿児島実は組しやすい相手ではなかったが、総合力を高く評価されていた横浜商の優位を動かないところであった。
実際、鹿児島実のアンダーハンドの竹之内を初回、西村・中村の3塁打などで攻めつけ、横浜商はにあっという間に4点を先取。そのいっぽう、鹿児島実の久保監督が、「三浦君から1点取れるかどうか」と懸念していた通り、5回まで鹿児島実はパーフェクトに封じられていた。
しかし、4点を取ったあと横浜商は打線が淡白になり、追加点が取れない。そのうちポツリポツリとランナーを出すようになった鹿児島実は6回に1点を返す。それでも9回表を終わって4−1。誰もが横浜商の順当勝ちを思っていたところ、サード・林のまずい守備などで鹿児島実はワンアウト満塁のチャンス。ところが、4番・阿久根はピッチャーゴロ。投−捕−一のゲッツーと思ったが、キャッチャーの森屋の一塁送球が逸れ、バッターランナーは一塁セーフ。この間にセカンドランナーが好走塁を見せてホームインして2−4。
続くツーアウト1、2塁の場面で、鹿児島実の久保監督は無謀とも思えるダブルスチールを指示。が、これが決まって、一打同点のチャンスとなった。しかし、5番・村田の打球はキャッチャー前へのゴロ。一塁へ送球したのを見た羽佐間アナも思わず、「試合しゅうり…」と言いかけたが、森屋の一塁送球は暴投となり、ランナー2人が返って同点。そして、なおもツーアウト2塁。
同点のツーアウト2塁、6番・上釜がカーブを狙い打ってセンター前へヒット。解説の松永氏も絶叫したが、セカンドランナーはサードで自重。続く打者はインコースのストレートでショートフライに倒れ延長戦に入ったが、流れは完全に鹿児島実にあったといえよう。
10回表、ワンアウトから三浦自らがヒットを打ったが、続く森屋のバントで三浦が二封されるという嫌な展開。しかも、このバントを竹之内がセカンドへ送球した同時に羽佐間アナが思わず、「んと、これはまずい」と言ったほど、限りなくフィルダ−チョイスに近いプレーだったのだから。
この際どい判定で横浜商はチャンスを逃したかに見えたが、9番・林の打球は右中間へ。ツーアウト1塁では外野は深く守るのがセオリーだが、このバッターに長打はないと思ったライトが極端に浅く、本来ならライトフライの打球が右中間を抜け、思わぬ形で横浜商が1点を勝ち越した。
やっと追いついたと思ったのも束の間の失点。しかも、相手は三浦。鹿児島実にもう反撃の余力はなかった。結局、なんとか5−4で勝利を収めた横浜商であったが、打線の淡白さと捕手の肩が弱いことが露呈された試合であった。ただ三浦のカーブの切れ味は相変わらず素晴らしいものがあり、打線も春よりは逞しくなっていたのは間違いなかった。
続いて登場した優勝候補の一角・興南も大苦戦を強いられた。相手が長野商という全くノーマークの相手であったことから組し易しと思ったのだろう。大振りを繰り返した打線がアンダーハンドの高橋にかわされ、点が取れない。しかもその間、振り逃げとエラーで3塁まで進んだランナーをスクイズで返され、1点を先行されてしまった。
これで、さらに興南打線は焦った。ノーアウトから出たランナーが盗塁を敢行してアウトになるなど、足に溺れる恰好で6回までゼロ行進。この間1安打だけだったのだから、ノーアウトからの盗塁失敗は致命傷になる感も漂った。
しかし、7回裏、ツーアウトながら四球とポテンヒットのランナーを置いて、9番の2年生・島袋が起死回生のタイムリーを打ってようやく興南は同点に追いついた。
同点になって楽になったのか、興南打線に徐々にヒットが出るようになり、10回裏、4番の仲田秀司が左中間にサヨナラタイムリーを打って決着。
伏兵相手に信じられないような興南の苦戦であったが、仲田幸二の相手打線を3安打17三振に封じた投球は素晴らしく、攻撃陣が足に溺れなければ、どんな強豪相手にも互角にやれるという力強さが感じられた。
大会2日目の第1試合で登場してきたのは、蔦監督が最も警戒していた箕島。相手は、大会前に全く話題にならなかった山梨代表の吉田であった。しかし、第1戦の緊張からか、箕島打線は一様に低調で、左腕・三浦の打たせて取る投球にまるでタイミングが合わず、凡打の山。ベンチの尾藤監督も再三天を仰ぐという考えられないような打線の不振。
そうこうしているうちに、3回には8、9番に吉井が連続長短打を浴び、1点を先取された。さらに5回表にもヒット2本と犠牲フライで1失点。いくら朝の第1試合で体が起きていないとはいえ、吉井が無名校に2失点とはいささかショックであった。というのも、前年選抜のPL戦で、佐藤、清水、久保田といううるさい1〜3番を三者凡退に退けた吉井の力強い投球を見ていたからである。
しかし、このまま終わる箕島ではない。7回裏に5番・硯がソロホームランを打って1点を返すと、9回裏は先頭の3番・勘佐が芸術的なバッティングでライト線にツーベースを放った。このチャンスに、左対左で全くタイミングの合っていなかった4番の山下はバント。これが決まって、箕島はワンアウト3塁のチャンスを持った。しかも、前の打席でホームランを打っている硯が打者であった。
ところが尾藤監督は、1−3から硯にスクイズを指示。誰もが意表をつかれた作戦であったが、あろうことか吉田バッテリーにはずされてしまった。そして、三本間に挟まれた勘佐はあえなくタッチアウト。前年選抜のPL戦でのスクイズ失敗を思い起こさせる悪夢のようなシーン。
誰もが箕島の敗退を思った刹那、低めのボールのストレートを硯が掬い上げた。そして、そのまま一直線にバックスクリーン横へに飛び込む同点ホーマーとなった。まさに星稜戦を思い起こさせるような奇跡の同点ホーマー。それも、スクイズ失敗で自分の目の前でランナーが殺された直後の一球を打ってのものなのだから…。硯の精神力は例えようのないものであった。
延長戦に入ってしばらく膠着状態が続いたが、13回表、一塁から捕手に回っていた勘佐の送球ミスで吉田が1点を勝ち越し。箕島はまたも追い詰められた。
しかし、その裏、ワンアウトから勘佐が根性のセンター前ヒット。ここで尾藤監督は、この試合2ホーマーの硯にすべてを託すべく、山下に送りバントのサインを出した。山下はまたしてもうまくバントを転がす。バントを処理した3塁手は一塁に送球したが、これが大暴投。箕島は労せずしてワンアウト2、3塁のチャンスをもらった。
ここで吉田バッテリーは硯を敬遠。6番・河村との勝負に出た。河村の打球はショートへの真正面のゴロ。が、バックフォームを焦ったショートがお手玉で同点。そして7番の角田が三遊間へ。
ついに決着したが、吉田としては悔やみ切れない敗戦となった。しかしながら、秋の関東大会1回戦で横浜商に1−8とコールド負けした吉田の2年生左腕・三浦の見事な成長ぶりは大いに称賛された。
それにしても、薄氷を踏むような箕島の勝利であった。今日のような試合ぶりでは、とても打倒・池田は無理と思われた。ただ裏を返せば、九死に一生を得た今日の勝利で逆に勢いづくことも十分に考えられた。
大会3日目。いよいよ大注目の池田が登場してきた。相手は群馬代表の太田工。もし群馬代表が前橋工だったらと思ってしまったが、太田工のエース・青柳は池田が苦手とする左腕。それだけに予選であまり当たりの出なかった池田打線の試金石となると思われた。
珍しく池田が後攻となったが、1回表、ツーアウト1、2塁からタイムリーが出て、なんと太田工が1点を先取。水野は甲子園で初めてタイムリーを打たれ、初の自責点を記録した。
この1点で試合は面白くなるかと思われたが、その裏、坂本、江上、水野のヒットにより、あっさり同点。さらに2回裏には井上のスクイズで逆転。あとは井上にホームランが出るなど一方的な展開となり、結局、8−1で池田が大勝した。
8点は取ったものの、池田のヒットは叩きつける打球でのものが多く、昨夏のような凄まじい金属音を響かせてのヒットは少なかったのが物足りなかった。また水野の球にスピードが感じられず、選抜時のような迫力が失せていたのが気になった。
3日目の第4試合には、昨夏の準優勝校で今大会も優勝争いに加わると見られていた広島商が姿を現した。相手がC評価の中越だけに広島商が圧勝するかと思われたが、とんでもなかった。
相手エラーに恵まれて前半4−1とリードした広島商であったが、終盤に中越の猛反撃に遭い、終わってみれば5−4の辛勝。エース・沖元が終盤に息切れしたのが苦戦の最大の原因だが、試合終了時に感極まった広島商の応援団を見て、「こんなところ相手に応援団が泣くような試合をしてるようじゃ、広島商もいかんな」と思わず呟いてしまったほど広島商の苦戦は受け入れ難いものであった。
大会4日目の第3試合、不気味な存在のPLが所沢商と対戦した。毎日新聞では、「5年前の逆転のPLを彷彿とさせる好チームで有力候補の一つ」とPLを評価していたが、朝日新聞は打線を買っているだけで、PLのことなどほとんど歯牙にもかけていない感じであった。
とはいえ、自分にとってPLは物凄く怖い存在であった。というのも、夏の大会に5年間出て来なかったものの、昨年、一昨年と選抜を連覇したことから、PLが甲子園で負けたのをもう何年も見ていなかったからである。そして、その粘りを脅威に感じていたからである。
ただエースと4番が1年生と聞いていたので、「1年生をベンチ入れさせないのが不文律のPLが1年生に頼るとは、今年はたいしたことないのかもしれないな。ま、来年以降はその1年生2人に苦しめられるかもしれないけど」と、ある程度は高をくくっていたのも事実であった。
しかし、1回裏のマウンドに上がった1年生・桑田の投球練習を見てびっくりした。きれいなフォームから切れの良い速球をビシビシ投げ込んでいたからである。「さすが大阪大会で自責点0だなと思った」のと同時に、その顔を見て、「うわぁ、なんて険のある顔をしてるんだ。この男を生涯応援することはないな」と直感的に思った。
実際、桑田の投球は素晴らしかった。ストレートは速く、切れ・コントロールとも抜群。カーブも大きく、これは池田もある程度も打ちあぐむかもしれないと感じた。
※当時から桑田のストレートは140kmを超え、今大会では宇部商の秋村の次に速かったそうである。
※全国で最も若い高校生・桑田。「天才野球少年」とは彼のこと。
試合は長打力抜群とされたPL打線がなかなか火を吹かず、6回を終わって0−0。「1年生を4番に据えているくらいだから、今年の打線はたいしたことないのかな」と思い始めていたら、7回表、堰を切ったように加藤、朝山、森上らがヒットを連ね、あっという間にPLが4点を先取。その打球の鋭さには目を見張るものがあり、「これは一度きっかけをつかんだら止めることは難しいな」と、やはりその打線が強力であることを認識したもんであった。
終わってみればPLの6−2であったが、スコア以上にPLの甲子園での強さが印象に残った試合であった。しかし、桑田が終盤に息切れしたのを見て、「これは大会終盤まではもたないな」とやや安心した。
※桑田が4月1日生まれであることはあまりも有名である。それで、西田アナが桑田のことを、「全国で最も若い高校生」とアナウンスしたが、桑田は当時中学3年生みたいなものであったのだから、あらためてその天才ぶりには舌を巻いてしまう。
※この年のPLは、5月の練習試合で箕島に1−9と大敗したことから、チーム編成を大きく変えたという。それまで4番を打っていた池部をトップに持っていき、1番だった主将の朝山を5番にして、1年生の清原を4番に据えたのである。ちなみに、その年の選抜に優勝旗を返還にしにきた時の朝山の背番号は5、副将の池部は3をつけていた。
※中村監督は選抜の連覇を成し遂げたが、夏の甲子園を逃し続けたことからクビ寸前だったらしい。そして、1年生の2人を主力に据えたことで風当たりがさらに強くなったという。しかし、清原のティー打撃を見て、震えるほど凄いと感じた中村監督は、口うるさいOBや教団関係者の声に耳を貸さなかったという。とはいえ、中村監督が自由に振舞えるのはベンチでの采配ぐらいで、監督とは名目上のものだけだったのいうだからお気の毒である。しかも、当時の給料は手取りで18万しかなかったという。
PLに続いて第4試合に登場したのは、ファンの多くが打倒池田の旗頭と思っていた中京であった。相手は福井代表の北陸高校。試合は中京が圧勝したが、野中が最終回に4安打を浴びて1点を取られるなど、もう一つピリっとしない内容で杉浦監督も、「強豪がみんな苦戦するので野中も意識してしまった」と冴えない表情だった。
4番でエース、そしてキャプテン。まさに中京の大黒柱・野中。
※高知商以外の有力校の初戦が終わった時点で、朝日新聞が「優勝候補にもアキレス腱」という特集記事を組んだが、近年の朝日新聞にこのような記事が掲載されないのは極めて残念である。その記事には、PL、岐阜一、佐世保工が優勝候補を脅かす存在と書かれていた。
苦戦したチームは多かったものの、とりあえず優勝候補の高校がすべて勝ち進んだことから、残り2回戦の組み合せが大注目となった。なにせビッグセブンのうち6校がクジを引くのだから。
その結果、興南と広島商が顔を合わせることになった。そのほかの優勝候補は、横浜商が香田の佐世保工と対決する以外は組しやすい高校が相手となった。これには何かホッとしたものだった。
さて、ここで帝京−宇部商の試合に触れておきたい。選抜で池田に木っ端微塵にされた帝京は、パワーを増して甲子園に戻ってきた。その打線の成長ぶりはこの試合で豪腕・秋村を打ち込んだことで証明されたが、リリーフに出た山下が最終回に逆転ホームランを食らってサヨナラ負けを喫してしまった。
サヨナラ負けにバツが悪かったのか、試合終了後、帝京ナインは照れ笑いを浮かべていたが、それを見た前田監督が、「応援団が泣きながら帰ったのに、なんでお前ら選手がヘラヘラしてんだ」と一喝した。キャプテンも大見は、「あれは効きました」と、反省していたというが、たまには前田監督もまっとうなことを言うらしい。
※ところで、今大会のNHKの実況は、1、2回戦においてやたらと若手のアナウンサーが起用されたが、あまり場慣れしていないアナウンサーが多く、視聴者からクレームのオンパレードだったという。中でも、帝京−宇部商のアナウンサーがひどかった。帝京が3点リードしての中盤、帝京のエース・山田が、ノーアウト1塁で打者がノースリーから高めにとんでもないボ−ル球を放って、ノーアウト1、2塁にピンチを広げてしまった。フォアボ−ルを出した瞬間、アナウンサーが解説の松永氏に、「今のはピッチャーがあきらめたんですか?」とアホな質問をした。当然の如く、「いやいや。今のはコントロールが定まらなかっただけですよ」と松永氏は強い口調で返したが、こういう野球を知らないアナを使ってはいけない。大会も中盤以降になるとNHKもさすがにまずいと思ったのか、土門、島村、高山といった手馴れたアナウンサーに実況を担当させるようにした。
大会6日目に、ビッグセブンのしんがりとして、高知商が秋田と対戦した。試合は前半高知商が鋭い攻撃を見せ、5−1とリードしたが、終盤に津野が乱れ、結局5−3と今一つの内容で終わった。その試合の解説を担当した山本英一郎氏も、「明徳に勝ったと聞いて高知商を打倒池田の有力候補と考えていましたが、今日の試合を見る限り、その可能性は低いですね」と高知商に失望していた。終盤打たれた津野は、「強豪がみんな苦戦するから力んでしまった」と言っていたが…。
大会はいよいよ7日目に入り、強豪が再び甲子園に登場してきた。まず真っ先に登場したのは箕島であった。箕島の2回戦の相手は、1回戦不戦勝の駒大岩見沢。選抜ベスト8の駒大岩見沢だけに1回戦で不調だった箕島に一泡ふかせるかと思ったが、この試合の箕島は本来の力を発揮し、スコアこそ5−3だったが、完勝に近い内容でようやくその実力を見せた。
同じ日、中京も8−3で岡山南をねじ伏せた。野中が多少打たれたのが懸念されたが、立ち上がりに速攻を見せた打線は鋭く、打倒池田の可能性大いにありと思わせる内容であった。
9日目は池田が登場することで多くの観衆が詰め掛けたが、それより注目されたのは、第1試合終了後に行われる3回戦の組み合せ抽選であった。池田以下、強豪がすべて残っていたことから、例年にも増して抽選時には緊張してした。息を飲むとはまさにこの時のことを言うのであろうが、この心境にも高校野球ファンなら共感していただけるだろう。
相変わらず、第1試合の勝利監督インタビューで肝心なところを見られずイライラしたが、抽選の結果を見て絶叫してしまった。池田−高鍋の勝者が興南−広島商の勝者と対決することが決まっていたからである。そして、箕島−高知商の組合わせにもがっかりした。
その他の強豪はPLも含めて散ったが、翌日の朝日新聞の記事にもあるように、まさに、「優勝候補同士、早くも激突」という感じになった。中でも池田と興南が顔を合わせるのが残念であった(この時点では、興南が広島商に勝つものと思っていた)。池田は心底応援していた高校であったし、興南にも沖縄代表として頑張ってほしいと思っていたので…。
さて池田−高鍋であるが、この試合では池田が本領を発揮した。初回、ツーアウトランナーなしから江上以下が4連打し、早くも2点を先行。太田工では今二〜三であった水野も、相手が10点打線といわれた強打の高鍋で気合が入ったのだろう、1回戦とは見違えるピッチング。剛速球がうなりをあげて高鍋打線を寄せ付けない。
その後も打線が打ちまくり、水野も9回に4番の横山にレフトに大きな当たりを打たれ思わずしゃがみ込むご愛嬌を見せたが(結局、球威に押されてのレフトフライ)、4安打完封に高鍋打線を仕留めた。
この池田の勝ちっぷりを見て、3連覇は確実と思った人は多かったのはあるまいか? しかし、問題は明日の興南−広島商との勝者の対決であった。とくに興南は5月の練習試合で完敗した相手だけに、興南が出てくるとしたら、その試合が3連覇への難関になることは明らかであった。現に蔦監督も、「そりゃ、広島商の方がやりやすいわな」と言っていたくらいである。
大会9日目は、注目の高校が続々と登場してきた。第1試合は、注目の興南−広島商。戦力からしても、1回戦の戦いぶりからしても興南が有利と思われたが、この試合では広島商が持ち前のしぶとさを発揮した。
この両者は前年の大会でも顔を合わせていた。その時は興南が2−0とリードしながら、6回に仲田幸二が突然フォアボールを連発し押しだしで1点を与え、さらに続いた満塁のピンチにストライクを取りにいったところを5番の佐々木に走者一掃のツーベースを打たれ、逆転負けしてしまったのである。その試合で仲田が打たれたヒットは2本だけだったのだから、興南としては痛恨の敗戦であった。
広島商の先発は1回戦不調のエースの沖元ではなく、2番手の吉本であった。これでますます興南有利かと思われたが、興南打線になかなか決定打が出なかった。それでも常に先行し、6回表に1−1から2点を勝ち越した時は、仲田の出来から勝負あったかに見えた。
しかし、その裏、ショート・平田の落球で出たランナーを3番・正路の2塁打で1点差にされ、さらに正路もスクイズで返され、すぐに同点に追いつかれてしまった。
その正路のヒットはチーム2本目のヒットであったし、2回の同点も仲田の押し出しによるものであったのだから、仲田は昨年の二の轍を踏んだ恰好になった。
こうして試合は3−3で8回裏を迎えた。仲田はワンアウトから4番の西川にこの日3本目のヒットを打たれたが、5番の中村の三振に仕留めた。続く打者は守備を買われてこの日先発に起用された165cmの2年生・立川。それで油断したのか、初球、ストレートが甘く入った。これを立川が叩いて左中間に勝ち越しの3塁打。
9回の興南の攻撃もリリーフに出ていた沖元にかわされ、「沖縄県史上最強のチーム」、「負ける要素はどこにもないチーム」と言われた興南は早々と甲子園から姿を消すことになった。そして、ここに昨年夏の決勝戦のカードが再現されることが決定したのであった。
それにしても仲田は勝負弱い。ヒットはほとんど打たれないのに、肝心なところで痛打されてしまうのだから(これは阪神に入っても変わらなかったが…)。救いは、試合後、「広島商にはこれからも頑張ってもらいたい」と仲田が悪びれずに話していたことであった。
第2試合では、横浜商が佐世保工に6−0で快勝した。投手力は互角と言われたが、この日の横浜商は1回戦の鹿児島実戦とは全く別のチームであった。三浦が佐世保工打線を寄せ付けない一方、打線もソツなく香田を攻略し、総合力は随一とされた試合巧者ぶりを横浜商がいかんなく発揮した試合であった。
続く第3試合は、PL−中津工。中津工に番狂わせなど望むべくもなかったが、意外や意外、5回を終わって両チーム無得点。しかも、それまでPLが放ったヒットは、2回の朝山の1本だけ。いくら中津工の大成がうまいピッチングをしていたとはいえ、予想外のPLの貧攻。しかし、1年生エース・桑田の出来は大成以上で、どう考えても先に崩れるのは大成の方だと思われた。
そしたら案の定であった。6回裏、ヒットの桑田をワンアウトからトップの池部が慎重に送ってきた。「うわぁ、嫌なことをやってくるな」と思ったその直後、2番の左打者・神野(かんの)がセンター前へ先制のタイムリー。この1点で帰趨が決まったも同然であった。7回には山中と桑田のタイムリーで2点、そして8回には桑田にスリーランホーマーが出るなどして4点が加えたPLが7−0で完勝。
いくら相手が弱小で、この試合も勝ち味が遅かったとはいえ、PLが優勝戦線を脅かす存在であることは誰の目にも明らかであった。
かくいう自分も、この試合中に、「選抜で池田がキャッチャーの井上がケガして優勝したから、うちも優勝かな(1回戦の所沢商戦で正捕手の森上がケガをして、以降試合にでられなくなった)」というPL関係者の談話を聞いた時、「何を虫のいいこと言ってやがる」と思ったが、桑田の好投ぶりと打線の破壊力に、もう安穏な気分ではなくなっていた。さらに、森上がケガしたことでPLの戦力がダウンしたと思ったのが大きな間違いだったことも後に知ることになる。
大会はいよいよ10日目、16強の対決に入った。ここまでビッグセブンのうちで敗退したのは、ビッグセブン同士の対決に敗れた興南だけ。さらに、PL、岐阜一、東海大一、市尼崎といったダークホースも、荻原(仙台商)、秋村(宇部商)、山田(久留米商)などの評判の剛腕投手も残った。こうしたことから3回戦は注目カードばかりとなった。
3回戦最初の試合は池田−広島商であった。前年の決勝戦と同じカードが翌年に実現したことは史上初めてのことだったという。昨夏は池田の引き立て役となった広島商であったが、今年は昨年よりもチーム力が上がっており、昨年のようなことにはならないと思われた。しかし、今年も実力は池田が上。広島商が勝つには、沖元が低めを丹念について最少失点に押さえ、接戦に持ち込むしかない。
しかし、その目論みは序盤で早くも破綻する。2回表、水野に先制のソロホーマーが出たのだ。小雨が降るなか、ベースを足早に回ってきた水野にとって、今大会初めて初回の攻撃が無得点に終わっただけに(それも三者凡退)、自らが挙げた1点は意義の大きなものであった。そして広島商の沖元とすれば、一番打たれてはならない相手に打たれた恰好となった。
自らが叩き出した1点とあって、水野の右腕は高鍋戦同様に冴えた。3回に沖元に詰まったヒットを打たれた時も苦笑いを浮かべる余裕を見せるほどで、「いくら広島商打線がパワーアップしているとはいえ、水野を打つのは無理だな」という感じであった。
そして4回表、池田は3点を追加する。江上がフォアボールで歩いたノーアウト1塁から当然の如く、水野は強打。水野は詰まりながらもセンター前ヒット(これで、水野は今大会12打数10安打なのだから、凄いとしかいいようがない)。ノーアウト1、2塁でどうするのかなと思ったが、蔦監督はこれも当たり前のように5番の吉田に強攻を指示。吉田は期待に応え、センター前へクリーンヒット。これでチャンスはノーアウト満塁に膨らんだ。
ノーアウト満塁でも次の打者がなんとかしないと大量点にならないものであるが、ここで沖元は一番まずい押し出しのフォアボールを6番の山田に与えてしまった。まさに昨夏の決勝戦で池本が押し出しのフォアボールを出した場面が甦るシーン。そしてなおも続いたノーアウト満塁から、7番の高橋がショートへ強烈な打球。これを名手・豊田が後ろにそらし、池田がさらに2点を追加。計、4−0となった。
いかにしぶとい広島商とはいえ、絶好調の水野相手に4点は致命的。もはや先が見えた感があった。ところが、5回表、大会の流れを変えるようなアクシデントが起こった。なんと水野が投球を頭に直撃されたのだ。
モロにヘルメットに打球を受けた水野は打席で昏倒してピクリとも動かない。球場全体が凍りついた。特別代走が送られたが、もしこのまま水野が降板ということになったら、控え投手は1年生の片山だけであったから、4点のリードなどないに等しくなる。果たしてどうなることかと思われたが、5回裏も応急処置を終えた水野がマウンドに立った。
しかし、水野はそれまでとは明らかに別人であった。気力だけで投げているという感じで、4回までの球の勢いはなくなっていた。そして案の定、広島商の反撃を受けてしまった。まず、ツーアウト3塁から、9番の永田が流して打っての3塁打で1点が入る(水野が小柄な右投左打ちの打者に長打されること自体、いかに脅威が落ちていたかという証左であったろう)。続く豊田もレフト前へタイムリー。
これで4−2となったが、水野が甲子園で2点を取られたのは初めてであった。もちろん、1イニングに2点を与えたことも初のことだった。さらに2番の相島もフォアボール。以下にクリーンアップが登場することから、一気に同点、逆転も考えられたが、3番の正路の強烈な打球は3塁真正面へのライナー。この回の失点を2点に止めたが、もしこの打球が左右どちらかにそれていたら、池田はこの試合を落としていたかもしれない。
なんとか追加点を奪いたい池田は7回、トップ・坂本がスライダーを強引に引っ張りレフト前ヒット。さらに、2番の金山が歩いてノーアウト1、2塁のチャンス。しかし、ここで強攻に出た江上が浅いセンターフライ。続く水野も、デッドボールの影響か、それまでの猛打がウソのような気のないスウィングで三振。これでチャンスは潰えたかと思われたが、吉田が快打一発。内角のシュートを思い切り引っ張り、レフトスタンドへスリーランホーマー。4−2が一気に7−2になり、気力だけで投げていた水野もこの援護点をバックに、以降の広島商の攻撃を8回の1点だけに抑え、終わって見れば池田の7−3の順当勝ちであった。
躍進池田の立役者の1人・吉田。大事なところでよく打った。
しかし、5回に水野が受けたデッドボールが暗雲を漂らせた。翌日は試合がないとはいうものの、優勝するにはあと3試合、それに3連戦を勝ち抜かないとならない。しかも、箕島、中京、横浜商、高知商にPLと、いずれおとらぬ強豪がズラリと残っていたのだから。
デッドボールを受けて倒れ込んだ水野は、「何がなんだか、わけがわからなかったです。以降、投げる度にピっという鋭い痛みが脳に走りました」と、その衝撃の凄さを振り返った。
実際、デッドボール以降、水野はスライダーでごまかすピッチングになり、以前の迫力がなくなってしまった。大会後、水野は、「デッドボ−ルは投球には関係なかったです」と沖元をかばう発言をしたが、蔦監督は、「あれだけのデッドボールを受けて影響が残らないわけがない」と、怒りを顕わにしていた。当時、自分を含めてあの試合を見た者の多くが、「ビーンボールに決まっている」としたが、それは冤罪だと信じたい。
※右利きの人間は、左脳の命令によって体を動かす。したがって、右打席に立って左脳にデッドボールを受けた水野に、デッドボールがどれほどの悪影響を与えたか想像に難くない。
第2試合では、地元の市尼崎が序盤に背筋を痛めていた久留米商の剛腕・山田から4点を奪いリードしたが、8、9回に2年生左腕・宮長が崩れ、逆転サヨナラ負けを喫してしまった。それだけに第3試合登場のPL学園に地元の期待が寄せられることになった。
PL学園の相手は、選抜ベスト4の東海大一。今大会の東海大一は、1回戦で兄弟校の東海大二を12−0、2回戦で鳥栖を7−1と降していた。相手に恵まれたとはいえ、好投手・杉本康徳は評判通りの好投を見せ、打線も強打を炸裂させていたことからPLとの対決が注目された。
しかし、エースの杉本康徳が肘痛を再発させ、先発を回避。双子の兄が先発してきた。これで東海大一が圧倒的に不利な立場となった。一方のPLも、桑田が前日からの連投になることから、先発を背番号1の藤本に託した。とはいえ、これは作戦的なもので、互いにエースが先発しなかったものの、心理的にはPLがはるかに優位に立っていたのは間違いなかったであろう。
それまで勝ち味が遅かったPL打線であったが、この日は速攻を見せた。初回に2点、2回に3点と、早くも2回を終わって5−0とリード。これで、東海大一打線が焦った。さして好投手とは言えない藤本を打ち込めない。6−1となった5回からエースの杉本康徳が登板し、杉本康徳は5回を1安打に押さえるピッチングを見せたが、時すでに遅し。8回からリリーフした桑田に反撃をかわされ、ここに選抜ベスト4の東海大一は甲子園を後にすることになった。そして、これでPLは侮り難い存在というより、完全に優勝候補に上がったといえよう。
※それにしても、中村監督の投手起用には恐れ入る。このようなエースを後半に投入する継投は前年選抜の浜田戦でも見せたが、今回もそれがズバリと成功するとは…。
第4試合は、中京が、変則派の相手エース・荒井に手を焼いたものの、野中がセカンドの落球による初回の1点を守り切って、1−0で宇都宮南を降した。この試合の野中は今大会始めて本来のピッチングを見せ、この調子なら池田打線にも十分通用すると思わせた。
大会11日目の第1試合は、優勝候補同士の箕島−高知商の対決。チーム力はほぼ互角も、現チーム同士の対決では箕島が3連勝しており、2回戦の駒大岩見沢戦との戦いぶりからも、箕島が優勢と思われた。しかし、吉田戦でもそうだったが、朝の第1試合ということで吉井が乱調であった。さらに懸念された守備も記録に表れないミスを連発し、1回裏に2点を高知商に先行された。
しかし、箕島も2回に反撃。すかさず1点を返したが、バントミスと走塁死で4安打で1点に終わったのが痛かった。2回裏も吉井は不調で、ツーアウトランナーなしから、2つの四球とヒットで満塁をピンチ。このチャンスに4番の津野がレフトラッキーゾーンへ。風に乗ったこの一発で、箕島の緊張の糸が切れたようだ(後に、吉井も「あの一発は、今も忘れられないほどショックなものだった」と述懐している)。箕島は4回に1点を返したものの、打線が早打ちを繰り返し、津野を楽にしてしまった。
こうして朝日も毎日も打倒池田の一番手に挙げていた箕島は、池田と対戦する前に姿を消したのであった。
ビッグセブンのうち3校は姿を消したが、大注目の池田が残っていることもあり、第1試合後に行われたベスト8の抽選も大いに注目された。水野があんなデッドボールを受けたばかりなので少しでも楽な相手になってほしいと願ったが、よりにもよって中京が相手とは…。箕島が敗れ去った今、池田の3連覇への最大の難敵は中京であるというのが衆目の一致であった。
そして、高知商とPL学園が顔を合わせることも決まった。5年前同様、今回も実力伯仲と見られたが、「PLが勝つよ」と弟にすぐさま断言したほど、完全にPLを脅威に感じていた自分であった。だから池田の相手が中京と知った時は、「PLよりはいいな」と思ったもんである。
第2試合は、横浜商が速球派の小椋をいとも簡単に攻略して大勝。続く第3試合は、荻原(仙台商)、秋村(宇部商)という左右の剛球投手同士の対決が興味を呼んだが、この試合は秋村が絶好調で、自らのツーランもあり、宇部商が3−0で完勝した。
それにしても、秋村は速かった。解説の池西増夫氏が、「秋村君、甲子園で初めて本領を発揮しましたね」というほどの出来では、好打線の仙台商としてもいかんともし難たかった。ただ、敗れたりといえども荻原の重い速球は素晴らしく、荻原は全日本メンバーに選出された。
第4試合では岐阜一が素晴らしい野球を展開して印旛を5−0で破り、ここにベスト8が出揃った。
そして迎えた準々決勝。第1試合が事実上の決勝戦と目された池田−中京ということで朝から甲子園は超満員。こんなことは後にも先にも記憶にない。
物凄い熱気の中で始まった試合は、初回から池田打線が野中を打ちまくる。初回は江上の痛烈な当たりがセカンドライナーのゲッツーになる不運で無得点に終わったが、2回表、吉田の2塁打と山田のタイムリーで池田が1点を先取。さらにノーアウト1塁から高橋がセンターオーバーに鋭い打球を放った。これはセンターの今井が好捕したが、ツーアウトから9番の井上が目の覚めるような打球をライト前に放った。しかし、1番の坂本がピッチャーゴロに倒れ、結局、2回は1点止まりに終わった。
広島商戦で受けたデッドボールの後遺症が懸念された水野であったが、相手が野中ということもあり、この試合は気力で踏ん張った。この試合ではスライダーが組み立ての中心であったがその切れ味は鋭く、中京打線はついていくことができない。
その後も野中から快音を連発する池田は、5回表、井上が野中の速球をライト前へ痛打。さらに坂本がセンターオ−バーにツーベース。しかし、3塁を回った井上はホームで憤死。これで流れが変わった。
その裏、ヒット、盗塁、バントで中京はワンアウト3塁のチャンスを迎えた。バッターが2番の安藤だったのでスクイズも考えられたが、安藤はうまいバッティングでスライダーをレフト前へ運び、1−1の同点に中京が追いついた。続く3番の鈴木も3塁頭上を抜く安打。しかし、野中が併殺打に倒れ、この回は1点のみで終わった。
※野中は前の打席でもワンアウト満塁から一塁ゴロ併殺打に終わっていたが、この時、微妙なジャッジがあった。打球を取ったファーストの高橋がベースを踏んで、まずワンアウト。それからバックフォームしてサードランナーの快速・今井をタッチアウトにしたが、井上のタッチの前に今井の手がベースに触れていたのは明らかであった。アウトを宣告された今井が信じられないといった感じで両手を腰に手をやって立ち尽くしていたのが印象的だった。
1−1になってから、さらに試合は白熱した。7回表、ツーアウト1塁から金山がライト前ヒットで、池田はツーアウト1、3塁のチャンス。本来なら江上の一打に期待するところだが、蔦監督は予選の決勝戦で成功させたダブルスチールを敢行させた。しかし、これは中京バッテリーの読みの範疇にあり、キャッチャーの偽投で飛び出した坂本がアウト、池田はチャンスをつぶした。
7回裏、今度は中京がチャンスを迎えた。先頭の5番・紀藤がセンターオーバーに痛烈な2塁打。続く長島がバントを決め、チャンスはワンアウト3塁と膨らんだ。
ここで7番の佐々木は初球を狙った。しかし、三塁ライン上へのボテボテのゴロ。マウンドを降りてきた水野が機敏な動きで、ホームに向かって来ていた紀藤にタッチしてアウト。池田は大きなピンチを逃れたが、このプレーを見ていた中京の杉浦監督は「何やってんだ」とどなった。スクイズのサインを出す前に打ってしまった佐々木に怒ったのか、走塁死した紀藤を咎めたのかはナゾだが、その気合の入り用には見ていた方がびっくりしたもんであった。
試合はついに9回を迎えた。蔦監督は9回に入った際、この試合2安打と野中に完全にタイミングが合っている井上を呼び寄せ、「山田か高橋が出たら松村で送って、お前で勝負するからな」と喝を入れたそうである。しかし、その前に勝負は決着した。7番の高橋が2−3から高めのクソボールをレフトスタンドに叩き込んだのだ。打った瞬間にホームランとわかる凄い当たりにマウンドの野中もしゃがり込んでしまった。
高橋にホームランを打たれて苦笑いの野中。
この土壇場でこんな凄いホームランが出るのだから、池田打線の勝負強さはたとえようもなかった。解説の福島敦夫氏も、「すべての要素が出ていたこの試合でたった一つ欠けていたホームランが出ましたねぇ」と興奮を隠すことができなかったように、まさに乾坤一擲のホームランであった。
さすがの野中もこのホームランに動揺したのだろう。8番の松村に甘いストレートを左中間に3塁打された。蔦監督の喝を意気に感じていた井上は、このチャンスに初球を一、二塁間突破のタイムリー。ちょっとバントの構えをしてからの強烈なヒットは猛打・池田の真骨頂であった。
この3点目で完全に勝負あった。水野は9回の中京の攻撃を3者凡退に仕留め、池田は最大の難関を突破。この瞬間、池田の3連覇を確信したファンは多かったことだろう。
残る強敵は高知商、PL、横浜商であったが、このうち高知商は現チーム同士で池田に4戦全敗だったし、横浜商も選抜の決勝戦で池田に0−3で完敗している。また、PLも池田の迫力に及ばないと思われた。事実、あくる日の日刊スポーツの一面は、「池田、大旗見えた」であった。
自分もあらためて池田の底力を再認識したが、PLの脅威を拭い去ることはできなかった。だから、その後の抽選で池田が高知商−PLの勝者と準決勝で顔が合わないように願ったのだった。
準決勝の抽選は短いのであっという間に終わる。この時も蔦監督のインタビューの前に終わった。
まず準々決勝の第1試合で勝利した池田の江上主将がクジを引いた。その結果、池田は準決勝の第1試合に決まった。続いて岐阜一−久留米商の勝者。この勝者が最も楽な相手であったので、この勝者と池田がやらないかなと思ったが確率は3分の1。多分ダメだろうと思っていたが、案の定、「第2試合」というアナウンスが聞こえた。
いよいよ高知商−PLの勝者がクジを引く番となった。なんとか第2試合になってくれとの願いも空しく、「第1試合」というアナウンス。場内も大きくどよめいたが、観衆は何をもってどよめいたかのだろう?
それはともかく、「いよいよ来るべき時がきたな」という心境であった。マスコミなどはPLはそれほど怖い相手ではないという論調で書いていたが、結果論ではなく、自分はPLが3回戦を終わった時点で一番怖く感じていた。果たして、それは現実のものとなった。
その前に蔦監督の中京戦での勝利インタビューについて書いておきたい。蔦監督の第一声は、「いつも打たない子(松村)が打ちよったねぇ」というものであった。いかにもこの人らしい第一声であったが、「高知商−PLの勝者との対決が決まりました」という問いかけには、あまり反応を示さなかったと記憶している。実際はどうだったのか、今となっては思い出しようもない(この試合は是が非でもビデオに取りたかったのであるが、間が悪いことに数日前に故障してしまって、修理に出たままであったのだ。ハガい。)
※中京の杉浦監督の談話も印象的であった。「選手が口々に、『池田は凄い、水野は凄い』と試合中に言うので、『そんなことはない』と言ったのがダメだった」とコメントしたが、この試合で全精力を使い果たした杉浦監督は、大会後辞意を示した。そして、そのまま健康状態を崩して、数年後帰らぬ人になってしまった。まさに池田戦で戦死したという感じであった。
準々決勝第2試合の岐阜一−久留米商は、久留米商のエース・山田が背筋を痛めていることもあり、岐阜一の優勢が伝えられた。しかし、山田はこの試合、類まれな根性を見せ、岐阜一の強打を3点に抑えた。打線もそれに応え、不調の岐阜一・加藤を打ち込み、久留米商が6−3でダークホースの岐阜一を倒した。岐阜一としては、甲子園で2試合完封勝ちを収めていた加藤の不調が大誤算であったろう。
第3試合は高知商−PL。高知商になんとかPLを退治してもらいたかったが、そうは問屋が卸さなかった。勝ち味が遅かったPL打線が初回から火を吹いたのだ。まず、1回表、デッドボールの池部をセカンドに置いて、1年生の4番・清原がタイムリー2塁打。西田アナが、「清原、甲子園で初めて4番らしい当たり」と表した会心の一撃であった。
続く2回表は、山中、小島が幸運なヒットを重ねたツーアウト1、2塁から、9番の住田が真ん中に入ってきたストレートを左中間に2点タイムリー。続く池部も外角低めの難しい速球をライトへ流し打ちのツーベースで、あっという間に4−0。谷脇監督も、「津野が調子いいのにPL打線は打った」と舌をまいていたが、このPLの集中打を見て、デッドボールの影響で本調子でない水野がPL打線を押さえられるのか、大いに不安になった。
以降もこれでもかとばかり、PL打線は津野に襲いかかった。3回表、先頭の加藤が右中間へ会心のツーベース。続く清原も低めのカーブを左中間にライナーのツーベース。これで2塁打が5本。さらに山中、桑田にもタイムリーツーベースが出て、この回3点を追加。5年前の悪夢の再現を避けるべく、後攻を取った高知商の作戦も空しいばかりの8−0となってしまった。それにしても恐ろしいほどのPLの2塁打攻勢であった。
この援護を受けて桑田も快調なピッチング。強打の高知商につけ入る隙を与えない。ところが、その桑田が5回裏に突然崩れた。9番・木下のヒットを皮切りにつるべ打ちされ、一気に5点を失い8−5。PLも小島のホームランなどですかさず2点を追加したものの、高知商は一向にめげず、6回裏、変わった左腕の東森から津野が2試合連続となるホームランを放つなどして、ついに10−9と1点差まで迫った。
これで日が射してきた。しかし、3番手の藤本にかわされ、高知商はどうしても1点が追いつけない。高知商の2番手・1年生の中山も快速球でPLの猛打線を抑えていただけに、これには見ている方もやきもきした。
そして、試合はいよいよ9回裏。先頭打者は津野。しかし、津野は力み返り、カーブを空振りの三振。これで先が見えた。藤本は続く岸本、小松も打ち取り、PLが池田とあいまみえることとなった。
PLは本当に怖かったが、救いは桑田が高知商戦で打ち込まれたことと、PL打線が東海大一の杉本康徳と高知商の中山を打てなかったことであった。しかし、試合後の桑田の、「中盤に打たれたのはマウンドに指をぶつけてしまったからで、明日は普通に投げられる」という談話を聞いて蒼ざめた。
ただ池田ナインはPLを全く恐れていなかった。吉田が、「高知商に打たれた1年坊主を打てないはずがない」と言っていたように、自分らよりはるかに格下と思っていた高知商に苦戦したPLに恐怖心が沸くはずもなかった。
※池田は高知商に4連勝していた。とくに新チーム結成直後の試合では津野を1回でKOし、19−1で圧勝している。
高知商−PLに続いて行われた横浜商−宇部商は、横浜商打線が例によってソツなく秋村から得点を重ね、エース・三浦も悪いなりに宇部商打線をかわし、4−1で横浜商が順当勝ちを収めた。
そして、ついに池田−PL戦が始まった。朝日新聞には、「池田に次ぐ破壊力を持つPL打線なら、2、3点は取れそうだが、PL投手陣が5点以内で池田打線を抑えるのは無理ではないか」と、池田有利の記事が書かれていた。自分としては、PLの奇跡の逆転が怖いだけに、「どうせ池田が先攻だろうから、9回表を終わった時点で5点くらいリードしていてほしい」というのが願望であった。
予想通りPLのマウンドに立ったのは桑田。桑田は初回から直球が走り、トップの坂本をファーストゴロ、2番の金山をピッチャーゴロに打ち取った。「うわぁ、嫌な感じだなぁ」と思っていたところ、江上、水野が難しいコースに決まったストレートを連打。これで桑田は縮み上がったというが、続く吉田の強烈なゴロを桑田が俊敏な動きでアウトにしてしまった。吉田が打った瞬間、「よし」という声が思わず出たが、このプレーで桑田が波に乗ったのは確かであろう。
試合前の投球で球が走らず、井上に「今日はあかんわ」と水野は言ったというが、初回は三振、ピッチャーゴロ(セーフティバント)、ピッチャーゴロと、PLの1〜3番を軽く三者凡退に退けた。これを見て、「今日の水野なら昨日の津野のようなことはないな」と思ったのだが…。
2回表も無得点に終わった池田に対し、その裏、PLは清原が三振のあと、朝山がフォアボールに歩いた。しかし、山中もスライダーで三振。小島も2−1からの外角へ素晴らしい切れのスライダーを見送っての三振…と思ったが、主審は手を挙げかけながらボールを宣告。これで水野の顔色が変わったのは、20年以上経った今も鮮明に覚えている。2−2から今度はストレートを外角低めに投げたが、小島に右中間を抜かれ、恐れていたようにPLに先取点が入ってしまった。もしストレートに本来の力があったらライトフライになっていただろうから、かえずがえすも恨みのデッドボールであった。
「この1点で止めておけよ」とテレビの前で呟いていたが、その願いも空しく、8番の桑田が2−0から内角高めのクソボールを巻き込んでレフトスタンドへ特大の一発。打った瞬間にホームランとわかるその一撃が池田ナインに与えた衝撃はいかばかりだったか。なにせ、このホームランは池田にとって初めて尽くしだったのだから。チームが2点以上リードされたことも、水野がホームランを打たれたことも甲子園では初体験であった。
桑田にホームランを打たれた直後の水野。呆然。
桑田のホームランのショックがさめやらぬなか、打席には9番の住田が入った。水野はむきになって三振を取りにいったが、2−0からスライダーがど真ん中に入り、レフトラッキーゾーンへまたしても放り込まれてしまった。
連続ホーマーされるだけでも大ショックであるのに、打たれた打者が8番と9番。それも、ともに2−0からとは…。蔦監督は、「ちょっと水野が打たれたからといってオタオタしよってからに」と池田ナインのことを怒ったというが、あの水野がこんな形で一気に4点も取られたのだから、「動揺するな」という方が無理だろう。
※朝日放送の植草アナが住田にホームランが出た時、「いつも自分達がやっていることを相手にやられてしまいました」とやったのは有名。また、PLが6−0とリードした時にスタンドにやってきた人がスコアボードを見て、「なんだ、逆じゃないの」とびっくりしたそうである。
誰もが信じられない試合展開だった…。
かえすがえすも痛かったのは、小島への2−1からの投球がボール判定されたことである。水野も後に、「あれで切れてしまった」と言っていた。また、蔦監督も、「あの回は三振で終わっとった」と悔しがった。そして、次の横浜商−久留米商の試合を実況した羽佐間アナは実況席に着くなり、「一球で試合の流れが変わることが往々にしてありますが、まさに第1試合がそうでありました」と、その微妙な判定を揶揄したという(伝聞調なのは、第1試合のショックで第2試合をほとんど見ていなかったからである。ちなみに、この羽佐間アナの発言は弟から聞いた)。
3回表、池田はトップの坂本がフォアボールで歩き、さっそく反攻のきっかけができた。「2番が去年の多田だったら絶対に強攻だろうけど、金山なら1点を返しにバントをさせるな」と思っていた通り、蔦監督は金山にバントを指示。しかし、バントの名手・金山がバントを失敗。4点先取されている焦りがあったのだろうか。続く江上はセカンドゴロゲッツーで、この回も池田は無得点。この辺は池田に流れが全くないという感じであった。
そして、3回裏、先頭の神野が3塁強襲のヒット。このランナーを3番の加藤が慎重に送り、バッターは清原。このチャンスにチャンスでの例の演奏とともに、「KO、池田!」の声がかかった。大会前、このシーンを最も恐れていたが、この展開でこの曲を聞かされるとは…。もう口の中はカラカラであった。清原は三振に倒れたが、続く勝負強い朝山がライト前へヒットを放ち、ついに5−0。ますます池田の敗色が濃厚になってきた。
4回表、ツーアウトから山田が強烈なツーベースを放ったが、昨日のヒーロー・高橋がカーブを見送り三振。解説の池西氏が、「誰かがきかっけを作らないといけませんね」と悲壮な声を発したように、この三振は痛かった。
そして、4回裏、PLにまたしても一発が出た。今度は7番の小島がストレートをレフトスタンドへ。このあっという間の追加点も、池田ナインに与えた衝撃は大きかったろう。現に、小島が一塁を回った時、ファーストの高橋はしゃがみ込んでしまった。また蔦監督も、「4点だけならどうにかなると思ったが、3回、4回と向こうに1点ずつ入って危ないと思った」と振り返っている。
※正捕手の森上がケガしてPLの戦力が落ちたと思ったが、とんでもなかった。小島は前の試合でも津野からホームランを打っているうえ、この試合でも先制の2塁打に6点目のホームラン。さらに決勝戦でも追加点のきっかけとなる強烈なツーベースを打ったのだから…。こんな凄い長打力の持ち主が控え選手だったというPLの選手層の厚さは圧巻としか言いようがない。
5回表、先頭の8番・松村がライトへ大飛球。ホームランかと思ったが、ライトの神野がラッキーゾーンに入ろうとした打球をジャンプ一番好捕。ふだんあまり打たない松村にホームランが出ていたら、池西さんが言ったような反撃へのきっかけとなっていただろう。それだけに、このファインプレーも池田にとっては痛恨であった。
6回表の池田の攻撃。2番・金山、3番・江上が連打して、ノーアウト1、2塁。しかも迎えるバッターは水野。しかし、水野は低めのカーブを打たされ、ピッチャーゴロ。ボールは投−三−一と渡り併殺。池田ファンが多くを占めていた甲子園は悲鳴に包まれた。それでも、セカンドにランナーが残ったので吉田にヒットが出ればと思ったが、吉田もカーブにタイミングが合わずショートゴロで、結局、この回も無得点。
しかし、流れというものをこれほど痛感した試合も少ない。6回の池田の攻撃を見て、「はまっている試合とはこういう試合をいうんだなぁ」と、つくづく思った。
この6回表の池田の攻撃が0点で終わったことで先が見えた。7回にも高橋の強烈な右中間の当たりをまたしても神野がファインプレー(外野手のファインプレーは長打をアウトにするわけであるから、相手に与えるダメージは大きい)。そして、7回裏、井上のパスボールで決定的な7点目がPLに入った。このパスボールが出た時の球場の悲鳴も忘れ難い。
結局、池田打線は桑田のストレートに詰まり、カーブにタイミングが合わずで、7〜9回は1人のランナーも出すこともできず、ついに3連覇の夢が絶たれたのであった。
敗れて無念の表情の蔦監督。
「広島商、中京と当たって水野がヘロヘロになってしもうた」と嘆いた。
最も応援していた池田が最も嫌いであったPLに、このような負け方をするとは…。このショックは、ある面、早実−報徳戦以上であった。それで最後の打者・増元がフライを打ち上げた瞬間、テレビを切り、次の試合を一瞥だにしなかった。池田の敗戦を伝える夜のニュースも見たくなかったので、急遽メンツを集め、テツマンをやったのであった。それほどこの試合結果は受け入れ難かったのである。
弟から準決勝の第2試合は横浜商が大勝したことを聞かされたが、どのみち、PLに勝てるはずがないと思った。朝日の予想記事には、「横浜商の方が総合力は上」とあったが、PLの当たるべからざる勢いからして、PLが負けることなど考えられなかったのだ。
だいたい、池田打線でさえ打てなかった桑田を、池田打線より数段打力が劣る横浜商打線が打てるはずがない。それに、絶好調で臨むならともかく、4連投となる三浦が凄まじい破壊力を持つPL打線を抑えるのは不可能と思った。そうしたことから、下手したら大差になるかもと予想したしだいである。
テツマン明けで寝入っていたところを起こされて(試合が始まったら起こすように頼んでいた)、午後1時ジャストからこの試合を見ることになった。
「横浜商が勝つには、先取点を取って三浦がPL打線を1、2点に押さえるしかないな」と思ったが、横浜商は1回表、その先取点を取るべく、絶好のチャンスを迎えた。センター前ヒットで出た2番の信賀が二盗、三盗を決め、ワンアウト3塁のチャンス。しかも、バッターは横浜商で最も期待が持てる左の強打者・高井。しかし、高井は桑田のカーブにあえなく三振。「カーブを狙っていて打てなかったのは初めて。桑田君、凄いですね」と高井が振り返ったほど、切れ味抜群の大きなカーブであった。それにしてもこの高井の三振は痛かった。
横浜商は2回表にも、らしからぬ拙攻を見せる。先頭の5番・中村がヒットとバントでセカンドに進んだが、桑田の巧い牽制球に刺されてタッチアウト。その直後に三浦がヒットで出たが、今度は盗塁失敗。この辺は、「ホント、嫌な展開だな」と思ったもんである。
そして、2回裏、清原に甲子園初ホーマーが出た。2−2からの外角球をおっつけてのライトへ技ありのホームラン。打ったのはストレートと思ったくらい落ちの悪かったフォークボールであったという。しかし、あの当たりがホームランになるとは…。ライトの高井も信じられないといった感じで、両手をしばらく腰に当てたままであった。
先制ホーマーを放った清原。若い!
※どこからでも一発が出るPL打線は凄いとしかいいようがない。清原・桑田が2年生になった翌年の打線も、同じく3年時の打線も驚異的であり、得点力も破壊力もそちらの方が上だと思うが、自分としてはこの年の打線が一番怖かった。
今大会初めて先制された横浜商打線は焦ったようだ。桑田の調子がいいこともあって、いつものソツのない攻撃が見られず、いたずらに0を重ねていった。一方、4連投の三浦も踏ん張り、猛打のPL打線をうまい投球でかわした。
このまま試合は動かなかったが、7回表、横浜商の攻撃がワンアウトとなったところで、突然中村監督がベンチを飛び出した。どうしたのかと思ったら、ピッチャー交代を指示したのである。ピンチを迎えたわけでもない好投の桑田を唐突に変えたこの采配には誰もがあっけに取られた。PLナインもそんな感じで、交代に少し時間がかかった。中村監督は「勘が働いたので」と言ったが、桑田より数段実力の劣る藤本がもしKOされたら大問題となっていただろうこの交代。しかし、これが成功するのだから、その勘には恐れ入ったとしかいいようがない。
7回裏、ワンアウトから小島が内角の威力十分のストレートを引っ張り、レフトへライナーのツーベース。続く桑田は凡退し、迎えるのは9番の住田。三浦はこのいやらしい住田を避けて、トップに入っていた藤本との勝負に出た。三浦の思惑通り藤本はショートゴロ。しかし、イレギュラーした打球は名手・西村のグラブを大きくはじいた。これをセカンドの信賀がバックアップし、懸命のバックフォーム。タイミングはアウトであったが、郷司球審はセーフのコール。この試合、郷司球審のPL寄りの判定に頭にきていた自分と弟は激怒したが、ビデオで見るとノータッチであった。
この2点目は効いた。藤本も1点差のままだったら、冷静に投げられたどうか…。そして、8回裏、先頭の3番・加藤が三浦のカーブをライトへ3点目のホームラン。左打者の内角低めに決まった切れの良いカーブであったが、それを打つのだから…。
その後、清原にヒットを打たれるなどしてピンチを迎えた三浦であったが、1回戦で弱肩を披露した森屋がセカンドランナーを刺し、その後のピンチは切り抜けた。しかし、もしこの牽制アウトがなければ三浦は大崩れしていただろう。
迎えた9回表。横浜商は5番、6番が凡退して、あっさりツーアウトランナーなしとなった。ここで三浦が意地を見せる。センターオーバーのツーベースを打ったのである。本当に意地としか言いようがない一打であったが、続く森屋が三振に倒れ、試合終了。ここにPL学園の5年ぶりの優勝が決まったのである。
この瞬間テレビを切ったが、あとで三浦が試合後号泣していたと聞かされてびっくりした。あのクールなAB型の三浦が泣くとは信じられない思いであった。
※三浦の甲子園での成績は12勝3敗。荒木が12勝5敗なのだから、その勝率は見事の一言である。しかも、3敗のうちわけは、PLに2つ、池田に1つなのだから…。
結果は最悪だったが、これほど夢中になった大会は後にも先にもない。大会後もテレビを見過ぎた後遺症でしばらく金属音が頭の中でしていたほどであったのだから。これほど熱くなれたのも、ひとえに池田の存在による。一つの高校がこれほど注目され、応援されたことはまさに空前絶後であったろう。
それから9年後の夏の大会、池田は3回戦で市神港と対戦していた。地元の市神港がより大きな歓声を受けて然るべきだが、この試合、池田の方がずっと大きな声援を受けていた。しかも、もう蔦監督は監督を勇退していたのに。これ一つとっても、いかに当時の池田が甲子園のファンから愛されていたかがわかろう。
それにしても、桑田は凄かった。事実上は中3なのだから。まさに天才野球少年そのものであった。その桑田に加えて清原もいたのだから、PLに5連覇されると思った。実際、これからの4大会は、この2人があってこその大会であった。
しかし、勝負ごとに絶対はないということを翌年知ることになる。
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