1983年

・選抜

 池田、貫禄の夏春連覇


 
 この年の選抜ほど、一つの高校が注目されたのも珍しいだろう。それほど池田高校の注目度は高かった。田舎の高校生によるけれん見のない剛打&豪腕、そして田舎じじぃ丸出しの蔦監督。まさに愛すべきチーム池田。かつてこれほど人気を得た高校があったであろうか?

 人気だけでなく、池田はその実力でも一頭地を抜いていた。夏にその剛打を見せつけた水野がエースで4番。水野はバッティングも凄かったが、それ以上と評価されたのがそのピッチングであった。変則的なフォームから、ちぎっては投げという感じであったものの、140kmを超える速球、切れのあるスライダーに落差の大きなカーブ。決め球にはえげつないシュート。抜群の制球力こそなかったが、フォアボールから崩れるようなこともまずない。入学当時から1学年上の畠山以上の逸材と言われていたが、今回はエースとして甲子園に参上することになった。

※水野の腕だけで投げる投球フォームは、まるで理にかなっていなかった。しかし、蔦監督は、「速いボールが投げられれば、それでいいんじゃ」と放置していた。

※水野は地元の餡子屋の息子で、その屈託のない言動と体型から阿波の金太郎と呼ばれた。水野の選手登録は178cm、74kgであったが、体重はあきらかにサバを読んでいるとわかった。実際には94kgあったという。


 売り物の打撃も参加校中でbPのチーム打率.386と、猛威を保っていた。とくに江上、水野、吉田、上原、高橋と続く3〜7番の長打力には目を見張るものがあった。蔦監督によると、長打力が最もあるのは5番の吉田、遠く飛ばす力は7番の高橋が一番とのこと。ただ、2番の金山と8番の松村が昨年度の2番・多田、8番・木下よりもある程度見劣りした分、昨年のチームの方が打線に切れ目がなかったといえよう。それでも、池田打線が全国一の破壊力、得点力を誇っていることに疑いの余地はなかった。

 このように投打とも抜群の力を持つ池田にも泣きどころが一つあった。それは三遊間の守備が弱いことであった。しかし、それがかすむほどの投打の圧倒的な力強さ。池田が選抜の優勝候補筆頭であることに異論をはさむ者は皆無に近かった。

 その池田に挑むのは、昨年の選抜で活躍したエース三浦と4番を打っていた高井が健在の横浜商、投打にバランスが取れた上宮、従来の技に力強さを加えた広島商、左腕エース仲田幸を中心に「どこにも負ける要素がない」と言われた興南らの精鋭。中でも、中国大会の決勝戦でしぶとい宇部商打線をノーヒットノーランに封じた沖元と豪腕秋村を攻略した打線を持つ広島商が打倒・池田の一番手とされた。いってみれば、本命・池田、対抗・広島商、それを追う横浜商、上宮、興南というのが大会前の図式であった。

※史上初の選抜3連覇を狙ったPLは、大阪大会の準々決勝で上宮に、最終回の追い上げも空しく6−7で敗れていた。また、野中が残った中京も東海大会の1回戦で不覚を取り、選抜されなかった。

 昨年度は大波乱を呼んだ抽選であったが、今年も開幕戦でいきなり横浜商と広島商が顔を合わせることになった。また、興南−上宮という1回戦ではあまりにもったいないカードが生まれた。

 大注目の池田の初戦の相手は帝京となった。帝京は打力で秋季都大会を制しており、ダークホース的な存在であったので、これも注目もカードとされた。

 ただ、広島商−横浜商の勝者と池田が別ブロックに入るなど、昨年のような片肺飛行といったような感じの組合せにはならなかった。大方の予想は、決勝戦は池田−広島商の組合せ、すなわち昨夏の再現になるだろうというものであった。

 いよいよ戦いの火蓋が切って落とされた。開会式では、入場行進で池田が万来の拍手を受けて行進した。つまり、観衆の多くが池田の猛打の再現と夏春連覇に期待していたのである。

 開会式の興奮も冷めやらぬ中の開幕戦に、いきなり昨夏の準優勝校、そして打倒池田の一番手とされた広島商が登場してきた。しかも、相手は東日本実力bPの横浜商。近年の開幕戦でこれほどの好カードがあったろうか?

 昨夏のあの大敗は、広島商にとって自分達が築いてきた野球を根底からひっくり返される衝撃であったろう。そこで若い田代新監督を迎えた新チームはパワーをつけ、捲土重来を期して甲子園に乗り込んできた。メンバーも、前年も活躍した豊田、相島、正路らの好選手に、パワーヒッターの新2年生・西川、左の強打者・欅、4割の打率を記録した好捕手・中村と豪華。エース・沖元も、外角低めにスライダーを決める好投手であった。そして伝統のバント作戦と機動力。さらに堅守も相変わらず。

 一方の横浜商はチーム全体の線はやや細かったが、総合力は間違いなく東日本随一。ブレーキ鋭いカーブが主武器のエース・三浦は、前年の選抜でも荒木と榎田と互角以上に投げ合った大会屈指の好投手。打線も、昨年の4番から3番に変わった左の強打者・高井を中心になかなかのものであった。また守備力も大会有数のものを持っていた。

 とはいえ、組合せが決まった時は、広島商有利の声が多かった。それほど広島商のチーム力は充実していたのである。が、好事魔多し。エース沖元が負傷し、開幕戦で先発できなくしまったのである。これが広島商にとって致命傷になった。

 もし沖元が先発していれば、初回の大きなチャンスを焦って拙走でつぶすようなことはなかったであろう。結局、試合は高井のホームランなどで序盤に得点を重ねた横浜商が7−2で快勝した。ただ8回から登板した沖元が横浜商打線を寄せ付けない投球を見せただけに、彼が先発していたらだいぶ違う展開になっていたのではあるまいか? 

 というものの、横浜商が高いレベルでまとまった好チームであることに疑いはなかった。そして、池田、興南、上宮が逆ブロックであったことから、広島商を屠った横浜商がそのまま決勝に進むものと思われた。

 大会3日目第2試合。満を持して池田が登場した。相手は、都大会を打力で制した帝京。帝京は投手力が不安であっただけに、勝つには水野を打ち込むしかなかった。しかし…。

 試合は初回の攻防がすべてであった。先攻は例によって池田。初球をファールしたトップの坂本が2球目も強振して三遊間にヒット。早くも場内がざわめく。そして、マウンドの山田の血の気が引いた。続く金山のバントは野選となって、ノーアウト1、2塁。ここでバッターはキャプテンの江上。 江上は観衆の拍手で迎えられたが、バットを一度も振ることなく四球で一塁に歩き、ノーアウト満塁のチャンス。水野も大きな拍手のなか、バッターボックスに入った。

※打席に入る度に拍手で迎えられたのは、浪商の香川以来である。それほど2人の昨夏に見せたバッティングが印象的であったのだろう。そして、飾らない2人の振るまいも人気の要因であったと思われる。

 水野は叩きつけるバッティングでショートへ内野安打。池田があっという間に1点を先取したが、セカンドランナーの金山はホームを欲張ってアウト。普通はこれで流れが止まるものだが、5番の吉田がカーブをレフトにスリーランホーマー。蔦監督が甲子園入りして一番当たっていると言っていたのが吉田であったが、まさにその通りの豪快な一発。これで帝京は大きく後手に回ることになった。

※この年の池田の叩きつけるバッティングは、相手投手の大きな脅威となった。水野の内野安打以降も、そのバッティングで3塁の頭を超える安打やセンター前に抜ける安打が何本も生まれた。

 1回裏、マウンドに立ったのは豪腕・水野。実は水野は昨夏の早実戦も登板しているが、この時はストライクがまるで入らず打者1人で降板したが、この選抜はその時とは別人であった。

 担ぐようなフォームから繰り出させた初球は内角にえぐり込むシュートでストライク。打席のキャプテン大見も、思わず打席をはずしてすがるようにベンチの前田監督を見たほどの物凄い球。その後も水野の剛球に手が出ず、最後は外角への鋭いスライダーを空振り。続く夏の大会で宇部商の豪腕・秋村から5打数5安打した大見であったが、水野には完全に格の違いを見せつけられた感じであった。

※前田監督は、2年後の選抜で再び池田と対戦する試合前、「片山君が好投手といっても、水野のようなベラボーな球を投げるわけじゃないですから」と言っていたが、この大会の水野はそれほど桁違いの剛球を放り込んでいた。

 心配された立ち上がりを無難に切り抜けた水野は、以降も強打で評判であった帝京打線を封じ込んだ。一方の池田打線は3回にも爆発し4点を追加。さらに4回にも2点を加え、ついに10−0。10点差とされた時の前田監督の呆然とした表情といったらなかった。前田監督としてもこんな試合展開になるとは思っても見なかったのだろう。池田が若干苦手とする下手投げの山下を3回途中から投入したが、遅きに失した感は拭えなかった。

 結局、試合は11―0という予想外の大差で終わった。前田監督自慢の打線もシングルヒットを6本放ったが、完全に水野の前に力負け。投打ともあまりのパワーの差に、強気で鳴る前田監督も脱帽するしかなかった。

※この大敗で認識を新たした前田監督は、蔦監督に師事するようになった。そして池田のトレーニング方法を模倣し、ウェートレーニングに重点を置くようにしたという。その後も蔦監督と交流を持った前田監督は蔦監督の葬式に参列し、その死を悼んだ。


 大会は4日目。第2試合は注目の興南−上宮。興南のエース・仲田幸司は、大会bP、いや全国でもbPの左腕といわれた逸材。昨夏も2勝を挙げ、敗れたとはいうものの、準優勝した広島商打線も2安打に押さえていた。打線も俊足の選手が揃い、高い得点力を誇っていた。一方の上宮も下手投げのエース・松島を中心に、小悪魔といわれたトップの沢井、強打の捕手・光山ら好選手が並び、高い総合力を誇っていた。

 試合は予想通り接戦となった。とはいえ、全般に興南が押し気味であった。現に4回表に1点を先取した。しかし、走塁ミスなど拙攻で1点しか取れなかったのが後々響くことになる。

 一方の仲田幸司は好調で、ピンチらしいピンチも4回に先頭打者の光山にツーベースを打たれた場面だけであった。それもキャッチャーの仲田秀司が牽制で刺し、以降は完全に上宮打線を封じ込んだ。

 1−0と興南の1点リードで迎えた9回裏。5番の横野の代打・井村を退け、バッターは6番の竹田。竹田は本来は7番打者であったが、左腕に強いということで6番に抜擢されていた。それがここで生きた。真ん中に入ってきた甘いストレートを一振。打球はライナーでレフトラッキーゾーンへ突き刺さった。出会い頭と言えなくもなかったが、あまりにも惜しい仲田の失投。打った方も打たれた方も初めてというホームランが大きく試合の流れを変えた。

 ホームランを打たれた後のピンチは凌いだ仲田であったが、10回裏、先頭の右投左打ちのトップ・沢井にうまくセンター前に打たれた。そして、バントで送られたワンアウト二塁から3番の新井に内野安打される。このワンアウト1、3塁の大ピンチに内野手が集まる。敬遠策も考えられたが、制球に不安のある仲田にその策はあまりにも危険。そこでバッテリーは4番の光山との勝負を選択し、内野はバックフォームにも併殺にも対応できるやや浅めの守備を取った。

 低めの難しいカーブを引っ掛けた光山の打球は、ショートへのお誂え向きのゴロ。やや連係が乱れたが、鈍足の光山なので一塁も完全にアウトのタイミング。しかし、一塁審判はセーフのゼスチャー。一瞬目を疑ったが、この間に3塁ランナーが返って、上宮が2−1でサヨナラ勝ち。マウンドで味方野手のプレーを固唾を飲んで見守っていた仲田は思わずしゃがり込む。そして、インタビュールームで涙に暮れた。沖縄勢初の優勝を狙っていただけに、1回戦での敗退はさぞかし無念であったろう。

 最後の一塁塁審のジャッジは、今もって納得がいかない。大阪びいきと早く試合を終わられたいという意志があったと思われるような後味の悪い判定であった。

※灼熱の太陽の下で行われる都予選のジャッジにはひどいものが多い。炎天下なのでコールドで早く試合を終了にしたいのか、先入観があるのかはわからないが、私立の強豪校と都立の弱小校との試合では、前者にあからさまに有利な疑惑の判定が横行している。これは都予選をつぶさに見てきた自分が生き証人である。

 1回戦を終わって印象に残ったのは、例年にも増して好投手が多かったことである。2年前の選抜も好投手が多かったが、今年もその年に匹敵するくらい好投手が目立った。

 今まで言及しなかった投手では、秋村との剛腕対決を制した山田(久留米商)、秋の大会で中京を1点に封じた小柄な右腕・平田、昨年のエース弘田を彷彿とさせる山本賢 [さとし](明徳)、けれんみのない投球が持ち味の速球投手・香田(佐世保工)、左腕から制球力が光った岡本(報徳学園)などが印象に残った。

 また、かつての高校球児が若い指導者になって甲子園に帰ってきたのも大きな話題を呼んだ。中でも、片桐監督(桜美林の優勝投手)と土屋監督(桐蔭学園の優勝捕手)が注目された。

 しかし、1回戦で両者は明暗を分けた。立命館との接戦を制した桜美林の片桐監督に対して、桐蔭学園の土屋監督は投手リレーが裏目に出て報徳学園に痛恨の逆転負けを喫してしまったのである。

 桐蔭学園は初回に取った1点を死守していたが、好投の左腕・高橋をリリーフしたアンダーハンドの古賀が8回裏ツーアウトランナーなしから連打される。そして、3番の谷川にど真ん中のストレートを投げてしまった。投げた瞬間に、「あ」と思わず声が出たほどの甘い球はレフトへの逆転スリーランとなった。続く4番の岡本にもライトポールに当たりホームランを喫するという悪夢のような桐蔭学園の敗退であった(当時は2年前の恨みで大の報徳嫌いであった)。

 2回戦で最も光ったのは、享栄の大型一塁手の藤王であった。藤王はその名に恥じぬ神懸り的な活躍で、1、2回戦を3ホーマーを含む9打席連続出塁という成績で終えた。次の準々決勝の相手は、2回戦でしぶとい桜美林打線を翻弄した東海大一の杉本尚彦。彼は双子の兄弟の弟ということと肘痛で話題を呼んでいたが、この好投手を相手にどこまで連続出塁の記録を伸ばせるか、優勝争いとは別に大きな注目を集めた。

 さて池田の2回戦の相手は、これも強打で評判の岐阜一。岐阜一は1回戦で秋の四国大会で池田に善戦した尽誠学園を5−3で降していた。この試合での岐阜一は売り物の強打のほか、右腕の加藤の制球も光った。ただし、加藤は好不調の波が大きいのが欠点であった。

 試合前は池田の圧倒的な有利の評判。1回戦の帝京戦の水野の剛腕ぶりと昨夏同様の猛打を見た者は、誰もがそう思っただろう。ただ一つの懸念材料は、捕手の井上が指をケガして満足なスローイングができないということであった。

※井上のケガで、練習前は江上が捕手を務めるシーンも見られたという。それを見た蔦監督は、「横綱バッテリーやな」と悦に入っていたらしい。とはいえ、バッティングには支障がないということで、井上を先発に起用した。蔦監督が言うには、控えの捕手と井上ではバッティングが違うとのこと(実況の島村アナ・談)。それを聞いて、「9番打者なのだから、それほど井上のバッティングにこだわることもないだろう」と思ったが、後に井上のバッティングの凄さを思い知らされることになる。

 岐阜一の加藤がどこまで持つかという声の中で始まったこの試合、加藤は池田の初回の攻撃をあっさり三者凡退で仕留める。

 そしてその裏、水野が先頭の林を四球で歩かせた。後に巨人にドラフトで指名されたほどセンスにあふれる林だから、当然、井上のケガをついて、盗塁してくるものと思われた。しかも2番のキャプテン白木はなんでもできる左の巧打者。しかし白木はあっさりバント。とりあえずスコアリングポジションにランナーは進んだが、強打の3番・早矢仕、4番・石地が水野に力負け。岐阜一は無策でこのチャンスを逃してしまった。もし1点でも先取していれば、この後も加藤が好投を見せただけに試合はもっともつれていただろう。

※早矢仕という名は、彼の祖先の矢打ちの名人が織田信長直々にもらったものだという。岐阜は信長が統治していた尾張の隣に位置するし、この話には感嘆したものであった。

 2回以降も加藤は好投を続けた。何より外角低めのストレートのコントロールが冴えた。池田の各打者はバッティングに自身を持ち過ぎている感があったが、この試合ではそれが裏目に出て、0−2から難しい球を打っての凡打が目立った。0−2はもう少し待ってもいいカウントであろう。

※この試合、山中潔氏の解説は説得力があった。好投する加藤を見て、「強打線を封じるには外角一辺倒ではダメなんです。時にはインコースも大胆につかないと抑えることはできません」と解説していた。実際、加藤は時に内角シュートを投げ込み、池田打線を封じ込んだ。

 2回も三者凡退した池田は3回に先頭の高橋がフォアボールを選び、ようやく初めてのランナーを出す。このチャンスに8番の松村が送り、打席に井上を迎えた。正直あまり期待していなかったが、井上はシャープなスイングでセンター前で鋭い打球のヒット。高橋がホームインして池田が先取点…と思いきや、ビデオで井上のヒットを再生している時、場内から何ともいえないどよめき。いったいどうしたのかと思ったら、ホームに返ってきた高橋が3塁ベースを踏まなかったことでアウトになっていたのだ。

 これで加藤はますます調子に乗り、5回まで猛打の池田打線をヒット1本に押さえる好投を見せた。一方の水野も、例のちっぎては投げ投法で岐阜一の強力打線を封じた。

 こうして試合は投手戦のまま後半に入っていった。そして6回表の池田の攻撃は、ツーアウトながら3塁に四球で出た松村を置いて、バッターは2番の金山。金山は昨夏の2番打者の多田のような打力はなく、蔦監督も金山にはほとんどバント策を命じていた。だもんで、「得点の望みは薄だな」と思っていた。

 そして、案の定というか、金山はショートへ平凡なゴロを放った。「これはまた点にならないな」と思ったところ、一塁塁審はセーフのコール。完全にアウトのタイミングだったし、これは池田びいきの判定であったと思う。

 この1点で加藤の緊張の糸が切れたようだ。江上にもヒットを打たれ、外野からの送球の間に2、3塁に進塁されてしまった。ここで水野が得意の叩きつけるバッティングでレフトへの2点タイムリー。さらに吉田がレフトフェンス直撃のツーベースでさらに1点追加。この4点で勝負あった。

 誰かがきっかけを作ると止まらなくなるのが池田打線。7回には坂本、上原のスリーベースを絡めて、いっきょ6点。岐阜一はその裏、江上のエラー(ピッチャーゴロの送球を落球)などでノーアウト満塁のチャンスをつかんだが、内野ゴロの間に1点を返すのが精一杯。結局、単打ばかりの5安打しか打てず、1−10という大敗ということになってしまった。

 池田の次の相手は、続いて行われた東北−大社の勝者であった。それで、翌日の第1試合にバックネット裏に蔦監督が姿を現した。これで騒ぎになるのだから、当時の池田人気は本当に凄まじかった。

 東北−大社は東北が有利かと思ったが、東北のエース・北田が不調で、大社が6−5で競り勝った。池田としては、同じ変則派とはいえ、東北の北田の方が嫌であったろうから、この試合結果は池田にとっては歓迎すべきものだったといえよう。

 続く第2試合は、上宮−明徳という2回戦最高の好カード。明徳は昨年のチームよりもスケールダウンしており、前評判は高くなかった。しかし、1回戦では防御率1位の青森北のサブマリン・越田をバント攻撃で崩し、10点を取るという強豪ぶりを見せつけていた。とはいえ、総合力で上宮やや有利というのが試合前の声であった。

 試合はセンターの落球が絡んだワンアウト2、3塁から、この日アンダーハンドの松島用として5番から4番に上がった左の菅沼がスクイズを敢行し、明徳が1点先取。さらにツーアウト3塁から5番に下がった北野がレフト前にタイムリー。この2点目が効いた。

 その後も松島は立ち直れず、3回途中で早々と降板。ピッチャー交代が少し早すぎる感もあったが、これで上宮打線が焦った。低めを丹念につく山本賢のピッチングに嵌り込み、1点を返すのがやっと。結局、強豪対決は7−1で明徳の快勝という結果に終わったのであった。

 ベスト8の対決で最初に勝ち名乗りをあげたのは横浜商であった。2回戦では星稜の左腕・荒山、この準々決勝では駒大岩見沢の右腕・佐々木の好投の前に横浜商は打線が振るわなかったが、いずれも三浦が相手打線を完封して接戦を制した。この辺の三浦の安定感は抜群で、2回戦で久留米商の剛腕山田を打ち破った駒大岩見沢のヒグマ打線も、三浦の鋭いカーブを最後まで打てなかった。

 続く第二試合は、連続出塁記録を続ける藤王の登場で注目された。相手は甲子園に来て一段と調子をあげてきた杉本尚彦であったが、第1打席はショートへの内野安打、第2打席は四球と、記録は11打席まで伸びた。もちろんこれは大会新記録。しかし、ついにその記録も第3打席で途切れた。杉本の好投の前に藤王はショートゴロに倒れたのであった。

 さて肝心の試合の方だが、両投手が好投して、8回を終わって東海大一が1−0とわずか1点をリード。9回表の攻撃は藤王から。藤王は見事センター前ヒットで出塁。ここ一番でもきっちり打ったのはさすがであった。そして、享栄はこれを機に犠牲フライで同点に追いついた。しかし、10回裏、今度は犠牲フライで失点し、藤王は甲子園を去ることになった。

 第3試合では池田が投打に大社をまるで寄せ付けなかった。池田は初回から猛打が爆発し、得点を重ねていった。その一方水野は持ち前の力強い投球で、7回ツーアウトまでパーフェクトを続行。しかし、甘いスライダーを3番の石飛にセンター前にゴロで運ばれ、大記録ならず。もしストレートかシュートで勝負していたら…。本人が最も悔しかっただろう。とはいえ、打線は17安打で8得点、水野は2安打完封と、投打に磐石の力を見せた池田であった。

 続く第4試合は佐世保工の怪腕・香田と明徳打線の対決に興味が集まったが、香田の懸命の投球も明徳打線には通用しなかった。強打にバント、エンドランなどを織り交ぜる明徳の攻撃は鮮やかで、香田から力づくで8点をもぎ取った。そして、新2年生の山本賢も余裕を持って完封。この結果、準決勝第2試合で池田と明徳の四国対決が行なわれることになった。

 準決勝第1試合の横浜商−東海大一は投手戦が予想された。しかし、横浜商で最も頼りになる3番の高井のタイムリーで横浜商が初回に早々と1点を先取。その後、しばらく1−0で試合は推移した。

※横浜商の古屋監督は、チームで最もいい打者を3番に置いていた。昨年の荒井が3番だったのがその証左であろう。同じ神奈川の桐蔭学園の土屋監督は、最強打者をトップに据えるようである。高木大成も3年時はトップ打者であった。また高橋由伸は1年の時は3番、2年時は4番だったが、最上級生ではトップを打っていた。

 高井の先制打で1点をリードした横浜商であったが、この試合は三浦が今一つの調子であった。6回表、ツーアウト2、3塁と一打逆転のピンチを招いた。打席にはバッターは4番の羽山。羽山は三浦のストレートを一閃。誰もがショートオーバーの逆転打と思ったが、ショートの西村がジャンプ一番でこの猛ライナーをキャッチ。

 大会随一のこのファインプレーで試合は横浜商ペースとなった。大会前から肘痛で苦しんでいた杉本尚彦とリリーフに出たその兄・康徳から後半着々と得点を重ね、終わってみれば4−0での横浜商の快勝であった。

 続く第2試合の四国対決は凄いゲームとなった。当日の朝日新聞の予想記事は、「これまで相手を抑えてきた山本賢も、今までのようには行くまい」と池田の有利を唱えていたのに対し、毎日新聞では、「池田が今大会で初めて当たる骨のある相手」と明徳が池田にとって侮り難い相手であると書いていた。果たして、試合は後者の予想が当たったのであった。

 試合前の蔦監督であるが、蔦監督は「1点で決まる」と報道陣に言っていたという。その1点とは1点差ではなく、1−0で決まるということだったらしい。おそらく蔦監督は、山本賢を打つのは容易ではないと思っていたのだろう。

 秋の練習試合において両者の対決は1勝1敗であったが、エース同士の投げ合いとなった第1試合は明徳が8−1で圧勝していた。この試合、運動会が終わった後に長い間バスに揺られて明徳グランドに行ったというハンディが池田にあったらしいが、水野が14安打で8点を取られ、打線も8回まで山本賢に完全に封じられたという。続く第2試合は連投を直訴した水野が完封したが(山本賢は登板せず)、ここ数年来の間に、「明徳、恐るべし」というのが蔦監督に刷り込まれていたに違いあるまい。

※明徳は四国大会の準決勝で尽誠学園に3−4で敗れていたため、四国大会では池田と対戦することはなかった。

 試合は明徳の先攻で始まった。ともに先攻を選ぶチームであるが、明徳の主将・矢野がジャンケンで勝ったのであった。

 初回はともに三者凡退。しかし、2回表に試合は動いた。明徳の4番・北野が水野のストレートをセンター前ヒット。続く菅沼は強攻に出てショートゴロエラー。6番の和田はバントを失敗したが、7番の田原がデッドボールでワンアウト満塁となった。ただ、そのデッドボールは微妙な感じであった。とうのも、水野のシュートにわざと当たりに行った感があったからである。マウンドの水野も、当たりにいったのはないかというゼスチャーをして不満を示していた。

 ここで打者はピッチャーの山本賢。山本賢はバッティングもセンスがあったが、相手が水野ではそうそう打てるはずもない。そこでベンチは2−1からスリーバントスクイズを指示。バントするには難しいストレートが内角にきたが、見事に山本賢はスクイズを決め、池田は今大会初めて相手にリードを許した。

 そして、この1点が池田に重くのしかかった。山本賢はカーブを組み立ての中心にし、内外角にストレートを投げ分けたが、カーブには切れ、そしてストレートには伸びがあり、池田打線は快打を奪えない。報知高校野球では山本賢のことを「打てそうで打てない典型の投手」と紹介していたが、まさにそんな感じで池田は完全にその術中に落ちた。

 4回に水野がチーム初ヒットを打ったが、続く吉田が併殺打で無得点。5回には先頭の上原がヒットで出塁したがバント失敗などもあり、得点に至らず。この味方打線の不発にもめげず、水野は辛抱強く投げた。この試合ではとくに右打者の外角にクロスして入るストレートが効果的で、好投手をことごとく攻略してきた明徳打線も水野から追加点を奪えなかった。

 ただ、明徳にとって惜しかったのは7回表であった。この回先頭の当たっている矢野がレフトへ流してツーベースで出塁。しかし、4番の北野以下が凡退して(5番の菅沼のレフトライナーはいい当たりだった)、絶好の追加点のチャンスを逃してしまった。

 1点を追う池田の7回裏の攻撃は3番の江上から。例によって大きな拍手に迎えられて打席に入った江上だったが、カーブにタイミングが合わず、空振りの三振。ほとんどが池田ファンの場内から悲鳴が上がった。しかし、続く水野がチーム3本目、自らは2本目のヒットをセンター前に放った。5番の吉田に期待がかかったが、山本賢のカーブにあえなくショートフライ。場面はツーアウト1塁と変わった。

 ここで一打同点の場面を作るべく水野が盗塁を敢行。見た目に似合わず俊足の水野は盗塁に成功し、前の打席でヒットを打っている上原の快打が待たれた。しかし、上原は山本賢の外角ストレートにピッチャーゴロに倒れた。

 こうして水野の盗塁も無駄花となってしまった。この辺で甲子園も「池田、敗退か?」というムードに覆われた。というのも、超強豪が負けるパターンが展開されていたからである。蔦監督も上原の凡退で徳島に帰ることを覚悟したという。

 1点をリードされた池田の8回裏の攻撃は7番の高橋から。「下位打線には期待できない。勝負は上位に打順が回る9回だな」と思ったが、予想通りまず高橋が凡退。そして松村もファーストへの平凡なゴロ。しかし、ファーストの横田がこのゴロをお手玉。すぐ拾い直してそのままベースタッチし、事無きかと思われたが、セーフのコール。正直、この一塁審判にも池田びいきの感情があったのはないだろうか?

 ここで打席は9番の井上。「ここは送って1番の坂本で勝負の手か?」と思ったが、井上のバッティングを高く評価していた蔦監督は、井上に打たせた。それが見事に的中。井上は低めのボール球のストレートを右中間に快打。打球に追いついたライトの和田は焦ったのか、尻餅を着いてしまい、一塁ランナーの松村が長躯ホームイン。実況の羽佐間アナの声も裏返る、まさに井上の乾坤一打であった。

 こうなったらもう勢いは池田。トップの坂本が外角カーブを狙い打って、ライト前へ流し打ちのタイムリーヒット。ついに池田が試合をひっくり返した。

 9回表、明徳はワンアウトから江上のエラーでランナーをセカンドで進めたが、後続が水野に抑えられ、大魚を逃すという結果になった。明徳にしてみれば、悔やんでも悔やみ切れない敗戦であったろう。一方の池田は、負け試合をものにしたことで春夏連覇へ向けて大きく前進したのであった。

明徳010000000…1 安打=4 三塁打…井上(池田)
池田00000002×…2 安打=5 二塁打…小谷、矢野(明徳)


 迎えた決勝戦は池田−横浜商という東西の横綱対決。総合力では横浜商も決して引けは取らないが、投打の迫力は池田が2も3枚上。さらに前日に修羅場をくぐったという精神的有利さもあり、池田有利の声が圧倒的であった。

 その予想通り、序盤から池田が押しまくった。しかし、三浦も踏ん張り、池田は1、2回と三浦から快打を奪いながら無得点に終わった。3回表もツーアウトなしとなったが、ここから1番・坂本、2番・金山が連打。3番の江上に期待がかかった。が、江上はストレートに押され、ショート後ろへのポップフライ。

 これでこの回も池田はチャンスを逃したと思ったが、ショートの西村が追いつきながら落球。前の試合で超ファンインプレーをしている名手・西村としては考えられないような凡プレー。記録はツーベースとなり、池田が1点を先取。さらに続いたツーアウト2、3塁から、水野がお家芸の叩きつけるバッティングで、セカンドへのタイムリー内野安打。

 この2点で水野はますます調子に乗った。主審を務めた西大立目氏も、「あの球は高校生には打てない」と舌をまいた水野の剛球。さらにこの試合はカーブ、スライダーも切れ、三振の山を築いていった。

 三浦も打たれながらなんとか踏ん張っていたが、8回表に追加点を奪われた。ツーアウトランナーなしから江上にショートオーバーのツーベースを喫し(ただし、この打球も西村が取れない打球ではなかった)、今度は水野にセンター前へ会心のタイムリーを打たれた。

 この1点は完全にダメ押し点であった。横浜商打線も得点力があるが、この日の水野の出来では到底得点は望めなかった。9回裏はトップから始まる好打順も、あっさり三者凡退。最後のバッターの高井も三塁ファールフライに倒れた。

 こうして池田の春夏連覇の偉業が達成されたのである。明徳戦は苦労したが、水野の剛腕ぶりといい、下位まで強打者が並ぶ打線といい、その戦力、戦いぶりからして文句なしの優勝であった。

※決勝戦が行われた夕方に関東のローカルニュースで宿舎の横浜商の様子が伝えられたが、あまりの完敗に横浜商の選手は一様にさばさばしていた(2年前のお通夜のような雰囲気であった印旛とは大違いだった)。なにより最後打者になったキャプテンの高井が、「球が速過ぎてあの様ですよ」と、苦笑いしていたのだから。そしてニュースを読んだアナウンサーも、「相手が強過ぎましたね」と言っていた。

 池田はどんな試合展開になっても勝利したことが素晴らしい。1回戦と準々決勝では投打に相手を圧倒し、2回戦は中盤までがっぷり四つに組んでからの爆発。準決勝は終盤での逆転劇。そして決勝は序盤からのリードを保っての勝利。かつてこれほどの強さを見せて優勝したチームがあったろうか?

 池田が選抜で優勝した最大の要因は水野の好投にあったといえる。中盤まで相手投手を打ちあぐんだ岐阜一戦、1点がなかなか追いつけなかった明徳戦、そして3得点に終った横浜商戦と、いずれも水野が踏ん張らねば落としていただろう。

 水野の安定感は記録を見てもわかる。45イニングで打たれたヒットはわずか20本。許した長打は明徳戦の2塁打2本だけ。そして失点はたったの2点。それも自責点はゼロ。タイムリーヒットはおろか、犠牲フライさえ1つも許さなかったというのは圧巻としかいいようがない。

 もちろん、その猛打も忘れてはならない。準決勝、決勝では全国有数の好投手に当たったのでそれほど得点はできなかったが、少しでも甘いところにくると確実に長打するのは相変わらずだった。そして蔦監督が「昨年のチームはカメさんチームやったが、今年のチームはウサギさんチームじゃ」と言うように、足もあるのが魅力であった。

 この磐石の優勝により池田人気はさらにヒートアップした。なにせNHKですら池田の優勝を祝福するような選抜のハイライト番組を作成したのだから。その番組の中で、蔦監督が慈しむようにナインを自ら紹介する場面があったが、それを見てもその番組が池田礼賛の番組であったことがわかろう。

 この春夏連覇で史上初の3連覇の声がファンやマスコミの俎上に乗るようになった。しかし、打倒池田に燃えて夏の大会に出てきた高校は粒揃いであった。

 蔦監督が常に動向を気にするほどの実力を秘めた箕島、剛腕・野中を擁する中京、三浦を中心に高い総合力を持つ横浜商、選抜後の練習試合で池田に5−0で完勝した興南。さらには、ともに高いチーム力を誇る広島商と高知商。このほかにもレベルの高い高校が陸続と夏の甲子園にやってきた。

 果たして、この包囲網を突破して池田の史上初の3連覇は達成されるのだろうか? そして、池田を破るとしたらどのチームか? 1983年の夏はいまだかつてない盛り上がりを見せたのであった。


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