1982年

・夏の大会

 荒木、池田の猛打に散る


 
 ついに荒木大輔にとって最後の夏が訪れた。真紅の大優勝旗を掴む最後のチャンス。しかし、その前に立ちはだかるチームの質は、昨年や一昨年の比ではなかった。PL、箕島、明徳の全国実力3強に、選抜で不覚を取った横浜商。さらに、まだ見ぬ幻の強豪・池田。選抜で優勝候補であった上尾も含めて、この6校の動向がなんとしても気にかかった。  

 昨年より大幅に打力がアップした早実は、選抜直後の東京大会も軽く優勝し(関東大会は荒木が登板せず、早期敗退)、夏を前にチーム全体が好調であった。

 なにせ、選抜後に荒木が先発した試合で敗れたのは、招待試合における明徳戦だけであったのだから。東東京には選抜で幸運にも準優勝となった二松学舎もいたが、チーム力は早実が1枚も2枚も上。普通にやれば負けることはまず考えられなかった。

※早実−明徳は大接戦の末、3−2で明徳の勝利。このスコアを聞いただけで痺れてしまった。

※選抜後の練習試合で荒木と市立川口の斉藤雅樹(いわずと知れた、元巨人のエース)が投げ合っている。結果は1−0で早実の勝利であった。

※結局、この年のチームにおける早実−PL、早実−箕島は、招待試合でも実現しなかった。もし対決していたらと、今でも時々シュミレーションしてしまう。おそらく1点を争う試合になっただろう。しかし、勝負強さと試合運びに一日の長があるPL、箕島に勝てたとはどうしても思えない。ましてや先攻などを取ったら。どうせバカの一つ覚えみたいに先攻を取るのだろうけど


 3強の春季大会の成績はいうと、PLは大阪大会で優勝した後、近畿大会も制した。そして近畿大会の準決勝では、箕島を選抜と同じスコアの1−0で降していた。しかもこの時の完封は飯田−木本のリレーによるものであった。中村監督は夏の連戦を考えて榎田以外の投手にも登板機会を与えたのであろう。しかし、飯田−木本のリレーに完封されるとは、箕島打線はよほど湿っていたのだろうか? 尾藤監督のことだから夏にはきっちりと調整させてくるだろうと思ったが…。

 残る明徳であるが、こちらは四国大会決勝で池田を4−2と降し、貫禄を見せた。この試合、2年生の矢野がホームランを打つなど畠山を打ち込み、弘田も池田打線を7安打2点に押さえ込んだ。この結果を聞いて、あらためて「明徳、恐るべし」を実感したものである。  

 そして、いよいよ予選が始まった。果たして、早実を含めた注目7校のうち、甲子園に順当に駒を進めてくるのは何校になろうか? 高校野球ファンとしては、すべての高校が出揃い、高いレベルの試合が見たかったのであるが…。

 各地区で予選が始まった数日後の夕刊を見て、「え、まじかよ?」と声が出てしまった。埼玉県下で敵なしの上尾が2回戦で鴻巣高校に6−7でサヨナラ負けを喫したという。何でも、埼玉大会で連続100イニング無失点の日野が肘の痛みで絶不調だったとのこと。それにしても、東の横綱とまで言われた上尾が無名校に足元を救われるとは…。    

 そしてその数日後、朝刊を見て大絶叫。箕島が敗れただと? 吉備高校に2−3で負けたって、どういうことだ? あの強豪・箕島が地区大会で、それもノーマークの高校相手に得意なはずの接戦を落とすとは…。その前の試合も2−1という辛勝であったから打撃不振を心配していたのであるが…。

 エースの上野山が2−0のリードを守れず、6回の裏に突如崩れたそうだ。そして、その後、リリーフに出ていた下手投げの投手に無安打に封じられたらしい。箕島ともあろうものが焦って下手投げ投手の術中に嵌ったというのだろうか? 

 箕島の敗退は早実にとっては朗報であるが、容易には受け入れ難く、ショックであった。また、「これで打倒・PLが期待できるのは明徳だけになってしまった」と思ったのであった。  

 もう一方の近畿の大豪・PLも苦戦続きであった。とくに4回戦の桜宮との一戦は大接戦となった。桜宮は秋の大阪大会でPLに延長戦でサヨナラ勝ちを収めている実力校で、選抜前のアンケートにおいて中村監督は、箕島とともに、大阪からアベック出場となった桜宮を有力校に挙げていたほどであった。試合は1−1で迎えた9回裏、ツーアウト2塁から佐藤がサヨナラヒットをセンター前に放ったという。当時バリバリのアンチPLであった自分はこの記事を読んで、「何で佐藤と勝負するんだよ」と地団駄を踏んだものであった。

※大阪大会は夏も秋も1回ごとに組合せ抽選を行う。それで今回のPL−桜宮や92年の上宮−近大付みたいな強豪同士の対決が早い段階で見られるのである。

 それからさらに数日後、7時のNHKニュースのスポーツニュースを聞いていたところ、「今日、選抜で2連覇を果たした…」というのが耳に入ってきて、弟とともに大歓声をあげた。そのニュースを最後まで聞かずとも、予選途中の段階でPLのことがニュースになるとすれば負けたこと以外考えられないので、PLが予選で敗退したのが即わかったのである。  

 PLが敗れた相手が公立の進学校である春日丘というのだから、なおさら驚いた。しかも、この試合、PLの誇る榎田、飯田、木本の右腕3本柱がことごとく打たれたという。

 春日丘は8回表にホームランで同点に追いつくと、9回表にはトリックプレーを見せる。ツーアウト2、3塁でわざとセカンドランナーが飛び出す。キャッチャーの森がすかさすセカンドに送球しランナーを挟んだが、この隙に3塁ランナーがホームイン。

 1点を追う9回裏のPLはツーアウト2塁で、バッターは奇跡を呼ぶ男・佐藤。ここで佐藤はセンターオーバーに大飛球を放った。カクテル光線がきらめく雨の中、センターが背走に背走を重ね、見事この打球をキャッチ。ここにPLの春夏連覇の野望が絶たれたのであった。

 時をほぼ同じくして、明徳が高知大会の準決勝で高知商に3−6で不覚を取っていた。高知商相手に不覚というのは適切な言葉という感じがしないかもしれないが、この年の明徳の当たるべからざる勢いからして、そう言わざるを得ない。試合は3−3の同点から弘田が8回表に一気に3失点したのであるが、選抜での箕島戦、池田を寄せつけなかった戦いぶりを知る者としては、明徳の敗退は信じられない思いであった。

 明徳が消えたことで3強は総崩れ。早実、そして荒木にとって、これ以上のチャンスはない感じとなった。そして横浜商も神奈川大会の準決勝で日大高に0−1と、まさかの敗退。鬼の3強ほどの怖さはないが、何せ選抜で不覚を取った相手だけに、この横浜商の敗退も早実の優勝のためには歓迎すべきことだろう。

 これで残る早実にとっての強敵は池田だけとなった。池田はここ3年甲子園に姿を見せていなかったが、畠山の投球を初めて見た時、蔦監督は、「この子で3回は甲子園に行ける。甲子園の優勝もできるかもしれん」と思ったそうだ。

 しかし、昨年の夏の予選は、遠野と2年生同士の投げ合いとなった徳島商との準々決勝を1−2で落としていた。そして、秋の四国大会の1回戦で明徳に0−1で競り負け、新チーム結成時から選抜出場が確実視されていたにもかかわらず、選抜出場も逃した。

 それもこれも、「報知高校野球」に「池田は打てなさ過ぎる」と書かれたように、打力の弱さに原因があった。そこで蔦監督は以前にも増して筋力トレーニングに力を入れ、打力に磨きをかけたのである。この夏の予選、それが実を結び、猛打爆発となったのであった。そして、徳島大会の決勝戦、前年抑えられた遠野を打ち込み、畠山も豪腕ぶりを発揮して甲子園に乗り込んできた。

 さて肝心の早実であるが、決勝までは全く危なげなく勝ち進んできた。目の上のたんこぶであった二松学舎も早い段階で、なんと都立の足立高校に完敗するということもあって、甲子園へ進むのに障害になる高校はないと思われた。しかし、決勝の修徳戦は大接戦となる。

※この試合、本来なら神宮球場に応援に行くところであるが、ミーハー・アホ女の大嬌声に狂った昨年のことがあるので家で見ることにした。しかも、今年は荒木の最後の夏ということもあり、前年よりもミーハー・アホギャルはヒートアップしていたのである。

 この試合、珍しく後攻となった早実は、1回裏、池田の一塁線突破のツーベースで1点を先行。しかし、荒木がこの試合は不調。2回表にあっさり逆転される。その裏、早実は押し出しですかさず同点に追いつく。

 ここで修徳は下手投げの藤沢をリリーフに送ってきた。それから試合は膠着状態となった。荒木は依然として良くなくランナーを度々出したが、なんとか要所を押さえ、得点を許さなかった。一方の藤沢は速球が手元で浮き上がり、カーブも切れるという抜群の出来。早実打線から快音が消えてしまった。

 この藤沢の快投を見て、箕島が下手投げの投手を打てずに敗退したことが頭を過った。藤沢の出来からして、1点勝ち越されたらやばいのは明白。荒木がスコアリングポジションにランナーを置くたびに冷や汗をかいたもんであった。  

 結局、試合は2−2で延長戦に突入した。ここまで連続でピンチを絶ち切ってきた荒木であったが、延長10回表、またもやワンアウト2塁のピンチを背負った。2番打者をライトフライに打ち取ったが、セカンドランナーがタッチアップ。そして、慌てたライトの岩田がサードへ大暴投。その瞬間、東山戦の悪夢が甦った。

 ところが、東山ではバックアップを怠った荒木がバックアップに入っており、フェンスに当たって跳ね返ったボールが荒木の正面にくるという幸運もあって、三塁まで行ったランナーは自重。しかし、まだツーアウト3塁のピンチ。

 この場面でバッターはキャプテンの一花。一花は荒木の速球を強振。誰もが三遊間突破と思い、カメラもホームインするランナーを映した。ところが、スタンドが大歓声。なんとショートの黒柳が横っ飛びでこの打球を押さえ、一塁に矢のような送球でバッターランナーを刺したのである。これぞ、黒柳、一世一代のファインプレー。ビデオで何度もそのシーンは映し出されたが、奇跡というしかないような凄いプレーであった。

 その裏、早実はワンアウトから3番の池田がフォアボール。4番の板倉がそれまで打てなかった外角のカーブをレフト前へ引っ張り、ワンアウト1、2塁とサヨナラのチャンスを掴んだ。続く打者は、途中から守備固めで入っていた左の萱原。

 萱原は低めに落ちてくる難しい球を拾い上げ、ライトの頭上を抜いた。セカンドから池田が歓喜のホームイン。ネクストバッターサークルにいた荒木もバットを持ったまま歓喜の輪に加わり、喜びを爆発させた。テレビも前の自分も大絶叫。

 ここに早実の5期連続甲子園出場が決まった。それにしても、早実ナインがここまで喜ぶのは珍しかった。それだけこの試合のプレッシャーが大きかったのだろう。

 ナインは大変だったろうが、ここで接戦を経験したのは、今後大いに糧になるだろうと思われた。なにせ早実は接戦に弱かったから。試合後のインタビューで小沢主将も、「他の地区で強い高校が次々に負けていますが、うちらしい野球をやって優勝を狙います」と、優勝への意気込みを語った。

※小沢が千葉英和高校の監督をしていたのは、高校野球ファンの間ではつとに知られている。しかし甲子園への道は険しく、一度も甲子園に出場しないまま亡くなってしまった。亡くなる数年前の千葉大会の開会式で、小沢は拓大紅陵の小枝監督に、「お前んとこ、甲子園に何回出たっけ?」と言われたそうである。「まだ出ていませんよ」と答えた小沢に、「そうか、そうだったけな」と、小枝監督はニヤニヤしながら返したという。小沢は、「あいつ、1回もうちが行っていないのを知っているくせに、わざと嫌味を言ったんだよ」と、かなり憤慨していたそうな。

 それにしても、今大会ほど甲子園への出場が絶対視された高校が次々と敗退していったのも記憶にない。2003年度も、浦和学院、遊学館、中京、徳島商と相次いで強豪が姿を消したが、PL、箕島、明徳とはスケールが違う。今もって信じられない3強の予選敗退であった。  

 3強の敗退により甲子園出場校の顔ぶれは寂しいものとなった。その中で優勝候補の双璧に挙げられたのは、早実と池田であった。新聞や週刊誌によってどちらが筆頭であるかの見解は分かれたが、両者の実力が一歩抜け出ているのは衆目の一致するところであった。  

 このほか有力校とされたのは、投打にバランスの取れた静岡、選抜ベスト4の中京、しぶとい東洋大姫路、堅実な広島商、強打の津久見などであった。このうち中京は、「早実、池田とともに3強を形成する」と、朝日新聞から高評価を得ていたが、選抜の戦いぶりやその戦力からして中京が早実や池田に比肩するとはどうしても思えなかった。

 このほか自分としては佐賀商もマークしていた。なにせ甲子園で新チーム結成から100勝目を目指すという実戦で鍛えられたチーム。好投手新谷と大型打線が噛み合えば怖い存在になろうと思ったのである。

 さて注目の組合せであるが、優勝候補の両雄である早実と池田はやや対照的な抽選結果となった。早実がそれほど苦になるような相手ではない宇治高校であったのに対し、池田は静岡という骨のある相手であったからである。ただ早実にとって惜しむらくは、1回戦がシードとならなかったことであった。荒木がややスタミナに不安があるだけに、2回戦からの登場を願ったのであるが…。

※それにしても荒木は京都勢とよく当たる。1年の夏は2回戦で東宇治。2年の選抜は思い出すのも忌まわしい東山。さらに3年の選抜は1回戦で西京商。そして今回も初戦で宇治とは…。  

 大会は2日目の第1試合にして大記録が誕生しそうになった。佐賀商の好投手・新谷が、木造高校相手にあと1人で夏の大会では史上初のパーフェクトゲームを達成というところまで迫ったのである。

 しかし、最後の1人、代打に出てきた1年生の代永に痛恨のデッドボール(27人目のバッターに1年生を起用するとは…)。その後、トップバッターを抑えてノーヒットノーランを達成したが、それでも何か物足りないというか虚脱感が甲子園を覆った。それはともかく、新谷の好投といい、打線の力強さといい、「早い段階で佐賀商とも当たりたくない」と思ったもんである。  

 2日目の第3試合に注目の池田が登場してきた。相手の静岡は速球投手の大久保に力の打線という好チームで、幻の強豪・池田の試金石として絶好の相手であった。

 ついにベール脱いだ畠山であったが、畠山は噂に違わぬ力強い速球を投げ、カーブやフォークといった変化球も鋭かった。ただコントロールがあまり良くなく、ボールが続く場面もしばしばあった。蔦監督によると、ファールとかでニューボールになるとコントロールを乱すという。看板の打線は力強く、この試合では猛打爆発とまではいかなかったが、ヒットとなる打球は凄い金属音がした。

※なんでも蔦監督は相手投手を脅す目的で最も金属音がするメーカーのバットを選んでいたという。さらに甲子園ではもっと音が出るように宿舎でバットにコールドスプレーを吹きかけていたそうだ。  

 試合は静岡が畠山の暴投で3回裏に1点を先取。これで試合が面白くなると思ったが、すかさず池田は4回表に反撃に出る。

 ワンアウトから4番の畠山がヒット。続く5番の2年生水野はセンターオーバーに大二塁打。しかし、ここで6番の宮本はショートゴロ。「スクイズをやれば良かったかも」と蔦監督はホゾを噛んだが、7番の山下がファーストを強襲し、打球はライト線に転がった。しかし、この打球、うまい一塁手なら処理していただろう。そしたら初戦ということで池田ナインがやや硬くなっていただけに、その後どうなっていたか。  

 さらに池田は5回表、1番の窪がフォアボールに歩く。通常なら送りバントであるが、「攻めダルマ」蔦監督は初球ヒットエンドランのサイン。これに2番の多田は見事に応え、センターへ強烈なライナーのヒット。このチャンスに2年生の3番江上が流し打って、左中間を深々と破る2点タイムリースリーベース。1死後、水野が得意の叩きつけるバッティングでサードの頭を超える打球を放ち、5−1。これで勝負あり。その後静岡は1点を返すのが精一杯であった。  

 強敵相手に投打に迫力を見せた池田であったが、内野の守備力の粗さと捕手の肩が強くないこと、さらに木目細かさに欠けることが露呈され、きちんとした野球をやればそう怖くない相手だと思った。ただ投打に超高校級なのは間違いなく、決勝戦まで当たりたくはない思いに変わりはなかった。  

 大会4日目、一方の優勝候補・早実が宇治高校と対戦した。宇治のエースは、荒れ球ながら力強い投球をするサブマリン・新多で、春の大会では10の四死球を与えながらノーヒットノーランを達成するという珍記録の持ち主であった。そして打線もまずまずという評判であった。  

 試合は3回まで0−0で滑りだした。懸念されたように新多の下手からの荒れ球が打てない。これは先に点をやれないと思っていた矢先、4回表に池田、板倉の連打で先取点を取った。

 これで波に乗った早実打線は新多を打ち込み、6回には荒木の甲子園初ホーマーも飛び出した。荒木のスリーランを見て、「今大会は荒木のための大会になるかもしれない」と思ったのであるが…。しかし、NHKも早実が点を取るたびに大騒ぎするミーハー・アホ女をイチイチ映すなよな。

※この試合、5番の石原(本来は投手であるが、打力を買われて5番に入っていた)が打席に入るとスタンドから大嬌声があがった。「石原ってそんなに人気があるのか?」と不思議に思っていたが、後にその理由がわかった。石原が打席に入ると6番の荒木がネクストバッターサークルに出てくるからであったのだ。

 こうして順調にスタートを切った早実であったが、気になるのは2回戦の組合せ抽選であった。池田、中京、佐賀商と当たる可能性があったので組合せ時は緊張したものの、相手は1回戦不戦勝の星稜となった。

※1991年まで1回戦不戦勝の高校の対戦相手は、残り2回戦の組合せが決まるまでわからなかった。だから、「それでは不公平」という声が強かった。事実、自分が高校野球を見始めてから、1986年に拓大紅陵が勝つまで1回戦不戦勝の高校が勝ったのを見たことがない。それほど1回戦不戦勝の高校にとって対戦相手がわからないままの調整は難しかったのであろう。  

 星稜の山下監督は、「荒木君攻略に秘策がある」と自信ありげであったが、選抜で日大山形に完敗しているし、自分としては、「単なるハッタリだろう」と思っていた。そしたら案の定であった。星稜打線は荒木から1点を取るのがやっと。そして、3人の左腕投手も合わせて3被ホーマーで10失点。試合後、山下監督も「完敗です」と言うのがやっという有様であった。

※さる後輩も言っていたが、星陵のエースといえば左腕である。79年の堅田、83年の荒山、87年の山崎、92年の山口、95年の山本…。    

 それにしても早実の強さはどうだ。1年生時のような力強さはないものの、荒木の安定感は大会随一。それ以上に打線が素晴らしく逞しくなっていた。とくに4番の板倉の成長で打線に芯ができたのが大きかったといえよう。小沢、岩田、池田、板倉、黒柳、荒木、松本、上福元と曲者が続く打線は機動力もあり、川又や荒木兄のいた77年や78年時の強力打線よりも得点力があると思われた。

 早実の快勝とは対照的に、池田は日大二高相手に大苦戦であった。日大二は、田辺、桧山、倉本の左投げ左打ちのクリーンアップを中心にその強打は大会屈指であったが、投手力が弱く、池田の餌食と思われていた。

 事実、池田打線は序盤から火を吹き、先発の右腕・野口から強烈なヒットを重ねた。しかし、ヒットの割に点が入らないのがこの年の池田の弱点で、ヒットで再三塁上を賑わせながら序盤で2点しか取れなかったのが苦戦の要因となった。3回に1点を取ってなおもノーアウト1、3塁の場面で三塁走者の多田が牽制で刺されてから、池田への流れが止まり、池田打線から快音が消えてしまった。

 そうこうしているうちに、それまで力強い投球で日大二の強打線を押さえていた池田の畠山が5回裏に2〜4番に3連打を食らい、一気に3失点。打たれ出すと単調になる畠山の悪いクセが出た感じであるが、この逆転劇にベンチの蔦監督も、「あかん、流れが完全に向こうにいきよった」と、危機感を抱いたという。だからこそ、次の回にワンアウトからヒットが出た際に、敢えて送りバントという作戦を取ったのだろう。

 この作戦に日大二は自分らに来た流れを簡単に手放してしまう。6回表、3回からセンターからリリーフに出ていた左腕の田辺が連続暴投を犯し、ヒットとバントでセカンドへ進んでいた宮本をホームに還してしまったのである。池田打線が焦りもあって田辺にタイミングが合っていなかっただけに、実に惜しい連続暴投であった。  

 これで息を吹き返した池田は、7回表に9番・山口が決勝のホームランを放ち、なんとか日大二を4−3で振り切った。しかし、早実が2回完勝している日大二にこれだけ苦労した池田を見て、「これなら勝てる」と思った。実際、日大二ナインも試合後口々に、「早実の方が強い」の言っていたそうである。

※池田の9番・山口が1回戦で打球を唇に当てて流動食しか食べていなかったことは、高校野球ファンの間ではつとに有名である。また山口が、「カーブの後のストレートを狙うのはセオリーですからね」と試合後のインタビューで早口でまくしたてていたのもよく知られているところである。この山口が9番というのだから池田打線は本当に凄かった。ただし、山口は前年の夏の予選で2年生ながら5番を打っていたが。  

 話は前後するが、ここで4アウト事件について触れておきたい。前代未聞の4アウト事件が起きたのは、帯広農−益田の9回表。もちろんこの試合も見ていたのであるが、あまりに注目度の低い試合だったこともあり、試合途中から意識を失ってライブで見損なってしまった。

 その日のスポーツニュースを見たが、帯広農のメガネの左腕投手が4本指を立てながらベンチに下がったのが印象的であった。帯広農の監督が「3アウトになってもチェンジにならなかったのを知っていたが…」と発言して、「知っていながらなぜ抗議しなかった?」と、かえって顰蹙を買ったのは気の毒であった。

 監督が抗議しなかったのも、当時は審判に異議申立てができない雰囲気が蔓延していたからである。しかし、4人の審判は誰も気がつかなかったのだろうか? ちなみに、この試合、羽佐間アナと池西増夫さんという黄金コンビが実況だった。彼らがどういう実況をしたのかを聞けなかったのは痛恨である。

 早実、池田のほか、佐賀商、中京、東洋大姫路、広島商、津久見もそれぞれ強い勝ち方で2回戦を勝ち進み、3回戦の組合せが注目された。荒木は、「池田と佐賀商が強敵」としており、キャプテンの小沢は、「大輔が4連投にならない組合せになってほしい」と願った。  

 3回戦の抽選というのは、ある意味一番緊張する。この大会でも心臓がバクバク。この感覚は高校野球ファンならわかってくれよう。

 去年は3回戦で報徳に当たって吐き倒れたが、今年は東海大甲府という怖くない相手が3回戦の相手に決まったものの、荒木が4連投になる組合せになってしまった。そして、池田は都城、中京は益田と、強豪対決は持ち越しとなった。そうしたなか、佐賀商−津久見という九州の強豪対決が目を引いた。

 楽勝が予想された池田であったが、またしても都城に苦戦。山口のホームランなど打線は力強さを見せたが、5得点に終わった。また畠山は全くの不調で10安打3失点。投打ともずば抜けて力強いことから怖い相手には違いなかったが、正直言って池田をそれほど脅威とはこの時点では思わなくなっていた。

 さて早実であるが、東海大甲府に意外とてこずった。というのも、この試合、荒木が今大会最悪の出来だったからである。初回、ノーアウト3塁のピンチでセンターに抜けようかという当たりを横っ飛びで押さえて、すばやい送球でホームでランナーを刺した小沢の超ファインプレーがなかったら荒木はKOされていたかもしれない。

 試合は早実が強打で常に先行していたが、5回裏に荒木が甲子園で初めてホームランを打たれて同点に追いつかれる。荒木が登板した試合でこういう展開は初めてだったので嫌な感じがしたが、7回表、4番・板倉の強烈な一撃が出た。ノーアウト1塁にヒットの池田を置いて、猛ライナーを板倉が放った。三塁手が思わずジャンプするほどの低いライナーであったが、そのままグングン伸びてレフトラッキーゾーンへ勝ち越しのツーラン。

 黒柳のツーベースからこの回さらに1点を加えた早実が6−3で東海大甲府に競り勝ったが、荒木がこの日のような出来なら池田には相当打ち込まれるなと思ったもんであった。

 早実−東海大甲府は大会11日目の第1試合であり、その直後に準々決勝の組合せ抽選が行われることになっていた。「とにかく池田とは当たりたくない。中京、佐賀商(津久見との対決が残っていたが)ともやりたくないな」と思いながら固唾を飲んで抽選の様子を見ていた。

 そこに、「放送席、放送席、ただいま勝ちました早稲田実業の和田監督のインタビューです」ときた。かぁぁぁ。「和田のインタビューなどどうでもいい。早く抽選を見せろ」と毒づいたが、どうにもならない。そして、ようやくインタビューが終わり、画面が抽選ボードを映しだした。そして真っ先に目に飛び込んできたのは…。

 
 3
 池
 田
 対
 早
 稲
 田
 実


 おい、まじかよ〜。いずれやらねばならない相手であるが、まだ早い。こうして去年の報徳戦に続いて、早実は2年連続して割と早い段階に最大の強敵と見えることになったのである。  

 池田戦の前に佐賀商−津久見の試合について書いておきたい。この試合、立ち上がりから佐賀商が優勢で、左腕の好投手・古木から早々2点を奪った。エースの新谷も好調でこのまま佐賀商が押し切るかと思われたが、スイングを止めたバットに当たった打球がライト前へのタイムリーになるなどして終盤に追いつかれてしまった。

 佐賀商も、9回裏、ツーアウト3塁のサヨナラの場面をつかんで打者は3番の強打の捕手・田中であった。しかし、リリーフに出ていた右腕・古田の速球についていけず、空振りの三振。

 それから試合は膠着状態になったが、津久見は、14回表、4番伊東のツーベースからスクイズで1点を勝ち越す。懸命のバックフォームも及ばず、新谷が思わず天を仰ぐというシーンであった。

 その裏、佐賀商のツーアウトから9番の山本が内野安打に出てスチールを決めたが、トップの深川がセカンドゴロで万事休す。一塁にヘッドスライディングしたメガネの深川の無念の表情と、試合後に佐賀商の板谷監督が、「負けたことよりも、このチームを手放すことが惜しいんです」と泣いてのが印象に残るナイターの好ゲームであった。

 迎えた準々決勝。まず、中京が津久見を5−1で撃破した。昨日の激闘後の第1試合というのは津久見に気の毒であったが、なにか野球の質が違うといった感がするような中京の快勝であった。

 この試合を見て、「中京、恐るべし」の認識となり、準決勝で中京に当たりたくないと思った。そして、第1試合後、準決勝の組合せ抽選が行われ、早実−池田の勝者は、東洋大姫路−熊本工の勝者となった。「よし、これで池田に勝てば決勝に行けるな」と思ったのであったが…。

 第2試合は、東洋大姫路−熊本工。接戦が予想されたが、試合を中断させるような雨が熊本工のアンダーハンド・奥村の投球に悪影響を与えたのだろう。これまで3試合連続シャットアウトしてきた絶妙のコントロールが影を潜め、機動力を駆使した東洋大姫路打線に打ち込まれてしまった。結局、試合は東洋大姫路が7−3で完勝した。

 続く第3試合は早実−池田の大一番。誰が見ても事実上の決勝戦のこの試合は打ち合いが予想された。自分としては5−3くらいで早実が勝つと思っていた。

 ただ気持ちの面では池田が勝っていたと思う。対戦が決まった時に顔をしかめた小沢キャプテンとは対照的に、池田ナインは一様に大喜びだったそうだ。

 また前の試合は雨で一時中断となったが、その時も早実ナインがダラダラと雨天練習場で過ごしたのに対し、池田は蔦監督が気合を入れ直したという。後にこれを聞いた時、「勝負はこの時点で決まっていたな」と思ったもんである。

※この試合前の対照的なナインの様子を見て、この試合の解説を務めた光沢毅氏は翌日の報知新聞で、「指導者の重みが違った」と書いていた。そして光沢氏はなぜか試合の途中から、「荒木が…。小沢が…」と選手を呼び捨てにし出し、かなり荒れた解説になっていった。

 試合は早実の先攻で始まった。池田も先攻を取るチームであるが、この試合では幸か不幸か小沢がジャンケンで勝って早実の先攻となった。

 それよりも問題に思ったのは、3番の池田と4番の板倉を入れ替えていたことである。勝っている時は動かないのがセオリーであるし、いったいこの入れ替えに何の意味があるのか? 今もってわからない。

※池田はジャンケンで勝てば常に先攻を取っていたが、これは蔦監督の性格によるものだろう。ちなみに、79年のチームは夏の大会では5試合とも先攻であったが、この時は当時のエース橋川が主将の岡田に先攻を取るように頼んでいたこともあったようである。

 1回表、いきなり先頭の小沢がセンター前ヒットで出塁。この時点で、「また優勝できないのか?」と思った蔦監督も短気だったと思うが、「よし、いける」と思った自分も甘かった。

 続く2番の岩田には畠山の悪い癖が出てストライクが入らず0−3。これはますますいい展開と思ったが、畠山はここから粘って2−3に持っていった。そして2−3から岩田はボール球を振って三振に倒れ、セカンドへ自動的にスタートしていた小沢も微妙な判定でアウト。この1球で畠山は調子に乗った。以降、畠山は今大会最高のピッチングを見せる。

 1回裏、池田の攻撃はワンアウトから多田の三塁前への詰まった打球を上福元がエラー。前の試合で降った雨の影響があったとはいえ、痛いエラーであった。

 ここで打席にはあまり当たりの出ていなかった2年生の江上。太めで愛嬌のある江上はいかにも田舎の好青年って感じであったが、この打席ではとんでもない打球を放った。膝元低めの難しいカーブを掬って、ライトスタンドへ特大のホームランを打ったのである。

 本人も、「二度とできないような最高のバッティング」と振り返った一撃が荒木に与えた衝撃は大きかった。というのも、これが甲子園で荒木が相手に初めて先制点であったのだ。打たれた瞬間、大きく顔をゆがませた荒木であったが、これも荒木には珍しいことであった。

 2回表、ツーアウト2塁で上福元が打った瞬間に島村アナも「大きい」と言った強烈な打球をレフトへ放ったが。しかし、詰まっていたのか、意外と伸びず早実は無得点。

 その裏、さらに荒木は打たれた。まず先頭の6番・宮本がセンターフェンス直撃の大二塁打(大二塁打は島村アナの実況による)。続く山下を三振に取ってホッとしたが、8番の木下が初球のストレートを物凄い金属音を残してのセンター前ヒットで、ワンアウト1、3塁。

 ここで2試合連続ホームランの「恐怖の9番打者」山口に、蔦監督はスクイズを指令。蔦監督は先取点は強打で、追加点はスクイズでいう攻撃パターンが多いが、まさにそれが図に当たった展開となった。

 山口のスクイズはファイルダースチョイスになり、差は3点に広がった。さらにトップの窪が粘ってフォアボールで出塁し、なおも1死満塁のピンチ。この場面で2番の多田がど真ん中のストレートを会心のスイングで左中間を真っ二つ。続いたピンチは凌いだが、これで0―5。

 いかに早実打線が強力で当たっているにしても、豪腕・畠山相手に5点のビハインドは重過ぎる。しかも、この試合の畠山は絶好調。3回表などは三者三振の有様であった。

 早実はようやく6回表にチャンスを掴んだ。エラー、四球、内野安打でノ−アウト満塁。バッターはこの日3番の板倉。それまで2打席凡退していた板倉だったが、ここは2−2からの変化球を三遊間にヒット。2人の走者が返って2−5。

 さらにノーアウト1、2塁のチャンスが続き、バッターは当たっている池田。畠山は乱れるとなかなか立ち直れない悪癖があるし、ここは押せ押せで強攻かと思われた。しかも、畠山の球は荒れ球でバントしにくいうえ、池田はバントが不得手。それがなんでバントなんだ?

  案の定、池田はバントを空振り。飛び出したセカンドランナーの岩田が挟殺されてしまった。これで、完全に潮は引いていった。もしここで池田にじっくり打たせていれば、少しは展開が変わったかもしれないと思うのは贔屓目だろうか?

 今大会の池田は点を取られら力ずくで取り返すという感じであったが、6回裏はまさにそうであった。ワンアウト1塁に四球の江上を置いて、5番の2年生・水野がセンターバックスクリーンへ特大の一発。120mは飛んであろうこの一撃に甲子園球場は驚嘆の声。解説の光沢氏も、「こんな凄いホームラン、見たことないですね。度肝を抜かれました」と驚いていたが、この水野のホームランは、選抜で鈴木康友(天理)や小早川(PL)が打った一撃よりも大きかったのではないだろうか?

 この脅威のツーランで完全に勝負あった。7回裏には、ノーアウトから8番・木下、9番・山口に連打され、ついに荒木は降板。島村アナの「荒木、KO」の言葉が耳に響いた。

 それにしても、まさに完全なKO。これまでも荒木は横浜戦、東山戦で途中降板したことがあるが、前2回はTKOという感じであった。それに対して今回のケースは、顔面に5連打を食らって顔から崩れ落ち、そのままカウントアウトというような壮絶なKO劇。グーの音も出ないとはこのことであった。事実、荒木も試合途中から、「相手が違う」と完全にシャッポを脱いでいたそうである。

 ノーアウト1、3塁のピンチで登板した石井はなんとかこのピンチを立ち切ったが、8回はもたなかった。なんと水野に満塁ホーマーを食らってしまったのである。ここで再度マウンドに上がった荒木も連打を浴び、さらに3失点。しかし、この回荒木が失点を重ねているのを見ても不感症であった。むしろ池田の豪打に感心していたような気がする。

 そして、あれほど猛威を振った早実打線も畠山の豪腕の前にすくみ、凡打の山。結局、2−14という信じられないようなスコアで試合終了。

 荒木の最後の夏がこのような結果になるとは予想だにしなかった。とはいえ、今回の敗戦はすがすがしいものであった。また、荒木自身の「悔いはないです」というコメントを聞いて救われる思いがした。

 優勝はならなかったが、荒木のおかげでどれだけ熱くなれたことか。荒木には、「本当に良くやった。これほど楽しませてくれてありがとう」という気持ちでいっぱいである。

※荒木という男は本当に好人物らしい。荒木の実直ぶりは、プロでのインタビューにおいても帽子をとって一つ一つ丁寧に答えていた姿からもわかるというもの。野球部の誰に聞いても、彼の悪口を言う人間はいなかった。これだけのスーパースターだとやっかみで陰口も聞かれても不思議はないが、彼に限ってはそういうこともなかったという。それだけに荒木に一度でいいから優勝の美酒を味わわせてやりたかった。だから、92年のシーズン終盤、荒木が肩の故障から奇跡的に復活し、ヤクルトの優勝の輪に加わることができた時は涙にむせんだものであった。

 早実の敗退で半分抜け殻になったのも事実であった。その後も大会は当たり前のごとく続いたが、劉備が死した後の三国志を読んでいるような気分で大会を見ていたことは否めなかった。

 準決勝の第1試合は、中京−広島商という古豪対決。重い速球の野中を中心に投打にまとまる中京が有利かと思われたが、この試合は広島商のサイドスロー・エースの池本が粘り強いピッチングを見せた。2回にスクイズであげた虎の子の1点を守り抜いたのである。

 とくに7回の1死1、3塁で3番のうるさい左の伊東をポップフライに討ち取ったのが見事であった。また、選抜で2試合連続ホーマーを放っている強打の4番・森田をノーヒットに抑えたのが大きかった。最後の場面も、ツーアウト1、3塁から森田をショートゴロ(ショート豊田のファインプレー)に仕留めたのであった。再三のチャンスを逃した中京としては、悔やんでも悔やみ切れない敗戦であったろう。

※広島商では、力で押す投手をエースにしないという不文律があるという。言われてみれば、この大会の池本、優勝投手になった佃、上野も、みんな打たせて取るピッチャーである。だからこそ守備を鍛え抜くのであろう。  

 第2試合は池田−東洋大姫路。前日の豪打を目の当たりにした者は誰もが池田有利と思ったろうが、前の試合に打ち過ぎて次の試合で打線が沈黙するというのを何度も見てきた。さらに東洋大姫路のエース中島は、池田が嫌う丹念に低めをつく投手。また打線もしぶとく、機動力がある。つまり東洋大姫路は池田が苦手なタイプであった。だもんで、ちょっと嫌な感じがしていた。

 その予感は的中する。1回表に2本の強烈なヒットを放ちながら強攻策が裏目に出て無得点に終わった池田に対して、東洋大姫路は畠山の制球難から2点を先取する。しかも、2点目はツーアウト3塁の場面で、5番の中島が叩きつけた打球がワンバウンドで大きくはずんで3塁内野安打になるという嫌な形で入っていた。

 しかし、この嫌な流れをすぐに変えるほどの豪打であったのがこの年の池田打線。5番の水野がヒットして、すかさず盗塁(太ってはいたが、水野は足が速かった)。続く宮本もヒットし、7番山下のフォアボールでノーアウト満塁。ここで8番木下が空振りした直後に三遊間ヒットして1点を返す。続くノーアウト満塁のチャンスは山口のセカンドゴロ併殺の間の1点に終わったが、池田はすかさず同点に追いついたのであった。

 以降、なかなか2−2のスコアは動かなかった。それは東洋大姫路のエース中島の踏ん張りによるところが大きい。球威はないが丁寧なピッチングで池田打線をかわしていた。

 しかし、6回表に池田に大きな一発が出た。ツーアウトから7番の山下が痛烈なヒット。続く8番の木下が中島のストレートを一閃。強烈な打球がレフトスタンドへ飛び込み、池田は2点を勝ち越し。ツーアウトランナーなしとなって、「この回も池田打線は肩透かしにあったな」と思われた矢先の下位打線による2点。まさに猛打・池田打線の真骨頂であった。

 東洋大姫路も8回に4番森脇のタイムリーで1点を返すが、このタイムリーで目を覚ましたのか、畠山は次の好打者・中島、氏丸をまったく寄せつけず、連続三振。その後も東洋大姫路打線にチャンスすら作らせず、1点差ではあったが余裕を持って東洋大姫路を振り切った。

 とはいえ、試合後の蔦監督は大汗をかいていた。インタビュアーの島村アナが、「どうも東洋大姫路は苦手のようですね」と切り出しが、その時も汗がとまらないほどであった。いずれにせよ、嫌なタイプの相手にこういう展開の試合を乗り切ったのは、池田に確かな実力がある証拠。これで初優勝へ向けて池田は大きく前進したのであった。

 決勝戦は、力の池田と技の広島商とまったく対照的な両チームの顔合わせとなった。しかし、チーム力はあきらかに池田が上。「広島商が勝つには池本が好投するしかない」というのが下馬評であった。

※その日の朝の「やじうま新聞」で評論家の藤原弘達が、「あのじいさんに優勝させてやりたいねぇ」と言ってように、高校野球の多くが池田の初優勝を望んでいたようである。

 「池本が好投すれば…」の広島商側の淡い期待は1イニング持たなかった。ツーアウトから江上以下の3連打に、宮本の押し出し四球、さらに山下と木下の連続ツーベースに、山口のセンター前タイムリー。池本の制球が甘かったとはいえ、胸のすくような池田の打棒。もうこの段階で池田打線は完全に観衆を虜にしていた。

 広島商もスクイズ、盗塁などでチマチマ反撃を試みるが、まさに「蟷螂の斧」といった感じで、池田は全く動じなかった。そして、あまりにも有名な7連打が6回表に出る。7連打のうちでもとくに印象的だったのが2番・多田のレフトフェンス直撃の2点タイムリーツーベース。これが2番打者のバッティングかと思うようなフルスイングであった。

 結局、池田は12−2で広島商を粉砕。蔦監督は、ついに悲願の優勝旗を抱いた。

※もろさは若干あるものの、1番から9番まで全員が振り切るバッティングでホームランが打てる打線というのは、あとにも先にもこの池田しか思いつかない。清原・桑田時代のPL打線にしても、誰かしら長打力に欠けていたのであるから。池田の切れ目のない打線の証左として、全員が大会後に全日本メンバーに選出されている。

※後に「報知高校野球」において、「PL、箕島、明徳が出ていたら、池田の優勝があったかどうか」ということが、ファンの間で甲論乙駁となった。自分としては、試合運びやキメの細かさで3強に一日の長があるように思う。ただ、それぞれのエースが少しでも不調なら池田の打力がものをいっただろう。


 この夏以降、池田の打って打って打ちまくる野球、田舎の純朴な青年のような選手達、蔦監督のキャラクターは甲子園で大人気を博するようになった。

 そして、翌年、池田はこの夏の優勝チームよりも安定感を増し登場してきた。果たして、池田の夏春連覇は成るのか? そして、やまびこ打線を封じる投手は誰か?



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