PL-宇部商

 
 プー太郎生活1775日目。

 今日は久々にザトペックになった。号泣組翁との約束が
「月曜に投函する」だからである。

 明日はトリミングの日でザトペックになれないというのも大きかった。

 ザトペック中、競馬がヘタクソな奴からラインが来た。野郎、大穴を当てやがったのか。

 だったら、差し馬をデカくいこうじゃないか。麻雀での3密など、恐れるに足らずだ。

 ザトペックが終わり、木曜と金曜のゲンダイを読むべく、郵便受けを開けた。

 郵便受けに何にもナイマンとは、どういうことだ? 金曜のはともかく、木曜のが配達されてねぇたぁ。

 こんな遅配は、ゲンダイを宅配にしてから初めてだ。まったくもってハガい。

 そこで、昨日、録画した85年夏の決勝戦のPL-宇部商を再生することにした。

 その試合の実況が羽佐間アナだったことは、クソ余裕で覚えている。

 羽佐間アナは、植草アナのようなPLびいきの実況ではなく、中立な立場での実況をしている。

 わしとしては、この試合では、植草アナのイっている実況の方が好きである。

 
「甲子園は清原の為にあるのかぁ」「PL学園が勝ったぁ」の大絶叫は常軌を逸していたが…。

 
「1985年の当時の実況のまま、お伝えしています」だと? 

 だったら、スペインW杯の西ドイツ-フランスも、当時の実況ので放送しとけや。

 西ドイツ-フランスの羽佐間アナの実況は正に神実況だったのによ。

 それにしても、PL-宇部商はいい試合だ。最強PLに五分に渡り合ったのだから、宇部商は大したものである。

 実際、中国地方では無敵で、選抜ではPLに2-6で敗れたものの、完敗ではなかった。

 宇部商の力を認めたからであろう、春にPLが宇部商を呼ぶ形で招待試合が組まれた。

 しかし、1回を終わってところで雨が激しくなり、中止になった。

 聞くところによると、1回表は桑田が三者三振に取り、1回裏に清原のタイムリーなどでPLが2点取ったという。

 ただし、選抜もその招待試合も、宇部商の先発は左腕の田上であった。

 田上は大会屈指の左腕という評判であったが、わしは、それ以上に宇部商の上位打線を買っていた。

 なのに、日刊スポーツは、宇部商の打力を4としてやがった。その節穴ぶりは、改めて書くまでもなかろう。

 最強PLと書いたが、朝日は、
「前年のチームの方がパワーがあった」と評していた。

 前年のチームは守備力も凄かった。セカンド、ショート、サードが6試合でノーエラーというのは奇跡的な記録である。

 それと、桑田も84年の方が安定感があったと思う。それでも宇部商戦は、4連投にも関わらず、快速球を投げていた。

 宇部商で最も活躍したのが藤井であることは衆目の一致するところである。

 このほか、ヒットメーカーの佐藤とともに、バントをしない異色の2番・河村も印象深い。

 驚くのは、この宇部商も、打倒・PLの最右翼と言われた高知商も公立校ということである。

 振り返れば、83年夏の大会でビッグ7とされた池田、箕島、横浜商、中京、高知商、興南、広島商のうち、私立は2校だけだった。

 私立全盛の現在では考えられないことである。もうそういう時代は訪れないだろう。

 85年当時、中村監督は39歳か。実年齢より老けて見えるな。

 当時の中村監督の給料が手取りで18万と聞いて唖然とした記憶がある。

 宗教法人が金にすこぶるシビアとはいえ、その実績からして、余りにも安すぎだ。

 サヨナラの場面は、今見ても鳥肌が立つ。植草アナが絶叫したのもわかる。

 PLのKOテーマが奏でられる中、金属音がして、ランナーが生還するという場面を何度見たことか。

 サヨナラのシーンで、PLの選手達が揉みくちゃになっているが、清原と桑田が抱き合うシーンがある。

 その2か月後、清原を出汁に使って読売に入団するたぁ、桑田のやったことは人間の所業じゃねぇ。

 呆れ返ったのは、清原にインタビューしたアナである。サヨナラの場面のアウトカウントを勘違いしていたとは…。

 そういうのは、こうやって映像として残るからシャレにならない。

 そのようなシーンもあったとはいえ、今日はいいものを見たわ。こういう日があってもいいだろう。

 おっ。明日は昼過ぎから晴れか。

 雨という昨日までの予報に吐いていたのだが…。トリミングの日に雨はハガいんじゃい。

 今日の夕食もあり合わせの惣菜で済ませた。ザトペックでカレーを作るパワーを抜かれたのである。

 明日は、具が豚肉とジャガイモだけのカレーの予定である。トリミングの往復で疲弊したら、コンビニのパンにする。

 たぶん、カレーパン、ソーセージパン、クリームパンになる…。了

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