大会15日目


 プー太郎生活2217日目。

 
「明日、勝つかと負けるかでは天国と地獄ですから」 

 昨日の勝利監督インタビューで、智弁和歌山の中谷監督はそう言った。

 それは智弁の兄弟校対決でも同じであった。試合後に泣き崩れる智弁学園ナインを見るのは辛かったわ。

 兄弟校対決が決まった時は、願望も込めて、
「智弁学園4-3智弁和歌山」と予想した。

 その予想が初回にいきなり外れた。4点も智弁和歌山が先取するたぁ。

 西村の球威がなかったのか? それとも智弁和歌山のバッティングの方が上だったのか? 

 智弁和歌山としては、先攻を取るスタイルが成功したな。初回に4点取ったことで相手に圧を掛けられた。

 その後、智弁学園に2点を返されたが、エースの中西がリリーフに出てから、また流れが変わった。

 智弁学園にとっては、6回表の追加点がクソ痛かった。サードフライの落球からの失点だったのだから。

 その後は智弁和歌山が着々と追加点を上げ、智弁学園は中西に抑え込まれた。

 今日は智弁学園が勝てる試合ではなかったな。チーム力は互角であっても、チーム状態が違ったのは否めない。

 智弁和歌山が4試合目、智弁学園が6試合目と、2試合も違ったのでは…。

 しかも智弁和歌山は対戦相手に恵まれてきた。智弁和歌山に負けた高校には失礼だが。

 だからと言って、智弁和歌山の優勝にケチをつけているわけではない。

 って、そういうのを世間では、
「ケチをつけている」と言うんじゃないのか?

 それにしても、優勝シーンは素晴らしかった。わしは、これ見よがしの1本指ポーズが嫌いなんじゃい。

 決勝戦が行えるとは、雨天順延の金太郎アメの頃は思えなかった。コロナ禍での大会だし、途中打ち切りを覚悟した。

 しかし、23日から今日までは、あっという間だった。狐につままれているようである。

 今年も甲子園ロスに苛まされるのは確実である。いや、既に祭りの後の虚しさを噛み締めている。

 ここで今大会のベストナインを考えてみたい。

 
投:中西(智弁和歌山) 
 捕:中川(京都国際) 
 一;新野(近江) 
 二:大仲(智弁和歌山) 
 三:山下(智弁学園) 
 遊:岡島(智弁学園) 
 左:前川(智弁学園) 
 中:宮坂(智弁和歌山) 
 右:小針(盛岡大付) 


 そして、今大会のベストゲームとして、智弁学園-明徳義塾を挙げたい。

 今日の日刊スポーツの一面は、三白眼の男が今夏で勇退したというニュースであった。

 そうか。三白眼の男がついに勇退か。

 72歳では体力が持たないのだろう。練習試合をすっぽかすなど呆けも進んでいるというし。

 帝京といえば、大型チームのイメージが強い。

 帝京における最後の大型チームは2012年のチームだったが、春夏とも甲子園には縁がなかった。

 夏の甲子園で優勝した大型チームは、吉岡、鹿野らの1989年のチームである。

 そして、選抜で優勝した大型チームは、三澤がエースだった1992年のチームである。

 1989年のチームは選抜でも優勝候補筆頭とされた。

 あの上宮の元木が抽選時に、
「帝京と当たるのかと思ってドキドキしました」と言っていたほどのチームだった。

 が、初戦で報徳学園に6-7で敗れた。帝京で琴光喜になっていたことで吐いたのは記憶に新しい。

 選抜で優勝した1992年のチームは、夏の大会でも当然の如く優勝候補筆頭に推された。

 全国屈指の好投手・三澤、予選全試合で二桁得点を叩き出した打線、予選を通じて無失策だった守備陣。

 投攻守のバランスがクソ高い次元で揃ったチームに、わしが賭けたのは書くまでもないだろう。

 しかし、初戦で心技体が充実し切っていた尽誠学園の渡辺に完封された。

 スコアは0-1。大型チームが負ける時の典型的なスコアであった。

 帝京は1995年にも夏の大会を制しているが、混乱の中からの優勝だった。

 選抜にも出場したのだが、三白眼の男の指導方針を巡って、主将など多くの3年生が選抜後に退部した。

 それで仕方なく2年生主体のチーム編成としたのであった。その若いチームは予選から勢いに乗り、夏の甲子園で頂点を極めた。

 ただし、予選での相手校を愚弄する采配、数々のラフプレー、投手の変え過ぎなどで大いに批判を浴びた。

 当時、選抜チームは優勝校の監督が務めることになっていた。が、猛烈な批判に晒された三白眼の男は辞退したのであった。

 1996年のチームには、エースの白木、4番の桝井、さらには大山、田村、坂本が残り、選抜では抜群の優勝候補と目された。

 だが、初戦で岡山城東にサヨナラ負けを喫した。スコアは5-6だったか? 

 その大会のNHKの中継では、初戦に両校の高校生マネージャーが放送席に招かれた。

 サヨナラ負けの瞬間、帝京のマネージャーが、
「あ~」と声を出したのを覚えている。

 かように、帝京は断トツの優勝候補と言われた大会で3度も初戦敗退をしている。

 しかも、全て1点差。それって、三白眼の男の采配が悪かったからではないか? 

 現に、報徳学園戦では、初回に先頭打者ホームランを打った蒲生の2打席目にスクイズをやらせて失敗している。

 帝京の甲子園大会における名勝負として真っ先に挙げられるのは、2006年の智弁和歌山戦である。

 が、わしは1987年選抜のPL戦が帝京のベストバウトと思っている

 当時は就職したばかりで、出前が取れなかった。それでも何度も席を立ち、トイレの中でラジオを聴いていた。

 9回表に帝京が2-2の同点に追いついたところで席を外せない業務を命じられ、結果を知らないまま昼休みとなった。

 昼休みは、選抜大会を大画面で映している喫茶店に行った。ランチにはサラダがセットになっていたが、そんなのは眼中にあらず。

 画面は第3試合を中継中で、チェンジになった際、スコアボードの上の方が映された。

 その際、
「帝京2」というのが目に入った。と同時に、絶叫マシーンとなった。

 延長戦でPLに負けたことが、即、わかったからである。

 帰宅して弟に試合の経過を聞いたら、延長戦で帝京がスクイズを外されたことを知らされた。

 だから、PL相手にスクイズは決まらんて。何やってんだ、三白眼の男は。

 ちなみに、弟はあまりに緊迫した試合展開で、1イニングごとにションベンに行ったそうである。

 わしも弟も、大のPL嫌いだったのだ。

 長々と思い出話を書いてきたが、わしにとってPL戦以外は敵役だった三白眼の男の勇退は寂しい。

 高校野球に人生の全てを捧げた三白眼の男には、
「お疲れ様でした」と言いたい。

 明日からまた通常の日々に戻る。しかし、通常の日々を送れることを幸せだと思わなくてはならん。

 何より小太郎が元気なことに救われている。このクソ暑さで昼間に散歩はできないが。

 今日は、決勝戦の予想記事を読みたくて朝日新聞を買った。

 160円の元を取るために全紙面に目を通したのだが、以下の短歌を読んで泣きそうになった。

 
「殺処分を待つ母犬が最後まで子犬に乳を与へてをりぬ」 

 小池はクソ野郎だが、東京都が犬猫の殺処分をゼロにしたのだけは評価したい。

 明日はティップネス帰りに魚を買って帰るか。肉食の金太郎アメに終止符を打ちたい。

 それが焼石に水なのはわかっとる。だが、そういうこっていいんじゃい。了

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