‘皇帝’、逝去

 
 プー太郎生活3068日目。

 起きてパソコンをオンにして、日刊スポーツのサイトに接したところ…。

 ‘皇帝’ベッケンバウアーが亡くなったことを知った。

 これで20世紀の偉大なサッカープレーヤーのうち、上位4人が鬼籍に入った。

 ちなみに、1位はペレ、2位はマラドーナ、3位はクライフ、4位はベッケンバウアー、5位はプラティニである。

 上位5人のうちでベッケンバウアーだけがディフェンダー。

 それがベッケンバウアーの偉大さを示していると言える。

 ただ、わしは西ドイツ代表でのベッケンバウアーのプレーをライブで見たことがない。

 78年のアルゼンチン大会では代表から退いていたからである。

 ベッケンバウアーはキャプテンとして、74年の地元・西ドイツ大会で優勝している。

 その時の西ドイツ代表には、他にゲルト・ミュラー、オベラート、フォクツ、マイヤーらが居た。

 それに弟が、
「メンバーがズルい」と言ったが、決勝戦の対オランダ戦を前に、ヨーロッパ中の記者が「オランダ有利」としていた。

 現地からの中継において岡野俊一郎氏も、
「ここミュンヘンでなく、中立の地だったら、3-1でオランダ」との予想だった。

 それほどクライフ率いるオランダが強かったわけである。

 その決勝戦ではオランダの出来が悪く、西ドイツが2-1で勝ち、ベッケンバウアーは随所に華麗なプレーを披露した。

 当時、ベッケンバウアーは円熟期の29歳であった。

 ベッケンバウアーは21歳で66年のイングランド大会にも出場している。

 ベッケンバウアーにしても、ペレ、マラドーナにしても、天才は早熟というわけである。

 ベッケンバウアーは、監督として、86年大会で準優勝、90年大会で優勝している。

 ただし、監督の時は、プレーヤーの時の冷静沈着さと違って、自チームの選手のミスに紙コップを投げるなど熱くなっていた。

 ベッケンバウアーは人としても優れていたことで知られる。

 それを窺わせるエピソードが羽佐間アナの著書・
「実力とは何か」に書かれている。

 82年スペインW杯の取材中にベッケンバウアーに出くわした羽佐間アナはサインを頼もうとした。

 が、急な用件が入り、ベッケンバウアーに、
「少し待っていて下さい」と言って、用件元へ行った。

 その用件が長引き、羽佐間アナはベッケンバウアーを待たせていることをすっかり忘れてしまった。

 1時間ほど経ってサインのことを思い出して、ベッケンバウアーと会った所に戻ったら、ベッケンバウアーがじっと待っていたという。

 西ドイツではONを合わせたようなスーパースターのそのような姿勢に、羽佐間アナは恐縮などというものではなかったそうである。

 ここにベッケンバウアー氏のご冥福をお祈りしたい。

 遠藤保仁が現役を引退か。

 遠藤といえばフリーキックの名手としてやPKでのコロコロキックで有名だが、ゲームの組み立てなども天才的であったと言われる。

 誰だったか、
「日本人で本当の天才は、両中村、遠藤、小野の4人」と言っていた。

 遠藤の代表152試合という記録は金字塔というしかない。

 今日はどのスポーツ紙も松本人志が一面であった。

 松本が芸能の活動を休止しようと、わしにはどうでもいいことである。

 わしはダウンタウンが大嫌いで、奴らが出る番組を一切見ていないからである。

 ほぉー。
「光る君」の初回の視聴率が大河ドラマ史上ワーストか。

 そりゃ、そうよ。平安時代の恋愛模様など、コアな大河ファンの年寄が見るかって。

 今後、一桁の視聴率もあり得るな。ま、それもどうでもいいことだが。

 というわけで、今日は買い出しに出掛けなかった。

 まだ果物とかがギリギリあるので、寒いことから日和ったのである。

 しかし、明日は買い出しに行かないとならん。

 というわけで、今日ももうすぐ終わる。

 その速さはジェット機以上という感覚である。

 明日もウダウダしているうちに終わるだろう。了


次の日へ 前の日へ
日記トップへ HPトップへ