小松辰雄氏

 
 プー太郎生活3548日目。

 今朝方、マリアナ海溝よりも深い眠りだったところ、小次郎に顔を舐められて目が覚めた。

 そういう時は時計を見ない主義なのだが、今日は時間を確認した。

 7時20分か。勘弁してくれよ。

 その時間ならドジャースの試合をライブ視聴できるな。

 って、今日のガーディアンズ戦は午前2時にプレーボールだったのか。

 それでは話にならん。録画したので見た。

 今日の試合はドジャースにはハガい試合となった。

 カーショーが粘投して試合を作り、8回表を終わって4-2とリードしていたのに、リリーフ陣が8回裏にマクられた。

 9回表に3点差で出て来たのは、ガーディアンズの絶対的守護神のクラーセ。

 最速164㎞のカットボールに、切れ味抜群のスライダー。

 そんなピッチャーから3点を取るというのはムリゲー。

 案の定、あっさり三者凡退で終わった。

 クラーセは、来年のWBCでドミニカのクローザーを任されよう。

 日本がドミニカと対戦して、9回に追いつかねばならない展開となっていたら絶望の2文字である。

 アメリカもドミニカもシャレにならないメンバー構成になるくせぇから、日本の連覇の可能性は極めて低いと言わざるを得ない。

 それにしても、ガーディアンズという名称には馴染めん。

 90年代後半に、ロフトン、バイエガ、アルバート・ベル、ジム・トーミ、マニー・ラミレスらを擁してクソ強かったインディアンズの印象が強いだけにな。

 散歩から帰って、火曜に録画したレジェン堂を再生した。

 今週のゲストは小松辰雄氏だったので、高校時代の話を楽しみにしていた。

 小松氏が注目されたのは、2年夏に甲子園でベスト4に進出した時である。

 大会前は
「小松」「こ」の字も話題になっていなかった。

 なにせ、その大会は、海星の酒井を筆頭に、黒田(崇徳)、久保(柳川商)、戸田(鉾田一)、赤嶺(豊見城)と、逸材揃いだったからである。

 その大会で一躍有名になった小松の星稜は、翌年の選抜大会、夏の大会とも優勝候補の一角に推された。

 だが、その年の星稜は小松のワンマンチーム。

 水島新司氏が土門の練習を見に来ていた記者に、
「ワンマンチームで優勝した例はない」と語らせたのと同じく、「星稜の優勝はないな」と思っていた。

 実際、選抜大会は初戦でかわい子ちゃん扱いだった滝川に0-4で敗れた。

 その試合では2回に4失点したのだが、1番バッターに走者一掃のタイムリー・スリーベースを打たれたことが記憶に残っている。

 夏の大会は初戦で優勝候補筆頭の智弁学園に当たるという不運で、これまた初戦で敗退した。

 試合開始前に1年生捕手がどこかに行っていてロクに投球練習ができず、ウォーミングアップ不足だったことで立ち上がりに乱れたということは知らなかった。

 その1年生キャッチャーは、後でチームメイトから締められたかもしれんな。

 小松氏の話はプロ時代の話も面白く、時間があっという間に過ぎた。

 中でも、中日のキャッチャーだった中村がピッチャーが打たれると星野監督からボコボコされたことで、怖くてピッチャーにサインが出せなくなったという話には驚かされた。

 コンプライアンスにクソうるさい今では考えられない鉄拳制裁である。

 小松氏が無双状態だったのは1985年であった。

 当時は槙原と球速比べをされており、85年は読売の札幌シリーズで投げ合ったと記憶している。

 その試合では中日打線が槙原を打ち込み、小松が読売打線を8回まで0点に抑えていた。

 ところが、9回裏、先頭打者が読売びいきで有名だった大里の故意ジャッジで一塁に生きたことで、小松がリズムを崩し、4失点した。

 試合には7-4で勝ったものの、試合後、小松は不機嫌攻撃を炸裂させ、大里のことを、
「全然見ていないでジャッジしている」と腐した。

 当時は読売びいきの故意ジャッジが横行していたのである。

 それにしても、小松氏があんなに弁が立つとは知らなんだ。

 今回のレジェン堂も消去せずに、HDDに残しておく。

 小松氏はここ数年の中日の弱さに言及していたが、その中日よりも弱いチームがある。

 言わずと知れたヤクルトである。

 今日はDAZNで中日戦を見始めたが…。

 まず、ヤクルトの先発オーダーに吐き、試合展開にも吐いた。

 3回表でゲンダイ読みに切り替えたわ。

 高津監督の責任を問う声があるようだが、今のメンツでは誰が監督でも勝てんて。

 メンツか…。

 6月ならツモれるかもしれん。

 7月には仕事が入るし、予選が始まる。8月は論外。

 しかし、7月からの五月雨式の仕事がメンドーだ。了

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