神が打たせた正義の一発@

‘読売、痛恨の敗戦’


  1986年10月7日 神宮球場 ヤクルト−読売最終戦

 
  売000002000…2
 ヤクルト01000200×…3


 
 
1986年。私は、この年以上に球界全体が読売を後押ししたシーズンは記憶にない。1996年の「メイク・ミラクル」とかいうミョウチキリンな言葉がはやった年も、球界やマスコミの読売優勝への加担は、確かにすごかった。しかし、私は1986年ほど陰謀が渦巻いた年はなかったと思う。

 1986年の前年、1985年は、阪神がランディ=バース、掛布雅之岡田彰布真弓明信らの猛打で優勝を飾った。しかし、その打力を減殺するためであろう、1985年のシーズンオフにストライクゾーンを下げることが決定された。

 この決定に読売の強い意志があったことは想像に難くないところである。また、この決定によって、「ストライクゾーンが変わった」という大義名分で、主審が読売に有利なジャッジを下す素地ができたといえよう。

 そして、1986年のシーズンが開幕した。1984年、1985年と2年連続でペナントを取れなかった読売は、この年優勝が義務づけられていた。また、球界全体に読売が3年連続優勝を逃したらまずいという雰囲気が醸成されていた。

 読売の開幕戦の相手はヤクルトであった。ヤクルトの先発は,私が大ファンであった荒木大輔。

 1−1で向かえた8回裏、読売は二死1・2塁で,バッターはウォーレン=クロマティ。

 バッター・イン・ザ・ホールから内角へ会心のストレート。誰もが見送り三振でチェンジと思ったが、田中俊行主審の右手は微動だにしなかった。荒木―八重樫幸雄のバッテリーは地団駄を踏んで悔しがったが、判定が変わるはずがない。その後、緊張の糸が切れた荒木はKOされた。その時、私は雀荘で聞いていたトランジスタラジオをぶち壊していた。

 思えば、こうした判定は、この年に数え切れないほど見られた読売寄りジャッジの嚆矢であった。

 開幕後、しばらくの間読売はクロマティの造反などもあり、下位に低迷していた。しかし、その後、徐々に読売は盛り返し、8月27日には2位の広島に5.5ゲームの大差をつけて首位に立っていた。


 この間における審判の読売びいきのジャッジは枚挙に暇がない。読売寄りの判定がこの年ほど横行したことはないだろう。


 その最たるものは、阪神のバースに対する井野修主審の判定といえよう。なんと、地をはうようなボールをストライクと判定し、チャンスで打席に立ったバースを三振させたのだ。いくらその年からストライクゾーンが下がったとはいえ、地面すれすれのボールがストライクとは…。

 また、当時月間MVPはリーグで1人であったのに、8月のセ・リーグ月間MVPは、特別措置でクロマティと槙原寛己が同時に受賞したということもあった。まさに球界の「巨人、頑張れ」という声が聞こえてくるような決定といえよう。


 これに激怒したのがミスター赤ヘル・山本浩二であった…。


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