1986年10月7日 神宮球場 ヤクルト−読売最終戦
読 売000002000…2
ヤクルト01000200×…3
ナインを前に山本浩二は、衣笠祥雄とともに、「お前ら、優勝したくないのか!」と檄を飛ばした。ここから広島の奇跡の反抗が始まったのである。
読売のもたつきと広島の頑張りにより、ゲーム差は序々につまっていった。そして、10月1日の公式戦が終わった時点で、読売と広島のゲーム差は2に縮まっており、読売は残り5試合、広島は残り9試合であった。
両者の直接対決はもう終わっていたので、これから先、いかに取りこぼしをしないか、それにすべてがかかったのである。しかし、広島は読売が5連勝した場合、9連勝しなければならないため、非常に苦しい立場にあった。
読売は,相手球団のだらしなさもあり,その後3連勝した。広島も3連勝したが、残り試合の多い広島の方が苦しい状況は変わらなかった。
そして、むかえた10月7日のヤクルト−読売最終戦。10月2、3日と神宮で不甲斐なく読売に敗れたヤクルトに対する風当たりは強かった。
中でもクロマティに満塁ホーマーを食らって敗れた3日の試合は選手に覇気がまるで感じられず、クラブハウスに引き上げる土橋正幸監督にヤクルトファンから、「土橋、八百長やってんのか!」という罵声が無数浴びせられた。その汚名を晴らすべく、土橋は、「今日はファンのためにもどうしても勝つ」と、この最終戦に悲壮な決意で臨んだのであった。
10月7日のヤクルトの先発は、今は亡きエース高野光。一方、読売の先発は槙原である。
当時、槙原は絶好調であった。150kmの剛速球と切れの鋭いスライダー、フォークは見ていて打てる気が全くしなかった。
試合は、2回裏、若き日の池山隆寛のタイムリーでヤクルトが1点を先取した。1点を取るのも困難と思われた槙原から奪った1点。この虎の子の1点を背に高野は好投し、5回まで読売をノーヒットに抑えた。そして,運命の6回の攻防となった…。
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