入院日記

 
 現在、午後8時半。NHKの「地球生き物紀行」を見ながら、この日記を書いているしだいである。今日のは、インドネシアの津波のニュースで特別編ということだそうだ。

 最初の方でアルマジロが出てきたぞ。
しかし、アルマジロを見て、「アルマジロング」とつぶやくのは、わしだけだろうか?

※アルマジロングは、「仮面ライダー」の登場した怪人であり、あのライダーキックが通用しなかった大豪としてあまねく知られる。その硬い鎧がライダーキックを跳ね返したのであるが、アルマジロングは腹に弱点があり、腹にライダーキックを食らって果ててしまったであった。


 
22日 吐き倒れる

 夜中の2時過ぎ、あまりの腹の痛さで目が覚めた。
「医者からもらった胃痛薬を飲めば飲めば大丈夫だろう」と高をくくっていたが、薬ごと吐いたのだから話にならん。

 それでも、それまでの胃痛では何回か吐けば痛みが収まっていたので、今回もそうだろうと思っていた。しかし、吐いても痛みは増すばかり。その後も吐きまくり、ついには胃液まで吐くという有様。
ふだん、「吐きまくった」と書いているバチが当たったのだろうか?

 6時頃には完全に吐き倒れ状態になったので、ばあさんが入院している病院に急患で診てもらうべく電話したところ、
「すぐ来てくれ」とのことであった。

 タクシーで行くのが一番便利なのでタクシーを拾ったのだが、
運転手のヤロー、道を全く知らんだと? 

 なんで、吐き倒れているわしが道案内をしなくちゃならないんだ? こんな時まで引きが弱いたぁ。


 病院に着いたら若い医者が出てきた。
「とにかく、検査してみないと」ということで、レントゲン、採血、超音波などいろいろやった。胃カメラも飲まされたのだが、これは注射で眠らされているうちに終わったので、なんてことはなかった。にしても、あっという間に眠りに陥らされた注射って?

 結局、検査の結果、十二指腸潰瘍と腸炎を併発しているとかで、数日間入院加療ということになった。
しかし、ばあさんと同じ病院に同時期に入院するとは…。で、運ばれた部屋はばあさんの隣の部屋であった。

 当日のわしの担当の看護婦は、
ばあさんを見舞っていた時からマークしていた人であった。しかし、病室に運ばれた後も腹痛が全く収まらず、とっつぁん流のセクハラをやる余裕など、まったくなし。しかも、ケアされている最中に、その人の左薬指に結婚指輪を見て、よけい吐いたのだった。

 午後から母親と義理の妹が見舞いに来たけど、不機嫌攻撃の連発。さすがに、こんな状態ではわがままになるわい。

 そして、夕方5時頃、思い切りもどした。でも、おかげで、すっきりした。

 それで、初めて運ばれた部屋にわししかいないことに気がついた。それと、当日が職場の忘年会で、わしが幹事をやっていることにも。

※前日、上司が出前を取った時、「明日の忘年会も出前だったら許さん」と言ってわしであったが、まさか自分がその日出前になるたぁ。しかも、自ら出前電話をかけられず、母親にかけてもらったのであった。

 しかし、すっきりして、余計なことを考えるようになったのが…。
つまり、病院は心霊現象のメッカであることに意識が行ったのである。果たして、その日、寝られるのであろうか?


 23日 ばあさん、大騒ぎ

 あにはからんや、前日はよく寝れた。その前の晩、2時間ほどしか寝ていないせいだったかもしれない。ただ、3つほど隣の部屋にいるじぃさんの
「死にたくねぇ」という絶叫で、時々目が覚めたけど。あと、点滴を取り替えに看護婦が来た時も。

 そういや、その晩、夜勤だった看護婦もなかなか感じが良かったな。にしても、そのじいさんと同部屋でなくて良かったぜ。

※看護師って言い方はやめれ。やっぱ、看護婦でないと…。そんなところまで男女雇用機会均等法を適用することもないと思うけどねぇ。

※生まれて初めて点滴を受けた。点滴を受けている最中に姿勢を変えられない&寝返りを打てないというのはハガかった。点滴中に変なふうに体を動かすと針がチクリとするし。

 病院の朝は早い。6時に、
「検温をお願いします」というアナウンスが流れるのはたまらん。

 
「検温なぞ、余裕で無視じゃ」と思っていたところ、血圧を測りに、夜間に点滴を変えて来ていた看護婦がやって来た。その日の朝はセクハラをやる余裕があったので、「朝は体温が低いのですか?」、「血圧はいくつまでが正常値なのですか?」という、ドくだらない質問を再三したわしであった。

 しかし、この程度じゃ、あかん。
とっつぁんに看護婦へのセクハラ指南を受けておけば良かったか。

 
「しばらく点滴だけで食事は出ない」ということを、午前中の回診であらためて聞かされたが、回診中、隣の部屋からばあさんの大絶叫が聞こえてきた。「泥棒や、泥棒。誰か、はよう来て〜」と何回も叫ぶから点滴車を引いて行ってみたら、医者がばあさんの耳たぶのかさぶたを取っているところであった。

 何でそれが何で泥棒になるのか、まったくわけがわからん。それはともかく、ばあさんのところにいた看護婦め。
「ほら、お子さんも心配して来ましたよ」とは、なんたる間違いだ。

 俺は孫だ。子という歳じゃねぇ。

 その後もばあさんは、おしめの交換の時も、体を拭いてもらう時も、
「何すんのや」「冷たいって言うとるんや」と大騒ぎしていた。イチイチその度に見に行くのもなんなので、自分の部屋にいたけど、「看護婦もつくづく大変な仕事だ」と思ったもんだった。

 ところで、その日の看護婦も良かったぞい。
入院患者が看護婦に惚れるというのもよくわかるってもんだ。それと、キムラ店で、ナース服のコスプレをやる客が多いのにも合点がいった。

 それはともかく、元気になるとやることがまったくない。しゃあないんで、廊下の書棚に並べてある
「ナニワ金融道」を読みまくった。

※初めて本格的に「ナニワ金融道」を読んだけど、名作というだけあって、すこぶる面白かった。「ナニワ金融道」を読んで、あらためて大阪の金貸しのえげつなさを実感した。今度アホ後輩に「ナニワ金融道」を読ませて、金利を一切取らないわしやミスターXが現人神であることを知らしめんといかんな。

 そうこうするうちに、夜になった。今日こそは心霊現象に恐れおののくことになると思ったが、点滴に睡眠剤でも入っているのか、9時の消灯とともに寝てしまった。

 しかし、今日も1日クソが出なかった。点滴だけでメシを食っていないのだから当然かもしれんけど、
クソが出ない日なんて記憶にねぇなぁ。


 24日 病院でクリスマスイブ

 
クソ〜、クソが出ねぇ。メシを食ってないからだろうけど、どうも気分が良くない。

 それにしても、点滴というのは凄い代物だ。点滴を受けているだけで元気になる感じがする。そして、食欲も起こらんし、喉も渇かんのだから。

 
「ナニワ金融道」もそろそろ飽きてきたので、午後からは、昨日弟が家から持って来た、本多勝一氏の「貧困なる精神」を読んでいた。「貧困なる精神」を読むと溜飲が下がるのはいつものことである。

 N集でデマゴーク野郎のことを、
「嘘つきと卑劣な小心者とをこねて団子のようにした男」と書いてあったのと、R集で小泉を総理にしている民度の低さを指摘していたのには、思わず快哉を送りたくなったわい。

 ところで、夕方に部屋を移ることになった。今度移った部屋にはすでに3人いたので、ホッとしたわ。というのも、もう完全に病院の夜にビビッていたからである。

 
ただ、その日の晩は1人カルピスを予定していたのが…。しかし、クリスマスイブに病院で1人カルピスって、不毛の究極タイガーだろう。

 そういや、今日は職場で健康診断をやる予定の日だったな。
バリウム検査で下剤飲んで、ケツからホワイトクリスマスを目論んでいたのによ。今回の入院でいろいろと検査したし、まあいいか。


 25日 献立表にめまい

 1人部屋の時は、起床時間になっても、部屋の電灯をつけられることはなかった。だもんで検温後は2度寝できたけど、4人部屋では6時と同時に電灯が…。しかも、他の入院患者が蠢くから、惰眠をむさぼるのは無理であった。

 今朝も相変わらず点滴を受けていたのだが、午前の回診で医者から、
「今日のお昼と夜は流動食にします。それで問題がなかったら、明日からおかゆにしましょう」と言われた。

 流動食やおかゆなどどうでもいいけど、
問題はおかゆになった時のおかずだ。廊下に献立表が載っているので、回診終了後、点滴車を押しながら、速攻でチェックしに行ったのだが…。

 
そうだろう、そうだろう。レタスサラダ、なんたらの酢の物など、わけのわからない物が、毎食1品は出くさるのだ。献立表を見てめまいを起こすなど、小学校以来である。

 まあいい。
レタスサラダなど、相手にせずだ。下手に食って、また吐き倒れたら、入院延長ってことになりかねんからな。

 午後からサッカーの天皇杯の準決勝を観ていたけど、
観ながら、ずっと献立表に載っていた嫌いな物と闘っていた。病院によっては残すと怒られると聞いたことがあるし。

 今日、やっとクソが出た。これで便秘との闘いは終わった。しかし、新たなる闘いは勝てる見込みが全くない。どうやって切り抜けようか、妙案が浮かばんなぁ。


 26日 はまる

 
いよいよ、病院食が出る朝になった。今朝のおかずはレタスサラダと鳥のささみ。しかし、運ばれてきたトレイを見て、目が点になった。心の支えであった鳥のささみが野菜の煮付けに代わっていたのである。

 これは、いったいどういうことだ? 小学校の時も、フルーツポンチが土壇場でグリーンサラダに変更になり狂ったことがあるが、それ以来の衝撃だ。

 おそらく、医者がまだ肉類は無理と判断したのだろうけど…。レタスサラダも、ドレッシングがかかってなく、レタスが細切れになっていただけのものになっていたから、そうなのだろう。

 しゃあないんで、野菜の煮付けを食べたが、やっぱ口に合わんかった。レタスは食べたかって? 
細切れだろうがなんだろうが、レタスの分子構造が変わるわけでもないし、そんなもん、余裕でパスだ。

 ただ、ここで助かったのは、トレイを係りの人が引き上げに来るのではなく、自分で廊下まで行ける患者は、自分でトレイを廊下に置かれている食台まで持って行く方式であったことである。

 しかし、おかゆを食べるのも一苦労であった。まるで、塩気がないし、腹が膨らまないし(もうその日は、点滴の本数が日に3本に減っていたのである)。それでも、昨日の流動食よりは、なんぼかましであった。

 流動食のまずさは、他に例えようがない。ちなみに、流動食を食べたのは生まれて初めてだった。

 当然の如く、午前の回診で医者に、
「どうです? 朝食、全部食べることができました?」と聞かれたけど、「ええ、いちおう、全部食べました」と答えてやった。

 まさに意味のない見栄。
でも、たぶん、医者の「全部食べる」と、わしの「全部食べる」の意味合いは、かなり違うだろう。

 今日の日曜午前中は、男性の入浴日である。水曜に入院して以来、風呂に入っていなかったので、回診が終わるや否や、風呂場に直行したわしであった。

 ただ、点滴を受けていた箇所をビニールで巻かれ、それをしてくれた看護婦に、
「そこはなるべく水をかけないように」と言われていたので、それは注意するようにしていた。

 その看護婦も素晴らしく良かった。なんで、風呂から上がって、またビニールを取ってもらうのも楽しみにしていた。そして、湯船につかりながら、
「このまま入院が長引けば、きっと惚れてしまうだろうなぁ」という妄想に捉われていた。

※ここで、風呂場で1人カルピスに興じなかったと書いておきたい。わしはとっつぁんじゃないし…。本当は、公衆浴場ということで、自重しただけだけど。

 
「さて、どうやって、あの人との話を長引かせるかな」と考えながら部屋に帰って来たのだが、部屋に入るなり、目が点になった。

 
なんで、美人看護婦から、ばばあ看護婦に替わっているんだよ。しかも、いきなり、「そんなにビニールのところを濡らしてきたらダメでしょ」と、小言を食らったぞ。

 この衝撃は、いつぞやエステで、わしの担当がお気に入りのエステシャンからカマ野郎に突然代わったのに勝るとも劣らなかった。


 すっかりしょげ返っているところに、昼飯に酢の物が出てきくさった。まさに、泣きっ面に蜂。

 酢の物に箸をつけなかったのは言うまでもない。
酢の物を残したトレイをばばあ看護婦に見つからないかと冷や冷やしたなんか小学5、6年のばばあ教師との対決みたいだなぁ。

 午後から母親が来て、いろいろわしの世話を焼いていたのはいいのだが、
しっかり冬彦会話を他の患者に聞かれたぞ。

 ふつう、わしの歳ならば、かみさんが来るところだろう。ま、ない物ねだりをしてもしゃあねぇ。

 夕飯はトマトに敗れたが、なんとかばばあ看護婦に見つからずに済んだ。しかし、くだらんことに気を取られたせいで、
「新撰組」総集編に集中できなかった。

 とはいうものの、
「新撰組」総集編の第3部はいただけなかった。新撰組が京都で血の雨を降らせたシーンがほとんどないたぁ。

 それはともかく、
まずいのは、テレビのリモコンをなくしたことである。ばあさんの部屋のをぎってこようと思ったけど、さすがにそれをやったら人間失格になってしまう。

 しかし、なんで、イチイチこういうことになるのだろうか? とにかく、今日は日が悪かったわ。



27日 退院

 今日は、待望の退院日。
「今日で朝6時に起きるのも最後」と思うと、朝6時に体温を測るのも苦にならなかった。しかし、34.9℃って、どういう体温なんだ? 

 今朝のおかずは、モヤシとタマネギを炒めたものと青豆。いずれもとくに嫌いではないけど、おかずとして貧弱過ぎるわ。やっぱ、病院食はわしにとって鬼門のようだ。

※ところで、なんでばあさんの朝食に出ていたヨーグルトがわしに出ないんだ? すこぶる納得いかん。

 朝食が終わった後、セカンドゴロの看護婦に、
「今日は何時に帰られます?」と聞かれた。もう病院のメシはご免と思い、「11時過ぎに出ます」と答えた。が、9時過ぎに昨日わしが惚れかけた看護婦が出勤してきた。かぁぁ。だったら、夕方に帰るんだったわい。

※わしが見た限り、その病棟の看護婦は12打数6安打1死球。

 話は前後するけど、午前7時過ぎ、ばあさんの様子を見に行って部屋に帰って来たら、わしの隣のベッドにいた若いのがいなくなっていた。そいつと直接話しはしなかったけど、そいつと医者の会話によると、なんでも3日前の金曜の朝、突然血を吐いて意識を失ったとか。

 本当は1週間くらい病院に安静する必要があるらしいのだが、彼は、
「月曜の8時から、絶対に欠席できない会議があるんですよ。それに、来月の5日まで1日も休めないんです。なにせ、9月に会社作ったばかりなんで…。ですから、月曜の朝に退院させて下さい」
と、医者に懇願していた。

 医者は渋々退院をOKしたが、そのスケジュールで、そいつは耐えられるのだろうか? 来年の5日まで、31日の1日しか出勤しないわしとは大違いだ。それを聞いたら、そいつは怒りのあまり、また吐血するかもしれんな。

※彼は、看護婦に、
「夜、なかなか寝られないんです。誰かが先に寝てしまうと、どうも眠れなくなってしまって…。それと、好き嫌いが多くて。たぶん、たくさん残すことになると思います」と言っていた。しかし、その彼がO型だと? そんな神経質なO型は聞いたことがないぞ。わしの周りでO型で偏食なのはモノホン君だけだし。

 で、結局、テレビのリモコンは見つからなかった。
わしはワシントンではないので、そんなもん自首せんが、その後、連絡がないということはどこかにあったのだろう。

 それはともかく、ばあさんの部屋から出て来たわしをうろんな目で見る患者が多いのには閉口する。おそらく、わしが何か盗みに入ったと思っておるのだろう。

 中には、看護婦に訴人した患者もおるかもしれん。まあ、ふつう、ばあさんと孫が同じ病棟の同じ階に入院しているなんて、想像できんわなぁ。
でも、実際、ばあさんのテレビカードをぎってきたのだから、どうしようもない。

 帰り際、医者に何度も、
「お酒は控えて下さい」と念を押されたけど、そんなにわしは大酒飲みに見えるのかいな? まあ、こういうのには、もう不感症だけどね。

 というわけで、11時半頃、6日振りに家に帰ってきた。何がいいかって、病院食から解放されたことである。そして、退屈からも逃れられたことも。

 さっそく、住友生命に不幸の電話をして、入院料を請求した。

 
あいつら、ちゃんと払うんだろうな? 満額出なかったら、即、解約だ。

 こうして病院での生活も思い出になってしまった。過ぎてしまえば、あっという間であった

 。とにかく、こうして無事に退院できたことは何よりである。でも、なんか寂しいなぁ。



次の日へ 前の日へ
日記トップへ HPトップへ