四国編
昼休みに紀伊国屋に行っていた。そこで、「にっぽんの高校野球・四国編」を買った。
四国といえば、なんといっても池田高校である。いくらなんでも、四国4商はわしにとっては古い。
池田高校のコラムが6ページに渡って載っていて、実に読み応えがあった。特に水野の談話が興味深かった。
「オレと畠山さんしかバッティングに応用が効かなかった」
「練習試合ではオレの方が畠山さんより投手としての成績が良かった」
「オレを凄く大事にしてくれた畠山さんを男にしたい」
「1年の秋の四国大会は、明徳以外はどうってことなかった」などなど。
それと、最後の夏に水野がマークしていた高校が中京、横浜商、久留米商というのは驚いた。中京と横浜商はわかるが、久留米商を警戒していたのは意外であった。練習試合で吉田が山田から2ホーマーするなどして4−1で勝っていることを知っていたので、よけい意外な感じがした。
わしは、水野は、中京の次に興南を意識していると思っていた。なんといっても、招待試合で0−5と完敗していたのでな。
「にっぽんの高校野球・四国編」には、四国4県名勝負10番が載っていたが、82年夏の池田−早実が選ばれていたのには納得できなかった。
この試合で高校野球の潮流が変わったのは確かである。が、試合は池田の一方的な勝利であった。
わしが編集者なら、79年夏の浪商−池田を入れる。初回から物凄い緊迫感があった。この試合は、蔦監督にとって会心の一番ではないか?
「向こうにはキャッチャーやらピッチャーやらにスターがおってな。そんなもん、こっちには誰もおらん。それを一丸となってぶつかっていったんや。お前らも、そないな根性見せなあかんぞ」 この蔦監督の水野らへの檄に、その試合のすべてが集約されている。
職場に帰って、「にっぽんの高校野球・四国編」の表紙を号泣組翁に見せた。そして、表紙の白髪のおっさんが誰かわかるかを聞いてみた。
写真のピッチャーが水野なのは書かずもがな
そしたら、クソ余裕で正解した。翁が知っているのだから、当時の蔦監督が如何に一世を風靡したかがわかるというものだ。
にしても、江上も老けたな。水野は当時とそんなに変わっていないが、江上は随分と白髪が増えた。
白髪といえば、イタリア代表のドナドニ監督だ。とても44に見えんぞ。ていうか、ザ・シークかと思ったわ。
「にっぽんの高校野球・四国編」には、85年夏の高知予選について書いてほしかった。85年夏の高知予選は、間違いなく史上最もレベルの高い地区予選であった。とはいえ、古い話だし、予選では万人受けしないだろう。
そろそろ、夏の予選の研究を本格化しないといかん。どこで勝負するか、予選の段階で見極める必要があるのだ。
しかし、今年ほど勝てる気がいない年もない。まじで、今年は見(けん)するかもしれん。
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