雨の富士五湖・前編

 
 朝起きたら雨が降っていなかった。しかし、家を出る時に降り始めた。気象予報士どもめ、天気を当てくさりやがってぇ。

 そして、富士吉田駅に着いた頃には大雨になっていた。それでも山中湖に行くことにした。

 バスがすぐに来たことは幸運だったが、山中湖に着いても雨足は激しいままであった。ゴルゴ13の
「チチカカ湖はどしゃぶり」に思いを馳せたことは書くまでもない。

 当然のことながら、山中湖から富士山はまるで見えなかった。晴れなら富士山を背景にした景色は絶景だというのにクソハガい。

 せっかく山中湖まで来たので、遊覧船に乗ることにした。45分の船の旅であったが周囲の山も雲で覆われ、風景をまったく楽しめなかった。

 
近いうちに、このリベンジに来る。たとえ1人でもな。

 帰りのバスを待つ間に風が強くなってきた。バスが定刻に来なかったら暴れていたところである。

 河口湖駅からホテルに電話して迎えに来てもらうことにした。ホテルの車を待つ間、ある思い出に耽っていた。

 それは、鶯谷駅にかかる陸橋の上で、迎えの白いクラウンを待っていた思い出である。
そのクラウンに乗ってどこに消えたかは、ここでは申し上げない。

 ホテルに着いたら、フロントで中国人夫妻のだんなが支配人と英語で話している光景が目に入った。わしにもわかる簡単な英語であった。

 部屋に入ってから相撲を見て、浴場に行った。そしたら、中国人のだんなが先に入浴していた。

 
そいつのおかげで、前を隠して風呂に入るはめになってしまった。ともかく、中国人と浴場でツーショットなど、初めての経験である。

 風呂から上がって部屋に戻ったら、夕食ができたという電話がかかってきた。時に6時半であった。

 
偏食主義のわしにとって、夕食は闘いである。食えないものが相当数あることを覚悟していた。

 が、和食だったこともあり、ほとんど食えた。漬物がカスター式であったのは幸運であった。漬物が各自の皿に乗せられていたらと思うとゾッとする。

 
もちろん、ノーヒッターにはなれなかった。
ふきに阻止されたのであった。

 それにしても、茶碗蒸しには大苦戦した。というのも、中に梅干が入っていたからである。

 口にしてから梅干であると気がついたが、最初から梅干が中にあることを知っていたら、茶碗蒸しに手をつけなかったかもしれない。茶碗蒸しに梅干を入れるという愚行を戒めたい。

 
梅干を食べたのはう生まれて初めての経験である。それで、梅干より芝漬けの方がはるかに強敵であることを悟ったのであった。

 メシも食ったし、ゲーセンで遊ぼうと思った。が、館内にゲーセンはないという。

 土産物も売ってねぇだと? 
そんなホテルはねぇよ。

 まあいい。土産は明日、河口湖駅の売店で買うからよ。

 仕方がないので部屋でテレビを見た。さんまの番組に付き合わされたが、何が面白いのか、さっぱりわからなかった。ディレクターも何を考えているのか? 

 8時から日本テレビにチャンネルを合わされた。それもバラエティ番組だったものの、さんまの番組よりは笑えた。ボビー・オロゴンが綿菓子作りに失敗して、
「アチッ、アチッ、バカヤロ」と怒っていたのに爆笑したわ。

 結局、11時に意識を失ってしまった。ふだん早く寝ていることが仇になったくせぇ。わしとしたことが不覚であった…。



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