歩いて帰宅する
現在、午後7時。職場から1時間半歩き通して帰ってきた。
こういう時は職場が近いのは有難い。でも、クソ早歩きをしたので、自宅の少し前で足がつりそうになったわ。
それにしても、寒いのに参った。風も冷たかった。厚着して行って良かったぜ。
大きな通りを通って帰ったが、タクシーはほとんど通っていなかった。たまに見たタクシーも空車はなかった。歩いて帰って正解だったな。
帰宅途中、中野坂上と落合のコンビニでションベンに寄った。緊張していたからションベンが近かったのだろう。
クソ意を感じなかったのは良かった。いずれのトイレも人が並んでいて、クソができる雰囲気ではなかった。
地震の直後から携帯で家に電話を掛けたが通じなかった。固定電話も使えなかった。
もしかしたら家が倒壊しているかと思ったが、家は無事であった。家具もいっさい転倒していなかった。被害に遭った人には悪いけどホッとした。
今日の地震、メチャクチャ怖かったわ。揺れが大きかったし、何より長かった。
その時、わしは職場にいた。免震構造が施されたビルなので震度7でも倒れないだろうが、生きた心地がしなかった。免震構造のビルだから振幅の幅が大きくなったのかもしれない。
揺れている間、誰彼なく話していた。話していないとパニックになるからである。
大学4年生の時に、大学そばの雀荘で震度5を経験したことがある。だが、あれはイカサマ震度5であった。その証拠に、みんな麻雀牌が倒れないかを心配していた。
今日の地震では、そんな余裕はなかった。震度5強の地震を体験したのは生まれて初めてである。
地震が起こった時、とっつぁんと号泣組翁は、昼休みで外に出ていた。地震をいいことに、とっつぁんは2時間近く帰って来なかった。ったく、しょうがねぇ奴だ。
翁は職場近くのビルの地下1階で食事していたという。「地下でも揺れましたか?」と聞いてみた。
「食べていたのは坦々麺で…」 だから、あんたが何を食っていたかには興味ないんだよ。こういう時も会話ができない翁である。
地下でも相当揺れたとか。大地震の時に地下にいたら閉じ込められる可能性がある。ホント、地震はいたとこ勝負だな。
職場の窓から外を見たら、外に出ている奴が大勢いた。それって、却って危ないんじゃないか? ビルからガラスが落ちて来るぞ。
今日は、床屋やキムラ店は商売上がったりだろうな。誰も行けねぇ。だいたい、キムラ嬢が出勤できん。
今も、号泣組翁、上司、大納言らは職場に残っているはず。翁は嬉々として職場に泊まるんじゃないか。
帰り際、翁に、「明日は校正の仕事をして下さい」と言われた。明日の仕事に考えが及ぶかって。明日、出勤できるかもわからないんだからよ。
明日も出勤である。明日は電車が復旧するか?
今日は余震で眠れないかもしれん…。
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