木村雅彦伝
今日も杖なしで出勤した。腰に多少張りがあるが、もう杖に頼らないで大丈夫だろう。
今日は昼休みに、退院してから初めて紀伊国屋に行った。むろん、ベストセラーコーナーはスルーだ。ベストセラーは読まない主義に変わりはない。
ベストセラーコーナーの少し先に置かれていた本の前で足が止まった。その本の題名は…。
驚くなかれ、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」だ。そんなもん、買うしかない。
が、ページ数に吐いた。701ページたぁ。それでも、いずれ機会を見て読破する。
木村政彦がグレシー柔術の始祖のエミオ・グレシーにアウェイで戦った記述部分だけ立ち読みした。少しにしないと切りがないからな。
力道山を知らない奴はいないと思うが、今の若い奴の中には、木村政彦の名前を聞いたことない奴が多いだろう。木村政彦が初耳の奴は恥ずべきだ。
木村政彦が柔道史上で最強であることは、誰もが認めるところである。かの倍達先生も、「全盛期の木村政彦と戦ったら、ヘーシンクもルスカも3分と立ってられない」と、自分の名前を賭けて断言している。
木村政彦の天才ぶりとウルトラ猛稽古については、「空手バカ一代」7巻を読め。
その木村政彦と力道山が対決したのは1954年である。2人のスーパースターの対決(別名:プロレス・巌流島)は、当時、視聴率100%。
しかし、この試合は引き分けで終えるという談合試合だった。それを力道山が途中で裏切り、全く油断していた木村をKOしたという話も、「空手バカ一代」に詳しい。
高校生の頃、うちのオヤジに力道山の裏切りのことを話してみた。張作霖爆殺事件の年に生まれたオヤジは、クソ余裕で2人の対決のことを知っていた。
そしたら、「力道山は、…だからな」という答えが返ってきた。…の部分については、ここでは申し上げない。
1954年から60年近く経った2012年に、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」が発行されたことは意義深い。セメントで対戦していれば、木村政彦が勝ったのは間違いない。
アマゾンの書評で、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を見たら、51人中45人が5点満点をつけていた。これは、何が何でも読まねばならんな。
話は変わって、今日は紀伊国屋でクソ意を感じなかった。コルセットを巻いているから、クソをするのはうざったい。クソ意を催さずに済んで助かったぜ。
明日は、まだ金曜。ゆっくり出来る日曜まで長い…。
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