1950

 
 号泣組翁が出前を取った。これで、2日−2日の同点になった。

 今回の翁の出前自由も、私事都合である。翁は、風邪では絶対に休まないのだ。

 そういや、翁は、「銀行に用がある」と言っていたぁな。果たして、銀行の窓口の姉ちゃんと会話が成立したのだろうか? 

 窓口の姉ちゃんは、「お客様、私の質問にきちんと答えて下さい」とは、仕事上、言えないだろう。それは、キムラ嬢がどんな奴の指名も断れないのに通じるものがある。

 ブラジルがやっとのことでウルグアイを振り切った。ブラジルはウルグアイの守りのサッカーが得手ではないから、チーム力に差があっても、勝つのに苦労したくせぇ。

 ブラジルにとって、ウルグアイは1950年の「マラカナンの悲劇」の相手である。

 1950年のブラジル・ワールドカップの決勝リーグの最終戦・ブラジル−ウルグアイは、リオのマラカナン・スタジアムで行われた。

 この大会だけ決勝トーナメントが実施されず、決勝リーグに進出した4チームによるリーグ戦の結果で、優勝が決まることになっていたのである。

 ブラジルの決勝リーグにおける最終戦の相手がウルグアイであった。最終戦までの勝ち点の差から、ブラジルは引き分けでも優勝、ウルグアイは勝つしか優勝がなかった。

 そんななか、後半にブラジルが先取点を挙げる。しかし、ウルグアイに同点に追いつかれると、チームが浮き足だち、逆転のゴールを叩き込まれてしまった。そして、そのままタイムアップ。

 その結果に何人もの観客が失神した。さらに、心臓発作で亡くなった者や自殺者も出た。

 敗戦の責任を負ったブラジルのGKが自殺し、その葬式に誰も来なかったというのは都市伝説になっている。

 前回の南ア・ワールドカップの南米予選で、ブラジル−ウルグアイがウルグアイのモンテビデオで行われた時、クソデカい文字で「1950」と書かれた横断幕が掲げられたのは、ウルグアイ側の嫌がらせであった。

 50年以上経っていても、「1950」というのは、ブラジルにとって忌まわしい年号になっているからである。

 スペインは、ブラジルが苦戦したウルグアイを、一次リーグの第1戦で圧倒した。それを南海権佐流の三段論法で考えたら、決勝戦はスペインの勝ちか? 

 決勝戦は結果を知らずに見る。今週の日曜は休みなので、ネタバレはクソ余裕でない。

 来年の今頃は、午前出前の金太郎アメか。「ただし、生きていたらだ」と、何度も言わせるな。

 さすがに、明日には死にたくねぇ…。



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