昔は悪運が強かった
今日のゲンダイの「芸能界事件簿」は、蛭子さんが雀荘で逮捕された事件が掲載されていた。
「蛭子能収は、ボートレースなど大のギャンブル好きで有名で、賭け麻雀で逮捕される騒動になったのは98年11月。
20日午後5時半、仕事を終えた蛭子は、午後8時に娘との夕食の時間の約束の前に時間を潰そうと、行きつけの新宿のフリー雀荘に立ち寄った。
蛭子はその日は好調で、最初の半チャンはトップを取った。
次の半チャンでは、ドラの西をポン。和了れば満貫の手だ。『今日はついている』と、彼は確信したという。
だが、直後、雀荘の入り口から「ガラの悪い人」が入ってきた。
その店はパンチパーマやスキンヘッドの客は断るという方針で、客層はサラリーマン中心。蛭子は、そんなところも気に入っていたのだが…。
蛭子は、08年11月の本紙のインタビューで、当時の様子をこう語った。
『‘そのまま動くな’ 小さな店のドアをはね飛ばすように入ってきて、いきなりこうだもんね。びっくりしますよ。いっぺんに20人。最初はヤクザの襲撃かと思った』
結局、その場にいた14人の客と従業員7人は全員逮捕。蛭子は13番の番号札をつけられ、警察の車に乗せられた。
蛭子の容疑は単純賭博罪。取り調べは、食事抜きで10時間にも及んだ」
1998年の秋当時、わしは金曜の夜に、仕事が終わってから、その雀荘で打っていた。蛭子さんが逮捕されたのは金曜日であった。
が、わしはその日の金曜は、たまたま出前を取っていて、家でウダウダしていた。もし出前でなかったら、蛭子さんが逮捕された時間からして、わしも警察に連行されていたわけだ。
そしたら、職を失っていたのか? それを考えるとゾッとする。その日が出前で本当に良かったぜ。
蛭子さんと、その雀荘で2回同卓になったことがある。蛭子さんは、テレビで見るままの人であった。
しかし、麻雀は弱かった。ダブリーを掛けたのに、3巡目に他の奴のヤミ満に振り込むたぁよ。その時、あの独特の声で、「ひぇぇ」と悲鳴をあげながら、蛭子さんは吐いていた。
わしの運が良かったのは、その時だけではない。
蛭子さんの逮捕劇の数か月後、その雀荘が再開したので、また通い出した。
それは99年の5月だったか。日曜に出勤して、仕事を終え、その雀荘に繰り出そうと思って新宿駅構内を歩いていたら、ムキリョクンからメシの誘いの電話があった。それで、その日はその雀荘に行かなかった。
翌日の公休日であった月曜に、その雀荘に打ちに行こうと思って、その雀荘に通じるエレベーターに乗ろうと思っていたら、肩を叩かれた。振り返ったら、何度か同卓になったことがある、おっさんであった。
「兄さん、昨日の晩、またあそこに警察が入ったんだよ」と言われた。
やぶねぇ。ムキリョクンからメシの誘いがなければアウトであった。
それにしても、2回も難を逃れるたぁ。わしの悪運も大したもんだった。
だが、3度目はない。そう思って、その雀荘には2度と行かないことにした。そして、現在に至っている。
でも、その雀荘が行けなくなったのはハガい。なにせ、東風戦、赤3入り、200円のレートだったからな。
まさに、わし好みのルールとレート。年末年始に打った雀荘は東南戦だから、どうにも馴染まん。
声優の永井一郎さんが亡くなったか。永井さんは波平の声で有名だが、デビルマンのアルフォンヌ先生と、ど根性ガエルの「教師生活25年」の町田先生の声も印象に残っている。
永井さんは、声優としてプロ中のプロであった。タイガーマスクもそうであったように、声優陣が優れていないと名作にならない。永井さんの冥福を祈りたい。
今日のゲンダイの政治面の締めは、まさに御意であった。
「今度の選挙は安倍を潰すことが主眼なのだから、この際、目をつむるところはつむる。妥協するところは妥協し、とにかく反安倍票を集結させることだ。
さもないと平和主義はなきものとされ、戦後、築き上げてきた言論の自由や公平な社会の礎である民主主義が崩壊してしまう。
そのためにも、なにがなんでも、細川・小泉陣営に勝ってもらうしかない。
宇都宮も悪くないが、ここは勝負どころだ。敵が誰かを見誤らないことである」
敵は、もちろん、安倍だ。近年にも、森、小泉、麻生、管、野田などロクでもない首相がいたが、安倍こそ、史上最低最悪の首相と断言できる。これは、決してゲンダイかぶれで言っているのではない。
明日は、明後日の大腸検査に備えて、粗食で過ごすことになる。それはそれで運がない…。
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