荒木と水野の対談
まずは、お恥ずかしい話から。
昨日の日記でも、表記ミスを2つやらかした。さっそく直したが、情けない限りである。
これで、今日も表記ミスをしていたらシャレにならん。読み返すのが怖ぇ。
今日、朝日comにアクセスしたら、荒木と水野の対談が載っていた。荒木がヤクルトのコーチを辞したことで実現した対談だと思われる。
以下が、その記事と肝となる対談部分である。
「甲子園のアイドルは、やまびこ打線に飲まれていった。
1982年夏、それは、5季連続出場の早稲田実から池田へ、高校野球界の主役のバトンタッチでもあった。
あれから32年。両校の中心にいた荒木大輔と水野雄仁が語り合った」
水野:ところで、荒木さんは最後の夏は優勝を目指してましたか?
荒木:優勝はしたかったけど、なにか違ったな。それが都会のチームなのかは分からないけど、全国制覇のために厳しい練習をするのは嫌だった。早く夏休みに入りたいと思っていたぐらい。池田は?
水野:僕らはただ、甲子園に出たいだけでした。打撃練習ばかりで、これでいいのかと思ってました。今から思うと、金属バットを生かした野球を蔦監督は考えていたのかもしれません。僕らが戦うのは準々決勝ですけど、対戦が決まったとき、どう思われました?
荒木:嫌だった。主将の小沢には「池田は引くな」と言っていたぐらい。打撃はものすごく豪快だし、投手には畠山がいたし。池田はどうだった?
水野:3年生は「もう負けた」という雰囲気でしたけど、僕は畠山さんを男にしてやりたいって思っていました。生意気ですけどね。ずっと「東の荒木、西の畠山」と言われていたのに、畠山さんは3年生の夏まで甲子園に出られなかったですから。結局、池田は荒木さんから17安打で10点を奪うんですけど、荒木さんにとって、甲子園最悪の数字ですよね。
荒木:思い浮かべていた通りのパワフルな打撃だったな。どうにもならない力の差があると感じたよ。なんで、最後に僕にこんな試合をやらせるのかなって。キンタ(水野)のバックスクリーンへの本塁打なんて、見たことない当たりだったし。
この対談を読んで、早実が池田に大敗した理由がよくわかったぜ。始めから飲まれているようでは勝負にならん。
それは、麻雀においてもである。「こいつには勝てない」と思って卓に着いたら、ただ座っているだけのメンツになってしまう。
早実に粘りがなかったことにも合点が行った。でも、それじゃ、荒木時代に何度も吐き倒れたわしが哀れというもの。
まあいい。それでも十分に楽しませてもらったからよ。
「球界の野良犬」で愛甲が荒木との対談を望んでいた。「報知高校野球」あたりが企画してくれないものか。
金村との対談はやらんでいい。もし実現したら、あの9回の怪しい判定のことを、金村が何と言うのかに興味はある。
記事に、「それは、5季連続出場の早稲田実から池田へ、高校野球界の主役のバトンタッチでもあった」とあるが、そのちょうど1年後、池田がKKが1年生のPLに0−7で負けて、KK時代の幕開けになったのは、なんとも皮肉な話である。
その準決勝での対決において、戦前は池田が圧倒的に優位と言われていた。
が、わしはそうは思っていなかった。桑田のそれまでの投球とシャープで長打力抜群のPL打線に脅威を感じ、PL戦が池田3連覇への最大の山場と見ていたのである。
今からすると、わしは慧眼であった。それより問題だったのは、高校野球の記者がPLを軽く見過ぎていたことである。
早実が池田に大敗してから32年か。人生なんて、あっという間だな。
あと何回、甲子園大会を見られるであろうか? 今夏の大会を見ずに朽ちるのも一興よ…。
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