銚子市
8時半に目が覚めるたぁ、ハガい。今日がダルビッシュや田中の先発試合でないのが、今のわしの引きよ。
明日は田中が先発か。どうせ明日は試合が終わるまで起きられないだろうよ。
朝が早かったので、張本のコーナーを見ることができた。相変わらず、張本はメジャーを低く評価している。
張本は、メジャーのはベースボール、日本のは野球というのがわかってねぇ。
その野球でも、今日の広島−読売は堪能できた。前田と内海が見事な投げ合いを演じたからである。
しかも、広島がサヨナラ勝ちしたのが良かった。エルドレッドが打った瞬間、「勝った」と思ったぜ。
ただ、絶叫マシーンにはならなかった。5日のクソ麻雀で役満を和了った時は、絶叫マシーンと化してやろう。
広島−読売が1時に試合開始だったので、アタック25は録画したのを見た。
40代女性大会だったが、米倉涼子似の青の女性は40代には見えなかった。独身かどうか、気になるところである。
今日は、白の女性がえれぇ強かった。樫原がなんでもかんでもツモるように、なんでもかんでも答えたのだから、他の出場者が歯が立たなかったのも仕方がない。
「ある都市」は銚子市であった。水揚げされる場面と醤油の映像で、銚子市とわかった。
醤油が映れば、正解は銚子市か野田市に絞られる。野田市はキッコーマンで有名である。野田駅に降り立つと醤油の匂いがすると、号泣組翁が言っていた。
だが、野田市は内陸にある。だから、正解は銚子市しかあり得ない。
銚子市といえば、銚子商である。故斉藤監督が指揮を執っていた時代の銚子商は、銚子市の漁民全員が監督のようなものであった。
銚子商が夏の予選で負けると、酔った漁民が斉藤監督の家に電話を掛けてきて、延々と文句を言ったそうである。
それは、まだかわいい方。斉藤監督の家の玄関にクソがブチまかれていたこともあったくせぇ。
また、1973年の選抜の1回戦で報徳学園に0−16で大敗した時は、銚子市で暴動が起こった。
その暴動によって3年生エースが背番号1を剥奪され、2年生の土屋がエースになったと聞いたことがある。斉藤監督が長生きできなかったのも、むべなるかなだ。
76年の夏の大会では、東海大相模の原親子が注目されたが、銚子商も斉藤親子が甲子園に出場した。
その息子が銚子商の監督を引き継いだと知った時は驚いたものである。オヤジの苦労を間近で見ていただろうに。
今は、銚子市の漁民も大人しくなったのかもしれなんな。でないと、銚子商の監督など引き受けないだろう。
今日は、終日ダマだった。明日もダマデーになるのは確実。
が、5日の麻雀はダマテンはしない。リーチしまっくてやる。
5日まで生きていたい…。
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