パレスチナ戦
初戦で勝つに越したことはない。が、試合内容としてはイマイチであった。
特に後半の出来が悪かった。明日の日刊スポーツのコラムで、セルジオ越後先生が苦言を呈されるであろう。
パレスチナは急造チームというじゃないか。そんな超かわい子ちゃん相手にベストメンバーで臨んで4−0ではハガい。
もし遠藤のシュートが早い時間に決まっていなかったら、1点を取るのに汲々としたかもしれん。
高校サッカーが延長戦になって、試合終了時刻がパレスチナ戦のキックオフ直前になったので、パレスチナの国歌を聴くことができなかった。
パレスチナ国歌がどういう旋律なのか興味がある。イスラエル国歌のような鎮魂歌か? もっとも、パレスチナは独立国でないから、「国歌」というのは語弊があるが。
ここで、パレスチナの解説をさせろ。わしも、たまには反則以外のことをするんじゃい。
パレスチナの地、アバウトに言えば、今のイスラエルが位置する場所で、ユダヤ人がローマ軍やオスマン帝国によって駆逐された後、イスラム教徒のパレスチナ人(アラブ人)が平穏に暮らしていた。
ただし、この地は、紀元前はユダヤ人が居住していた。だから、散り散りになった挙句、各地で迫害されたユダヤ人は、いつの日にか、パレスチナの地に自分達の国を再建することを誓っていた。
折からの第一次世界大戦でユダヤ人の資金協力を欲したイギリスが、パレスチナの地にユダヤ人の国を建てることを認める宣言を出した。農民や商人になれなかったユダヤ人は金貸しなど裏稼業に就く者が多く、財を成した者が少なからずいたのである。
ユダヤ人にそんな宣言を出す一方、イギリスは、当時、オスマン帝国の領土であったパレスチナの地にアラブ人の国を作ることを約束して、アラブ人の協力も取り付けた。つまり、イギリスはダブルブッキングをしたわけである。
イギリスの約束を信じたユダヤ人はパレスチナの地に移住し始め、第二次世界大戦中、ナチスドイツにユダヤ人が迫害され出すと、さらに移住者は増えた。
しかし、その裏で多くのパレスチナ人が難民となった。そして、第二次世界大戦後の1948年、ユダヤ人は、ユダヤ人国家・イスラエルの建国を宣言した。
そこでパレスチナ人を支援するアラブ人国家がイスラエルに宣戦布告した。第一次中東戦争である。
その後、中東戦争は4次にわたったが、イスラエルは不敗であり、1発殴られたら10発殴り返すという有様であった。
イスラエル不敗の背景には、アメリカの存在があった。アメリカの政治・経済界、学界などの知識階級にはユダヤ系が多く、イスラエルに最新兵器の供与をしていたのである。
武力では勝てないことを悟ったアラブ諸国に代わって、PLOが対イスラエルの急先鋒になり、テロ行為を繰り返した。
が、その後、PLOはイスラエルに対し柔軟路線に転じ、1993年にワシントンでイスラエルとともにパレスチナ暫定自治に調印し、翌年からヨルダン川西岸とガザ地区でパレスチナの暫定自治が始まった。
つまり、イスラエル領土の中にパレスチナ暫定自治区が誕生したのである。ただし、ヨルダン川西岸とガザ地区は飛び地である。
ヨルダン川西岸を領するPLOの最大の政治組織であるファタハは穏健的とされるが、ガザ地区を実効支配するハマスと呼ばれる組織は、あくまでもイスラエルとの武力闘争を主張している。
そのため、ヨルダン西岸とガザ地区は一枚岩になれず、イスラエルとの和平交渉の道は遠のいているのが現状である。
なお、ユダヤ人という人種は存在しない。ユダヤ教を信仰する者をユダヤ人という。
以上から、イスラエルがヨーロッパサッカー連盟に属している理由がわかろう。イスラエルがアジアサッカー連盟に入っていたら、アラブ人国家とのホーム&アウェイの試合が成り立たねぇ。
イスラエルがヨーロッパサッカーの一員であることは、日本には幸運なことである。イスラエルはヨーロッパではかわい子ちゃんだが、アジアではかわい子ちゃんではないからな。
同じことはトルコにも言える。トルコがアジア連盟に加盟していたら、日本のW杯の出場回数は減っていたであろうし、アジアカップで4回も優勝できていなかったろう。
逸ノ城、あかんな。今日は、相撲偏差値75の安美錦に、偏差値通りの相撲を取られた。
もっとあかんのは鶴竜である。このまま横綱での優勝がないまま引退する可能性が高い。
明日も休みである。明日は、小学校時代の同級生3人とランチに行く約束をしている。
その3人は、いずれも女性である。だからといって、何が起こるわけでもない…。
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