シュティーリケ

 
 決勝戦のカードは、大会前の予想通りであった。そんなんだったら、アジアカップで博徒になっているんだったわ。

 さすがに、日本が登場しない準決勝、決勝をテレ朝は放送しなかった。日本がらみの試合でないアジアカップの試合など、よほどのサッカーファンでないと見ないわな。

 メキシカンにマネーロンダリングの疑惑も浮上か。もうあかんな。

 今のメキシカンは、将棋で言えば完全に詰みなのに、まだ投了しないようなもの。とっとと、
「負けました」と、頭を下げろ。

 わしも、今日の決勝戦は惰性で見ていた。それでも、オーストラリアを応援していたがな。

 地元オーストラリアの優勝で大団円か。いや、所詮、アジアのチャンピオンなど、アンドレが猪木のことを、
「猪木などローカルチャンピオンだ。俺の方が強い」と言っていたのと同様、ローカルチャンピオンに過ぎない。

 韓国の監督がシュティーリケになっていたのを大会前に知って驚いた。シュティーリケといえば、西ドイツ時代から通じて、ドイツのワールドカップでのPK.戦において唯一失敗した選手として有名である。

 その試合は、1982年スペイン大会の準決勝・フランス戦であった。当時のワールドカップの熱狂振りは今とは比較にならなかったうえ、ワールドカップ史上初のPK戦ということで、物凄い緊張感の中で行われた。

 先攻はフランス。1番手は、その小柄な体格とテクニシャンぶりでナポレオンと呼ばれたジレス。ジレスは決めた。

 西ドイツの1番手は、超攻撃的右サイドバックのカルツ。カルツも成功。

 フランスの2番手のアモロ、西ドイツの2番手ブライトナーも確実に決めた。フランスの3番手ロシュトーも成功。

 しかし、西ドイツ3番手のシュティーリケは、キーパー・エトリにコースを読まれ、失敗。その瞬間、顔を覆って、シュティーリケは跪き、号泣。

 なにせ、ここでの失敗は痛すぎる。が、その窮地を救ったのが、強気で鳴る西ドイツのキーパー・シューマッヒャーであった。フランスの4番手シスのPKを阻止したのだ。

 その瞬間をシュティーリケは見ていなかった。なにせ、リトバルスキーに抱きかかえられ、顔をリトバルスキーの肩に埋めたままだったからである。

 にしても、シュティーリケも情けない。自分より10歳近い年下のリトバルスキーに慰められていたのだからな。

 西ドイツは、そのリトバルスキーが落ち着いてコーナーいっぱいに決めた。若いリトバルスキーの胆力は凄かった。

 そして、フランスの5番手は、将軍・プラティニ。プラティニは、シューマッヒャーの裏を取って成功。

 こうなると西ドイツの5番手ルンメニゲは絶対に外せない。失敗した瞬間、チームの敗退が決まるのだから。

 しかし、心配は無用だった。心臓に毛が生えていたルンメニゲは、軽いキックでコーナーギリギリに決めた。さすが西ドイツのキャプテン、そしてミスター・ヨーロッパと呼ばれたスーパースター。

 これでPK戦はサドンデスに入った。サドンデスに入っても、PKを失敗したシュティーリケは、羽佐間アナが、
「なおも顔を覆ったまま。見ることができません」と実況したように、PK戦を正視できなかった。

 って、ここまで精神的に脆いドイツ人も珍しい。が、シュティーリケは、ベッケンバウアーの生まれ変わりと言われたほどの名手。それほどの名手がそういう状態になるのが、当時のワールドカップだったのである。

 フランスの6番手は、左サイドバックとして活躍したボッシ。ボッシのPKはシーマッヒャーが飛んだコースとピタリと合い、失敗。ボッシは、その場にしゃがみ込んだ。

 こうなると、西ドイツのもの。6番手のヘディングのルベッシュがサヨナラのPKを蹴り込んだ。

 その瞬間、
「なんとフランス、レ・ミゼラブル」と叫んだ羽佐間アナであった。西ドイツ−フランスの羽佐間アナの実況は、神レベルだった。

 PK終了後、シュティーリケとPK戦のヒーロー・シューマッヒャーが抱き合うシーンが映し出された。それから33年振りにシュティーリケを見た。

 シュティーリケは、28歳の当時から髪が薄かった。あれから30年以上経っったのに、まだ完全に禿げていないのが不思議である。

 明日は休みだが、月曜は出勤である。なので、明後日のことを考えて、少し闘っている。

 闘えるうちが華なことはわかっとるわい!

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