最後の日曜出勤

 
 今日は、最後の日曜出勤だった。そして、号泣組翁と共に出勤する最後の日曜日であった。

 日曜日は、翁を帯同して、職場近くのコンビニに昼飯を買い出しに行くのが常である。今日も、翁と一緒に職場近くのコンビニに行った。

 わしは、カレーうどんを買った。翁は、パスタであった。

 2人とも食うのが速い。職場に戻ってから、あっという間に平らげた。

 食べるのが速い奴は仕事ができないという俗説があるが、果たして、そうか? 

 とっつぁんは、食事にえらい時間を掛けていた。が、仕事はシャワシャワであった。やはり、そんなのは俗説だな。

 今日は、2人でよくしゃべった。翁との別れは、生木を裂かれるようなものである。

 翁も、わしが職場を去るのが寂しいようである。わしらは相思相愛なのだ。

 そして、5時。ついに最後の日曜出勤が終わった。感慨深いものがあったのは確かである。

 日曜に出勤すると、振替休日がもらえる。しかも、任意の日に取れる。

 それが何より有り難かった。そのおかげで高校野球をノー出前で見られたことが何回もあったからな。

 今日の朝日新聞のサイトに、
「(beランキング)最強のプロ野球監督」が載っていた。

 1位・川上、2位・野村、3位・仰木、4位・星野、5位・森、6位・三原、7位・西本、8位・鶴岡、9位・王、10位・広岡、11位・古葉、12位・水原、13位・落合、14位・長嶋、15位・上田、16位・秋山、17位・藤田、18位・原、19位・バレンタイン、20位・吉田。

 まず納得いかないのは、知将・上田監督が、監督としては3流だった長嶋より下の順位なことである。サードランナーのギャンブルスタートを考案した上田監督が長嶋より下というのはあり得ない。

 というか、長嶋がランクインしていることが信じられぞうだ。20位どころか、50位にも入らんて。

 1位が川上だったのには、
「巨人の星」の影響がかなりあると思われる。「巨人の星」では、川上は人格者中の人格者として描かれていた。

 しかし、実像は違う。それは、
「巨人軍を追われた男達」を読めばわかる。

 また、軍隊で川上が自分の上官だった丹波哲郎が、
「あいつだけは許さん」と言っていたことも、川上がハガい奴だったことの証左である。

 2位の野村と3位の仰木はいいとして、4位が星野ってのは、どういうわけだ? 北京オリンピックでのシャワシャワな采配は記憶に新しいじゃねぇか。

 アンチ読売からすれば、藤田監督が敵として最もうざったかった。相手が嫌がる采配をしたからである。

 ま、監督の評価など、所詮は、いい選手がいるかどうかである。現に野村監督は、古田、池山、広沢、ハウエルらを擁したヤクルト時代は3度日本一になっているが、好選手がほとんどいなかった阪神の監督時代は、3年連続で最下位に沈んだ。

 
「最強の高校野球監督」は、PLの中村監督で文句なしである。

 82年選抜での榎田の起用法、83年夏に1年生の清原と桑田を抜擢したこと、87年の野村・橋本・岩崎の役割分担、87年選抜決勝戦での連続スクイズなど、アンチPLのわしは、その采配に何度も唸らされた。

 ただ、中村監督自身が言っていたように、中村監督が選手に恵まれたのは確かである。

 西川、吉村、榎田、佐藤、桑田、清原、加藤、朝山、黒木、松本、鈴木、北口、内匠、安本、松山、野村、橋本、岩崎、立浪、片岡、深瀬、宇高、大村、福留、渡辺…。それって、反則じゃねぇか。

 
「最強の高校野球監督」の逆バージョンは、早実の和田監督だ。バカの一つ覚えみたいに先攻ばかり取りやがってぇ。

 荒木時代に早実の監督が中村監督だったら、1回は甲子園で優勝していたと思われる。ホント、和田監督は使えなかったわ。

 日曜に出勤した翌日が出勤日だとクソハガい。明日は、その恐怖を味わう。まじで勘弁してくれ〜。

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