元同僚の訃報
プー太郎生活386日目。
今朝、メジャーの試合を見ていたら、携帯のメール着信音が鳴った。
女性インストラクターからか? そんなわけがねぇ。いい加減、期待するのはやめぇ。
メールをチェックしたら大酒飲みのおっさんからであった。
「弟さんからの連絡です。4月4日頃に亡くなったそうです。死因はくも膜下出血らしいです。葬儀は終わっており、四十九日法要を5月下旬に行うようです」
ん? それじゃ、誰が亡くなったか、わからん。
パーキンス病を患っている元直属の上司には弟がいるので、元直属の上司かと思った。
で、大酒飲みのおっさんの携帯に電話してみた。そしたら、亡くなったのはじじぃであることが判明した。
なんでも、今日、じじぃの弟さんから職場に訃報を知らせる電話があったという。大酒飲みのおっさんは、それに動揺して亡くなった人の名前をメールに書き損なったくせぇ。
そりゃ、動揺するわな。30近く同僚だった人間の訃報だからな。しかも、3月のOB会ではピンピンしていたしな。
わしは、そのOB会で、じじぃと席が隣であり、近況などを語り合った。だから、わしはじじぃの訃報が信じられない。
そして、ショックだ。じじぃとは親しかったからである。
葬儀は近親者だけで行ったのか。もし葬儀に参列していたら泣いていただろう。
じじぃはユニークな好人物で、身振り手振りがイタリア人のように大袈裟で、常に笑いながら話す御仁であった。
じじぃとは意見が一致することが多かった。安倍がクソのような人物であること、読売の渡辺と石原慎太郎が唾棄すべき人物であること等々。
むろん、じじぃはアンチ読売であった。わしより10歳以上年上のじじぃは、73年の甲子園での阪神−読売の最終戦で、阪神が0−9で負けて吐き倒れたという。
じじぃとは、よく高校野球の話をした。じじぃは、職場では、わしに次に高校野球に詳しかった。
関東出身のじじぃは、高校野球で吐いた試合として、76年選抜の崇徳−鉾田一と79年夏の浪商−上尾を挙げていた。
崇徳−鉾田一では、「3塁にヘッドスライディングした永田の坊主頭が忘れられない」と言っていた。永田は、その試合で9回表に逆転三塁打を放った選手である。
じじぃは、崇徳のじじぃ監督が威張りまくっていたのを余裕で覚えていた。「小山のピッチャーは球が遅すぎて、かえってタイミングが合わなかったわい」と、崇徳のじじぃ監督がホザいていた話を、じじぃから聞かされた。
そういや、2年前の3月中頃に元上司から、「キムラ君、この日に出てくれる?」と言われ、わしが「えっ、智弁和歌山の試合があるんで…」と答えたのを聞いて、じじぃがズッコケていたぁな。
わしは、じじぃをからかうのが好きだった。じじぃとの会話中、「けど、じじぃよ」と言って、よく話の腰を折ったものである。
なお、「けど、じじぃよ」は、「ドカベン」で岩鬼が山岡に対して、「けど、パンダよ」と言ったのに由来する。
部署ごとの旅行で伊豆の熱川に1泊したことがある。わしが大広間でじじぃに首四の字固めを掛けている写真を探し出したいものである。
じじぃの死因がくも膜下出血と聞いて、「高血圧だったからなぁ」と思った。じじぃは飲むわ食うわで、若い頃から太鼓腹であった。
しかし、この前のOB会がじじぃとの今生の別れとなるとは…。そして、ゴリラマン年賀状が最後の年賀状になるとは…。
ティップネスでの運動中、じじぃの声や身振り手振りが頭の中から離れなかった。まだ64歳。早すぎる。
今晩、とっつぁんに知らせよう。2人は同期だしな。
じじぃの訃報がショックで、今日は他のことに言及する余裕がねぇ。
もう1度生まれ変わっても、じじぃと同僚になりたい…。
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