大会6日目
プー太郎生活804日目。
わしは、天理の応援が好きだ。関東勢を応援していた子供の頃は関東キラーの天理のワッショイ音頭を脅威に感じたが、読売の応援スタイルばかりだった1980年代半ばも伝統的な応援スタイル貫いた天理に好感を持った。
今日もワッショイ音頭が聞かれた。伝統校たるもの、そうじゃなくちゃいけねぇ。
天理の中村監督は、背番号17の左腕を「相手打線をかわせそう」という理由で先発させたそうである。それがズバリであった。
予選で17イニングで11失点のピッチャーが完封するのが甲子園の怖さである。阪口監督としたら、完封されるとは「計算外だよ、玄大佐」もいいところであったろう。
座ってのインタビューは、敗戦のショックもあってのことか? それでも老いてますます盛んであることは、ベンチでの表情でわかった。
相変わらず中村監督はデカいな。もっとも身長が縮むはずもないが。
中村監督にとって、今日の試合は会心の試合であった。6点目のスクイズに悦に入っていたくせぇ。インタビューで「僕」と言っていたのは、ご愛敬か?
三本松−下関国際も、センター方向へのホームランが先制点になった。センター方向へのホームランが相手ピッチャーに与えたダメージは大きかったと思われる。
ホームランがなくても、下関国際は勝てなかったであろう。力の差は明らかであった。
しかし、敗戦後の監督談話での、「甲子園のスコアに下関国際の名前が刻まれたことに感動しました」には、柄にもなく、わしもちょっぴり感動した。それで、星雲高校の天野監督が開会式で星雲高校が行進する姿に涙していたのを思い出したわ。
二松学舎は、荒木時代の早実のライバルであった。ただし、ライバル心は三白眼の男への方が強かった。あの野郎、早実を目の敵にしていたからな。
当時、野郎は少壮気鋭の監督であった。その分、選手へのシゴギは凄まじかったそうだが。
明桜のかつての秋田経大付というのは誰もが知っている。「秋田経法大付の時は、1989年に中川投手でベスト4に進出しました」と紹介されるのはわかっていたが、そのチームよりも、松本、佐々木、鈴木らがいた81年のチームの方が遥かに印象深い。
試合は、明桜の守備の乱れもあって二松学舎が大勝した。あれだけミスが出ては大敗するわなぁ。
二松学舎の校歌に、「靖国の」という一節がある。二松学舎は、靖国神社の傍に学校があるからである。ちなみに、最寄り駅は九段下である。
明豊はよく逆転したものである。8回表に2点勝ち越されたのがタイムリエラーだったので、あのまま負けたら悔いが残るところであった。
8回の逆転ツーランの場面はツーアウト2塁だった。バッターは当たっている3番バッター。
しかし、そこで歩かせはない。次打者が4番ということはもとより、逆転のランナーを出すことになるからである。
なのに、解説の杉浦氏は、塁を埋めるようなことを言っていた。逆転ツーランが出たので、結果として勝負したのが失敗となり、杉浦氏の解説が当たった。
それはそうと、杉浦氏の「キャッチャー的」、「ランナー的」という表現には違和感を覚えた。いいおっさんが無闇に「なんとか的」を使うなって。
まだ東海大菅生が登場していないが、初戦を見た限り、大阪桐蔭、秀岳館、花咲徳栄が3強だと思う。続いて、広陵、前橋育英、盛岡大付か?
明日は、「く…」連続ドラマのせいで、NHKの放送が8時15分からである。ったく、いい加減にせぇよ。
NHKに不幸の手紙を出そうと思っている…。
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