大会14日目

 
 プー太郎生活1436日目。

 
「履正社が勝機を見出すには、ロースコアの接戦に持ち込むほかない」
(朝日) 

 この予想記事からもわかるように、誰もが星稜が有利と思っていた今日の決勝戦。

 だが、奥川の出来が良くなかった。そして、打線が繋がらなかった。

 それでは履正社には勝てない。だからして、今日の星稜の敗戦は、
「負けに不思議な負けはない」であった。

 誰もが指摘できるが、今日の試合の分かれ目は、3回表の井上のスリーランである。

 ツーアウトから連続フォアボールのランナーを置いてのスリーランだったから、星稜が受けたダメージは大きかった。

 これで星稜ナインに動揺が走った。走塁ミス、牽制アウトなど、明らかに焦っていた。

 そりゃ、焦るって。甲子園では追う展開は初めてだし、何より奥川がスリーランを食らったのだから。

 それにしても、井上に打たれたボールはクソ甘かった。履正社の4番が見逃すはずはなかった。

 6回までチグハグだった星稜の攻撃だったが、7回裏に追いついた。だが、履正社の投手リレーの前に勝ち越すまでには至らなかった。

 それで嫌な予感がしたことは確かである。やはり、わしの勘は鋭いな。

 やっと同点に追いついた直後に突き放されたら厳しい。そういう試合を何度も見てきた。

 だから、履正社が8回表に2点を勝ち越した時に星稜の負けを予見した。

 星稜の9回裏の攻撃の場面を振り返りたい。

 ワンアウト1、2塁で、3番・知田のカウントがツーボール・ノーストライクになった。

 3球目も低めのボールでスリーボールとなったと思いきや、ストライクのコール。

 星稜びいきの場内が異様な雰囲気になりかけていたので、このジャッジは星稜には痛かった。

 場内も放送席も星稜に肩入れする中、球審は履正社寄りだったくせぇ。

 結局、知田はセカンドゴロ併殺打。土壇場で併殺を完成した履正社の守備は見事だった。

 かくいうわしも、星稜を応援していた。石川大会の準々決勝から星稜の試合を見ているうちに、いつの間にか星稜ファンになってわけだ。

 今日の星稜の敗退でスポーツ紙の記者は吐いただろうな。明日の一面に奥川を持って来られなくなったのだから。

 いや、
「泣くな、奥川」を一面とするか。その方が売れよう。

 試合後、奥川が泣いとったな。もらい泣きするほど純なわしではないが、気持ちはわかる。

 奥川は、疲れがあったとはいえ、今日のピッチングは不本意であったろう。それと、打者としてスランプだったことに悔いが残ったと思われる。

 さて、履正社である。履正社とすれば、勝てる展開に持ち込めた。その大きな要因は、清水と岩崎の粘りのピッチングと言える。

 履正社打線が春からブラッシュアップしたのは確かである。今日も奥川の失投を逃さず打った。

 岡田監督にとっては、悲願の初優勝になった。苦節33年目の優勝たぁよ。

 寺島がエースだった超大型チームでも、安田を中心にした猛打のチームでも優勝できなかったのだから、感激も一入だろう。

 選抜の初戦で完封負けしたチームが夏の大会で優勝するのは3度目か? 

 1度目は75年の習志野、2度目は95年の帝京である。

 75年の習志野は、選抜の初戦で新2年生の赤嶺に手玉に取られ、2安打完封負けした。

 それが、夏の大会では、当時のチーム打率を更新して優勝した。

 95年の帝京は、選抜の初戦で伊都高校に0-1で負けた。その後、三白眼の男と指導方針を巡って、主将をはじめ3年生が大量に退部した。

 その混乱の中、白木、大山ら2年生を中心にチームを作り変え、夏の大会で優勝した。

 ただし、その大会では三白眼の男の勝利至上主義の行き過ぎがあり、かなりの批判を浴びての優勝だった。

 昔話はもういい。話を今大会に持って行きたい。

 今大会は優勝候補が順当に勝ち進み、全体に面白い大会であった。決勝戦も熱戦だったし、昨年の大会より遥かに楽しめた。

 今大会のベストバウトは、3回戦の星稜-智弁和歌山である。そんなもん、誰だって、その試合を挙げるって。

 しかし、ベストナインの選定は難しい。それでも敢えて選びたい。

 [投]奥川(星稜) 
 [捕]山瀬(星稜)
 [一]内倉(履正社)
 [二]池田(履正社)
 [三]重宮(明石商)
 [遊]西川(智弁和歌山)
 [外]桃谷(履正社) 
    井上(履正社) 
    東海林(星稜)

 あ゛~、今大会もあっという間に終わってしまった。今、宴の後の虚無感に苛まされている。

 そんな中、明日、号泣組翁に会うことになった。翁から赤紙が来たのである。

 翁に子泣きじじぃをすることで甲子園ロスを少しでも払拭したい…。

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