・選抜
中村、24の瞳
昨年度の崇徳のような超A級のチームが不在で、原に代わるスター選手もいないことから、やや話題に欠いた大会であった。
そうしたなか、優勝候補にあげられたのが強打の天理、攻守のバランスが取れた早稲田実、快速球の小松が健在な星稜などであった。中でも天理の前評判が高かった。これまで天理は期待されながら、どうしても甲子園で3勝目が挙げられなかったが、豪打の鈴木康友に、福家、山村と2人のエースを持ち、今回は大いに期待された。また優勝争いとは別に、高知の中村高校が部員12人で「24の瞳」と言われ、注目を集めた。
大会が蓋を開けると、天理、早稲田実は勝ち進んでいったが、星稜は小松の自滅により、兵庫の滝川に敗れてしまった。滝川戦は球筋が見えにくいナイターになったことから、解説者が、「小松君、ノーヒット・ノーランの可能性もありますよ」と言っていたのだが…。ストライクを取りに行ったところを走者一掃の3塁打を食らうなどして失った2回の4点が致命傷となった。滝川の奇才・吉本監督が、「喫した三振は13ですか。よくぞ、あの投手に勝てたもんです」と語っていたが、小松には何の慰めにもならなかった。
※1968年の兵庫県大会は、淡口(現巨人コーチ)、山本功児(現ロッテ監督)の左の3、4番が猛威を振るっていた三田学園が優勝候補筆頭であった。そこで、滝川の吉本監督はこの2人を抑えるため、左投げの一塁手を2人の打席が回る度にツーポイントで登板させた。そして、見事に三田学園の打力を封じたのである。これは当時としては非常に珍しい作戦であった。
注目の中村は、評判の豪腕・山沖の好投で無事1、2回戦を突破し、3年前の池田旋風の再来と言われた。そしてこの間、優勝戦戦に絡んできたのが若き日の高嶋監督率いる智弁学園である。智弁学園は長身エースの山口と打線が噛み合い、ベスト8まで進出してきた。
ベスト8の注目カードは、第1試合の天理−中村と第3試合の早稲田実−智弁学園であった。天理−中村は天理有利の声が圧倒的であったが、先取点を取られた天理が焦り、結局、中村が4−1で快勝し、またしても天理は甲子園で3勝目をあげることができなかった。天理ベンチが好調の山村を散発させなかったことから、中村を侮ったとの評もあったが、12人しかベンチ入りがいない田舎の高校が甲子園常連校を倒したことは痛快であった。
早稲田実−智弁学園は、早稲田実の強力打線と智弁の好投手・山口との対決と言われた。試合は2回の表に早稲田実が投手の弓田自らのツーベース(当たりそこねのラッキーなもの)で2点を先制する。続いてキャプテンの清水もヒットを放つが、セカンドランナーの弓田は3塁で自重。これが後々響いた。智弁打線はふた回り目以降になるとアンダースローの弓田の投球に慣れ、3回に逆転した。一方の早実打線は3回以降、山口に完全に抑え込まれ、結局2−4で完敗した。
ここまでの闘いぶりから智弁学園が優勝に最も近いと思われた。準決勝の相手は、新チーム直後の練習試合において4−1で一蹴している箕島であった。
しかし、箕島の左腕・東は一冬越えて大きく成長していた。この試合、それまで強打を振るってきた智弁の打線は2安打しかできず、エースの山口も9安打を浴び、今度は智弁が0−2で完敗を喫した。
決勝戦は、2度目の優勝を狙う箕島と‘24の瞳’と言われた中村。人気の田舎高校vs甲子園の名門という、まさに絵に欠いたような対決となった。
試合は実力に勝る箕島が得意の硬軟織り交ぜた攻撃で中村の大型投手の山沖を攻略し3−0で快勝したが、中村の大健闘には大きな感動を覚えたものである。
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