1979年

夏の大会

 史上最高の試合、箕島−星稜


 今大会ほど優勝候補が双璧であったことも珍しいだろう。優勝候補の双璧とは、もちろん、選抜の決勝戦を争った箕島と浪商である。  

 箕島は、和歌山大会の失点が1の石井を軸に投攻守に全く隙がなく、経験・実績とも大会bP。一方の浪商は牛島が成長を遂げ、大阪大会の5試合で四死球はわずか1。失点も決勝のPL戦の3点のみ。香川、山本、牛島のクリーンアップだけでなく、好打のトップ椎名、勝負強い6番川端、左の強打・7番井戸と役者が揃った打線は、予選でPL投手陣から9点を奪うなど、その威力は大会随一と目された。そうしたことから、選手個々の力は箕島以上との評価を得ていた。  

 この2強を追うのは、下手投げの好投手・仁村を中心に攻守に洗練された上尾、ジャンボ左腕・宮城を持つ横浜商、前年ベスト4の中京、伝統の広島商、左打線が売り物の池田と見られていた。しかし、いずれも、箕島、浪商に比較して、投打のどちらかで見劣りするのは否めなかったといえよう。  

 なお、選抜で活躍した宇都宮商は、栃木大会の初戦で粟野高という全く無名校に0−1で敗れていた。また、前年準優勝の高知商も準々決勝で、エースも森が左肩痛で投げられず、代役の2年生中西が初回に失った1点が致命傷となり、これも全くのノーマークの安芸校に0−1で敗れてしまった。  

 2強のうち、まず登場したのは浪商であった。相手は、関東の雄・上尾。上尾は、前年から不祥事による対外試合禁止が春に解けたばかりであった。しかも、高野連に密告したと嫌疑をかけられた同校の教師が焼身自殺するという混乱の中からの出場であった。それだけに期するものがあったろう。そして、ベテラン野本監督が、「これまでで最高のチーム」というほどチーム力も充実していた。  

 浪商はドカベンと呼ばれた香川の人気が凄かったが、自分は生意気なその態度が嫌いであった。そして、そういう事情を持ったチームということで、上尾に相当肩入れして見ていたのであった。  

 試合は1回裏から動いた。さしもの牛島も緊張したのか、予選で四死球1であったのに、先頭打者・福田(現、桐生一高・監督)をフォアボールで出し、ツーアウト2塁から4番の市川にタイムリーを浴び、1点を失ったのだった。

 この1点は浪商に重くのしかかった。上尾のエース・仁村は下手からの冷静なピッチングで、井戸以外は全員右の浪商打線を翻弄する。6回表に4番の山本を三振に切って取ったシンカーが特に冴えた。

※この大会、地元選手ということもあって香川は大人気であり、打席に入る度に、大きな拍手が沸き起こった。その拍手を聞いて、マウンドで仁村が「この野郎」とばかり、口を尖らせていたのが印象的であった。  

 そして上尾に待望の追加点がセカンドの椎名のタイムリーエラーで6回裏に入った。1点でさえ重かったところに、タイムリーエラーによる失点。浪商の敗色はいよいよ濃くなった。

 試合は9回表、浪商、最後の攻撃となった。浪商はここまで、わずか3安打。先頭の2番木村は倒れたが、それまでノーヒットの香川がセンター前ヒット。が、続く山本がセカンドゴロ。万事休すと思われたが、上尾守備陣がややもたついて併殺にならず、山本が一塁に残った。

 しかし、あと1人で上尾の勝利が決まる。しかもリードは2点。誰もが上尾の勝利を確信した。ここで打席に入ったのがピッチャーの牛島。まず仁村はストレートでストライクを取る。ところが2球目、ロージンをつけ忘れ指元が狂ったスライダーがド真ん中に甘く入ってしまった。「最後の打席だから思い切り振ろう」と思っていた牛島のバットが一閃。レフトへの奇跡の同点ホーマーとなった。この瞬間、頭真っ白。まさかここで同点ホーマーが出るとは…。そして、9回裏、牛島は上尾の攻撃を簡単に退け、試合は延長戦に入った。

※牛島は、後にこう振り返っている。「あの試合は、9回の同点ホーマーよりも、9回のマウンドに立てたことの方がうれしかったんですよ。8回に相手の攻撃を押さえてマウンドを降りる時、『ああ、これでこのマウンドを踏むこともないんだな』と思いましたからね。ですから、9回に同点に追いついて、その裏のマウンドに立った時は本当にうれしくて、『もう絶対に負けない』と思いました」  

 試合は延長11回表、浪商の攻撃。トップの椎名は凡退したが、2番木村が真ん中のストレートを右中間に三塁打。さしもの仁村も、疲れからか制球が甘くなった。ここで打者は香川。「これはもうダメだ。犠牲フライでも1点だ」と観念したが、仁村は渾身の力で香川を三塁フライに打ち取る。場内は大きなため息に包まれた。それで気が抜けたのか、続く山本にカーブが甘く入ってしまった。それを山本が見逃すはずはなく、左中間にタイムリー二塁打。次の牛島もレフト前ヒット。これはレフト角田が好返球で山本をホームで刺したが、この1点は上尾にはあまりにも重い1点であった。  

 しかし、上尾もその裏、執念を見せる。ワンアウトから、4番市川がチーム5本目のヒットで1塁に出た。しかし、5番の仁村はセカンドフライ。今度は上尾が追い込まれた。ここで牛島から連打は無理と見た野本監督は盗塁のサインを出した。タイミングは完全にセーフであったが、無情にもアウトのコール。ランナーの市川は、その瞬間、思い切り砂をセカンドベースに叩きつけた。ここに上尾は無念の敗退が決まったのであった。この上尾の敗戦は、自分にとって選抜の宇都宮商の敗退よりもショックだった。

 大会は強豪が順当に勝ち残り、3回戦を迎えた。1981年まで3回戦は、9日目に2試合、10日目と11日目にそれぞれ3試合ということになっていた。

 3回戦では、まず池田が左打線が後半に威力を発揮して、中京をねじ伏せ、ベスト8に一番乗りを遂げた。

 そして、大会9日目の第4試合。春夏連覇を狙う箕島が星稜の挑戦を受けるという感じで試合が始まった。

 星稜の山下監督は、優勝よりも打倒・箕島を目指し、それを公言していた。とはいえ、エース・堅田が箕島の若干苦手とする左腕であっても、箕島が星稜の挑戦を一蹴するだろうとの見方が強かった。自分も4−1くらいで箕島が勝つと思っていた。しかし、試合は大方の予想を覆して接戦となる。

 その第1の要因は、なんといっても堅田の好投だろう。ストレートとカーブのコンビネーションが抜群に良く、箕島に的を絞らせない。とくに左の主砲・北野をノーヒットに封じたのが大きかった。また、箕島が得意のバントをことごとく失敗したのも、箕島苦戦の大きな要因であった。選抜でそのプッシュバントがあまりにも大きく取り上げられてしまったため、今度は箕島ナインがそれを意識し過ぎて、うまくバントを転がせなくなってしまったのである。

 試合は、4回に1点ずつ取り合って延長戦へと突入し、それと同時に点灯された。この点灯が嫌がおうにも緊張感を助長したが、この時点では、この延長戦が球史に残る劇的な展開を示すとは、誰も予想できなかったであろう。

  延長戦に入っても、両投手の好投で膠着状態が続いた。そして、迎えた延長12回表。星稜はワンアウト1塁で、この日初めてのフォアボールを石井から得た。それにしても、石井の制球力は素晴らしかった。このフォアボールにしても、4つ目のボールはストライクに近いボールだったのだから。

 ワンアウト1、2塁で、バッターは8番の石黒。2−1からかろうじて当てたボールはセカンド正面のゴロ。しかし、キャプテンの名手・上野山が大きく後ろにそらしてしまった。それを見たセカンドランナーは勇躍ホームイン。ついに、星稜が1点を勝ち越した。

 続いたピンチは切り抜けたが、ついに入った1点。それも、キャプテンのエラーによる失点。しかも、その裏、箕島は8番からという打順。案の定、浦野、石井と簡単に討ち取られてしまった。ここに、箕島は土壇場に追い込まれたのである。もちろん、自分も箕島の連覇の夢は潰えたと思った。

 ここで、打席に入ったのが1番の嶋田。嶋田はベンチを出る時、尾藤監督に、「思い切り引っ張っていいですか」と尋ねた(翌日の記事などでは、「ホームランを打っていいですか?」ということになっているが、実際はそう聞いたと本人が語っていた)。

 尾藤監督は、「よし、思い切っていけ」と答えたが、「もし嶋田がヒットで出ても、次は左の宮本。この試合を取るのは難しいかな」と覚悟を決めていたという。

 誰もがすくむこの場面。しかし、嶋田は冷静沈着であった。投げようとする堅田を手で制し、十分に足固めをしてから、打席に入った。そして、1−0から2球目、甘く入ったカーブを思い切り引っ張り、レフトラッキーゾーンへホームラン。まさに奇跡の一発。箕島ベンチは狂喜乱舞となったが、嶋田はそれに浮かれることなく、13回の表の投球に備えてブルペンに走って行った。この辺の精神力の強さは例えようもない。

 このホームランで誰よりもホッとしたのは、タイムリーエラーを犯した上野山だろう。上野山は、嶋田のホームランで感激の涙を流していたという。

※当時のスコアボードは、12回まで表示されるようになっていた。13回に入るとすべての数字が裏返り、それまでのスコアが1回のスコアボードに示される。そして、2回のスコアボードが空白になり、3回に13回の得点、4回に14回の得点が書き込まれようになっていた。   

   一ニ三四五…
 星稜2 000
 箕島2 000
 

 流れは、奇跡のホームランが出た箕島にあった。現に、14回裏、箕島は絶好のチャンスを迎える。ヒットで出た森川をセカンドにおいて、バッターは予選から当たっている7番の久保。そこから意表をつくディレードスティールが決まり、チャンスはワンアウト3塁に膨らんだ。しかし、このディレードスティールで3塁に送られていたボールを三塁手の若狭が堅田に返さず(この時、若狭は堅田に目でサインを送ったという)、隠し球で森川をアウトにした。こうして箕島はチャンスを逃し、延長戦はさらに15回へと進んだ。  

 15回表、隠し球で気を良くした若狭がヒットで出塁したが、サイン違いなどもあり、星稜は無得点に終わる。一方の箕島もノーアウトから石井がヒットを放ったが、嶋田の強攻策が功を奏さず、ついに延長は16回に入る。

 16回表、星稜はワンアウト1、2塁のチャンス。バッターは、左打者ということもあり、1年生ながら6番に抜擢された音。しかし、音はピッチャーゴロ。誰もが併殺かと思ったが、疲れからか箕島守備陣はスムーズに併殺が取れず、ランナーを生かしてしまった。ここでキャプテンの山下がライトへ会心のタイムリーヒット。ベンチの山下監督も、してやったりと大きく頷いた。  

 1点をまたもやリードされた箕島の16回裏の攻撃は4番の北野から。この日ノーヒットの北野は、初球打ちであっさりセカンドゴロに倒れる。続く上野に期待がかかったが、2−3からのカーブをまるで金縛りに遭ったように見送ってしまい、三振。こうして箕島はまたしてもツーアウトランナーなしに追い込まれた。  

 バッターは6番の森川。森川も好打者であるが、まだ2年生。ここで打てというにはあまりにも酷な場面。森川は魅入られたように初球に手を出し、力のない打球が一塁側ファールゾーンに上がった。そして、ファーストの加藤が完全に追い突いた。ところが、この年から設けられた人工芝の切れ目に足を引っ掛け、加藤は転倒。箕島は九死に一生を得た。しかし、依然絶望的な状況には変わりはない。次の投球もストライクで、森川はツーナッシングと追い込まれた。  

 しかし、ここから森川はファウルで粘り、2−1から真ん中近くに入ったストレートをフルスイング。そして、打球はカクテル光線きらめくなか、レフトスタンドへ消えていった。またもやツーアウトランナーなしからの同点ホーマー。しかも、森川は右打ちはうまいものの、練習試合でもホームランを打ったことのない打者であった。これを奇跡といわず、何というのか。しかし、この時、森川はホームランしか狙っていなかったという。星稜・山下監督も、12回の同点ホーマーの時は苦笑いを浮かべていたが、この時ばかりは信じられないという表情であった。

 そして、試合は18回の攻防となった。当時の規定では、18回を終わって同点だと翌日再試合をすることになっていた。その旨が18回に入る前に場内に放送された。「この試合が18回を終わって同点だった場合、翌日の第1試合で再試合を行います」とアナウンスされた時は、さすがに場内がどよめいた。自分は、「2番手に上野(昨年も甲子園のマウンドを経験した速球派)がいるから、再試合になったら箕島が有利だな」と思ったが、まさか再試合が明日の第1試合とは…。  

 18回表、ツーアウト1、2塁から、16回にタイムリーを打っている7番山下がセンター前にヒット。またもや星稜が勝ち越しかと思われたが、センターの森川が猛然と突っ込み、ランナーは自重。そして、場面はツーアウト満塁と変わった。この場面で山下監督は当たっていない石黒に変えて、前の試合で3安打を放っていた久木を代打に送ってきた。

 ここで石井も最後の踏ん張りを見せる。2−1から外角ギリギリにストレート。ボールの判定に場内は大きくどよめき、石井は苦笑い。この土壇場において、ギリギリを突くコントロールと苦笑い。恐るべきは、そのスタミナと精神力である。最後は、2−2からまたも同じ軌道のストレート。今度は久木が空振り。久木は思わずしゃがみ込んでしまった。ここに、この試合での星稜の勝ちはなくなった。  

 18回裏、疲労と勝ちがなくなった落胆からか、堅田はストライクが入らない。2番宮本の代打・辻内にストレートの四球を与えてしまった。この場面で、気力を振り絞れというのが無理な相談ってものだろう。続く上野山はスリーバント失敗。この時の泣きそうな上野山の表情が忘れがたいが、実は、この試合、上野山は39度の高熱を押して出場していたという。そのためユニフォームは鼻血で汚れ、途中から意識も朦朧であったのだ。12回のエラーも、その影響が少なからずあったのだろう。

 ワンアウトは取ったものの、堅田は依然、ストライクが取れない。ここまで7−0と完全に抑えていた北野もストレートの四球で歩かせる。ここで山下監督は、伝令に「みながお前を守っている」と紙を持たせ、堅田を励ました。しかし、堅田は書かれた文字を読む余裕すらなく、ただ字を見ただけだったという。そして、試合はついにフィナーレを迎える。このチャンスに5番上野が0−2からレフトへサヨナラ打を放ったのだ。

 「敗れて悔いなし」とはいえ、試合終了直後の山下監督の悔しげな表情は、他に例えようのないものであった。そして、試合後のインタビューで、「合宿でみんなで食べたカレーをまたみんなで食べたい」と号泣した姿は、見る者の涙を誘ったという。

 それにしても、これほどの死闘がいまだかつてあったろうか。この試合が甲子園史上最高の試合といわれるのも当然であろう。 この試合の価値は、箕島がそのまま勝ち進んで春夏連覇を遂げたことでなおさら高まったといえよう。

 大会は準々決勝を迎えた。準々決勝の第1試合は箕島−城西。スコアこそ4−1であったが、箕島は終始余裕の試合運び。石井も、星稜戦の疲れなどないような好投を見せた。

 第1試合終了に伴い、準決勝の組合せ抽選が行われた(前年までは第2試合が終わってからであった)。まず、上野山が第1試合を引いた。続いて、池田−高知の勝者。これは、第2試合となった。そして、浪商−比叡山の勝者がくじを引く番となった。場内の誰もが浪商と比叡山の勝者とは思っていない。浪商が箕島と準決勝で当たるかどうかで、場内は固唾を飲んだ。そして程なく、「浪商−比叡山の勝者は、準決勝、第2試合A」とアナンスされ、場内は大きくどよめいた。「これで決勝戦は春の決勝戦の再現になろう」と。

※箕島のキャプテン・上野山の引きは強いの一言であった。上野山は、選抜では、優勝へ絶対有利の初戦シードを引いた。しかも、そのくじは選手宣誓のくじでもあったのだ。そして夏の大会においても、2回戦から登場のくじを引き、準々決勝の抽選を前に尾藤監督に、「(ベスト8に残った高校では一番やりやすいだろう)城西を引いてきます」といい、本当に城西を引き当てた。さらに、準決勝の抽選前にも、「浪商、池田は決勝の相手に残して、横浜商を引きます」と宣言して、見事、その通りになったのだから。もし、準決勝で箕島が浪商あるいは池田と対戦していたら春夏連覇が達成されていたかどうか…。

 準決勝第2試合は、池田が右打者の活躍で高知を5−1で圧倒し、四国対決を制した。続く第3試合は浪商が10−0と比叡山を寄せ付けず、香川が3試合連続、そして山本が2試合連続のホームランを放った。第4試合では、横浜商が大分商の粘りに遭ったが6−3で振り切り、ベスト4進出を決めた。こうしてベスト4には、箕島、池田、浪商、横浜商と前評判の高い高校がくじの妙もあり、顔を揃えた。

 迎えた準決勝第1試合は、箕島が得点差こそ3−2と1点差であったが、終始リードを保ち、余裕を持って横浜商を降した。予選決勝で同じ2年生の愛甲に投げ勝ち、何かと話題を集めたジャンボ左腕・宮城も、箕島の1〜5番の巧打の前についに屈したのであった。石井も、星稜戦以来、守備のスランプに陥った上野山のまずい守備で2点を失ったものの、横浜商の好打線を完全に封じたといえよう。

 続く準決勝第2試合は、牛島と池田の左打者の対決が注目されたが、浪商の優勢が伝えられた。しかし、牛島も香川も、そして広瀬監督も、「池田、侮りがたし」と思っていた。牛島は後に香川との談話で、「今度やったら箕島には勝てる。池田戦がヤマと思っていた」と語っている。香川も、「池田のピッチャーは、ゆるいボールを使う、うちの苦手なタイプで嫌な感じがしていた」と答えていた。また、広瀬監督も、「池田と力は五分五分」と警戒して試合に臨んだという。

 それでも、尾藤監督を始め多くの人が浪商と箕島の再戦を予想していた。なにせ、ここまで、牛島は4試合で自責点が2という抜群の安定感。ストレートが速いうえ、カーブも切れ、時折投げるフォークボールが効果的。そして何より、思うところにボールが投げられる制球力が素晴らしかった。事実、初戦の上尾戦の先頭打者にフォアボールを出して以来、無四球であった。懸念されたスタミナ不足も、走り込みによって克服してきた。加えて、打線も、香川、山本、牛島のホームラントリオを中心に抜群の破壊力。上尾には苦戦したが、その後は、3回戦で曲者・広島商を9−1で一蹴するなど、相手を寄せ付けない強さを誇っていた。

 一方、池田は打線が売り物であった。選抜では4番を打っていた山本をトップにあげ、大量点を狙う目的で山下を3番から2番に移すなど打線を大きく組み変え、1番から4番まで、ズラリと左の強打者を揃えた。当時の池田打線も全員が振り切るバッティングを見せていたが、大物を打つというより、外野の間を鋭いライナーで抜くという感じの打線であった。そして、エースの橋川は、選抜後、ひじ痛で悩んだが、夏は見事に立ち直り、甲子園でも好投を見せていた。その橋川の香川対策は、徹底的なスローボール攻めであったという。

※橋川は完全な一匹狼的性格で、蔦監督も、「頭ごなしに言うとそっぽを向きよる」という強気な性格だったという。また、あるアンケートには、「嫌いな科目は体育。野球の練習だけでたくさんだから」という答える変り種であった。  

 池田ナインと蔦監督は、試合前から闘志満々であった。牛島がマウンドで投球練習をし出すと全員がベンチ前で投球に合わせて素振りを繰り返すのであった。

※4年後、史上初の3連覇を狙う池田は、徳島代表になった。そして、甲子園への出発を前に蔦監督は、「みんな、知っておると思うけどな、4年前の準決勝な。向こうには、ピッチャーやらキャッチャーやらにスターがおってな、そんなもん、こっちには誰もおらん。それを一丸となってぶつかっていったんや。お前らも、そういう気迫を見せなあかんぞ」と、ナインを叱咤したのであった。  

 さて、試合に話しを戻そう。試合は浪商がやや押し気味であったが、投手戦となった。さしもの池田打線も、8人目のバッターの唯一の2年生・田所がやっとチーム初ヒットを打つなど牛島を打ちあぐんだ。一方の浪商打線も適当にチャンスは作るものの、橋川の三種類のカーブを操る頭脳的な投球にかわされ、得点するには至らない。  

 こうして6回まで0−0で試合は推移した。7回表、池田の攻撃は4番の岡本から。岡本は地方大会で爆発したが、甲子園に来てからはすっかり当たりが止まっていた。しかし、ここでは本領を発揮し、牛島の内角快速球をライトへライナーで運んだ。肩に自信のあるライトの井戸がライトゴロにしようとしたが、一塁へ悪投。岡本は労せずして、2塁へ進んだ。そして、今度は香川が誰もベースカバーに入っていないセカンドへ牽制球を送ってしまった。池田はノーアウト3塁の大チャンスを迎えた。

 ここで打者は、今大会当たりに当たっている眼鏡の永井。永井は牛島の速球に振り遅れながらもライト線へライナーのツーベースを放った。ついに池田が先取点を取ったが、セカンドベース上でガッツポーズ一つしない永井は実に渋かった。

 この1点で浪商は焦った。7回、8回と早打ちで3者凡退。そして9回表。池田は内野安打の川原を岡本が送って、ワンアウト2塁のチャンス。ここで牛島は、前回の対決でタイムリーを打たれた永井をフォークで三振に打ち取った。してやったりのの表情を浮かべる牛島。

 これで池田のチャンスは潰えたに思えた。なにせ、次の河野(かわの)は、中京戦に三塁打を放っただけで、ここまで1安打。そして、この打席も2−1と追い込まれた。この場面、牛島は河野が狙っているストレートで勝負に出た。外角低めに目の覚めるような速球がうなったが、河野がクローズドスタンスの構えからバットを一閃。打球は右中間ツーベースとなり、池田は貴重な1点を追加した。  

 9回裏、2点を追う浪商の攻撃は香川から。橋川は徹底してカーブを投げるが、2−3からフォアボールで香川を出塁させてしまった。続く山本は、初球の内角ボール気味の球を強引にレフト前へヒット。土壇場で浪商はノーアウト、1塁・2塁のチャンスをつかんだ。この瞬間、誰もが上尾戦の奇跡が頭をよぎった。蔦監督も貧乏揺すりが止まらない。  

 次のバッターは、上尾戦で奇跡のホームランを打っている牛島。ベンチの広瀬監督は迷った。セオリーなら、強打の牛島とはいえ、送りバント。しかし、セカンドランナーの香川は足が遅いので、三塁で封殺される恐れが多分にある。結局、広瀬監督は送りバントのサインを出したらしいが、牛島はこれを無視して打って出た。ど真ん中にカーブが入ってきたが、内角球が意識にあった牛島は完全に手打ちになり、ショートへのゲッツーに倒れてしまった。このゲッツーで橋川は試合終了と勘違いし、マウンドから万歳しながら降りてきてしまった。それほど彼にとってこのゲッツーがうれしかったわけである。

 そうしたハプニングはあったもの、このゲッツーで浪商の命運も尽きた。続く川端もカーブに泳がされ、ピッチャーゴロ。選抜に続いて川端は最後のバッターとなってしまった。  

 それにしても、池田のチーム一丸となってのプレーは見事であった。さわやかイレブンから5年、今度は強力チームとなった池田が決勝戦に進出したのであった。

※香川が1983年の夏の大会が始まる前、雑誌社のインタビューを受け、「3連覇を狙う今の池田も凄いチームですが、僕らとやった池田も凄いチームでした」と振り返っている。

 こうして決勝戦は箕島−池田という顔合わせになった。そして、これは甲子園における尾藤監督と蔦監督の最初で最後の対決であった。

 この試合の最大の焦点は、箕島のエース・石井と池田の強力左打線の対決であった。蔦監督は、「下から投げられるのは慣れている」と自信を見せたのに対し、尾藤監督は、「うちは、どんなに打たれても石井で押し通す」と弱気な発言であった。実際、破竹の勢いで中京、高知、浪商と強豪ばかりを倒してきた池田を推す声が多かったもの事実である。  

 試合は1回から動いた。池田の看板の左打線が初回から火を吹き、2番の山下と3番の川原の短長打で1点が入った。それにしても、川原の左中間へのライナーは強烈であった。

 箕島も、その裏、ヒットで出た嶋田が4番の北野の打席で二盗、三盗を決める。ここで北野がしぶとくカーブをライト前へ運び同点。この後、北野も二盗を決め、上野が歩いた後、森川がライト前へヒットを放つが、これは微妙な判定ながらライト山下からの返球でアウトになった。

※今大会も嶋田は大活躍であった。結局、嶋田は甲子園で試合をした14試合すべてにヒットを打った。キャッチャーとしてのインサイドワークも抜群で、肩も強かった。さらに無類の勝負強さを持ち、俊足でもあった。甲子園の審判はみな、「最も優れたキャッチャーは嶋田である」と口を揃えるという。  

 1−1で迎えた4回表。池田が永井の大会27号で再び1点をリードする。ここでも永井はニコリともしなかったが。さらに池田は5回表、ライナーのヒットをライト前へ打った田所をセカンドに置いて、トップの山本がセンターへタイムリー、リードを2点に広げた。しかし、続いたチャンスで川原が実に惜しいレフトへのライナーに倒れ、追加点はならなかった。また、6回表にノーアウト1塁から永井の打った火の出るような当たりも3塁真正面のゴロになり、併殺。なにやら、この辺りから流れが変わってきた。  

 箕島は6回裏、北野の四球と上野のヒットエンドランで、ワンアウト1、3塁のチャンス。この場面で森川にスクイズのサインが出ていたのだろう、3塁ランナーの北野が飛び出してしまった。それを見た橋川が3塁に送球。しかし、そのまま北野がホームに突っ込み、ホームスティールという形で、箕島が1点差に迫った。こうなると流れは箕島である。

 7回裏、内野安打で出た榎本を石井が送る。これが内野安打。無死1、2塁のチャンスとなった。ここで打者は嶋田。前の打席もツーベースを打つなど当たりに当たっている嶋田だけに、ここは強攻に出た。嶋田はピッチャー返しの強烈な打球を放ったが、橋川がこの打球をはたき落とし、そのまま三塁に送球してワンアウトを取った。続く宮本の難しいゴロをショートの田所がうまく処理し、ツーアウト1、3塁。迎えるバッターは上野山。盗塁も決まって一打逆転のチャンスとなったが、上野山は橋川の大きなカーブにセカンドフライ。この大ピンチを免れた池田に流れは行くものであるが、まだ誰もが1点差なら箕島が逆転すると思っていた。  

 そして、8回裏、1点を追う箕島は北野が内野安打を放って、一塁に生きた。続く上野が慎重に送る。一打同点のチャンスとなったが、森川はカーブを引っ掛け、ショートゴロ。ショートの田所は3塁に走った北野を刺そうと3塁に送球したが、これがランナーの背中に当たる。打球はファールゾーンに転がった。これを見た北野がホームに突っ込む。ファールゾーンに転がったとはいえ、3塁手の永井がすぐ拾える範囲。しかし、ボールを拾った永井がホームへ痛恨の大悪投。ついに、箕島は同点に追いついた。  

 そして、なおもランナー3塁のチャンス。ここで打って出た久保の打球は三塁真正面のゴロ。当然、三塁ランナーは突っ込めず、永井は一塁に投げたが、今度は送球が短く、ワンバウンドとなり、一塁の岡本がはじいてしまった。それまでの4試合でエラーがわずか2つ(しかも、一つは橋川の牽制悪投)の池田守備陣がまさかの1イニング3エラー。本当に残念でならない。とくに力投の橋川が気の毒であった。蔦監督も、「甲子園で唯一悔いの残る試合」という痛恨の3エラーだった。

 なおも続くワンアウト1、3塁のチャンスで打席に入った榎本に尾藤監督は初球スクイズを指示した。しかし、これは池田バッテリーも読んでおり、ピッチドアウトした。ところがこれに榎本が飛びつき、見事に投手前へバントを転がし、ついに箕島は逆転に成功した。榎本のサーカススクイズは見事のひとことであった。

 9回表、池田の攻撃は、打順悪く6番の河野から。この土壇場でも石井は落ち着き払っていた。右打者の外角ギリギリを突く投球に池田の右打者はついていけず、最後の打者・田所も三振に倒れた。

 ここに、ついに、箕島の春夏連覇が達成されたのであった。それにしても、石井−嶋田のバッテリーは素晴らしかった。2人とも小柄であったが、2人のたゆまぬ努力と鋼鉄のような精神力が春夏連覇の大きな原動力であったといえよう。試合後の西田アナの、「2人とも幸せな高校野球生活でしたね」に、大きくうなずく2人であった。



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