1981年

選抜

 
悪夢の大会


 1981年…。

 思えば、この年ほど野球を見るのが嫌になった年はないだろう。

 選抜では早実が優勝候補筆頭の前評判虚しく、初日に楽勝と思われた東山戦で姿を消した。さらに、決勝戦では、一番嫌いなPL学園がこの大会で早実の次に応援していた印旛高校に逆転サヨナラ勝ちで優勝。

 夏の大会では、捲土重来を期した早実が報徳学園にありえないような逆転サヨナラ負け。そして、当時最もむかついていた金村のガッツポーズを何度も見せつけられての報徳学園の全国制覇。あまつさえ、プロ野球ではインチキ入団の江川の大活躍で巨人が日本一。

 この自分にとっては思い出すのも忌まわしい、1981年を以下に春の選抜から振り返ってみよう。

 この選抜は、荒木大輔大会と言われたほど、前年の大活躍とその端正な顔立ちで荒木の人気は沸騰していた。そして、その安定感抜群の投球も注目の的であった。また、荒木を擁する早実のチーム力も高い評価を得ていた。

 それも当然であったろう。荒木以外にも、抜群の守備力で牛若丸と呼ばれた小沢、前チームでも4番で活躍した小山、小柄ながらパンチ力のある高橋、巧打の住吉と、前年準優勝のメンバーがごっそり残っていたのだから。

 事実、秋の都大会も、日大三に7−0、日大二に7−1、桜美林に3−0と、圧倒的な強さで制していた。ただ、不安があるとすれば打力であった。ともに全国屈指の好投手とはいえ、神宮大会で秋田経大付の剛腕松本、星稜のアンダーハンド近江に、それぞれ1点に封じ込まれたからである。それでも早実の東の横綱という評価に誰も異論を挟む者はいなかった。

※前年夏の大会が終わった時点で、「来年は早実と天理が凄いチームとなって甲子園を沸かすだろう」と言われていたのであるが、一方の天理は、暴力事件で1年間の長きにわたって対外試合の禁止が申し渡されるという悲劇により、幻のチームのままに終わってしまった。当時の天理には、左の川本、右の小山、主砲藤本など超高校級の選手が揃い、選抜で優勝することになるPL学園を遥かに凌ぐ実力を持つと評されていたのだったが…。

 大会前に早実の対抗馬と見られていたのは、近畿大会を危なげなく制したPL学園であった。天理と比較すると見劣りしたが、左腕の好投手西川、3番吉村と4番田淵(あの田淵の遠い親戚)を中心とする強打で西の横綱と目された。

 早実、PLの両校に次いで評価が高かったのが秋田経大付、印旛、星稜、興南の4校であった。

 秋田経大付のエ−スは、中学時代から地元で評判の怪腕松本。地元では秋田商に進むものと思われていたのであるが、新興の秋田経大付に入学したことから、支度金が出たのでは疑われた松本は「秋田の江川」と呼ばれ、地元では評判が悪かった。しかし、この松本の実力は折り紙つき。大エースを看板にした東北のチームは、ともすればワンマンチームになりがちであったが、この秋田経大付は、それまでの東北のチームとは物が違った。センス抜群のトップ・2年生の佐々木、強打の左の3、4番の景山と鈴木、そして5番に一発長打の松本と、打力も相当の力を持っていたのである(神宮大会でこの打線を完封した荒木は大したものである)。

 印旛は、1試合平均8点の打線で関東大会を制していた。長打力抜群の切り込み隊長・村上、月山・白川・辻井のクリーンアップトリオ、8番ながら強打の坂本と4割打者が揃う打線は大会bPの得点力を誇っていた。選抜選考委員会で関東の関係者が、「印旛にいい投手をつけたら素晴らしいチームになる」と言ったというが、エース佐藤も、ストレートとカーブのコンビネーションが冴える好投手であった。

 星稜は、神宮大会の決勝戦で4−1で早実に快勝したことにより一気に評価が高まった。サブマリン近江は、「なるだけ長くテレビに映っていたい」という変人だったが、早実を3安打1点に押さえ込んだ大会随一の変則投手。打線もトップに好打者・高桑、あの箕島戦に先発していた3番の音、荒木から二塁打を3本打った4番西川、これも荒木から二塁打を放った6番中村と役者が揃い、山下監督も自慢するチームに仕上がった。

 興南は、投打の中心・竹下、内間、久場島らパワーのある選手を揃えた西の大関格のチーム。竹下はその名前からもわかるように神戸からの野球留学生であったが、前年夏の大会で0−3で荒木に投げ負けたことから荒木へのリベンジを公言していた。

 これら6強に次ぐ評価を得ていたのは、剛腕槙原を擁し新チーム結成以来18連勝を続けていた大府、近畿大会でPLに0−5で完敗したものの潜在能力を高く評価された報徳学園、投の楢崎・打の南谷と投打の軸を持つ岡山理大付、参加校中最高のチーム打率の倉吉北、四国王者の高松商であった。しかし、6強との力の差は否めなかった。

  そして迎えた抽選の日。「頼むからPLや興南と1回戦で当たるなよ」と思っていたところ、1回戦の相手はC評価の東山。「おお、ラッキー。1回戦は楽勝だな」と思った。これは早実ナインも同じで、東山に相手が決まった時に大笑いする荒木の顔が映し出されていた。また和田監督も、「PLサイドに強い高校がいないな」と、早くも決勝戦を視野に入れたコメントを残した。

※しかし、監督がこういうことを言ってはいけない。和田監督の評価は内外において高くなかったが、一時が万事というものだろう。和田監督はあまり作戦がうまいとは言えなかったし、選手からも人望も今一つだったと聞いている。事実、報徳戦で終盤荒木が打たれ始めた時、「豚、早く(芳賀)誠に代えろよ」と、野球部の連中はみんなそう呟いていたという。それに、もう荒木姓の選手はチームに1人しかいないのだから、インタビューで荒木のことを「大輔」と呼ぶのにも疑問を感じた。  

 和田監督の言う通り、早実サイドに6強のうち、5チームが集まってしまった。1回戦から印旛と興南が顔を合わせることになったほか、秋田経大付と星稜が2回戦で激突することになり、さらにこの両者の勝者が準々決勝で戦うことになった。そして準決勝では、ここを勝ち抜いた高校と早実が対戦することが予想された。それで、「準決勝の相手が問題だな。決勝の相手は間違いなくPLだろう」と、まさに取らぬ狸の皮算用をしていた自分であった。  

 開会式のカードは高松商−北海道日大。北海道日大には北海道一の好投手と言われた石井がいたが、高松商が試合巧者ぶりを発揮するだろうと思われた。しかし、実際は高松商の逆転サヨナラ勝ちという際どい勝負となった。  

 サヨナラの余韻が残る甲子園に続いて登場したのは、大注目の荒木擁する早実。荒木および早実はマスコミやミーハー女の人気はあったが、甲子園で人気があったとは言えなかった。言ってみれば、関西は早実にとってアウェイ。この試合、ファールフライを追って行った小山に阪神の帽子をかぶったおっさんが容赦のない罵声を飛ばしていたのが象徴的であった。

 試合は、四球で出た小沢を4番小山のタイムリーツーベースで迎え、早実が初回に1点を先取。続く荒木は三振したが、さして打撃の良くない荒木になぜ5番を打たせたのか、いまだに理解できない。  

 1回裏のマウンドに立った荒木であるが、どうも調子が良くない。夏の大会ではほとんど投げなかったシュートで三振は取るが、肝心のストレートが走らず、カーブも切れがない。なんとか0点に抑えていたが、いつも荒木でないのを誰もが感じていた。そして、早実は懸念された打力不足が表面化し、凡庸な東山のエース・吉岡を打てない。「もう1点あったら荒木も楽になるのになぁ」と思っていたところ、6回表に相手エラーで待望の追加点が入った。これで荒木も楽になると思われたのであるが…。  

 しかし、6回裏、ツーアウトランナーなしから、3番吉岡と4番鍬田の連打に四球が絡んだ満塁から、6番の光橋にタイムリーツーベースを打たれ、同点に追いつかれてしまった。まさかあの荒木が東山ごときに点を取られるとは…。これがこの時の偽らざる気持ちであった。これは早実ナインも同じであったろう。この同点で浮き足立った。  

 そして、2−2で迎えた8回裏。東山は、先頭の2番・木曽がヒットで出塁。「頼む、バントしてくれ。そしたら4番の当たっている左は敬遠だ。5、6番ならなんとか抑えるだろう」と願っていたところ、続く吉岡はヒットエンドラン。打球はセンター左に転がり、「あ〜、やべぇ、ノーアウト1、3塁か」と思いきや、中継のショート黒柳からの3塁返球がそれてしまった。本来ならベースカバーに入っている荒木のところでが止められたものが、荒木がベースカバーを怠っており、ボールは3塁側ベンチの屋根に乗ってしまった。この時の心境は、今も言葉で表せられない。  

 こうして1点を勝ち越された。しかも、この1点は流れが物凄く悪い中での失点。そして、残された攻撃は9回のみ。それでも1点に止めておけばと思った。この考えは早実ベンチも同じであり、続くノーアウト3塁のピンチで、当たっている4番の鍬田を歩かせた。この時、甲子園は怒号に包まれたが、そんなのは眼中にない。しかし、続く5番今村にデッドボール。ここでついに荒木は降板、芳賀誠がリリーフに立った。

 リリーフに出た芳賀誠にとって、ノーアウト満塁はいくら何でも荷が重い。芳賀誠はワンアウトを取ったが、7番の木下に痛恨の押し出しデッドボール。3塁ランナーの吉岡が大ガッツポーズでホームイン。吐き倒れるとは、まさにこのこと。眼前で展開されているのは本当に現実かと我が目を疑った。と同時に、吉岡のガッツポーズを見て、思わず「このエテ公め」と叫んでしまった。さらに続く満塁から三塁線を抜く安打を打たれ、8回裏に絶望的な4点が刻まれた。

 それでも奇跡の反抗を信じていた。が、9回先頭の芳賀誠の猛ライナーがファーストのファインプレーに阻まれてしまった。ここでまた投手の吉岡がこれ見よがしのガッツポーズ。この瞬間、「この猿野郎が!」と毒づきながらテレビを消した。

 ちょっとして、次の試合にいっしょに甲子園に応援に行くことを約束していた同級生から、「おい、今の試合、まじかよ」と電話がかかってきた。その電話で、「あ〜、やっぱ負けたんだ」と思い、しばらく言葉もない自分であった。

 それにしても、本当にこんな番狂わせがあるのか? 何も母校が番狂わせを演じることもあるまいに…。こうして書いていても吐き上がってくる悪夢の試合。その後、優勝候補筆頭が全くのノーマークの高校に負けるまで22年の月日を要した。そして、22年目の番狂わせのゲームとは、その記憶も新しい広陵−岩国である。  

 早実が負けたことで一時抜け殻となったが、そこは名うての高校野球ファン。応援するチームを印旛に代えて、そしてPLと東山の敗退を願って、以降の試合を見続けることにした。

 PLの初戦の相手は、実力は中国地区一と目された岡山理大付。もしやと期待されたが、エースの楢崎が風邪をこじらせて登板できなくなってしまった。この原因は、冬場に永易監督がチーム全員に水ごりをさせたこととされているが…。そのため、急遽2年生左腕の安藤が投げることになった。

 しかし、こののび太のような顔をした軟投派左腕のスローカーブにPL打線がまるでタイミングが合わない。特に、若井、吉村、泉谷の1、3、5の左打者が完全に打撃を狂わされた。それでもPL打線は終盤暴投をきっかけになんとか安藤を攻略したが、この3人の左打者のほか、4番の田淵も4タコに終わり、安藤の投球に幻惑されたPL打線は、全体がスランプ状態に入ってしまったのであった。

※大会後、楢崎投手の父親が息子が登板できなかった責任を感じてか、自殺してしまったと聞いて、なんともやりきれない気持ちになった。

 大会は3日目に入り、1回戦最大の注目カード・印旛−興南を迎えた。左打者を適当に散りばめた強打を誇る関東のチーム。さらに、熱血監督そのものの蒲原監督。早実亡き後、印旛に肩入れするまでには時間がかからなかった。しかし、この印旛まで1回戦で負けたら…。しかも、相手は投打のバランスでは印旛を上回る興南。期待と不安を持ってこの試合を迎えた。  

 試合は2回裏に動いた。1死から5番の辻井が竹下の速球をうまい流し打ちでライト前ヒット。いかにも豪気そうに見える蒲原監督であるが、蒲原監督はバントを命じ、ツーアウト2塁となった。このピンチに竹下は7番の佐藤に四球を与えた。これが興南には痛かった。8番ながら4割を打っている左の2年生坂本に打席が回ったのだから。坂本は三遊間を見事に破り、印旛が1点を先取した。  

 大会前は投手力がやや不安視された印旛であったが、佐藤が完璧な投球を見せ、興南のパワーあふれる打線を3回まで0に封じた。しかし、4回表に竹下のヒットなどで、1アウト満塁の大ピンチを迎えた。ここでトップのスイッチヒッターの伊芸が思い切り引っ張り、ライトへ大飛球を放った。

 誰もが走者一掃の3塁打と思ったが、ライトの池田が背走に背走に重ね、ほとんど奇跡的に追いつき、犠牲フライの1点にこの大飛球を終わらせた。それにしても、このファインプレーは大きかった。このプレーで流れが印旛に傾いたのであった。

 同点に追いつかれた印旛は再び1死1塁からのバントを生かし、またも8番の坂本のタイムリ−で1点を勝ち越した。しかし、辻井の内野安打といい、坂本のタイムリーといい、竹下にとっては打ち取っていた打球といえよう。この辺は、表のイニングの大ファインプレーの余波といえるのではないだろうか?

 さらに、印旛は5回裏、無死1、2塁から3番の強打月山に送らせ、4番の白川がスクイズで1点を追加。これで勝負あった。佐藤はその後立ち直り(8回、力む竹下をワンストライクから高めのボール球で振らせ、次に外角のボールのカーブで3球三振に切って取ったのは見事であった)、印旛が強豪対決を制したのであった。

※4安打しか打てなかった印旛が3点取ったのは、蒲原監督の自分を殺した采配によるものといえよう。正直、蒲原監督にこのような細かい野球ができるとは思っていなかった。  

 1回戦のもう一つの好カードは、大府が報徳学園を5−3で降した。槙原が投じた高原への初球、その剛速球ぶりに場内が大きく湧いたことが印象に残る。その槙原から金村のホームランなどで3点を取った報徳学園はさすがだったが(初回のノーアウト1、3塁で金村がスクイズを敢行したのには疑問を感じた。結局、失敗して無得点に終わった)、金村が力んで5点を取られたのが報徳学園には誤算であったろう。それでも前評判に違わず、報徳学園は力のあるチームだと思った。

 2回戦では予想通り、秋田経大付と星稜が顔を合わせた。秋田経大付は1回戦で四国の強豪・丸亀商を完封しており、星稜は高崎を11−1で粉砕していた。

 ともに雪国勢初の優勝を狙える両チームの対決は接戦が予想されたが、試合は星稜の近江が雨でぬかるんだグランドに制球を乱し、序盤から秋田経大付が点を重ねていった。エースの松本も星稜の強力打線を力で押さえ込み、結局、4−0で秋田経大付が快勝した。松本のホームラン&6連続奪三振に象徴されるように、秋田経大付は力強かった。そして、星稜があっけなく負けたのが、あの箕島−星稜以来、山下監督に思い入れるようになっていた自分にはいささかショックであった。

 2回戦では、PL−東海大工も好試合であった。岡山理大付戦で打撃を狂わされたPL打線は、この日も東海大工の本格派右腕の成田を打てない。その分、西川が踏ん張った。内外角低目にコントロールされた速球もカーブもよく切れた。またピッチングもうまかった。

※事実、西川の決勝までの被安打は1、4、3、6であり、自責点は0という素晴らしい投球を示した。

 試合は0−0で9回を迎えた。9回表、PLはトップからの攻撃も若井、松本と倒れ、ツーアウトランナーなし。ここで迎えるバッターは吉村。吉村はここまで7打数ノーヒットであるが、前回の打席でライトへ大飛球を放っていた。そこで東海大工バッテリーは、前の打席でヒヤリとさせられたカーブではなく、ストレートを投じた。しかし、ストレートを読んでいた吉村のバットが一閃。打球はライトスタンドへ消えていった。

 9回裏、西川は先頭の野村にヒットを打たれ、バントでセカンドまで進められたが、3番・原田、そして巨漢の4番・関戸と押さえ、吉村の叩き出した1点を守り切った。それにしても、こういうところで絶対にタイムリーを打たれないPLの投手達の勝負強さはいったい何なのだろうか?  

 大会は準々決勝へと進んだ。しかし、朝からあいにくの雨模様であった。この雨は前日から降っており、前日の第3試合で槙原が姿を消していた。槙原は下半身を泥だらけにしながら奮闘したが、本格派の槙原にとって雨は不利に働いたようだ。

 第1試合は、倉吉北が接戦の末、高松商を3−2で降した。2年前の選抜でも高松商は倉吉北に4−7で苦杯を喫していたが、またしても新鋭校に名をなさしめられた。  

 第2試合(PL−日立工)ともなると、雨が激しくなった。この試合のPL打線は好調で、初回に若井のツーベース(今大会初ヒット)を足掛かりに、吉村の目の覚めるようなスリーベースで2点を先取。その後も打ちまくった。雨で珍しくPL守備陣が乱れ、西川の無失点記録が止まったが、8−2でPLが日立工を一蹴した。  

 第3試合は注目の印旛−秋田経大付であったが、雨のため第3試合以降は翌日に延期となった。これは、そのグランド状態からも当然のことであった。2年前の池田−東洋大姫路が高野連にとって良い戒めになっていたのだろう。  

 そして迎えた印旛−秋田経大付。予想にたがわず、すさまじい攻防が繰り返された。1回表印旛の攻撃は、ツーアウトから3番月山が松本のカーブをセンター前へ。ここで蒲原監督は盗塁をしかけた。タイミングは完全にアウトであったが、月山のラフプレーに近いようなスライディングでショートが落球。このプレーが印旛打線に火をつけた。続く4番の白川がセンターへタイムリーして、松本に今大会初の失点を与えたのだから。そして、辻井、土屋、佐藤もヒット。計5連打で印旛が3点を初回に松本から奪った。ただし、佐藤の当たりは中堅手が追いつきながら落とすという松本にとっては不運な当たりであった。

※月山は中学時代は泣く子も黙る番長であり、野球部入部後も度々練習をさぼったという。そこで蒲原監督が自ら月山の首根っこを押さえて、練習に参加させるようにした。そして精進の結果、キャプテンまで任されるようになった。

 秋田経大付がこれまでのような東北チームにありがちなワンマンチームであったら、この3点でくじけていただろう。しかし、秋田経大付は逞しかった。初回、ツーアウトから、景山、鈴木、松本のクリーンアップの3連打ですかさず1点返した。すると、印旛も2回表、エラーで出ていたランナーを2番石井のスクイズで返し、再び3点差とした。  

 松本は中盤以降は完全に立ち直り、印旛打線を寄せつけなかった。そして秋田経大付の反撃が始まった。6回裏、ツーアウト1、2塁から代打の木村がライト前ヒット。ここでライトの池田はバックホームを焦ったのか、トンネルしてしまい、1塁ランナーもホームイン。ついに1点差となった。

※がっくりと頭を垂れてベンチに戻ってきた池田をいの一番で迎えた蒲原監督が池田の頬を慈しむように手で挟んで元気づけていたのが感動的であった。  

 さらに秋田経大付は佐藤を攻める。7回裏、トップの佐々木がツーベース。さらに意表をつく三盗。ここで佐藤はしつこいくらいに牽制を送り、ついに5球目、佐々木を刺した。これで流れが変わるかと思われたが、印旛は松本から追加点を取れない。そして、8回裏、ノーアウト満塁からスクイズははずしたが、続く浜野に犠牲フライを打たれ、ついに4−4の同点となった。

 4−4の同点で迎えた9回裏、秋田経大付は先頭の佐々木がヒットで出た。その後、佐々木はバントと内野ゴロで、ツーアウトながら3塁に進んだ。ここで打席に入ったのは、この試合3安打と当たっている4番、左の強打者・鈴木。

 「ここは敬遠」と思っていたところ、蒲原監督も佐藤に敬遠を指示した。そして蒲原監督は、続く5番の剛打・松本も歩かせた。この誰もが驚いた4番、5番の連続敬遠でツーアウト満塁となった。

 続くバッターは6番の三沢。三沢は粘り、カウントをツースリーまで持っていった。同点の9回裏、ツーアウト満塁でツースリー。もうマウンドの佐藤は開き直っていた。そして、ど真ん中めがけてストレートを投げ込んだ。この気迫の投球に三沢はキャッチャーフライ。月山がやったとばかりにホームベースの後ろでキャッチした。  

 これで流れが印旛に来た。10回表、ワンアウトから月山がストレートをライトオーバーに会心の一撃。続く4番の白川は敬遠気味に歩いた。この場面で秋田経大付は極端な前進守備を取った。しかし、これがモロに裏目った。5番辻井のセンターへのライナーが中堅手の頭上を越えたのである。もし普通の守備位置だったら、正面をついていたであろう、このライナー。ここは秋田経大付も賭けに出たのだから、仕方がなかったと思う。続く土屋もライト前へはじき返し、秋田経大付にとどめを刺した。  

 それにしても壮絶な試合であった。今大会における文句なしの最高のゲーム。死力を尽くしたナインには場内から大きな拍手が送られた。  

 第4試合では、気鋭の上宮が、福島商・古溝、大府・槙原と、好投手を連破した御坊商工打線を完封し、ベスト4に最後の勝ち名乗りを上げた。なお、早実を番狂わせで破った東山は、この上宮に2回戦で2−9で完敗していた。東山の試合を見るのはけったクソ悪いので上宮戦は見ていなかったが、見ていればきっと溜飲が下がったであろうに、惜しいことをしてしまった。

 準決勝では、予想通りPLと印旛が勝った。しかし、PLはこの試合も勝ち味が遅かった。0−0の6回裏に、西川自らのスリーベースを若井のタイムリーでようやく1点を先取。その後追加点をあげ、倉吉北の挑戦を4−0で退けたものの、やはり打線がイマイチであった。  

 印旛も、上宮の柚木(ゆのき)、松本両投手から13安打放ちながら、攻めに決め手を欠き、月山のソロホーマーなどの3点に終わった。佐藤の好投で3−1で勝利したが、この攻めのまずさに蒲原監督が切れ、旅館の人が「食事が遅れて困る」と苦情を言うほど延々ミーティングが行われたという。

 ついに迎えた決勝戦。早実敗退後、最も肩入れしていた印旛と、全国で最も嫌いなPL学園。いやがおうにも緊張を隠せなかった。

 印旛−PLは、投打のバランスはPLが上であるが、PLは打線が当たっていないこともあり、新聞などの予想は5分と5分。焦点は、大会一の強打の印旛打線と左腕の西川の対決であった。当たっている印旛打線とはいえ、相手はここまで自責点0の西川。しかも、左の西川に対して、1、2、4、8と、印旛には左打者が4人いる。そして、今大会は湿っているものの、ここという時は必ず得点してきたPL打線。やはりPL有利は否めないと思った。  

 試合前、土門アナウンサーは、「両投手の疲れも考えて、3、4点の勝負では?」と解説の松永玲一氏にたずねたが、松永氏は、「いやいや、1、2点の勝負になるでしょう」と返した。果たして、試合は松永氏の予想通りとなった。  

 5回を終わって0−0。ただ、内容的にはPLが押していた。1回裏、先頭の若井が佐藤の初球の甘いストレートを叩いてライトの大飛球を放ってヒヤリとさせられた。また、4回裏のツーアウト満塁で、西川を迎えた場面も痺れた。その場面、蒲原監督はじっとしてられず、ベンチ前を動物園の熊のようにウロウロしていた。そして、西川が3塁ファウルフライに倒れると、守備から帰ってくる選手を大きく手招きして迎え入れた。  

 それにしても、この蒲原監督、本当に熱血監督そのものであった。練習では鬼のように厳しかったが、ベンチでは選手にいろいろと気を使っていた。この試合でも、3回にチャンスで三振に倒れてベンチに戻って来た石井を大きな笑顔を浮かべて手招きして呼び寄せ、元気づけていた。そして、その回の先頭打者にヘルメットを手渡し、丁寧にアドバイスするという熱の入れよう。  

 一方のPL・中村監督は、まさに静の監督。ピンチの時もベンチで静かに状況を見つめていた。ただ、その手にはボールが握られていた。あるピンチの時、近くに転がっていたボールを握ったら、不思議と落ち着いた気分になり、それから常にボールを持って戦況を見つめるようになったという。

※この選抜が中村監督にとって甲子園の初采配であった。というのも、前年夏に3季連続甲子園を逃した鶴岡監督が解任され、守備コーチであった中村氏が監督を引き継いでいたからである。この鶴岡監督解任の引き金となったのは、前年の予選で、左バッターを先発に7人並べたところを近大付の左腕・浅田に完封されたことであった。そして、その時のエースも西川。以来、西川は、虚弱体質を克服するために嫌いな魚も積極的に摂るようにしたという。

 印旛はそれまでの4試合、常に早い回で得点してきた。しかし、左腕の好投手西川の前に5回までわずか2安打。土門アナの言うように、「印旛も西川の攻略にいろいろと工夫しているのでしょうが、なにかそのもう一つ上を行くピッチングで印旛がてこずっています」という感じあった。

 しかし、6回表、印旛が均衡を破った。先頭の2番石井がうまく転がして内野安打で出る。続く月山に強攻策も考えられたが、蒲原監督はバントを命じた。月山が見事に打球を殺し、バント成功。ここで4球続けた西川のカーブを、4番の白川がうまく腰を沈めてセンター前へタイムリー。印旛に待望の先取点が入った。続く5番の辻井に、動揺した西川が初球をデッドボール。PLびいきの松永氏が、「う〜ん、デッドボールだ」と思わずうなった、今大会初めて見せた西川の動揺。しかし、続く土屋、佐藤と西川が打ち取り、1点でこの回の印旛の攻撃を抑えた。

※松永氏は、田淵、山本浩二らの時代の法政の監督であった。PLから法政にはラインみたいなものがあり、小早川、木戸、西田のPL三羽烏も、揃って法政へ進学していた。そのため松永氏はPLに肩入れしていたのであろう。事実、8回表に先頭の石井がまた微妙なゴロを内野に転がした時も、松永氏は、「また嫌な打球だ」と呟いた…。  

 試合は、そのまま印旛が1−0とリードしたまま推移した。6回以降はPLはチャンスすら作れず、完全に佐藤の術中にはまっていた。しかし、このまま終わるPLではないと、しきりに嫌な予感がしていた。  

 そして、ついに9回裏のPLの攻撃を残すのみとなった。それにしても裏の攻撃というのが不気味であった。  

 9回裏の攻撃が始まる頃には閉会式の準備も始まり、場内はさらに緊張を増した。9回裏の守備にナインを送り出した蒲原監督も緊張の色を隠せない。  

 9回裏のPLの攻撃は、この日2安打と当たっている5番の泉谷。しかし、泉谷はレフトファウルフライに倒れた。この時のレフト坂本も、緊張でガチガチになっての捕球であった。

 「これで打線は下位に回る。勝ったかもしない」と思ったのも束の間、6番の東が三遊間突破の安打。土門アナも、「最後までがっちりと食い下がります」と、その東のヒットを称えた。

 打順は7番の岩井。ここで中村監督が代打を送り込んできた。そして代打に指名されたのは、小柄な2年生の佐藤。なんでも中村監督と目がカチっと合ったという。

 「ここはワンアウトからでも送らせて、次の勝負強い西川で勝負するのか?」と思ったが、送る気配は全くない。これはしめたと思った。2年のこんなチビに打たれるわけがないと思ったからだ。しかし、2年生の小柄な選手がPLのベンチに入ったということをもっと深く考えるべきであった。  

 さすがの強気な印旛のエース佐藤も、緊張からか、3つ続けてカーブがボールとなった。それを見たベンチの蒲原監督は、指を1本立てて何かを叫んだ。おそらく、「ワンアウトを確実に取れ」と絶叫していたのであろう。  

 ここで秋田経大付戦の9回裏のように佐藤は開き直った。2球続けてアウトコース低目へ速球を放り込み、2−3とした。そして、また外角低目へ速球を投げ込んだ。いいコースにいったのであるが、PL佐藤のバットがその速球をとらえた。センターの石井が絶望的に背走する。もし石井が長打に備えて深めに守っていたら取れていただろう。しかし浅めの守備位置だったため、完全に抜かれた。1塁ランナーの東が2塁、3塁を回って、ホームイン。そして、殊勲の佐藤が颯爽と3塁ベース上に立っていた。

 今度は一転して、印旛がサヨナラのピンチ。打者は8番ながら好打者の西川。ここは敬遠と思いきや、バッテリーは何を思ったか、勝負している。そして0−3からストライクを取りにいった球を打たれた。打球はファーストの白川のグラブをはじき、ライト前へ転々と転がった。マウンドの佐藤は取り乱すこともなく、淡々とした表情でマウンドから降りてきた。ここにPLの選抜初優勝が決まったのであった。  

 サヨナラの大興奮のなか、PLの校歌が流れた。満面の笑みで校歌を聴く中村監督。以降、この中村監督の笑顔を何度も見ることになる。



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