奇跡のバックホーム
プー太郎生活1740日目。
今日は快晴であった。絶好の麻雀日和なのにツモれなかったたぁ、ハガい。
この土日の競馬で2万7000円勝っただと? 麻雀をしていれば、そんなもん、吹っ飛んだろうによ。
5月中に、いや、5月中旬までに2万7000円が溶けるのは自明の理。だから、わしなら、しばらくやらん。
それをまた大きな勝負をするから年間で30万以上も負けるわけだ。いい加減、学習しろや。
松山商-熊本工、サガン-広陵、早実-駒大苫小牧は、いずれも録画に成功した。
失敗していたらシャレにならないところであった。サガン-広陵では、球審の故意ジャッジを検証したいのである。
というわけで、今日は松山商-熊本工を再生した。あとの2試合は、明日、明後日に見る。
松山商-熊本工は、9回裏からの放送であった。それは予想通りである。
9回裏の熊本工の同点ホームランは、連続三振の後の初球だったのか。
ピッチャーの新田からすれば、エアポケットに入ったような一発であったろう。
しかし、そんなことが記憶から抜け落ちているとは、当時は既に記憶力が衰えていたくせぇ。
その直後の松山商のショートのファインプレーには目を見張った。あれが内野安打になっていたら一気にサヨナラまであったろう。
10回裏の奇跡のバックホームは、ワンアウト満塁の場面だったのは余りにも有名である。
ワンアウト3塁で、サイドハンドの渡部に、右の1、2番を敬遠して、3番の左バッターとの勝負を指示したことには今も疑問に感じる。
確かに満塁の方が守りやすいが、リスキーにも程があった。ライトに大きな当たりが飛んだ瞬間、「それ、見たことか」と思った。
それが風で押し戻されたのと、直前にライトを矢野に変えていたのも、奇跡の一環であった。
矢野の奇跡のバックホームが長く語り継がれるのは、松山商がその直後に勝ち越して優勝したらばこそである。
矢野の奇跡のバックホームの要因の1つに、サードランナーのスタートが一瞬遅れたことがあると、朝日新聞で読んだことがある。
その引き金となったのは、9回裏の松山商のアピールだったという。
同点ホームランのランナーがサードベースを踏み忘れたとのアピールに熊本工ベンチが凍りついたそうである。
そりゃ、凍りつくわな。万が一踏み忘れていたら試合終了となっていたのだから。
サードベースの踏み忘れ…。いわき東戦での岩鬼を思い出したのは書くまでもない。
松山商OBの管理会社の兄ちゃんに、松山商の5番・キャッチャーを石原と言ったのは不覚であった。石丸だったわ。
石原と勘違いしていたのは、石丸のファーストネームを裕次郎と覚えていたことによろう。
兄ちゃんが敢えて指摘しなかったのは、わしに気を使ってのことだと思われる。
松山商-熊本工のハイライト番組を見て、「それにしても」と思ったことが3つある。
1つ目は、大歓声とブラスバンドの応援があってこその甲子園大会だということである。
2つ目は、冨二夫ちゃんの解説が懐かしかったことである。
「今のは××君のボーンヘッドですね」というような厳しい指摘をするのが、その真骨頂であった。
3つ目は、「優勝シーンに一本指ポーズがないのはいいな」と思ったことである。
一本指ポーズは見ていて気持ちのいいものではないし、相手に対しても失礼だ。
高野連もルールを改悪ばかりしていないで、一本指ポーズの禁止を各校に通達しろ。
試合を見終わって間もなく、インターホンが鳴った。2月、5月、8月、11月の3日は、青汁が宅配されて来る日なのである。
野菜不足の究極タイガーのわしにとって、青汁は不可欠。青汁を飲むようになってから、より快便となった。
佐川急便のハゲのおっさんは玄関に出て行く小太郎をあやしてくれるが、わしのことをチョンガー・ザ・グレートと見破っているであろう。
しかし、佐川急便のハゲのおっさんも大変だな。コロナ禍で宅配業者の仕事量が大幅に増えているくせぇ。
今日の夕飯は、豚の角煮、ウィンナーソーセージ、ゆで卵であった。だから、青汁が不可欠なんじゃい。
えっ。元阪神のキーオが亡くなったのか…。64歳とは早い。
キーオといえば、阪神の暗黒時代初期のエース。他のチームだったら、もっと勝っていただろうに。
川藤幸三氏の本で、バーでキーオ、バース、レオン、ホーナーが口角泡を飛ばして話していたことがあると読んだ。
4人は野球の話ではなく、自分のかみさんが如何に酷いかを訴え合っていたという。その後、キーオが離婚したかどうかは知らん。
ここに、キーオ元投手のご冥福を祈りたい。
さて、これからミニザトペックになるか。あくまでも、「ミニ」である。
それでも、1時間も持たないであろう。今日は、「そういうこっていい」ことにしたい。了