叔父との思い出
プー太郎生活1743日目。
昨晩11時過ぎに弟から電話があった。そういう電話は嫌な知らせの場合がほとんどであるが…。
案の定であった。父方の叔父が東京医科歯科大のICUに運び込まれたという。
家の階段で足を滑らせて後頭部を打ちつけ、救急車で運び込まれたそうである。
昨日の段階で意識がなく、今日はまだ連絡がないから、依然として重篤な状態だと思われる。
それにしても、よく東京医科歯科大に入院できたな。その辺は区民の強みか?
ICUに入る前にPCR検査を受け、陰性だったので受け入れてもらえたと聞いた。
何とか意識を取り戻せればいいのだが…。ともかく、覚悟しないとならないな。
その父方の叔父は若い頃は粗暴で、数々の武勇伝がある。
以下は、父親から聞いた話である。
鶴見の銭湯の下駄ばき置き場で、叔父らが番台から出て来た時に、風呂に入りに来た筋者らと口論となった。
筋者らが、「おめぇら、俺らが上がるまで、そこで待ってろ」と言って、暖簾をくぐって行った。
叔父と一緒に居た叔父の従弟が、「いいから帰ろうよ」と言ったのに、叔父は本当に待っていた。
そしたら風呂から上がってきた筋者らがビビッて、「すいませんでした」と言って逃げて行ったそうである。
わしと弟が小学校低学年の時、父親と叔父に、よく府中競馬場に連れて行ってもらった。
車で行ったのだが、運転手は叔父の会社の従業員であった。
当時の府中競馬場は人生の敗残者の吹き溜まりだった。府中競馬場の雰囲気が最悪だったのは、今も記憶にある。
今から思えば、よくそんなところに小学生を連れて行ったものである。
見るからにガタイのいい叔父はわしらの用心棒で、人間の屑のような奴らにも絡まれることはなかった。
が、叔父の狼藉を目の当たりにしたことがある。
競馬場近くの屋台でおでんを食べていたら、突然、「髪の毛が入ったらぁ」と、食い掛けのおでんを甕の中に叩き入れたのである。
その瞬間、その日は商売ができなくなったはず。子供心に屋台のおばさんをすこぶる気の毒に思ったものであった。
しかし、それって、狼藉以上ではあるまいか? とっつぁんにその話を聞かせたら、「甕の中にぶち込んだの?」と、唖然としておったわ。
後年、叔父にその話をしたら苦笑いをした。あまり罪の意識がなかったくせぇ。
そんな狂暴な叔父でも、わしら兄弟を可愛がってくれた。それだけに心配である。
叔父の状態を気にしながらも、今日で何とか号泣組翁から依頼を受けた仕事を終わらせた。
次の仕事は時間が掛かる難儀なものだが、明日からしばらく息抜きさせてもらう。
明日は、よんどころのない事情で外出する。むろん、金竜飛なみの手洗いをするなど、用心には用心を重ねる。
それでコロナに罹患するほど引きは弱くないと思うが…。了