梶原讒言
プー太郎生活2386日目。
「昨晩から朝にかけては大雪」という予報は外れたくせぇ。
雪など全く積もっていなかった。
って、「つもって」と入力して、「ツモって」と最初に変換されるなや。
むろん、ティップネスに「ドレムラー、突進」となった。
エントランスを出たら、2つ隣の部屋の女性のスクーターがなかったのが目に入った。
先週は火曜から日曜までスクーターが置かれていたのだが。
火曜と木曜に羽生の演技があったから、先週は羽生出前だった可能性が高いな。
帰宅して郵便ポストを開けたら、ゲンダイが5紙入っていた。
さすがに今日中に5紙も読めん。ほとんどの記事に目を通すからである。
明日は号泣組翁との逢瀬だし、電車の中での暇つぶしとして木曜版以降を温存するとするか。
金曜発行の「土曜競馬特別版」をチェックして吐いた。
競馬面と広告面を除くと、7面しか記事がねぇたぁ。
それを知らずに買っていたら暴れているところだったわ。
ゲンダイも本格的に岸田を叩くようになったな。火曜版の一面の見出しは、「スガ以下」である。
確かに菅はどうしようもない総理であったが、ワクチン接種に関しては岸田よりも手を打った。
火曜版のコラムで読み応えがあるのは、村西とおる監督の人生相談と隔週で掲載される斎藤貴男氏および金子勝氏のコラムである。
今回は金子勝氏のコラムであった。
「岸田政権に国家運営を担う資格はない」
安倍や菅よりましとはいえ、わしもそう思う。
火曜版に目を通し終わってから、飯を食いながら録画した「鎌倉殿の13人」を見た。
三谷幸喜は歴史を脚色することで知られる。だから、三谷の作品はあまり好きでない。
が、第6話では、梶原景時が敗走中の頼朝を見逃すシーンがきちんと描かれていた。
当時、景時は平家方の武将。だから、頼朝の首級を上げたら手柄になる。
それを敢えてしなかったのは、先見の明があったということである。
その後、平家が滅び、頼朝の天下になった際、景時は頼朝の軍門に降って重用されることとなった。
そして、景時は義経のことを頼朝にあれこれ讒言し、頼朝は義経を討つことを決意したのだった。
小学3年か4年の時に、義経の伝記を読んだことがある。
その本の最初のページは、主な登場人物の紹介であった。
その中の1人に梶原景時が載っていて、「義経の悪口を兄の頼朝に何度も言った悪い人物」とあった。
それで、「梶原景時=告げ口をした悪い奴」というのが刷り込まれた。
それもあって、わしは告げ口をする奴は嫌いになったのである。
小5、6の担任だったばばぁ教師に、わしの通学路破りなどを告げ口した奴を締めたことがあると付記しておきたい。
あらためて書くまでもないが、わしは捻くれ者で変人である。
だが、いわゆる梶原讒言をしたことはない。それは数少ない誇りである。
明日は1か月ぶりの翁との逢瀬だ。しかし、オミクロン株が怖いから、翁とメシを共にできないのがハガい。
それと8時起きもハガい。今日は早々に意識を失う予定である。了